○三宅
委員 おそらく気づいておられるだろうと思うけれ
ども、幹部をずっと調べてみられると、外務省の主要な幹部はほとんど開発途上国に行っておらぬのです。行っておらぬこと自体もまずいと思うのですが、私は外務省にもうだんだんなくなると思うけれ
ども、もしそんな気持ちがあって、欧米だけ行きたい、それで開発途上国に行くのはその中のBクラスだなんという、そんな
感じがありましたら、ナショナリズムに目ざめました開発途上国が、もうその気持ちだけであいそをつかすと思いますので、ひとつそういう意味の
姿勢を直してもらいたいということが第一であります。
第二は、最近は学生な
ども実にたくさん海外へ旅行をいたすのでありますが、その学生などの旅行者の指導などにつきましても、人の足らない点もありますけれ
ども、本気にこれを指導して、そして
援助もするという
姿勢がなければだめだと思うのでありまして、その意味においては、領事機関というものをもう少しふやす必要があるのではないかということをまず第一に
考えます。同時に
考えます点は、外務省の観念でございますけれ
ども、外務省はほんとうの
日本人だけを相手に領事事務をすればよろしいという
考え方がある。中南米の問題は
あとから触れますけれ
ども、ともかく向こうの国籍を取った人でありましても、
日本人であることは明らかであります。そして向こうのために働いてくれることも、それは大事なことでありますから、やると思いますが、どこの国だって、ともかくドイツにしても、オランダにしても、イタリアにしても、自分の国から出た、いわゆるその国の系統の人々に対しまして、相当な配慮と
援助を与えておるのは当然でございまして、私はその点で二、三実例をあげて注意を喚起したいと思いますことは、インドネシアに行きますと、ジャビンドーという名前の
日本人がおります。向こうの国籍になっておるかもしれませんが、これは何かと申しますと、大臣も御承知だろうと思うのでありますが、ともかく
日本があの
戦争に負けまして、そしてオランダからインドネシアが独立する
戦争のときに、敗戦の将兵として
日本に帰ることをいさぎよしとせずに、向こうに残って向こうの独立運動を助けていって落ちついてしまった人であります。現地人と結婚しておられます。
戦争が済んでもう二十七年ですが、どこにだれがおるかという名簿も十分に調べられておりません。そしてたとえばそこにせめて
日本の印刷物でも少しは行ったり、それからまた結婚して子供ができたらその子供を
日本に連れてきて教育をしてあげるという、それがありません。交流が絶えておりますから、いまでは土人に返って、テレビも見ないし新聞も見ないから
日本語も忘れてしまった。そして土人に返っておるという
ような状態が出ておるのであります。私は、外務省においても本気になってひとつこれらの諸君を調べられまして、そして
日本とも交流するし、向こうのためにもひとつ働ける
ようにして、ぼけちゃって原住民になる
ような状態を防いでもらわなければならないと思うのであります。これが第一点であります。
第二は、豪州へ行きますと、豪州の対日感情というものは終戦後非常に悪かったのでありますが、それがたいへんよくなりましたのは、いろいろな理由がありますけれ
ども、
一つは
戦争花嫁のおかげであります。豪州は御承知のとおり政治犯やその他の囚人が送られたところであって女が足らない。だからして豪州の婦人というものは働かぬし、男がサーバントの
ような形になっておりますときに、それは
戦争花嫁の中には料理屋におられた人もおったり、いろいろな人もおりましょうけれ
ども、
日本人として非常にこまやかであるし、よく働かれるということで、豪州人の
日本に対する気持ちが直りましたのは、豪州における
戦争花嫁のおかげでございます。これらの諸君がどこにどれだけどうしておられるかということについて、もう少しやはり
日本の外務省出先機関などがほんとうに名簿を調べられまして、そうして
日本に留学したいと言ったら留学さしてやるし、場合によればその
ような諸君を
日本へも呼ばれるしということをしなければならない。私は五年前に、それからも行きましたけれ
ども、豪州に行きましたときに、ちょうど香港へ出る飛行機ができましたから、ニューギニアに入りました。ニューギニアに入るのにそこに
日本人がおりますかと聞くと、まだそのときは領事館がなかったときだと思いますけれ
ども、ともかくわからぬというのであります。それで豪州の外務省が世話をしてくれまして、行ってみますると、向こうの豪州人と結婚をしまして、役所におる人であるとか大学の先生をしている奥さんでありますとか何人もおりまして、そしてそれが案内をして飛行機で連れて歩いて奥まで入りました。その奥に入ってびっくりいたしましたのは、ラエとかその奥だと思いましたが、行きますと、豪州人と
日本の婦人が来て待っているのであります。それは豪州の兵隊で呉かどこかに来ておりまして、
日本にほれ込んで、そして新聞広告を出しまして
日本人の細君をもらったのであります。その細君は連れ子があるがいいかと言ったら、連れ子があってもいいから来てくれと言うので結婚しました。その連れ子に連れてきました娘さんが豪州の奥のほうの役人と結婚いたしまして、珍しい結婚式でおそろしく盛大な結婚式になったそうであります。その豪州人は、退職したら
日本へ行ってお茶でも飲んでひとつ
日本で死にたいということを言っておるのでございます。こういう諸君に対しまして、私は少なくとも名簿などはちゃんとわかっておって、そうしてそれぞれやはり民間人として国交をよくするために働いておるのでございますから、私はその子供さんを今度つくられた文化事業団などで連れてきたり、それから日系人大会をやりましたときにも、今日では中南米だけではなしに、そっちからもそういう諸君が来る
ようにいたしますことが、そして
世界ととけ合っていくという状態をつくらなければいかぬと思うのであります。
タイへ行きますと、これも大臣御承知かもしらぬけれ
ども、山田長政の墓がありますところに行きますと、これはビルマの戦線でインドまで逃げ込んで何年もかかって歩いてきた衛生兵上がりですが、現地で開業の医者になっておりまして、そうして向こうの華僑の婦人をもらいまして、りっぱな子供さんがたくさんできておる。もうその子供さんは
日本語を知らない。ともかく優秀な
中国の人種と
日本の衛生兵とが結婚してできた子供ですから、もし
日本がそういう点での配慮がありまして、
日本の大半でも出しておきまして、それでまた向こうへ帰しますれば、どのくらいタイのためにもなるかわかりません。私はそういう点の配慮というものが実に足らないんじゃないか。赴任することはいやだし、早く欧米へ行きたい、そして学生が来てちょっと迷惑をかけたら、迷惑でかなわないという
ようなことじゃしょうがないのでありまして、領事事務の係が足らなければ、現地でそういうことのわかる人などを採用いたしまして、少なくとも名簿というものは、どこに散らばっておるかということがわかるだけの
姿勢というものはとっておかなければならぬのじゃないかと思いますので、これも御
異議があるわけはないけれ
ども、それをまず申し上げておきます。