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石川委員 きょうはたいへんお忙しいところを
宗像理事長に御
出席をいただきまして、心からお礼を申し上げます。
実はきょうは、
原研にかねて問題になっておりました
労使問題について
質問をしたいと考えておったわけですけれども、実はきょうから
団体交渉といいますか、そういう
交渉が決裂をして
原研が
ストライキに入るという
状態を一応回避するために、
団体交渉をきょう持って再考するというお話がございましたので、その件についての問題はきょう取り上げないことにいたしたいと思います。ただ若干御
要望だけを申し上げておきたいと思うのであります。
私ごとでたいへん恐縮でありますけれども、私も
終戦直後
勤労担当の
責任者をやっておりました
関係で、
労使の問題というものは非常にむずかしいものであるということは身をもって
体験をいたしております。まあしかし、私の
体験といっても、
終戦後の非常に古いことでございまして、いまその
経験を呼び起こしたところで、時代は変わっておりますから
参考にも何もなりませんことはよく
承知をいたしておりますけれども、しかし、
終戦後の非常な混乱時期であっただけに、私なりにいろいろな苦労もしてまいったと思っておるわけでございます。考えようによってはいま以上に困難な要素というものがたくさんあったわけでございます。それだけに、
管理者側のお
立場というものもよく
理解をいたしておるつもりであります。
そこで、私がいまいろいろ申し上げることは
釈迦に
説法のそしりは免れないのでありますけれども、どうも
労務担当をやっておりますと、
宗像さんはほんとうに純粋の
学者ですからなおさらのことでございますが、どうもその
担当の
理事あるいは
担当の職責にある
方々、
原研などでも
外側だけから様子を見ておるというふうな
感じがしてならないのであります。これは
官公労関係おしなべてそういう傾向があるわけで、いろいろ
官公労の
労働組合の行き方についての御
批判も
立場によってあるだろうと思うのでありますけれども、
外側から
批判をしこれを強力に指導するという形で成功することはまずもってないのではなかろうかと思っておるわけであります。
民間のわれわれの
経験あるいは現在の
状態を見ますと、大体
内側に入ってその
労働組合、
従業員の悩みを聞き
意見を聞くというようなことから
出発をするということでないと、
労使の
慣行、
労務管理というものは十分な
対策を立てることが不可能ではなかろうかということを身をもって私は
体験をいたしておるわけであります。
そこで、特に
原研の場合には、ただ単に
労使問題ということだけではなくて、それが非常に重要な、
日本の
原子力の推進にかかわる中心の、核としての
原研の
研究体制にも非常な
影響を及ぼすというようなことで、いろいろな点で私
ども憂慮をいたしておるわけであります。
原研は何といいましてもあらゆる角度の
原子力を取り巻く
学者が集まっております。それに特に若い
科学でございますから、若い
科学者の
意見というものは特に尊重されなければならぬ。
安全性と
開発の中核としての
原研に期待するところ大であるだけに、その
研究体制と密接なかかわりを持つ
労使問題については、
国民としても相当重大な関心といいますか、
憂慮の
気持ちでもってこれを見詰めておるということをひとつぜひ忘れないでいただきたいと思っておるわけであります。
特に、
原子力研究所の
労働組合の
代表をしている人でも、あるいは単なる
労働組合の一員でも、
平和利用のためにこの
原子力というものを推進していくのが
自分たちの
責任なんだということだけは十分にみな
認識をしておるわけでございまして、
原子力を全面的に否定をするという
立場の人は一人もないわけなんです。そういう
立場で共通な場があるわけです。私は実はいろんな
反対運動その他でもって、
原子力研究所の
労働組合の
代表の
方々と一緒になることがあるわけですけれども、
原研の
当局の方が御
心配になるように、
反対運動をとことんまでぶち上げて、その
反対運動に油を注ぐというような
やり方はしておりません。
学者の
立場として、こういう
問題点があります、こういう点は気をつけなければなりませんということは言いますけれども、こういうことがあるから
反対だ、こういうことがあるからやるべきではないというようなことは、
学者の
立場であるという分別をわきまえた
発言をしておりまして、われわれなんかよりは非常な控え目な謙虚な
発言をしておるという事態をひとつ御
認識をいただきたい。私も席を同じくするまではそういうことがわからなかったわけでありますけれども、そういう
立場で話をしておるんだということをひとつ
理解をしてやっていただきたいと思うのです。
原研の
労働組合としては、平和三
原則の中で
公開の
原則が破られるのではなかろうか、こういうことを非常に
心配をする。私も
心配しております。これは
国民ひとしく
心配しております。
国民はひとしく知る
権利があるけれども、どうも秘密のベールというものは少し厚過ぎるんではなかろうかというふうな
懸念を持っておる。その
懸念にこたえて、やはり
公開の
原則は
国民の知る
権利というものにこたえて、十分に
国民の
要望を満たしていかなければならぬ、こういう
気持ちを
組合の側として非常に強く持っておるということは、私は無理からぬことではなかろうかと考えておるわけであります。
そこで、たとえば再
処理問題で
反対の
署名運動を、
労働組合の
組合員というよりは
原子力研究所の
従業員の
立場で
署名をいたしますと、一軒一軒のうちへ行ってまでそういうところで
署名することはけしからぬ、そういう
請願をすることはけしからぬ、こういうふうなことをやっておったことを私は知っておるわけでございますけれども、これは憲法で認められた公然たる
請願権なんです。
請願権の抑圧をやることはけしからぬということをこの前も私は
原研のほうへ参りまして申し上げたことがございますけれども、再
処理それ
自体は、なければならぬということはわれわれとしても
理解はするけれども、非常な多くの
クリプトンや
トリチウムというものが出るということで、不安の念のあることもまた、これは争えない
現実であります。したがって、そういうことで再
処理をいまつくることは
反対であるという
意見の出ることも、
原子力に関連してその知識を持てば持つほどそういう
気持ちを持つことも、私は無理からぬことではないか。ところが、これは所の方針だということだけで
請願権を押えつけるというふうなことは、どう考えても私は理屈に合わないんではないか、こう思うのです。この点はこの前、
理事の方がその点は反省をいたします、直します、こういうふうなお答えがあったわけでございますけれども、そういう行き過ぎがかつてあったのではないか。
それから
あと一つは、
ロックアウトの問題なんかはいま裁判中でありますから、その結審が間近に出るということでありますから、私はあえて申しませんけれども、普通の
会社で
労働組合が
労働争議というものをやめて、
ストライキは撤回をする、やめましたというときに、片方は
ロックアウトしているときには直ちに
ロックアウトを解くということがこれは
常識なんです。それをあえて解かないで、
ロックアウトを解かないでがんばるというときには、その
会社をつぶすという決意のもとに行なわれる、そういうこと以外には考えられないわけです。ところが、
原研ではあえてこれを強引に押し切って、
ロックアウトだけは解かなかったという事実があるわけです。これはちょっと私は、われわれの
常識を越えたことではなかったのだろうか。こういうふうに何か力づくで外から強引に引っぱっていこうというような
考え方では、
労使慣行というものが
常識的な線になるまでには百年河清を待つにひとしいのではないか、こういう
感じを痛感いたしたわけであります。
それから
原発の
交渉をやる場合にも、
賛成派のほうには
当局からどんどん、どんどん出すけれども、
労働組合から行くというと、何か
反対演説をぶって
アジテーションでもやるのじゃないかということで全部押えつけちゃうというようなことも、これは
原研の
労働組合として行くのならかまわないということは言っておりますけれども、どうも
原研に期待するところの
中立性というものとはたいへんかけ離れておるのではないか。もっと自由に
発言させていいのじゃないか。そして
原研の
労働組合も
代表として行った場合も、私が先ほど申し上げたように、決して一方的な
アジテーションをやるというふうな形はとっておりません。私はこれは十分にこの目で確かめておるわけであります。そういうことを考えて、何とか
労働組合との間を近づけてお互いに
理解を深めるということにしないと、いつまでたってもこの
労使慣行というものがもめにもめ抜いて今日に至っているということは、私は非常に残念だと思うのです。もちろん
組合側としても反省すべき点が大いにあるだろうし、
管理者側としても言いたいことはたくさんあるだろうと思うのですけれども、きょうは
管理者側のあなたに申し上げることでありますから、こういうことをあえて申し上げるわけでありますが、もっと
内側に入って
組合の
意見というものをくみ上げてやるという姿勢がまずなければ、私はこの
労使慣行は
常識的な線に戻るということはできないということを申し上げておきたいと思うのであります。
いまのところは、勤評の問題、
人事考課の問題が問題になっております。私も
人事考課というものを初めて行ないました。そのときには、これは何を
基準として
人事考課をやったらいいんだということになりまして、
人間が
人間を裁くのでありますから、非常な問題があります。非常に苦労いたしました。
基準をどうやら求めても、それ以上に困難なのは、それについての
理解を得るということがこれまた難問題であります。非常に困難であります。私も
体験上それをよく
認識しておるつもりでありますけれども、しかし、それをやらなければいかぬ。何とか納得させるという
努力をしなければ、
人事考課をやることがかえって職場の
不安感あるいは非常な
不満感、こういうものを醸成するだけに終わるということについては、私は十分考慮していただかなければならぬ、こう思っておるわけでございます。
きのう、
担当の
理事の方にお会いしますと、もうやるだけはやった、話をするだけはした、もうこれ以上はどうにもならぬ。したがって、六月一日がもう期限だ、
団体交渉も受け付けない、
地方労働委員会では
団体交渉をやりなさいと言うのだけれども、
団体交渉をやったって同じです。だから六月一日には断固としてこれを決行いたしますと、こういう御返事だったので、私はちょっとがく然としたのであります。もう
破綻をしてもかまわないということがいわれておるわけなんですが、
破綻をしてしまったら一体それをまたもとに戻すということはたいへんな時間も労力もかかるわけであります。何とか
破綻をしないような
努力を
あと一回やってもらいたい、こういうことを強くお願いをしたわけでございますけれども、もうそれに対応いたしまして、きょうは
団体交渉を持ちましょうということになりましたから、私はこれ以上申し上げません。私の言ったことは
釈迦に
説法のそしりは免れませんけれども、ひとつ十分おくみ取りをいただいて善処してもらわなければならない、こう思っておるわけでございます。
以上、私はこれを強い
要望として一応申し上げて、あえて御答弁は求めません。
次に、きのう予告をいたしましたのは、
クリプトンの
処理についてたいへん明るいニュースが
新聞に出ておりまして、それについて伺いたいと思ったのでありますが、その前に
一つ、これはたいへん突然のようなことで申しわけないのでありますけれども、大洗の
研究所というところは、新しくつくるもので
人間の節約を余儀なくされるという
関係から、たくさんの
下請を使っておるわけです。これからどんどん使われるということにかなのではないか。これは
原研それ
自体ではほとんどないわけですけれども、
中身を見ますとたいへんな人数になってくるようであります。これは
原発でいつか「
放射能男町を歩く」ということでたいへん
新聞をにぎわしたことがございますけれども、この
下請の人を使うときには、
下請については十分な
教育をいたします、もちろんこれはそのと滑りだろうと思うのです。しかし、
現実の問題とすると、はたしてそのとおりいけるかどうかということになると、実際直接の
従業員といえども
徹底した安全な
訓練をほどこすということはなかなか容易ではない。ところが、
下請になりますと、どうしてもそれほどの
責任感がないところに、かてて加えて
中高年齢層の人をそこら辺から雇ってくるということが多いわけで、しかもしょっちゅうそれが入れかわるということにならざるを得ない。はたしてそれで
放射能男が町を歩くというようなことが再現しないかというと、これは再現しないという保証はどこにもないのではないかということが非常に私は
心配なんです。
下請の
状態やそれから
訓練の
状態などを見ますと、これはこまかく言うときりがないのでありますけれども、この
安全会議に参加をしているかどうかというふうな
下請の連中のあれを見ますと、参加していないというところがほとんどであります。
安全会議にも参加していないというのがほとんどであります。それから
定期健康診断を受けているというところが幾らもございません。ほとんど
定期健康診断も受けていない。
従業員とは違うわけであります。それから必要の
資格というものが十分であるかどうかというところについても、
資格の十分でないところがあるわけであります。そういうふうな
下請というものをたくさん、いまのところは五十六名という数字が出ておりますけれども、それで
職員と比べて
勤務条件がどうかというと、悪いというのがほとんどでございます。
そういうことでありますので、
下請を使って
清掃をさせるとか
廃棄物の
処理をするとかというようなことになりますと、いろんな問題がこれは波及して出てくるのではなかろうか、これは
地元の
人たちが非常に
心配をいたしておるわけであります。これは
宗像さんだけのことではないのでございまして、
原子力当局あるいは
科学技術庁自体としても、
下請などを使わなくてもいいような
体制をしくという方策が当然とられていいのではないのだろうかということを私は痛感をいたしておるのですが、まず
原子力局長、これに対する御
意見を伺いたいと思います。