○箕輪
委員 ただいま
田中委員からいろいろ御
質問がございました。若干補足的にはなるのでございますが、
外務大臣にお尋ねをいたしたいと存じます。
ただいまお話のありました
歯舞、
色丹、
国後、
択捉の四島が
わが国固有の
領土であることは、私も確信してやみません。一八五五年、安政元年でございますが、いわゆる下田
条約、
日本国とロシア国の修好
条約によって、そのころから
国後、
択捉がすでに
日本国の
領土であることは、ロシアも確認をいたしておるところでありますし、さらにまた、二十年後の一八七五年、樺太・千島交換
条約、これは樺太にも
日本人が住んでおりましたし、千島にも
日本人が住んでおった。同様に樺太にも千島にもロシア人が住んでおった。両国の
領土に関する
協定がなかった時代でございますから、これを樺太は全部ロシアにやる、そしてまた、千島は全部
日本に権限を移譲する、こういうような樺太・千島交換
条約。この際もこの
条約に載っているのは、
国後、
択捉のさらに北にある得撫島から占守島に至る十八の島が列記されておって、交換する島の中には
歯舞、
色丹、
国後、
択捉の四島が含まれておりません。これは
大臣も御承知のとおりであります。したがって、もう徳川の昔からこの四島は
わが国固有の
領土であることは、両国が歴然たる事実として認めておったところでありますが、それにもかかわらず終戦後、八月十五日の終戦でございますが、そのあと十七日の日あたりから未明に、
ソ連のほうがカムチャッカ半島の先端から占守島に向かって攻めてきた、こういう戦記があるくらいであります。その戦記を見てみますと、占守島から
一つ一つ南下して、島を占領していった。しかも得撫島まで来て、さて今度は
択捉島に行くだろうと思っておったところが、
択捉島には行かずに、
ソ連の駆逐艦は北上してしまった。当時立ち会っておった水津という千島守備隊の参謀がいるのでありますが、いまなお東京におります。この人はロシア語を士官学校当時やっておったために、通訳でもってついていった。どうして
択捉島に行かないんだ、
国後島に行かないんだと聞いたところが、あれはおそらくアメリカが占領することになっておるんだ、したがってわれわれの任務はこれで終わったんだと言って、一たん船は帰っちゃったわけです。占守島まで、パラムシル島まで帰っちゃった。こういう事実から見ましても、あの終戦のどさくさのときですら彼らは
国後、
択捉、
歯舞、
色丹というものは
日本の
領土である、
日本の本土はアメリカが占領することになっておりますから、これは自分たちの手の及ぶところではないということで、北上してしまって手をつけなかった。ところがアメリカがなかなか上陸しない、どさくさまぎれに彼らが不法に入ってきて、今日まで軍事
占拠を続けた、こういう状態だと思うわけであります。したがって、
わが国の
固有の
領土であることについては、いささかの疑念も私は持つものではございません。
そこで、この四島の
返還をねばり強く今日までやってまいりました。たまたま、ことし一月にグロムイコ
ソ連の
外務大臣が来られて、
大臣といろいろな
領土の問題を含めたお話があったと私は思うのであります。そこで日ソ共同コミュニケによりますと、先ほど来お話のありました、本年じゅうの双方に好都合な時期に、
平和条約締結に関する
交渉を行なうことに合意された、これが明らかになったわけであります。
そこで
大臣にお尋ねを申し上げますが、一月にそういう話をせっかく合意されてグロムイコが帰られたわけでありますが、先ほどの
田中委員の
質問を聞いておりましたが、まだ
交渉が始まってたいように私は印象を受けたのであります。下交法というか、大使クラスで何かそういうお話し合いをされているのかどうか、されているならば模様をお伝えできる範囲でかまいませんからお伝えいただきたい、かように思うのであります。