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国務大臣(
田中角榮君) 私は、入閣をする前は自由民主党の幹事長の職にございました。このときには、長い経緯を経た
日米の
繊維問題は
自主規制以外に方法がないと、こういう考えでございました。また
日米経済閣僚会議に出席にあたりましては、
アメリカ側からいろいろな要求がありますけれ
ども、事
繊維問題に関しては非常にむずかしい問題であり、また対米
貿易がそれほど大きいものではありませんし、
自主規制をやってなお日が浅いのでございますから、一年間という実行の結果を見なければ他の新しい制度に踏み切るべきではないということを信じておりました。その
意味で、
日米間というものは
お互いに理解を必要とするということで、
両国の利益のためにもということで、
繊維問題だけではなく、各般の問題に対して
意見を十分戦かわせてまいったわけでございます。私が滞米中にも、非常に
アメリカ側が困難な情勢に立ち至っておるという事実は理解をいたしましたが、しかし
期限づきで一方的に
規制もやむを得ないというような提案をするにはまだ時間があるだろう、少なくとも十二月一ぱいというと、七月一日からでございますから大体半年あります。一年と言わなくても、半年間くらいの実績を見ないで転換をするということのむずかしさは先方側もよく理解をしたと考えておったわけでございます。ところが、
日米経済閣僚会議が終わった後、
アメリカ側から非常に強い要請を受けたわけでございます。これはまあ率直に申し上げて、
アメリカ側の困難な
事情ということを私自身も理解をいたしておりましたし、またこれが課徴金と同じように、無差別で十月一日までに協定が行なえない場合は十月十五日から一方
規制に入りますと、こういう通告でございましたし、極東四国に対する要求も同じものでございました。で、
アメリカの非常にせっぱ詰まった、また不退転な気持ちということが理解できましたので、このような
事態に入れば、もう事
繊維だけではなく、対米
貿易は非常に混乱をする。同時に、
日米間の理解というものが全く得られなくなる。
それと、もう
一つは、その後、私が対米の
状態をずっと調べてみましたら、私が当初考えておったときよりも、対米
繊維輸出というものは相当伸びておったということ。また、
自主規制の中に入っておらない糸などは、これは三五一というのでございますから、三年半分ぐらい出ておったということでございます。それだけではなく、非常に驚いたのは、韓国、それから台湾からたくさん出ておって、台湾から米国に出ておった糸は二三〇〇という台でございますから、実績に対して二十三。それから、韓国は二四〇〇でございますから、実績に対して二十四年分、こういうことになりますと、これはもう
アメリカが、十月十五日になると、一方的にやるということが実によくわかるわけであります。そういう面からも、これはもう
政府間
交渉に移行せざる限り一方交通になってしまう。その場合の
状態から考えますと、ほとんど
繊維に関しては、全面対米ストップということになるわけでございます。そういうことがいかに
日米間を悪くするかだけではなく、現実的にも、やらしてみろというような
状態で済む問題でないということが考えられましたので、
日米間
繊維の
政府間
交渉やむを得ないというふうになったわけでございまして、君子豹変というものでないことは、ひとつ御理解をいただきたい。