○
太田参考人 私、
東京大学の
太田でございます。
吉田先生はたいへん崇高な
お話をなさいました。
吉田先生は主として基礎的の
ガンの
実験的研究を推進なされた
世界的な巨人でありますが、私はむしろ人体における
ガンのことをいままでやってまいりました。それの裏づけのための
実験を少しずつやったという
程度のものでありますので、ものの見方が
吉田先生とはたいへん違いまして、あるいは少しこましゃくれたことになりまして、
大統領の話は出てこないと思いますが、私はそういう
意味で、やはり
医者、
医学者として
考えますと、
ガンの
対策は、
先ほどお話がありましたように、
一つには
予防が第一であります。第二には
治療であります。
その
予防の点につきましては、主として基礎的の
実験が必要になってまいりますが、
治療の面、これはまだやることがずいぶんあると思います。実際に
日本において、たとえば
胃ガンの
早期発見あるいは
早期治療というようなことが行なわれまして、
世界的には非常に注目されて、
胃ガンに関しては
日本が
世界じゅうのメッカになっているというような
状態でありまして、たいへんなコントリビューションをしたと私
どもは
考えております。そのほか
子宮ガン等につきましても、すでに
日本の
子宮ガンは
死亡率が下がっております。
胃ガンは、ついでに申しますと、
世界各国の
文明国ではだいぶ前から徐々に下降の線でありましたのに、
日本だけは少しずつのぼっておりました。ところが、最近になりまして、
日本でも少しずつ下がってきたというようなことであります。
医学の他の
科学分野と非常に違いますところは、たとえば
工学系統でありますと、ある新しい
材料ができ、あるいは新しい
技術——接着法とか
接続法とかいうようなものができますと、ある橋がかかるわけであります。
医学はそうではありませんで、いつも未知なものをかかえていながら、割り切れないものを持ちながら、それに刻々と対処していかなければそのときに生きている人間のためにサービスすることができないという非常に矛盾した面を含んでおります。
ガンの場合につきましても、やはり同じだと思います。それに対する
学者あるいは
医者の
態度は、先ほど
アメリカの話が出ましたけれ
ども、最近、
アメリカと
日本では非常に差異があるように私は思います。
大統領が号令したからかどうかわかりませんけれ
ども、
医学者も
医師も、とにかく
ガンを撲滅して
ガン患者をなおしてやろう、そのためにはどうすればいいか、少し行き過ぎなことがあってもやろうという
態度が非常に強く打ち出されております。若い
医者は、何とかして助けるのだということを非常に
意識して
仕事をしているように思います。その点がいまの
日本の
医師あるいは
医学者全体に浸透しているかどうかということはやはり疑問であって、私
ども医学教育に携わっている者はやはり反省しなければならないと私は思っております。
さて、
研究のことでございますが、
研究は
研究者にとりましては、非常に言いにくいことでございますけれ
ども、たいへん困難なことであります。
一つ一つが困難を打開してやらなければならないことである。そのためには、
一つの
仕事——仮説というものをつくりまして、その
仮説が成り立つならばこの
段階ではこれはこうあるべきだという数段の
段階を念を押しながら進んでいくわけであります。これは私、
中原先生から教わったのでありますけれ
ども、たとえば百の
仕事をしても、
仮説に合うような
データが出て、それが
ほんとうの
進歩につながっているというようなものは
一つか
二つである。多くの
仕事をしてもそのぐらいのことであります。ですから、
研究者がいかに一生懸命やりましても、チャンスと能力ということによって
むだ金ができることは確かであります。やはり科学
技術的な政策をお立てになります場合に、そういうことは当然あるのだということをお
考えおき願いたい。
一つの投資でありまして、回収をいかに能率的にするかということの
技術は、
ほんとうに私は
研究面についてははっきりした
方法論が打ち立てられていないと思います。やはり優秀で
独創性のある
研究者を育てるということが一番大事である、少しとんでもないのが出てきても、そのアイデアを生かすというだけの度量が必要であると思います。
そのために、現在の
大学あるいは
研究所等の
研究費あるいは
研究員あるいはその
補助者の
実態はどうなっているかということを
考えますと、これは非常に
日本の
実態はおそろしい、あるいは恥ずかしい
状態にあると思います。それは、よい
指導者のもとに若いよい
研究者の育つべきいすの数が少ない。また、その
待遇があまりよくない。よくないために内職をしなければやっていけないということがかなり多いのであります。また、これはどの国でもそういうことがあるのかもしれませんけれ
ども、
日本では非常に例外的な高さでそういう
状態がある。
その次に、私が非常に感じておりますのは、
研究補助者の問題であります。現在たとえば
国立大学等におきましては、
研究補助者の
定員が
定員法によって削除されようとしております。これは非常にゆゆしいことでありまして、それではいままで
日本の
大学あるいは
研究所で
研究補助者が十分にあったかというと、非常に少ないのであります。たとえば
教授が一人、助
教授が一人、それに
大学院を出た博士を持っているような
助手が二人ぐらいついていて、それに
研究補助者が二人ぐらいしかいない。あるいは三人いるところもありますけれ
ども、
秘書もおりませんし、あるいは図書を管理する人もいない、あるいは
材料を整備する人もいない、あるいは
研究材料をつくる、あるいは
研究の
機械を整備するという者もいないのであります。そのいない、非常に乏しい人の中から、また
研究補助者が
定員法のワクによって削られようとしております。これは非常にゆゆしいことでありまして、新しい
研究所ができますときにも、そういうことをよく
考えていろいろ設計いたしましても、上の役所、予算の
段階で、これは非常識だというわけで削られる。たとえば、一人の
研究者に対して三人ぐらいの
補助者があるというのが私は一応のいい形だと思いますが、現在では一対〇・五ぐらいしかない。これは
欧米各国の
先進国に比べて非常に劣っていることであって、
研究能率を非常に下げることであると思います。それじゃどうしているのだといいますと、私
どももそうでありますけれ
ども、
ポケットマネーをさいて
秘書を雇っている、あるいは
研究補助者を雇っている。そういたしますと、この
補助者は、
政府の
定員で雇っておられる人と同じことをしているのに、
待遇が違う、あるいは
社会保障が違うということで、現在行なわれております
東京大学内の
大学紛争は主としてそれでありますけれ
ども、そういうことが起こってきているのでありまして、有能な
研究者もそういうことが起こることをおそれて
助手を雇うことをやめている、あるいは
大学当局も各
教授にそういうことをしないようにということを言っている。つまり、手足を縛って
研究をしろというようなことをしているように思います。これはやはりこういうことをお
考えになっていただく
委員会としてはたいへん大事な問題でありまして、
研究関係全般について、私は
医学だけではないと思いますが、お
考えいただきたいと思います。
それから、
機械設備等でありますけれ
ども、いま見ますと、各
大学とか
研究所で一応の
機械設備は整っておるかのごとく見えます。しかし、たとえば
欧米の
研究所で一
種類の
機械が各
研究室にあるというときに
日本では十くらいの
研究室に
一つあるという
程度であります。ですから、数を問題にしないで、ある
機械の
種類だけをあげますと、これもあるこれもあるということでありますけれ
ども、全然違うのであります。ですから、何か同じような
研究、同じ測定をするときには、同じ
機械に来て順番を待って列をつくらなければならぬというようなことが起こっております。
もう
一つ、
機械に関してでありますが、最近の
機械の
進歩は非常に激しい。大体五年くらいたちますともうその
機械はアウトオブデートになり、更新しなければならない。そしてその
機械が非常に高いものでございますから、なかなか有能な
学者でたくさん
研究費を集めている人でも、その
研究の
機械、機材をアップツーデートにすることは非常に困難であります。そういう
意味で、
日本は形は整ってまいりましたけれ
ども、やはりまだ差があるということを申し上げたいと思います。
それから、国庫からいただいておる
研究費はどのくらいかということでありますが、私は
大学の例を申し上げます。
東京大学で各
教授が持っております一講座の
研究費は、
文部省を出るときはおそらく五百万円
程度であろうと思います。しかし、その中には庁費がかなり含まれておりますので、
文部省ですでに何%かはねられます。それから
東京大学本部ではねられる。それから
医学部本部ではねられまして、手元に渡るのは大体二百五十万円くらい、半分くらいの額になるのであります。年間二百五十万円で、若い人をかかえて、いろいろの
機械を買い、
材料を買ってどれだけの
研究ができるかといいますと、非常に限られたものであります。私はほかの学部のことはよく知りませんけれ
ども、各学部も大体同じだと思います。やはり
大学の
研究費はお
考えいただかなければ、若い人が育ちにくい。
これは新聞にも出たのですが、現に
東京大学医学部で、卒業生で基礎
医学をやる人がいないというような
状態になりましたのは、
大学の
研究室が他の
研究所あるいは外国の
研究所に比べて非常にみすぼらしいからではないかと思います。もちろん
教授の能力が落ちあるいは学問に魅力がないということはあるかもしれませんせれ
ども、
一つはそうであります。
若い人を育てるために外国ではどういうことをしておるかというと、
研究費を配分するときに、その
研究費の中には、若い人を雇って、その人を
研究させながら育てていくだけの
研究費がついておるのであります。それにはつまりその若い人の生活費も入っておるということであります。これは必要にして十分な
程度の
研究費でありますが、そういうものを与えておる。つまり十万ドルの
研究費をもらいますと、そのうちの五、六万ドルで、それで暮らせるような若い人が雇えるわけです。
学者が雇える。テクニシャンでなくて若い
学者が雇える、こういうことをしているのであります。
日本では、これは私もそういうふうにしていただくとけっこうだと思いますけれ
ども、なかなかいろいろなところに困難がありまして実現されないのであります。
ガンの
治療あるいは
予防の問題でありますけれ
ども、私はことにそういうことに
関係しておりますが、私がいま自分の専門と関連して非常に残念に思っておりますことは、たとえば
ガンというので手術をして胃なら胃を切り取りますと、その胃を調べて、どういう
種類の
ガンがどこにあって、それがどこまで発展しておるということを調べる病理
学者、つまり
ガンをなおす
医師のチームメートになるべき者がいないということであります。
いま、国際的の常識でありますと、手術をする病院には病理
学者がいてそれを調べるということが常識でありますが、
日本ではそれは常識になっておりません。これは医療法にそういうことが規定されていないからでありますし、もっと大きな理由は、病理
学者を雇いますと非常に金がかかる。病理
学者が一生懸命やればやるほど病院のデフィシットを多くしていくということで雇えない。また雇われても非常に安い賃金で雇われる、そういう
状態で、現在は病理
学者の数が減りまして、雇おうと思ってもいなくなってきたわけであります。つまりそれでは、
ガンをなおそうとしておる人は、
ガンに向かって鉄砲は撃っておるけれ
ども当たったか当たらないかわからないことをやって、そうして保険のお金をいただいておる。そういう
状態であります。つまり、反省のない医療をしておる。これは医療の問題でありますので、
研究とは
関係ないというふうにお
考えかもしれませんけれ
ども、
医学の
研究の根本的問題は、
日本人にどういう病があって、どういう
種類のものがどのくらい、どういう層に、どの地域に発達しておるかということを見るのがやはり出発点だと思います。それが出されていないのであります。
そういうふうなことを申し上げますと我田引水になってまいりますけれ
ども、
日本の
ガンの
研究は一面では
世界をリードしておりますけれ
ども、案外根本的なところで穴があります。それは
医学界全体が反省しなければならないところでありますけれ
ども、政治家あるいは経済界の方々が、医療とはどういうものであるか、ただ鉄砲を敵に向かって撃てばいいのだというものではなくて、病院でも
治療でも、ちゃんとそれが的に当たったか当たらないか、どういう的だったかということを調べる余裕を得られるだけの医療にしないと、
世界の笑いものになると思います。
研究費の問題とかあるいは人の問題とか申しましたけれ
ども、これはある
意味ではいますぐにでもできることだと思います。病院の問題等は、かなり時間をかけても、国があるいは
医学者が
一つの
目標を立てて行なうべきものだと
考えております。
たいへん時間をとりまして申しわけありませんでしたが、いささか
考えを述べました。