○
美濃委員 その今後というのはどういう期間ですか。いま私が指摘したように、特に夏野菜は輸送費の
関係があるし、距離の
関係で、ものによっては
本土でなければ、
沖繩で生産することがコスト高になって生産開始にはならないものがある。とにかく冬期間のものについてはかなりの生産開始ができると私は思うのです。そういう点を十分取り入れた経営方式というもの、たとえば、かなりいま肉牛がおりますけれ
ども、私
どもが行って見る
沖繩の体系というのは、いまああいう
軍施政の中で、全くそういう産業
関係は放置されて、専業農家一戸当たり千五百
ドルくらいの所得ということで、個人農家に入ってみるとまことに貧困な生活である。所得内容も全然違うわけで、
復帰をすればああいう所得内容でおくことはできないということになると、いまやっておる全く副業的に何がしかの所得になればいいということで、少頭数の肉牛飼育もありますけれ
ども、まあ基本的に肉牛で他産業並み所得をあげる構造なんかということになると、全く要素は変わってこなければならぬわけですから、草地
条件その他を勘案すると、全くそういうふうに持っていくとすれば、もう
沖繩農業構造なんかというのは、平均面積とか戸数
条件とかいうものは、極端にいうなら積算温度やその他から見れば、ニュージーランドやオーストラリアのような畜産経営の規模にすれば、それは私はできると思います、牧草も伸びるんだし。しかしそういうことは
沖繩の現実に合わない。そんなことを
沖繩の島民は考えていない。小規模頭数でいまやっておるような経営
条件というものが、
本土に
復帰して所得の向上となったときには、経営体系として、おそらく持続する意思が、特に若い人、後継者あたりはなくなっていくだろう、こう見ておるわけです。ですから、やはり亜熱帯の気象
条件を生かせば、経営面積は小さくとも高反収の所得をあげ得る要素というものはあるわけですね。そこがやはりこれから
沖繩農業振興の特質だと思うのです。
ですから、いま需給量に足りないと、こう言っても、いまの要素を基礎にして考える必要もあるけれ
ども、しかし、いまの要素が、必ずしも
沖繩農業あるいは
復帰した場合の日本全体の経済の中で
沖繩の農業に求めるものというのは、いまやっておる形態がそうなんだから、そういうものはそうならないのだ、そう伸びないのだというものではないと思うのです。その方法を変えていかなければならぬと思います。ですから、逐次というのじゃどうもちょっと納得できないのですが、そういう面の政策の
検討なり企画なり、あるいはそれに伴うたとえば改良普及員が九十名おるといっても、現実でき上がっておる農業の
指導者ですから、新たな着想、新たなそういう技術体験は改良普及員にいってみれば少ないわけですね。やはりキビとかパインとかあるいは一部でん粉はつくっておりませんけれ
ども、食料のいわゆるカンショですね。そういうものの技術屋でありまして、新たなそういう着想に基づく技術
指導をするという技術がないわけです。ですからそういうものを抜本的にやらなければならぬし、それからまたものによっては研究所、気候、風土、土地
条件に合うか合わぬかといういわゆる研究所の試験研究を先行しなければならぬものもあると思うのです。こういう時代の早いときですから、
復帰とともに明年度予算あたりで、そういうものの展望について必要なものはそれに対する着手をしていかないと、たとえば試験所の強化であるとかそういう着想に基づく、あるいは試験をしてみなければ、気候、風土に合わぬかもしれません。
条件は合うと、こう想定しても。やはり現実には試験をして間違いのない体制を進めるということになれば、そういう構想の方向へ農業試験所の強化をはかっていかなければならぬ。技術員も派遣しなければならぬし、機構も拡大しなければならぬという問題が出てくると思います。そういう点の総合性をどういうふうに考えておるか。来年、すぐ
復帰とともに四十八年で直ちにとは考えておりません。しかし、そういう確実な着想と企画と展望を持って、少なくとも四十八年度には、その方向へ試験開始なりあるいは一部もう
指導しても間違いないというものは、
指導体制なりというものを高めていかなければならぬと思う。徐々にというようなものの考え方ではテンポに合わないと思うわけです。そういう徐々にという考え方でおると、ややもすると産業体制が確立しませんから、所得との
関係で、もうパスポートも要らなくなると、いわゆる
本土の過密地帯へ特に若年
労働が流れてくる、こういう現象が現在でも起きつつあるわけですから、これが
復帰してパスポートも何も要らなくなれば急激に高まって、行政なり
指導がおくれて、そういう手段を考えようとしたときには、もう
沖繩の農村は過疎化してしまって、そういうことを行なう者がいなくなる。三年も五年もただいま申し上げたような着想なり行政手段なり
指導なりというものがおくれていきますとそういう危険性が考えられるわけで、やらそうと思ったときにはもう島におる者は年寄りだけになってしまった、特に農村あたりはほとんど老齢化してしまった、もうそういう新しい農業経営に取り組む意欲の者は島にほとんどいなくなってしまう、四年も五年も計画だ
検討だなんて言っておると、その間にそういう現象が起きるのではないか。去年
宮古へ視察に行ったときもすでにそういう現象が一部起きておるわけですし、現在も起きつつあるわけですから、そういう点をどういうふうに考えておるか、どうしようとするのか。