○江崎国務
大臣 久保論文につきましては、本人がそこにおりますから、あと本人の率直な主張についても時間が許せばひとつ聞いてやってもらいたいと思いますが、要するに個人的といいますか、
防衛局長と個人久保卓也とどう区別するかということになりますと、これまた非常にむずかしい問題になりますが、
防衛担当の責任者の一人として私案といいますか、
一つの方向を主張したもの、こういうふうに私、受け取っておるわけでありまするが、あくまでこれは個人的なものである、
防衛庁自体の見解ではない。もし
防衛庁の見解にしていくためには、これが
一つのたたき台としてものを言う場合はあろうかというふうに思っておりまするが、同君の主張は、一口に言いまするならば、日米安保保障条約というものは、
アメリカ側からいって
基地の提供は受けるが、
アメリカが危険にさらされたときに
日本は何ら貢献したいのではないか。
アメリカの危険な場面においては何らメリットがないではないか。ただ
日本の平和、安全、極東の平和維持、こういった面で
日本の
基地を提供しておるだけだ。これは双務条約とは言いがたいので、こういう条約は破棄したらどうだ。むしろ、
アメリカの議員の間においてもいろいろな議論があることは御承知のとおりであります。したがって、そういう
アメリカ側のいろいろな意向というものを踏まえながら、日米安全保障条約の必要性は十分認めつつ、しかし
先方がもしこれにいろいろ反応してきた場合に、
日本としてはどうあるべきかというあたりを探索しながら、あの論説がなされたものというふうに私
どもは受け取っておるわけであります。
そして、久保君のこの核政策についての主張は、私全く同感でありまするが、
日本というものは領土が狭隘である、そこに一億の人口が蝟集しておる。核というものは、ある日突然先制攻撃がなされる。それがABM網という形になって対決姿勢になるわけですが、この攻撃を受けたときに、いわゆる第二撃、第三撃によって相手の死命を制していく。そういう場合に、
日本の場合は、それこそ第一撃で、もう
日本全体というものが相当致命的な被害を受けるのではないか。二撃、三撃によって報復攻撃をしても、領土の広いソ連であるとか、あるいは
アメリカであるとか中国であるとかいうような、広大な領土に人口が適度に散らばっておるという地理的位置と違って、核兵器というものが、
日本そのものにとって、決して対決姿勢に入るとするならば好ましいものではない。これは久保君の一貫した主張のようであります。時間が許せば本人の主張を聞いてやってもらいたいと思いまするが、私は、全くその点については、数年前から同君の主張を聞いて同感の意を表しておるわけです。
しからば
日本はどうするのか。非核三原則だといいながら、日米安全保障条約のもとで
アメリカの核のかさに入っておる。この核のかさは一体だいじょうぶなのか、だいじょうぶであります、
アメリカの為政者はそう答えます。軍
当局もそう申します。われわれもだいじょうぶだと確信を持っておりまするが、非常に理論的になってくるというと、これはやはり見解が分かれるところであろうかと思います。それが先ほど
安井先生の御質問になった、今度の戦略核兵器を不行使する、制限をするというようなことによって、
日本の安全度というものが、少なくとも強大国同士の衝突というものが回避され、平和安定の方向に向かったということは、私はやはり広義な意味からいって非常によかったというふうに評価するものでありますが、核兵器というものが
日本にもたらす効用というものは、久保君の判断というものが正しかろうと思います。
それでは、
日本は手をこまねいて非核三原則だけを推し進めておれば、それでいいのか。これも私個人の見解でありまするが、平和利用については幸い合意があります。これは、自民党から共産党まで各党の合意があります。したがって、この平和利用の面において、兵器製造というものとは完全にオーバーラップするといわれますが、非核三原則というものは正しい政策として推し進めておりますし、
国会の決議もあるわけですから、これをもっと世界に徹底させながら、
日本の平和利用面における核の研究開発、こういったものをもっと旺盛に行なうことはできないか、これは私は、この次の内閣にもひとつ強く反映させるように、政治家として働いていきたいということを思っておりますが、核兵器の犠牲者だったから、核兵器は持たないんだなんということは、これは理論でも何でもない、
感情論です。ですから、この核兵器の犠牲の
日本人であるならば、この核エネルギーを人類生活にどう貢献させるか、すなわち、人類がこれを征服するということにおいて、核エネルギーというものを
日本人は犠牲者であるが征服をした、こういうことになるのではなかろうか。何か核に対する努力というものが、
日本においてまじめになされていなければ、やはり私は核時代というものに発言権を失うのではないかというふうに思っておりまするが、これはまだこれからそういったことを推し進めていく
段階でありまして、いまそれを申し上げてみたからといって、にわかに科学技術庁が活発な
活動をしていくわけでもありませんから、
一つの将来に対する展望として、私はそんな理想を持っておるということを申し上げたいと思います。核政策の評価については、久保君から申し上げる時間があればお許しを願いたいと思います。