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丹羽(久)
委員 きのうの話の
内容を聞いておりましても、何にしてもこれを
規制せられるということは生活権の侵害になるんだ、これはまず
木更津、千葉県の一部の
漁民の訴えですから、他の
人たちの
意見はまたこれから聞くことになるだろうと思いますが、そういう切実な声をあげておるのですね。そこで、県議会はどうだというと、やっぱり
交通規制はある
程度しなければならないけれ
ども、私
どもの千葉県においてはいろいろの魚がたくさんとれますが、それが
規制せられると、とれない状態になってくる、そしていままでと違ったきつい
規制になってくる、そういう
意味から、どうしてもわれわれの生活権を侵害することになるんだ、それの補償をどう考えてくれるんだという声があるのです。
そこで、
大臣にお尋ねいたしたいと思いますが、こういう生活権の侵害ということで、これを考えてあげるということは、私は、当然立法する上において基礎的に考慮に入れなければならぬ問題ではありますが、すべてのものにそういうようなことを考えていくとするならば、これはまたたいへんなことになると思うのです。
私は、かつてこういうことを言ったことがあります。国道一号線にささやかなめし屋さんがあった。これはもう何十年来の伝統で、あるいはもっと古いかもしれないが、ささやかなめし屋をやっていた。そして車が
規制せられていない当時であるから、みんな車を前に置いて、一ぜんめし屋で食事をした。ところが、国道では軍を置くことは相ならぬという
交通規制ができてきて、国道一切は駐車禁止になった。それがために、その小さいめし尾さんは、資力がないから、隣にあき地を買ってそして自動車をそこへ入れてもらってごはんを食べてもらうことができない。そうした場合に、転業せざるを得ないというような事態になってきた。だから、このときに、何とかしてそういう
人たちの生活資金を考えてやったらどうだということを言ったことがあるのです。ところが、
政府は、そこまで手は届きません、そこまでめんどう見ることはできませんといって、国道にずっと長い歴史と伝統を持つ、そして慰安の場所であるささやかな食事をするところは、一銭ももらわずして泣き泣き店をしめた例があるのです。
こういうことを考えてまいりますると、今度の問題でも、
漁民の生活権ということにつなぎ合わして考えてみれば、そういう、過去には一銭ももらわずに泣いて店をしめた人もあるのですから、この
漁民が生活権の侵害だということで補償せよといわれても、それを補償するということにはなかなかならないだろうと私は思うのです。だから、
漁民の希望することと私の考えておることといささか食い違いがあって、前例にもそういうことがあるから、生活権をどこまでもめんどう見てあげることができぬのは無理ないだろうという表現になるわけなんです。
ところが、今度は、これに対する深刻な問題として多数の
人たちが集まって騒いでいる。そして実例をあげておる。これに対して、
大臣は、ささやかなめし屋をやっていた人のように、この補償というものに対してどうしてもめんどうを見てあげることはできない、やはり
規制は
規制としてやっていくんだから、ある
程度の
漁業はできるのだから、、考えることはできないというお
考え方か、何かそこにおいて考えてやろうという考えを持っていらっしゃるのか、その点をこの際ひとつ明らかにしていただきたいと思います。どうですか。