○曽祢
委員 私、きょうは
安保条約それから基地の問題、
自衛力の
問題等にも触れた御
質問をする予定でございますが、高見文部大臣に非常に無理をして御出席いただいたので、先に御
質問申し上げます。
テルアビブにおける例のパレスチナ解放人民戦線と関連を持った、不幸なことであるけれども、
わが国の若い者三人がやりました暴挙について
質問申し上げたいと思います。
先刻
外務大臣からも当面の
措置、その中には
日本側としての
イスラエル政府に対する陳謝、そのための特使の派遣その他の当面の
措置についてお話がありました。また、このような事故の再発防止についてのことも考えているように伺いました。これらのことについても、
外務省の領分に関しては、たとえば特に旅客機の乗っ取り、あるいは旅客機に武器携帯で入る、こういう不法分子の取り締まりについてどういう国際
協力をやるのか。さらに
わが国の国内
措置として、どうもいまの法令の網をくぐれば、戸籍抄本持ってきて全然違った人間が自分の写真を貼付してパスポートをとってしまうということもできるような、そういう抜け穴もあるのじゃないかという気がしますし、さらに出入国管理、
外国人の入国についてもまた
日本人の出国についても、不法分子について取り締まりがぴりっとしてないような気もいたします。それから国内における
外国人の
活動等についても、これは同じことですけれども、少しだらしがないのじゃないかという気もいたします。
これらの問題についても、これは
外務大臣に伺いたいと思っているのですけれども、いま
日本人としてこの問題について一番考えなきゃならないのは、
外国にすまない、これは非常に必要なことであるし、それから法律論は別としても何らかの誠意をあらわす。つまり
被害者に対する実質的なお見舞いとかは大いにやるべきだ。ただ、私のおそれているのは、
イスラエル側としては、これはもともと解放民族戦線が悪いのだということに重点を置いているので、そうなると、
日本人が何かやや安心してしまうというところがあったのではたいへんなことになるのではないか。
外務大臣が言われた、この事件が与えた
日本人のイメージダウンこれよりはなはだしきはなし、それが私は非常に大きな問題だと思う。
日本の信用を失墜した、
日本人の気味悪さと残忍性、無目的な暴力、これに対する深刻な自己反省が行なわれるのが一番必要なんで、
外国側の評判を気にするのではなく
日本側の姿勢を正すということが大切で、いま一番問われているところじゃないかと思う。
そういう
意味で考えてまいりますと、これは
外務大臣の分野もありましょうけれども、やはり基本において
日本の政治の姿勢、たとえば言うまでもなく経済優先主義、人間性に対する尊重が足りない、この政治姿勢に大きな
責任がある。同時に人間形成について、これは高見文部大臣に問題がかかってくるのじゃないかと思うのですが、そういったような
日本の教育の欠陥に非常に大きな
責任があるのじゃないか。特に
外国から見れば、赤軍派のハイジャック、連合赤軍のあのまことに残酷きわまりないリンチ問題あるいは警察官等に対する暴力的射殺や何かの犯行、そうして今回の事件、これはやはりそういった若い者、特に学生等を中心とする若い者の行き方に非常に問題があるのではないか。そういう
意味でこれは佐藤内閣全体の
責任ではないかと思うのですが、四十五年の秋のあの大学紛争が大学の封鎖というものに対する
措置が、いわゆる臨時
措置法が一応成功したといいますか、封鎖状態がなくなったら、それでほんとうの大学の改革なり教育改革に対する熱意と緊急性に対する認識が完全にどこかへ行ってしまった。そのひずみが赤軍派、あるいは連合赤軍、そして今度のPFLPのこういった国際的な行動に走っている。私にはそういうふうに考えられてしようがない。これはラジオで聞いた
程度のあれですけれども、きょうの閣議で文部大臣もこの問題に触れられたそうですが、たまたま通産大臣の
意見として聞いたのですけれども、学生の管理を強化する。ただ、管理を強化するなどという問題ではないのではないか。それは学校の姿勢もよくないし、一部の無
責任な革命をあおるような言動をしている教授なんかも大いに反省してもらわなければならぬと思いますが、学生の管理の問題としてとらえるところに本質から全然はずれた間違った点があるのではないか。私は文相が閣議でどう言われたか聞いておりませんが、そんな問題ではない。まず、大学の改革についての熱意を示してないじゃないか。大学の改革ばかりでなく、今回の場合見てみると、この学生の岡本ですか、いかにも何にも知らないんだな。
イスラエルと
アラブとの間の西暦始まって以来の二千年になんなんとするいろいろな紛争のどこに問題があるかも知らずに、解放戦線に
日本人だったらうまくパスしてやれるのではないかというところに乗せられておるような幼稚さというか、そのくせ人命に対する尊敬の念が全然欠けておる態度、こういう学生を生んでいるということに対するわれわれ親としての、あるいは成人した
日本人としての、特に
政府としての反省が足りないのではないか。また教育者の子供が不幸にしてこういうものを二人も出している親と子との断絶というものも、家庭の教育という問題としてももっと真剣に考えるべきではないか。いろいろ考えれば考えるほどやはり基本的には政治姿勢にあるのではないか。もう
一つは、教育の改革というものがいまや絶対やらなければならない全く緊急の課題になっているのに、佐藤内閣全体の政治姿勢から、何でもやっかいなことはあと回しにしろといったようなその日暮らし。大学の紛争という形がなくなると大学の改革がどこかに——これは一部の大学側の
責任でもあると思いますけれども、
政府の姿勢がなっていないのではないか。高見さんはこういう問題について非常にまじめな方であるし、中教審の答申というものにやはり聞くべきものが一部あるのではないかと思うのですが、そういう問題をほんとうにとらえて——新しい中教審のメンバーはけっこうです。本気に教育改革、その中には大学ばかりでなく、幼稚園に行くのにもその前にどこかの塾に入って幼稚園の予備校までできている、すべての教育課程というものは次の教育課程のただ試験の、しかもマル・バツ教育の
一つの試験に通りさえすればいいのだというようなことがあるのではないか。つまり
わが国の学歴偏重でほんとうの教育が尊重されていない、この大欠陥がここにあらわれているのではないか。そういう
意味で高見さん、ひとつこの際あなたの分野を徹底的に直していく必要があると思うのですけれども、あなたのお考えを伺いたいと思います。あとで
外務大臣からお答えをいただきたいと思います。