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矢嶋参考人 鉱山とは特定の元素が濃集しているところ、すなわち鉱床から特別の元素を持った
鉱物を取り出しまして、これからこの元素を抽出する作業場のことをいうわけであります。したがいまして、これらの元素は需要のあるなし、またはその多寡などによりまして興廃することは当然であります。しかし、私
ども鉱床というものを研究いたしますのは、こういった経済的な
影響というようなものを考慮いたしませんで、特定の元素の濃集、すなわち鉱床について地球化学的に研究するということ、これが私たちの研究の対象である鉱床学であるわけであります。
鉱床学の上から申しますと、地球上にあります元素の存在や分布というようなものはきわめて複雑でありまして、地球の内部の組成とその状態というものの知識が完全になければならないわけであります。しかし、いままでに最も深いボーリングでも六キロ
程度であり、
鉱山としてもそんなに深いところはないわけでありますから、これらの観察できる事実を除きましては、地殻を実際の目で見るという以外にはないわけであります。一九二二年に地殻の上の元素を分析いたしまして表をつくりましたのが有名なクラーク・ナンバーでございます。これらのクラーク・ナンバーによりますと、いわゆる百万分台と申しますと、最近はやりのPPMでございますが、そのPPMでもって約二万以上の値を示しておりますのは酸素とけい素とアルミニウムと鉄、カルシウム、ナトリウム、カリウム、マグネシウムの八元素でありまして、これらのものが九九%を占めておるのであります。それ以外のものは、非常にたくさんの元素というものは非常に少量しか含まれていないということがいえるのであります。
結局、元素の存在量とその利用度の間に明確な区別をする必要が私たちにはあるわけであります。すなわちある元素は地殻の中にはかなりの量が存在しているけれ
ども、普通の各種の
鉱物の中には系統的に分散していて、必ずしも濃集の状態には産出していないものが多いのであります。一つの元素が容易に抽出し得るかどうかということは、それが主成分となっている独立の
鉱物が存在しているかどうかということに大きな関係がありますけれ
ども、私たちが最も入手の困難であるという元素それ自体は
鉱物をつくらずに他の元素
鉱物の中に微量に分散されている場合が非常に多いのであります。
このようにクラーク数というのは地殻の平均の値でありまして、大体大陸を構成しております大部分の花こう岩と、大洋の底を構成されております玄武岩とのちょうど中間的な成分を持っているのでありまして、実際複雑なそれぞれの
地域での数値というものは当然この平均値とは異なる値を示すべきではございます。ことに最近堆積岩、すなわち粘板岩、頁岩、泥岩というようなものの中には非常に特殊の元素が濃集しておりまして、この中にもし熱い温度の水、たとえば温泉みたいなものが通過してそれを溶解して他の
地域に運んで沈でんしたような場合には、優に現在の鉱床と全く同じような規模のものができる可能性があるというようなことが最近の学説でいわれているのであります。最近の鉱床学というものは火成鉱床の特に末期の生成であります熱水鉱床での金属元素というものはマグマ起原であるとする必要がない、堆積岩から持ってきた場合がうんとあるのだというような考え方をしだしている学者がうんと多いのであります。したがいまして地球を構成しております地殻というものをしさいに検査いたしますと、私たちは予想外の数字の金属元素が大量に入っていることがわかるのであります。しかしこの数字というものは、もちろん絶対の含有量を示しているものではありませんので、分析という技術が進んでまいりますと、その値に変動が起こってくるのは当然であります。しかしこういうような現在の分析技術、分析の精度というようなものから申しまして、一応出されました数字というものは、少なくともこのくらいの成分は含まれているということの数字であるといわなければならないのであります。
結局われわれが鉱床を研究するにあたっては、特定の
地域の元素の濃集ということを探究する場合に、その
地域のバックグラウンドになっております土壌あるいは母岩、そういうものの中に入っております金属元素というものの明確な分析の結果を知る必要があるわけであります。
最近私たちの鉱床の探査に最も多く用いられております地化学
探鉱というのがございます。これは最も高度の技術を駆使いたしました分析を取り上げまして、それによりまして特定の
鉱物がどういうところに存在しているかということを研究するのであります。これはごく最近、一九六三年から七〇年までにおきまして、国連が
世界各地において分析いたしました地化学
探鉱の結果でございます。これらの結果によりまして、最近ごく問題になっておりますマレーシアのマムート鉱床——マムートという
鉱山が見つかっているのでありますが、これらの
鉱山の分析の結果によりますと、結局最初にまずバックグラウンドの数字がどれだけであるかということを判定いたしませんと、それらの数字を解釈する上において非常に困難が伴ってくるわけであります。
ここにその他化学
探鉱の結果を一々御説明申し上げるわけにはまいりませんので、お回しいたしますのでごらんいただきたいと思います。
こういうように、銅だとか鉛だとか亜鉛だとかというような金属元素というものは、特定の
鉱物がつくりやすい元素でございます。したがいまして、その特定の
鉱物の寄り集まっている鉱床が、自然にその稼行の対象になることは明らかでございます。しかしながら、このほかに銅だとか金だとか銀だとかあるいは白金属とか水銀などのように、天然の状態で元素の形で存在している
鉱物もございます。しかしこれらの
鉱物というものは、大体におきまして火成作用ででき上がります。大部分の鉱床は火成作用でできるわけでございますけれ
ども、その火成作用ででき上がります鉱床のうちで非常に早期に出てくる元素でございまして、その後に砒素とかアンチモニーとか蒼鉛とかいうようなものは硫塩
鉱物をつくりまして、かなり晩期に出てまいります。そういうようなことから考えまして、一応そういったものが鉱床の形態を整えるわけでございますけれ
ども、それらの
鉱物が析出いたしました後の残りの液は、全く完全なピュアな水になっているかというと、そうではございません。非常に多量の陽イオンや陰イオンを含んでいるのでございます。これらのものがかなり遠くの地、いわゆる鉱床と全く関係がないとわれわれが考えるようなところまで運ばれまして、土壌だとか粘土の中に吸着されて存在しているのであります。
先ほどお回ししましたような地化学
探鉱は、結局直接の銅の存在あるいは鉛、亜鉛の存在と結びついた地化学
探鉱でございますけれ
ども、この他の陽イオンを探査いたしまして地化学
探鉱をいたしますと、全く鉱床とは無縁と思われるような遠隔の地に存在している場合がかなりあるわけであります。こういうようなことからして、地化学
探鉱をいたしますときに、われわれが一番注意をしなければならないのは、そのバックグラウンドの持っている金属の含有量と、それからもう一つ、それに必ず伴って研究しなければならないのは地質現象でございます。その地質現象を伴わないで鉱床を議論するということになりますと、かなり危険度が多くなってくると思います。
私はここで
日本の鉱床について申し上げたいと思いますが、時間がございませんので省略さしていただきますけれ
ども、
日本の鉱床はほとんど全部
硫黄にくっついてくるいわゆる親銅性元素の鉱床を主体にいたしているわけでございまして、大体熱水鉱床あるいはゼノサーマルと私たちが呼んでおります押しかぶせの鉱床、
日本の深いところのマグマからできたのではなくて、浅いところのマグマからできた鉱床が大体基本になっております。こういうようなところにございますので、多くは海底の堆積物の中に入っていることでございますから、これらのものをさがし出すためには地化学
探鉱が非常にむずかしい状態でございまして、これを研究するのには当然いろいろな地質現象を考慮に入れなければならないと思うのであります。こういうようなところから、
鉱山として鉱床を掘り出してまいりました場合に、それが有用金属をとりますほかに、それらの場合、副産物としていろいろな元素がついて回ってくるわけでございます。これが必要がないからといって、それを捨ててしまうというようなことになりますと、一方は人間の繁栄のために鉱床を
開発するかたわら、人間の生命をおかすようなものが同時に出てくるものでございまして、それらに対しては今後十分検討を加えなければならないと思います。
私は鉱床学者でございまして、決して
公害の問題に対しての
専門家でございませんから、いろいろな議論を申し上げることははばかりますけれ
ども、とにかく主要の元素を取り出した
あとのものに対する処置、これは当然考えなければならないと思います。しかしながら、それらに対する
公害その他の問題に関しましても、現在の状態と昔の状態と比較しますと、それが有毒であるとか有毒でないとかいう判断ができかねた
時代があったわけでございます。そういうことから考えますと、今後有用な
鉱物を
開発すると同時に、それらの元素が人体に、生物にどういう
影響があるかということを同時に研究して、並行して
開発と保護、
公害の
対策に当たらなければならないのでありまして、この二つの学問が両立しない場合は、必ず跛行的な問題が起こってくると思うのであります。したがいまして、今後
鉱山の
開発におきましては、当然
鉱山を
開発する人たちはこの
公害の問題ということに着目して、おのおの
専門家の
意見を聞きながら
対策すべきであると思います。