○
渡辺(武)
委員 御
承知のように、
アメリカは、これらのものを総合して、
運輸省という名称で所管の省が
一つにまとまっておるのです。あるいは西ドイツでも、交通省ですか、これらがやはり一元的な省をつくり上げてやっておる。
日本はモータリゼーションの進行過程がおくれておりましたけれども、いまも申し上げておりますように、きわめて大量な
死傷者を出しておるという、捨ておきがたい
状態が生み出されておるのだ。そういう中で、やはり旧態依然たるばらばら行政では、ほんとうに交通に対する最適
条件を見出すことがむずかしいわけです。だから、横の連絡とおっしゃるけれども、それはもう総理府が主催されて
関係者をお呼びになっていろいろ
お話し合いをされることはあるでしょうけれども、そういう話し合いだけではなくて、実際の
現実の上に立っても、これはやはり
道路関係は建設省の方が一番よく知っておられるのでしょう。
自動車関係であれば
運輸省の方が知っておられるはずなんです。そういうものが一緒になった
一つの研究所というもの、あるいはそういう仕事というものがっくり上げられていかなければ、ここで言うだけでは、そういうつもりだとか、そういうふうに努力はしていきますということだけでは、これは実際問題としてなかなか進まない問題なんです。私どもが自分自身車に乗って町を歩いてみましても、いろいろな矛盾にぶつかっております。一体いつになったらこれは解決するのですか。やはりそれは、総合的、有機的にそういう問題を結びつけた判断をしたり、指導をしたり、改善改良を加えていったりするところがないからなんです。かってばらばらに責任を押しつけ合っておる。
道路が悪いのではない、信号が悪いのだとか、あるいは、信号が悪いのではない、それは
自動車の
運転のしかたが悪いのだとか、こういうようなきわめて遺憾な
状態が続いておるのではなかろうか。それらを解決するためには、どうしてもやはりそういう総合的な行政、それが可及的すみやかに行なわれていかなければいけないわけです。警察庁では毎日毎日のごとく
交通事故の事故
統計をつくっておられます。私もいた
だいておりますが、これはもう不感症になっておるのですよ。
統計を見ておるだけ。その
統計を見たならば、そこから何をしなければならないかということが当然出てこなければならないのです。何も
対策が出てこないような
統計だったら、つくる必要はないのですよ。
だから、私は、主管省である総理府がやはりもう少し勇気を持ってひとつそういうことを考えてもらいたい、こういうことをひとつ強く要望をしておきたいと思います。本来ならば、きょう総理府総務長官に出席を求めて、私は
担当長官とのお約束をしておきたいと思ったくらいでございますが、残念ながら、きょうは沖繩返還の批准書交換の都合で大臣が出席されないようでございますが、お帰りになりましたら、長官にもその旨を強く申し上げておいていただきたいと思います。
それから次に、
安全基準の設定について少し御
質問をしてまいりたいと思います。
米国ではこの安全、
公害の
規制値を設定するためには、いわゆる膨大な
調査研究データを集めまして、これはもちろん政府機関でございますが、政府はその研究機関を備えておる、それでも不足する場合には、民間の研究機関に委託をしておるというのが実際の姿なんです。もちろん、その資金というものはすべて政府負担でございます。ところが、
日本の
現状は、極端に言いますと、政府は一銭も金を出さずに、いわゆる産業界、業界におんぶをして
規制値をつくり出そう、こういうふうにしておるんではないだろうか。私は、このような根本的な姿勢そのものに大きな問題があるのではないだろうか、こういうふうに考えるわけでございます。
この問題は特に
運輸省が
担当しておられると思いますので、私は、もっと
日本の
交通事故の実態というものを十分に解析をした結果をもとにして、そしてそういうものの予測によって、
保安基準の制定、こういうものがなされていかなければならないと思うわけですが、ともいたしますと、この
委員会でも論議をされておりますように、
アメリカがどうだとか、ドイツがどうだとか、イギリスがどうだとかいうように、諸
外国の
基準をそのまま横すべりをさせる。こういうようなきらいが実はあるわけでございますけれども、これはやはり厳に慎んでいかなければいけないことではないか。おのおのの国々によって
道路の状況が違います。交通の
状態が違っております。あるいは走っておる車の性能、大きさ、いろいろ異なっております。したがって、いまも申し上げましたように、そういう
基準の設定にあたって、実態というものを十分に解析をするということをお役所として怠っておるわけです。不十分なわけです。したがって、どうしてもそういうことになりやすい。
アメリカがこういう
基準をつくっておるから、これでよかろうではないか、こういうことになりやすい。さらには、これはあえて国
会議員も含まなければなりませんが、国
会議員、ジャーナリスト、あるいは大学の先生等が、観念的、感情論的にこの問題を片づけようとする、これは私は非常に重大な問題であろうと思います。少なくとも、非常に多く起こっておる事故の実態というものをほんとうに十分に分析をし、解析をして、その中から、わが国の
交通状態の中ではどういう
保安基準をつくらなければいけないか、こういうことが私は生み出されてこなければならないと思うわけです。
したがって、こういう点について、ひとつ
運輸省の
現状、それから、これからどうしていこうとなさるのか、その辺をひとつお聞きをしておきたいと思います。