○
有田政府委員 日ソの
懸案事項について御
説明させていただきます。
委員会からの
資料の要請によりまして、お手元にお配りした
資料がございますかと思いますが、
項目的には
日ソ間の
懸案事項の最たるものは、御
承知のように、本
年内に開始を予想されております
ソ連との
平和条約の
交渉でございます。以下のそれ以外の問題は、
日ソ間で毎年
交渉あるいはいろいろ詰めを行なっております諸
懸案でございまして、
項目を申し上げますと
安全操業の問題でございます。次に
漁船拿捕の問題であります。これは
安全操業の問題と関連いたします。次に毎年
交渉を行なっております
日ソの
漁業問題でございます。それから、これは人道的な問題として、やはり毎年
ソ連と
交渉いたしておりますいわゆる
墓参の問題でございます。それからさらに、
日ソの文化取りきめの
締結の問題がございます。これは、先般
グロムイコ外務大臣が
訪日いたしました際に、文化取りきめに関する
交換公文を行ないました。これでこの
基本はできておりますのですが、個々の問題につきまして
細目の
交渉を行なっております。
次に、
日ソの
貿易拡大の問題並びに
経済協力の問題がございます。それから
シベリア開発協力問題、
最後に、特に私、ここにあげさせていただきましたものは
大使館の
土地の問題でございます。
以上、
項目を申し上げましたが、第一の
平和条約の
締結の
交渉につきましては、
国会におきまして
外務大臣からお話し申し上げておりますように、先般の
グロムイコ大臣の
訪日の際に、
共同コミュニケにおいて、
本件交渉を
年内に行なうということに取りきめられました。
また、その
平和条約の
交渉の
内容は、
広範多岐にわたる問題が取り上げられるかと思いますが、
基本になる問題は国境の画定でございます。いわゆる
領土の問題でございます。この先行きにつきましては、やはり
大臣から申し上げておりますように、
ソ連の
態度には若干微妙な
変化は認められるけれ
ども、しかしこの問題について
楽観をすることは許されない。しかしながら、
政府といたしましては、
歯舞群島と色丹島に加えて、さらに
択捉、
国後両島の
返還を要求する、この
基本線は絶対にくずさないということで
対ソ折衝をいたしたいと考えております。
次に、
安全操業の問題でございますが、この
安全操業の問題は、やはり
日ソ国交回復して以来の問題でございます。これは、いわゆる
北方水域におきまして、わがほうの
漁船が
ソ連側により年々数多く拿捕される、その
理由は
領海侵犯とそれから
不法漁労の行動でございます。これは、そのつど
政府といたしましては抗議をし、
釈放を要求しておりますが、
ソ連側は
ソ連側として、これは
ソ連側の法規を犯しておるものであるから
拿捕抑留するのである、
日本側においてもこのような
事態の起こらないように措置してほしいというようなことを申しております。
概略申し上げますと、現在までの
拿捕抑留された者の数、あるいは船の数等につきましては、この
資料に出ておりますので省略いたしますが、ほぼ毎年二十件から三十件近くの
事件が起こりまして、二百数十人というものが
拿捕抑留されるというのが現状でございます。本年一月に入りましても、私の記憶するところでは約九件、五十名近くの者が抑留されておりますが、幸いそのつど
交渉しておりまして、現在は抑留されておる者が九名だと思いますし、またこれも、そのうちの若干は送還するということを最近申してきております。
そこで問題は、
ソ連側に対しまして、ほかのいろいろな問題は通常の問題として
両国間で
交渉を行なっておる、しかし、この
拿捕抑留の問題は、このように毎年
事件が起こる、その間において人死にが出た例もある、これは絶えざる
日ソの摩擦の原因として、
日ソの
友好関係を進めていくために
障害になるものである、したがって、その
両国の
立場は
立場として、
平和条約を
締結するまでの間、実際上このような
拿捕抑留の起きないような何らかの
話し合いをしようではないか、これが
日本政府の
立場でございまして、幸い、一昨年、ノビコフ副
首相が参りましたときに、正式の
交渉に応じようということになりまして、昨年の一月に
正式代表団を
モスクワに派遣してこの
交渉を行ないましたが、しかしながら、その
対象水域の
問題等におきまして、
日ソの間に遺憾ながら見解の
相違がまだございます。
その後も、
イシコフ・新関大使の間で
交渉が重ねられ、昨年、
赤城大臣が訪ソいたしましたときにもこの問題を取り上げ、また、
グロムイコが
訪日したときもこの問題が取り上げられまして
懸案として残っておりますが、私
どもとしては引き続きこの問題を強力に推し進めていきたいと考えております。
要は、
ソ連側は、この問題を単に
漁業水域の問題あるいは
漁業問題として取り上げておるようでございますが、わがほうの
立場は、これは単に
漁業場の
水域の問題ではなくて、人道上の問題であり、
日ソ国交関係の
友好関係増進のための
障害になる問題として、
外交上も重大な問題であるという
立場をとっております。
次の
漁船拿捕の問題は、ただいま
安全操業の問題と関連してお話申し上げましたが、わがほうは常に、この
拿捕抑留されている
方々の御苦労を思い、
留守家族の
方々の心境を思い、強力に
ソ連側に対して
釈放の促進を要求しております。昨年末も十四名の
方々が
ソ連に残っておられましたのに対しまして、年末から年初にかけて強力に
ソ連側に申し入れ、
グロムイコ訪日の際に、十四名全員
釈放されたという
事態でございます。しかしながら、
先ほど申し上げたように、この問題は常に繰り返されている問題なので、このような繰り返しが行なわれないようにということで
交渉しておる次第でございます。
次に、
日ソの
漁業問題は、大きく分けまして、
日ソ間に
漁業条約がございまして、その
ワク内で
漁業委員会が設けられて、毎年
モスクワと
東京で交互に
会議を開いております。この
ワク内でサケ、マス、ニシンあるいは底びき等について
日ソ間において
話し合いを行ない、いかにして
資源を保存しつつ最高度にこの
資源を
両国で利用していくかという観点から、毎年、その
漁獲量その他の措置について話し合っておる次第でございます。
これと別途に、従来、この
漁業委員会の
ワク内で話し合われておりました
カニの問題につきまして、別途
委員会の
ワク外で
カニの
交渉が行なわれております。本年の結果につきましては、さきに
新聞紙上等において報ぜられ、また、
資料に提示してございますので省略いたしますが、これにつきましても
日ソの間に若干の
立場の食い違いがあるために、毎年きわめて長期間にわたって
交渉を行なっております。
また、巷間、毎年同じような
交渉をしないで、もう少し長期安定的に、この
日ソの
漁業の
漁獲量等の問題について取りきめたらよかろうというお話もございます。これも過去十年来の問題でございまして、まことにそのとおりでございまして、わがほうからも数度にわたりこのような提案をしたこともございますが、
ソ連側はこれに応じておりません。
次に、
墓参の問題につきましては、これはいわゆる
ソ連の本土におきましては、御
承知の終戦後、五十数万にのぼる
日本人の捕虜が
シベリアに抑留され、その間に数多くの
方々がなくなられた、それらの墓所についての
墓参でございまして、他方、いわゆる
北方諸島におきます
墓参は、これはその島々にお住まいになっていた
方々の先祖のお墓でございます。この両者につきまして、毎年
ソ連側と
交渉して
墓参団を組織して
墓参を実行しておるということでございまして、本年もすでに
ソ連側に申し入れ、最も気候のよい八月、九月にこれが実施されるように申し入れております。
日ソの文化取りきめにつきましては、
先ほど冒頭に申し上げましたとおりに、
交換公文において
映画祭の
相互開催あるいは学者、
専門家等の
交換、
政府刊行物の
相互交渉等について取りきめてございます。
以上申し上げたような点は、すでに実質上毎年取りきめを行なって実施されている問題でございますが、今回の
交換公文において、それ以外に、実は
政府の
広報資料の
配布という点が入ってございます。従来は
ソ連の
国内におきましては、
日本で作成いたします「今日の
日本」あるいはグラフ「ジャパン」というようなものを自由に
ソ連内で
配布することができませんでした。一方
ソ連側におきましては、
日本では「今日の
ソ連邦」その他の
資料を自由に
配布しております。したがいまして、
日本側でもそのようなことをしたいということを
ソ連側に申し入れ、
ソ連側でも原則的にこの点について同意をいたしたわけでございまして、ただいま
細目の取りきめを先方のこのような
資料の
配布の機構と
交渉いたしまして、幾分でもこのような
日本の紹介の
資料が
ソ連の
国内で自由にと申しますか、従来よりも自由に紹介されるようなことにしたい、このように考えておる次第でございます。
もちろんこの
文化交流につきましては、
政府間の取りきめでございまして、
民間における
交流を何ら妨げるものではございませんし、また、事実各種の団体間にすでに広範な
交流の取りきめが毎年でき、実行されておりますことは御
承知のとおりでございます。
日ソ間の
貿易につきましては、すでに
日ソ間に
通商航海条約がございまして、お互いに
最恵国待遇を与えるということを約束し合っていることは御
承知のとおりでございまして、これは
米ソ間といささか
事態を異にしておりまして、
日本側といたしましては、
ソ連、
社会主義国に対して何らの差別的なことは行なっておらない、その上に立ちまして、
日ソの間の
貿易取りきめをつくっております。これは、
共同宣言の発効の直後には一年取りきめであったものが、自後三年になり、一九六六年から七〇年にわたりましては五カ年の取りきめができております。そして、その間に
往復約二十一億ドルという
貿易が予想されたわけですが、実際にはこの間に二十八億ドル
程度のものが
貿易された、つまり
見通しよりも約七億ドルも超過した
貿易を行なっている。その後、昨年九月に
向こうの
パトリチェフ貿易大臣が来ましたときに、
福田大臣との間に七一年から七五年にわたっての第二次の五カ年取りきめを行なっております。これの取りきめには数字はついておりませんが、当時われわれ
専門家の予想したところでは、この間に約五十二億ドル
程度の
貿易が行なわれる、すなわち毎年平均して
往復十億ドルの
貿易が行なわれるという
見通しでございまして、この面におきましてはほぼ順調に推移しているということがいえるかと存じます。ただ構造的に申しまして、若干の時期におきまして
日本側が入超の
事態を呈しておりましたが、最近一両年につきましてはこの点に
かなりの改善が見られます。すなわち
ソ連側からは
非鉄金属、木材、石油その他のような
原料物資を
日本が非常に買う、またこれは常に需要がありますので少なくならない。一方
日本から
ソ連に輸出しますものについては、プラントものあるいは
繊維製品等消費物資等もございますが、これは広範な品目にわたっておりまして、
かなりの
輸出努力をしないとなかなか
貿易が上がらないというようなこともございまして、
逆調になるような傾向が従来は若干あったわけでございます。
シベリア開発協力につきましては、これは本
会議その他におきましてたびたび取り上げられ、
大臣からも詳細に
説明しておりますので、特に立ち入ってこの場で御
説明は申し上げませんが、
チュメニの
油田開発の問題におきましては
民間の
調査団、もちろんこれには顧問として
政府の
関係者が参加いたしますが、この
使節団の
現地調査が企画されております。当初は五月中にもということでございましたが、
ソ連側の
準備の
都合等もありまして延期されておりますが、六月中にはこれが実施されることを期待しております。その上に立ちまして、
実効性その他の点を十分に検討して、さらに
日ソ間において
話し合いを続けていく、このような姿になるかと存じます。すでに
シベリア開発協力につきましては、
極東森林資源開発あるいは
ウランゲル港の建設あるいは
広葉樹チップの輸入、これに関連する機材の
輸出等、三件につきまして
ソ連との間に取りきめができておりますが、
チュメニの
油田のパイプラインの布設は、従来の
協力案件とは比較にならないほどの規模のものでございますので、非常に重要なものかと存じます。
それから
最後に
大使館の
土地問題でございますが、これは
モスクワをおたずねくださった方はおそらくよく御存じかと存じますが、
モスクワの
大使館は百二十年前に建てられた
建物でございます。昔の
建物でございますから百二十年といってもまだまだしっかりはしておるわけでございますが、何といってもきわめて狭い。まずわがほう在外の
大使館中では最も悪条件である、しかもこれは選択の
余地がなくて、
ソ連の
外交団世話部に要請して割り当ててもらっている
建物である。このような
事態はやはり非常に困るのであって、ただいま
ソ連側に
土地を提供してもらい、そこに新しく事務所さらに公邸をつくるという計画でせっかく
ソ連に要請しておりますが、
制度等の差異その他もありまして、いろいろ困難がありまして十分の進捗がございません。
一方、
ソ連側は
狸穴に
自分の
土地を持っておりまして、これも狭い狭いと言っておりますわけですが、
東京に
土地を求めたいといってもなかなかわがほうでのあっせんにも限度がございますし、非常に高額にのぼるものですから、われわれのほうとしては
相互主義ではできないというようなことを申しております。
狸穴には最近
かなり高層の
建物をつくりまして、ここに
宿舎等を設営いたしましてやってはおるようでございまして、
ソ連側の
日本における
滞在状況と、わがほうの
大使館員の
モスクワにおける
執務状況というものは大きな格差がございます。今後も引き続き強力にこの
事態を改善することにつとめたい、このように考えております。まだ
現実的にいろいろな具体的な問題には必ずしもなっておりませんが、ここ数年にわたりまして、この点は
重点事項の一つとして
外務省としても考えていきたい、このように考えております。
以上、概略御
説明申し上げました。