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1971-11-11 第67回国会 参議院 法務委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年十一月十一日(木曜日)    午後一時十一分開会     ―――――――――――――    委員異動  十月十九日     辞任         補欠選任      羽生 三七君     秋山 長造君  十月三十日     辞任         補欠選任      成瀬 幡治君     野々山一三君  十一月六日     辞任         補欠選任      秋山 長造君     松井  誠君  十一月十日     辞任         補欠選任      松井  誠君     秋山 長造君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         阿部 憲一君     理 事                 後藤 義隆君                 原 文兵衛君                 佐野 芳雄君     委 員                 岩本 政一君                 中村 禎二君                 林田悠紀夫君                 星野 重次君                 吉武 恵市君                 佐々木静子君                 藤原 道子君    国務大臣        法 務 大 臣  前尾繁三郎君    政府委員        法務省矯正局長  羽山 忠弘君        法務省保護局長  笛吹 亨三君    事務局側        常任委員会専門        員        二見 次夫君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○検察及び裁判運営等に関する調査  (派遣委員報告)  (矯正法規運用に関する件)     ―――――――――――――
  2. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  まず、委員異動について報告いたします。  去る十月十九日、羽生三七君が委員辞任され、その補欠として秋山長造君が選任されました。また、同月三十日、成瀬幡治君が委員辞任され、その補欠として野々山一三君が選任されました。
  3. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 検察及び裁判運営等に関する調査を議題といたします。  第六十六回国会閉会後当委員会が行ないました、最近における裁判所及び法務省関係庁舎施設営繕状況並びに監獄法等矯正法規運用に関する調査のための委員派遣について、それぞれ派遣委員から報告を聴取いたします。  まず第一班の御報告を願います。中村君。
  4. 中村禎二

    中村禎二君 派遣委員を代表して第一班の調査の結果を報告いたします。  去る九月六日から同十日の五日間、阿部委員長佐々木委員と私、中村委員の三名が徳島県及び高知県において、裁判所及び法務省関係営繕状況並びに監獄法等矯正法規運用に関する問題について調査いたしてまいりました。  まず、裁判所及び法務省関係営繕状況について、九月七日の午前徳島地方裁判所、同八日の午後高知地方裁判所にそれぞれ関係当局の御参集を得て説明を聴取し、庁舎施設状況を視察いたしました。次いで、監獄法等矯正法規運用に関する問題については、九月七日の午後徳島刑務所、同九日の午前高知刑務所にそれぞれ関係当局の御参集を得て説明を聴取し、その後、新装なった徳島刑務所、旧刑務所高知刑務所及び徳島高知の両少年鑑別所を視察してまいりました。  なお、今回の調査にあたり、現地関係各機関並びに最高裁判所及び法務省から終始懇切な御協力をいただきましたことを報告して、厚く御礼申し上げます。  以下、調査項目に従って調査の概要を申し上げます。  調査項目第一、裁判所及び法務省関係庁舎施設営繕状況について申し上げます。  申すまでもなく、全国各地に配置されている裁判所及び法務省関係庁舎の数はきわめて多く、かつその規模も種々さまざまであり、これらを建設し、維持し、改善していくことはかなりの大事業であり、これが円滑に行なわれないならば、事務の遂行に支障を生じ、その結果国民に非常な不便を及ぼすことになりますので、その管理、対策はゆるがせにできないものであると思います。そのような観点から私たちは、現地の実情について関係当局から忌憚のない御意見、御要望を伺う等調査してまいりました。  まず、裁判所関係庁舎施設状況は、全体的には整備されており、特に問題はないようであります。たとえば、徳島地方裁判所管内では、現在改築中の脇町支部庁舎が竣工すれば、管下の庁舎はすべて戦後に新営されたものとなり、一部木造庁舎もありますが、総じて庁舎施設状況は恵まれた条件下にあるようであります。ただ、高知地方裁判所管内須崎支部安芸支部庁舎は、それぞれ明治四十三年、大正三年の建築でありますので、相当老朽化しており、また、中村支部庁舎は、昭和二十一年の南海大震災により土台は基礎よりずれて庁舎が傾斜しておりますので、いずれも改築の必要に迫られております。その他、懇談の際、徳島地方裁判所では本庁周辺自動車交通が年々激しくなり、その騒音に悩まされていることや、裁判所備え付け図書等が不十分であること、また、高知地方裁判所では特に裁判官官舎の整備が望まれておりました。  次に、法務省関係庁舎施設状況についてでありますが、検察庁について申しますと、徳島地方検察庁管内庁舎は、牟岐区検察庁及び徳島池田検察庁の二庁を除き、おおむね良好なる管理状態にあります。牟岐区検察庁及び徳島池田検察庁庁舎は、それぞれ昭和二十四年新営の木造建物でありますが、約十年前より白アリが発生侵蝕して、現在かなりひどい白アリの害を受け、床の動揺、建具の狂いなどを生じ、管理上支障を生じているようであり、これら庁舎についても早期改築の必要に迫られております。  また、徳島地方検察庁は、正面に国道が走り、その騒音は喧騒をきわめ、検察官の取り調べ時など被疑者参考人の声も聴取しがたい状態にあるようであります。したがって、当庁は、冷房機設置可能な状態になっているので、早期に冷房設備を完備し、真夏でも窓を開放せずに執務できることを切望しておりました。高知地方検察庁管内須崎支部安芸支部及び中村支部は、裁判所と共用しており、前述のごとく建物老朽化している上、きわめて狭隘で執務上不便な現状であり、早急な新築の必要に迫られております。  地方法務局及び保護観察所について申しますと、徳島地方法務局庁舎は、老朽かつ狭隘な建物であり、しかも木造庁舎であるため、白アリ及び台風等による被害が多く、その維持管理に苦慮しております。そこで、すでに去る昭和四十三年には、当時移転が決定していた徳島刑務所あと地徳島地方法務局保護観察所等入居予定行政合同庁舎の新設がもくろまれ、昭和四十七年度新営を目途に計画が策定されましたが、四十六年度の調査費予算化は見送りとなってしまったようであります。したがって、明年度にはぜひとも新営工事の見通しがつくよう望まれております。高知地方法務局管内においては、老朽かつ狭隘な建物が全体の約半数を占めており、徳島の場合と同様な被害が多いので、これら庁舎の新営の必要に迫られております。また、高知保護観察所の入居が予定されている高知地方合同庁舎は現在その建設計画を推進中であります。  さらに、徳島高知ともに、全体的に職員宿舎の不足が目立ち、それは高額な家賃による職員負担増、地理的な問題、ひいては人事管理の上に及ぼす影響が大でありますので、より一そうの宿舎確保積極的対策が望まれております。  なお、地方法務局所管業務のうち登記部門においては、近年の経済社会情勢の著しい進展に伴なって、その事務量は年々増大し、複雑化してきており、昭和四十五年には、徳島管内で十年前の一・八倍の約十六万件、高知管内で約十八万件の処理件数となっております。このような事件増の傾向は、徳島高知管内とも今後地域開発に伴ない、ますます顕著になることが予想されます。その他、社会情勢複雑化権利意識高揚等から訟務事件や人権侵犯事件数も増加の一途をたどるものとみられます。このような情勢の中で直面する問題は定員問題でありますが、昭和四十三年来実施されている政府全体の定員削減計画により、各管内とも定員削減を余儀なくされ、繁忙時には近隣庁相互間において応援をし合う等の応急的な措置をとっている現状から、それぞれ職員の増員について強い要望がありました。  調査項目第二は、監獄法等矯正法規運用に関する事項であります。  まず、高松矯正管内における収容状況は、本年七月末現在において、行刑施設は、定員三千四十名、現員二千四百七十七名で収容率八一・四%であり、少年鑑別所は、定員百二十六名、現員五十四名で収容率四三%となっております。そのうち調査の対象になりました高知刑務所は、本年八月末現在において、定員六百四十一名、現員四百八十名で収容率七四・八%、徳島刑務所は、既決収容定員三百八十八名、現員三百七十九名で収容率九八%、未決収容者は、定員五十九名に現員七十八名で収容率一三二%という相当な定員超過状態に置かれておりました。これは未決収容率全国平均が五四%であるのに比較しても、いかに高いものであるかを示しております。しかし、管内全体の収容者は、昨年同期に比し行刑施設少年鑑別所とも減少となっております。  一方、高松管内行刑施設における暴力団関係収容者は、本年六月末現在で六百二十九名収容しており、その収容率は二五・三%で、全国平均一八・二%から見ても非常に高い比率を示しており、管内徳島刑務所高知刑務所においても例外ではありません。当管内では、管外受刑者の移入を大幅に実施しているところから、関東方面とのつながりを持つ者が多いのが特徴であるということであります。暴力団関係者の拘禁、警備及び処遇等収容対策はむずかしく、特に、徳島刑務所では、その更生が困難であり、努力しているわりには効果があがっていない等の説明もありました。  次に、徳島刑務所収容分類B級の者を、高知刑務所はB級及びC級の者を収容しております。うちB級の者は、改善困難と思われる習慣性犯罪者であり、強い反社会的性格を持っておりますので、教育教化については、共同生活の訓練の徹底、教養、情操、さらには人格の転換をはかるため、通信教育や積極的な教戒、個別指導等を実施しております。作業については、労働の習慣をつけさせるために木工や剣道具等作業を実施しており、職業訓練については、現在高知刑務所ではボイラー技士養成を行なっており、毎年の国家試験合格率が非常に高く、好成績をおさめております。徳島刑務所でも新施設移転各種訓練を実施することを計画しております。  また、開放処遇に適している受刑者を改善させるため、管内松山刑務所所管の構外泊まり込み作業場として大井造船作業場があります。この施設では、収容者の人格を尊重し、自覚と信頼を処遇の基調とし、逃走防止のための物的、人的措置もなく、収容者の自治を大幅に認める等をしてその社会化をはかろうとしております。  次に、施設等整備状況について申しますと、徳島刑務所の旧施設は、戦災復旧工事により建てられた木造、老朽建物で、徳島市のほぼ中央にあり、週辺一帯は目ざましい発展を遂げ、繁華街の中にあります。したがって矯正行政上好ましくない等により、昭和三十九年徳島人田町に移転が決定、本年三月竣工検査が済み、去る十月十二日に移転作業を完了しました。この新施設は、敷地総面積約九万二千平方メートル、建物面積が約二万六千平方メートルで、鉄筋コンクリート建ての近代的な建物であります。一方、高知刑務所は、戦災をまぬがれた施設でありますが建物の大部分は明治、大正年間に建築されたものであり、高松管内で最も老朽化した施設であり、また周辺一帯が目ざましい発展を遂げるに至ったので、現在地より十二キロ離れた高知布師田地区への新営移転を計画推進中であります。このように、行刑施設改善整備がなされることは、行刑の効果をあげるためにも、また職員の勤務の上からも非常に重要なことではないかと思います。少年鑑別所施設のうち高知少年鑑別所は、昭和三十三年に現在地に新築移転しましたが、徳島少年鑑別所は戦後新築された施設とはいえ木造であって、すでに老朽化著しく、全面改築の必要に迫られている現況であります。  次に、行刑施設職員に関しては、各施設ともこの定員では必ずしも十分とは言えないにしても、現員職務遂行に万全を期していること、職員超過勤務が多いが、今後、機械力導入等省力方法によってこの超過勤務を減少させることは可能であること、高知刑務所では超勤手当支給率は一〇〇%であるが、管内としては予算等関係もあって八〇%ないし九〇%の支給率である等の説明がありました。  最後に、監獄法運用または改正に関しては、矯正教育の理念と収容者法的地位を法律に明確化すること、収容設備等に関する規定を法律化すること、行刑成績優秀、規律違反を犯すおそれのないような者に対しては、開放的処遇外部通役更生援助外出を実施すること、受刑者勤労意欲を向上させ、自立更生を援助する意味で作業を行なう者には報酬金を支払うようにすること、分類制度の根拠を法律化すること、及び減食罰、重屏禁など非人道的懲罰は廃止すること等の現場施設としての意見の開陳がありました。  以上調査の概要を申し上げましたが、詳細は調査室保管の資料により御承知願いたいと存じます。  これをもって報告を終わります。
  5. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 次に、第二班の御報告を願います。佐野君。
  6. 佐野芳雄

    佐野芳雄君 委員派遣の第二班は、白木理事木島委員及び私、佐野の三名が、九月六日から十日までの五日間、福井、石川、富山の各県下における裁判所及び法務省関係庁舎施設営繕状況並びに監獄法等矯正法規運用状況等につき調査してまいりました。  まず現地営繕状況について申し上げます。  調査方法といたしまして、各地方裁判所及び各刑務所に、それぞれ関係庁代表者の御参集を願い、詳細な説明を聞き、適宜現場を視察いたしました。  概括的に申しますと、三県における関係庁舎施設は、逐次新営、整備されてきており、老朽庁舎等も少なくなっております。  すなわち、裁判所関係では、その九〇%以上が新営を終わっており、法務省関係でも、新営を要すると思われるものは、四五%という状態であります。  なお、特に現地関係庁から述べられた要望事項を申し上げますと、第一に、三県共通の問題として、登記事件増加等による法務局における事務量の増大に対処するため、ぜひとも職員増員並びに庁舎整備・拡充が必要であること。  第二に、庁舎の新営が望まれているところとしては、福井地方裁判所小浜支部福井家庭裁判所小浜支部小浜簡易裁判所金沢地方検察庁小松支部金沢地方法務局小松支局富山地方検察庁富山地方検察庁砺波支部砺波検察庁、朝日区検察庁富山保護観察所等であります。  次に、矯正法規運用状況等について申し上げます。  まず、福井金沢富山の各刑務所において、関係庁から説明を聞いた後、各刑務所、各少年鑑別所並び金沢湖南学院富山少年学院をそれぞれ視察いたしました。  これら矯正施設を通じ、共通の課題と思われるものは、第一に、食糧費――特に副食費の少ないことであります。この点は、過去何回となく当法務委員会においても指摘されてきたところでありますが、現在なお、納得できるような改善が行なわれることなく今日に至っており、現地施設の悩みは解消されておりません。この点に関する予算措置の望まれるところであります。また、主食についても、その支給量は、決して十分ではなく、特に成長期にある少年院においては、少年たちが率直に、空腹を訴えていました。  第二は、作業賞与金の問題であります。  刑務所における作業賞与金の額が少ないことも、副食費と同様、前々から指摘されているところであります。例を富山刑務所にとってみると、昭和四十五年度の作業収入四千八百万円に対し、作業賞与金は、三百六十万円であって、約七%にすぎません。当刑務所における本年八月の受刑者一人、一カ月平均作業賞与金は、八百六十円となっております。また、受刑者の一部は、外部宅地造成作業に通役しており、一日二千五百円賃金相当額の収益をあげております。しかし、本人には、作業賞与金として、多くて一カ月二千五百円ないし六百円が支給されているにすぎません。現在の作業賞与金賃金でないとはいえ、矯正教育の方針の一つである勤労意欲の向上という観点からしても、あまりにも少額過ぎる感を禁じ得ません。  さらに、少年院においても、職業補導が行なわれ、作業賞与金的なものが支給されております。しかし、その額は、まことに少額であり、富山少年学院の場合、一カ月平均百十五円、在院期間平均十三カ月ないし十四カ月として、出院時には、千四、五百円が支給されているにすぎません。このような、一カ月百円前後の支給が感受性の強い少年たちに、どう影響しているものか、一考の余地があると思います。  次に、各施設から出されました監獄法改正等に関する要望事項を申し上げますと、作業賞与金制度抜本的改正未決拘禁者の接見・信書・図書等に関する法規適用関係明確化懲罰内容の再検討、篤志家等外部援助者が、受刑者から暴行、傷害等を受けた場合の補償的措置必要等であります。  最後に、今回の調査にあたり、裁判所及び法務省関係当局から、多大の御協力をいただきましたことを感謝いたしまして、報告を終わります。
  7. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 以上で派遣委員報告は終了いたしました。  ただいまの報告も含め、これより質疑に入ります。御質疑のある方は順次御発言を願います。
  8. 佐々木静子

    佐々木静子君 この間の、七月二十四日の法務委員会におきまして、法務大臣が、この秋に監獄法改正をいよいよ法制審議会諮問に付する予定である旨の御答弁を承ったわけでございます、明治四十一年に施行されて、すでに施行後六十年も経過しています。この古色蒼然たる監獄法が、新憲法が施行された後二十数年たっているにもかかわらず、いまなお現存しているという現状は、憲法基本的人権尊重ということを高らかにうたっているにもかかわらず、最も日の当たらない場所にいる受刑者や、あるいは未決人たちが、いままでいかにその人権の保障というものが軽視されてきたかということを物語っているのではないかと、はなはだ遺憾に思うわけでございますが、今回、大臣のほうから、いよいよこの秋に監獄法改正に乗り出していただくということは、私どもにとってもたいへん喜ばしいことだと思います。いま、大臣御出席いただいておりますので、この前回の御答弁のように、もういよいよ法制審議会諮問に付されるに至っておるのか、あるいはいつからそのように着手していただけるのか、その時期についてもう一度お伺いさしていただきたいと思います。
  9. 前尾繁三郎

    国務大臣前尾繁三郎君) 七月に、秋には御提出するような一というより、法制審議会に出します原案をつくることをお約束をいたしました。私も約束はぜひ守らなきゃならぬというので、鋭意督励しておったわけでありますが、夏休み、ことに監獄法についてはもう権威者であります正木先生がおなくなりになりましたり、いろいろのことがありまして、実は、これからやはり一、二カ月おくれるのじゃないかと、かように考えておりますが、それにしましても、ぜひ早急に案をつくって、法制審議会に回したいと、かように考えておる次第で、御了承願いたいと思います。
  10. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま、大臣の御答弁で、もう一、二カ月後に法務省の案が法制審議会にかけられるということを承ったんでございますが、そうすると、最終的な原案の作成中でいらっしゃると思うのでございますが、この改正に際する法務省の基本的な姿勢、あるいは、特にどういう項目に力点を置いて改正しようと考えていらっしゃるか、それをちょっと重点的にお述べいただきたいと思います。
  11. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 一口に申し上げますと、近代化ということでございます。で、それを分けますと、いろいろ分け方はあると思います。五点、五つになるかと思います。  第一は、刑事施設、これは最近の刑法改正案の中に出てくることばでございます。監獄ということばも、現在の刑法にあることばでございまして、監獄法は、それを受けて監獄法ということばができているわけでございます。それが刑事施設というふうなことばに最近のあれではなっておるようでございます。刑事施設の適正な管理と、その規律及び秩序の維持ということが第一点でございます。刑事施設と申しますところは、収容施設でございますので、この収容を確保するということが最も重要な責務であるわけでございます。たとえば、逃げられるとかいうようなことがございますと、非常に問題が大きくなるわけでございまして、ただし、逃げられることにつきまして、また、中で、いろいろ処遇が困難な人々につきまして、どういう措置をとるかということが非常にむずかしい問題があるわけでございまして、そこをどういうふうに条文に直していくかということが第一点でございます。  第二点は、いま申し上げましたことの反対の面ということになるわけでございますが、被収容者人権尊重ということでございます。施設規律維持に力を入れ過ぎますと、人権というような問題に遺憾な事態が起きてくる。そこで、その調和をどういうふうにはかってまいるかということでございます。  第三点は、特に、そのうちで、これは第二点に非常に関係いたすのでございますが、未決被告人、いわゆる刑事被告人につきまして、施設内におきまして当事者としての地位をどの程度に尊重をいたしていくかということでございます。  次は受刑者でございまして、第四点でございますが、受刑者に対する矯正処遇矯正教育の充実ということでございます。これは二つに分けまして、一つ自活能力をつける、職業補導職業訓練というようなものによりまして自活能力をつける。その小さい二が、自立能力をつける。生活に困っていなくても悪いことをする人があるわけでございまして、その自立能力をつける。これは法文に書くこともなかなかむずかしいのでございますが、実行がなかなかむずかしい問題でございまして、それを法文にどういうふうにあらわしていくかという問題でございます。  最後の第五点は、施設社会内の処遇連携と申しますか、受刑者はいずれは社会に出てまいる人々でございまして、先ほどの御出張の御報告の中にもございましたけれども、逃げる心配のない者がありますならば、できるだけかぎをかけるというような措置を緩和いたしまして、解放的と申しますか、一般の社会人生活に近いような生活処遇をしていく。ことばを変えますと、まず矯正の中の処遇をできるだけ社会的に近づける。その次は、出てまいります場合にいかに矯正保護連携をするかというようなことによりまして、どうすれば完全に更生をさせることができるかというような問題を踏まえまして条文を書く。それらにつきまして各国の立法例等参考にいたしておりますが、中でも再々申し上げまする一九五五年の国際連合が採択いたしておりまするところの被拘禁者処遇最低基準規則という約百条に近い条文がそれの参考になっておるというようなことを申し上げられるのでございます。
  12. 佐々木静子

    佐々木静子君 いまのお話を承りまして、特に第四と第五の項目におきましては、受刑者が健全な社会人として復帰するための具体的ないろいろな措置というふうに拝聴したのでございますが、この受刑者社会に復帰する手続として釈放がございますが、仮釈放によって出所する者も現在では過半数を占めているというふうに聞いております。全出所者のうちで仮釈放によって出所する者はいま何%ぐらいになっているんでございましょうか。
  13. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 受刑者のうちで、刑期満期で釈放される者と、仮釈放によって仮出獄する者とがございます。その割合を昭和四十五年の統計をもって見ますと、満期で出た者が三八・二%、仮釈放で出た者が六一・八%となっております。
  14. 佐々木静子

    佐々木静子君 この仮釈放によって出所した者が六一%以上占めるというお話でございますが、この手続でございますね、これを許可する行政官庁、地方更生保護委員会と思いますが、これは刑務所長の申請によるわけでございますね。そのほとんどが刑務所長の申請でございますか、それ以外の者の申請で許可されているケースもございますか、あったとすればその比率を教えていただきたいと思います。
  15. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) ただいまお尋ねのように仮釈放につきましては、刑務所長といいますか、施設の長からの申請をまず原則といたしております。犯罪者予防更生法の第二十九条にその点が定められておるのでありますが、第二十九条の第一項では、これを施設の長から申請があった場合に審理をして決定をするということになっておりますが、第二項ではそういった申請がなくとも職権で委員会が審理をすることができるという、法律はそういうたてまえになっております。しかしながら、実際におきましてはほとんどが申請にかかわるものでございまして、職権で仮釈放というものはまずないというふうに御了承願いたいと思います。
  16. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうしますと、仮釈放で出所する者は、ほとんどその刑務所の長の申請によらなければ、事実上、仮釈放にはならないというわけでございますね。
  17. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 現状はそうでございます。
  18. 佐々木静子

    佐々木静子君 この仮出獄する者の中に無期懲役囚がいると思いますが、無期懲役で仮出獄を許される者は全体の無期懲役囚の何%くらいであるか。また、無期懲役囚が仮出獄を許される基準でございますね、そういうふうなものをお答えいただきたいと思うのでございます。
  19. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 無期懲役囚は仮出獄がなければずっと入っていなければいけないということに相なりますので、これは出ている者は全部仮出獄で出たわけでございます。
  20. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうしますと、無期懲役囚は刑務所の中で死ぬかあるいは仮釈放にしていただくか、その二つのうちのどちらかしかないわけでございますね。それといま御質問申し上げました無期懲役囚の仮出獄を許可する基準でございますね、そのようなことをちょっと教えていただきたいと思うのでございます。
  21. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 仮出獄の許可につきましては、刑法の第二十八条にその要件を定めておりますので、これはすでに佐々木委員も先刻御承知のことと思いますが、無期刑につきましては、刑期の十年を経過した後改俊の情があったときは行政官庁の処分によってかりに出獄を許すことができるということになっておるのでございます。十年を経過いたしました場合に、その本人に改俊の情があるかどうかということを十分検討するわけでございます。  御承知のように相当重罪を犯した者でございますけれども、施設の中で相当年数拘禁して教育してまいりまして、本人が前非を非常に悔いまして、また在監中の行状もよろしい、また出てからも再犯を犯すようなおそれがないであろう、あるいはまた出てから帰住するところがあって、仮出獄になるわ、所在不明になるわということになりますと、また再犯を犯すおそれが出てまいりますから、そういう帰住先もはっきりし、また職業の見込みもあるといったようなことで、社会内の処遇に移しましても、まずだいじょうぶだろうというような見込みが立ち、また社会の感情といったものも考えなければいけませんし、相当重罪を犯した者でございますから、社会がどのように考えておるか、出てまた社会から非情な目をもって見られるということは、その本人にとっても不幸なことでございますので、社会がどういうような目で見るか、社会感情といったようなことを、いろんな条件を総合考覈いたしまして、本人が善良な社会人として自立していくのにどの時期が一番いいだろうかというふうなことをいろいろ考覈いたしまして審理し、そういうことを判断を遂げた上で決定をするということに相なっておるのでございます。
  22. 佐々木静子

    佐々木静子君 それでは、仮出獄に際しましての要件といいますか、順守事項というものがきめられると思うのでございますが、法律上の順守事項としては、犯罪者予防更生法の第三十四条の二項に、「一定の住居に居住し、正業に従事すること。」、「善行を保持すること。」、「犯罪性のある者又は素行不良の者と交際しないこと。」、「住居を転じ、又は長期の旅行をするときは、あらかじめ、保護観察を行う者の許可を求めること。」というこの四項目にわたる規定がございますが、このほか特別順守事項を定める場合が多いと思うのでございます。この特別順守事項にどういうふうなことをきめることが多いか。また、順守事項となった場合、一体この順守事項を守らなかった場合には、これは場合によると仮釈放を取り消されるというふうな大きな制約、いわば非常に出所者にとりますと、生殺与奪の権を握られたような大きな問題を残すわけでございますが、この法定の順守事項のほか特別の順守事項というものは、そういう必要からむやみやたらにいろんなことをきめることは、これは人権の保障の上から許されないと思うのでございますが、法務省としては当然一定の厳格な基準を設けておられると思いますが、その許容されている基準を述べていただきたいと思うわけでございます。
  23. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) ただいま御質問になりました特別順守事項というのは、これは犯罪者予防更生法の三十二条で、そういう順守事項を指示して守らせるという規定があるわけでございますが、この予防更生法の三十二条を受けまして法務省では特別順守事項を定める。これは省令になるわけでございまするが、地方更生保護委員会の決定等に関する規則というのがございまして、その第四条に「特別遵守事項」というのがございます。ちょっと読んでみますと、「法第三十一条第三項又は第三十八条第一項の規定により定める特別遵守事項は、法第三十四条第二項各号に掲げる事項の遵守その他本人の更生を図るため必要な帰住地の指定、いかがわしい場所に出入することの禁止、麻薬類の使用の禁止、過度の飲酒の禁止、被害の弁償、家族の扶養等に関する具体的な事項であって、本人の性格、能力、経歴、非行の原因、帰住後の環境等からみて適切であり、本人がこれを誓約して遵守するものと認められ、且つ、基本的人権の原則に照らして不当でないものでなければならない。」と、こういう基準をつくっております。この基準に沿いまして、その特定の対象者にそれぞれふさわしい順守事項を定めておるのでございます。
  24. 佐々木静子

    佐々木静子君 よくわかりました。  そうすると、まあたとえばですが、特定の職業の人、あるいは出所してから弁護士に出会ってはいけないとか、あるいは新聞記者とか、あるいは放送局の人に絶対出会ってはいけないとか、そういう順守事項をきめることは、もちろん許されないわけでございますね。
  25. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) そういう順守事項はきめていないと思います。
  26. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは実は去る九月二十二日に、広島の刑務所から無期懲役の判決によって服役いたしておりました吉岡晃という者が出所したのでございますが、この人はどういう順守事項で仮出獄を許されているのか、これはおわかりになったらお答えいただきたいと思うのでございます。
  27. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 具体的な事件でございますが、吉岡の順守事項で私のところでわかっておりますのは、一、被害者の冥福を祈り慰謝につとめること。二、定職についてしんぼう強く働くこと。三、何事も保護観察官、担当保護司に相談し、慎重に行動すること。四、交友関係に注意し、素行に問題があると思われるような者とはつきあわない。五、更生保護会の規則をよく守り、職員の指示に従うこと。この程度がいま私のところでわかっております。
  28. 佐々木静子

    佐々木静子君 実はこの吉岡が出所に際しましてちょっと問題があったんでございますが、この吉岡晃と申しますのは、法務当局でおわかりでございますように、昭和二十六年一月二十四日に山口県の熊毛郡の麻郷村でかわら製造業の早川惣兵衛さん夫妻が殺された、これは世にいう八海事件でございますが、そうして国警の熊毛地区警察が最初吉岡晃を逮捕し、逮捕後、吉岡は、単独犯行を自供した。しかしその後阿藤周平さんほか玉名の近所の青年も逮捕されて、五人共犯による強盗殺人事件として起訴されたわけでございます。一審、二審では、阿藤さんは、死刑を言い渡されたほか、全員有罪、吉岡さんだけは上告を取り下げて無期懲役が確定して、そうして今回仮出獄になるまで服役していたわけでございます。こういう事件でございまして、無実を主張する阿藤さんたち四名は、最高裁判所と広島高裁の間を無罪、有罪と往復、ようやく事件後十八年を経て四十三年の十月に最高裁判所で四名の無罪判決が確定しましたが、この間判決を受けること七回、日本の裁判史上例のないことで「真昼の暗黒」として騒がれたものでございますが、この事件の一番の真相を知っているのがこの吉岡晃さんなんでございますが、この吉岡晃さんが出所するときに、広島の刑務所長、これは福山繁雄所長ですが、出所の日、九月二十二日に吉岡晃さんを呼びまして、そして仮出獄を許すけれども、もしもマスコミ関係の人に出会ったりするような場合には、直ちに仮釈放を取り消す、そしてもしそうなれば、おまえさんは死ぬまで刑務所におらなければならないのだということを三十分にわたってこんこんと説論したということなんでございますが、それは刑務所長のどういう権限に基づくものなんでございましょうか。
  29. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) ただいまお尋ねの点は、私実は初めてお伺いいたすのでございまして、至急に調査させていただきたいと思います。もしそういうようなことを申したといたしますれば、これは刑務所長といたしましては、いささかどうかと思う措置であったといわざるを得ないと思うのでございます。
  30. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは実はこの吉岡晃さんが九月の二十二日に出所いたしまして、その後、篤志家の保護司のもとに預けられまして、新聞社などに住所を知られないように、ひっそりと暮らしておったわけでございますが、十月に入って、新聞社の方の知るところとなり、十月の十九日に、一部新聞に報道され――吉岡さんが出所したという事実が報道され、それから、二十七日に、中国放送が、吉岡さん及びその当時の阿藤さんら被告人及び弁護人との対談を録画でとって、翌二十八日に放映したわけでございます。それから、その翌日二十九日に、フジテレビから吉岡さんに、テレビに出るようにとの話があった。で、この保護司に相談したところ、電話であればいいであろうということで、電話によって出演した。  ところが、十一月の二日から三日、四日、五日と、この四日間にわたって、吉岡さんは、広島保護観察所の課長に呼ばれて、厳重な取り調べを受けた。そして、その間は一切の外出は禁止、他との連絡は禁止されて、行動の自由は全く奪われた。そしてこの吉岡さんが身の危険を感じて、八海事件以来のおなじみである原田香留夫弁護人に、何とか助け出してほしいという連絡をとろうとしたが、どうしてもとることができない。原田弁護士もまた、何となく心配になって、吉岡のほうに電話をかけたところ、けんもほろろに、一切会うことならぬということで、保護観察所のほうから断わられた、そういう事実があるわけなんでございます。で、それはマスコミの人と出会ったということで、きびしい叱責を受け、そしてこれ以上出会う場合には、もう一切、自後、保護観察所とすると、仮釈放を取り消して、終生刑務所から出れぬようにするという申し渡しを受けたということなんでございますが、そのことについて、どういうふうにお考えになりますか。
  31. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 一般的、抽象的に、報道陣の方に会うと、そうすれば、仮出獄を取り消して、一生刑務所から出られなくするというようなことを、所長が申したといたしますると、これは、そのこと自体は非常に穏当でないというふうに思うわけでございますが、私どもは、吉岡晃氏が出所する報告を受けた当時に、これは非常に八海事件の重要な被告でございまして、御承知のように、広島刑務所に在監中に、単独犯を供述いたしましたり、あるいは多数犯を供述いたしましたりして、非常に問題の人物であったわけでございます。  で、いずれにいたしましても、これから本人は出て、新しい人生のフレッシュなスタートを切る段階に達しておるわけでございまして、できれば、本人の古傷にさわらないようにしてやるのが大事であると。あれが八海事件の吉岡であるとか、あれが八海事件のときに、いろいろうそを言った吉岡であるというようなことが、報道によりまして、興味本位に報道されますならば、これは本人が刑務所に一生舞い戻らないというような問題以前に、本人が社会において更生をしていくということについての非常な障害になると思うのでございまして、矯正局といたしましても、この吉岡の仮出獄を極秘にするようにと、新聞社などにわからないように出せということを指示いたしたのでございます。で、その辺の、あるいは薬が少しきき過ぎまして、刑務所長がそういうようなことを申したのではないかと思いますが、これは想像でございまして、よく、あとで十分に調べさせていただきます。  で、私は、ただいまお尋ねのように、テレビに出たとか、最近また週刊誌にも吉岡のことがでかでか出ておるようでございますが、はたして、こういうことが本人がこれから更生していく場合、あるいはどこかの職場に新しく職を求めていく場合に、はたしてこれが障害にならないであろうかということを、施設の中で矯正教育をやっておりまする一人といたしまして、痛切に感ぜざるを得ないのでございます。  その他の保護の点は、保護局長のほうから答えがあるだろうと思います。
  32. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 佐々木委員の御質問の点で、保護関係のことについて申し上げたいと思いますが、吉岡が出所いたしましてからの行動、いろいろこれあるんでございます。私たちは、いま矯正局長が申し上げましたように、吉岡をいかにして社会の健全な一員として更生させるかということで非常に心配いたしまして、この人間が確かに過去には非常な大罪を犯した、しかしながら、仮出獄をしてもいいとわれわれが認める程度に改俊の情があるというような状態になって、仮出獄を許可したものでございますので、これが、先ほど矯正局長から申しましたように、いろいろなマスコミの興味本位といいまするか、対象になりまして、騒がれますと、ただでさえも社会から十七年以上も拘束されておって、刑務所の中から一般社会へ出たという者は非常に心情が不安定でございます。この心情の不安定な者に対して、マスコミその他のものがわいわいと言って、寄っていきますと、はたして、これが心情は安定できるでございましょうか、われわれはそれを心配したんでございます。吉岡をいかにして正しい人間に更生させていくか、改善させていくかということがわれわれの義務でございます。それをマスコミあたりが、あるいはまた、阿藤その他のもと一緒に起訴された連中でございましょうが、そういった人たちがそこへ集まって、いろいろ過去の古傷にさわり、そうしてまた、それが一般の社会の人にわかるようなことになってまいりますると、吉岡の心情というものが非常に乱れてくるわけでございます。現に吉岡はそういうように言っておるのであります。非常に神経過敏になっております現在、なぜ、こんなにまでしなければいかぬのかと、私はそれを訴えたのでございます。先ほど弁護士にも合わさないとか、あるいはまたマスコミに会わさないというような御質問といいますか、というようなことがございましたですけれども、これはそういうところから出ておるわけでございます。弁護士に会わさないというのは、原田弁護士が――実は私たちの知っておるところでは、十月の十八日か十九日ごろに、本人が原田弁護士の宅に行って会っております。原田弁護士のほうから電話で呼ばれたんだろうと思います。原田香留夫弁護士です。これは本人が行くというので行かしたわけでございますが、行ったところが、報道関係、マスコミの記者が来ておって、そこでいろいろと過去の古傷を尋ねられ、そしてまた、そのとき手記を渡すというような状態に相なったんだろうと思いますが、そういったように、まずここで接触があったわけです。その後、二回、三回原田弁護士のところへ行っております。  その中で、特に私申し上げたいのは、原田弁護士から、手紙を取りにくるように本人をよこしてくれ、こういうように本人を預かっておる者のところに連絡があったそうであります。本人を行かしたら何も手紙がない。手紙がなくて何か旅館のようなところに連れていかれて、阿藤とかそういった元の共犯の疑いで起訴された元の連中と会わされた。そこで録音もされ、また、写真もとられたというような事情があるんでございますが、弁護士――昔、事件当時には弁護人になっていただいた弁護士さんでありましょうが、なぜうそを言ってまで本人を呼び出さなければならないんでしょうか。そしてまた、そう言ってその報道機関になぜ無理に会わせなきゃいかぬか。また、元の古傷にさわるようなことをしていただかなければならないのだろうか。私は、吉岡をいかに更生改善さそうかということにわれわれ保護関係の者が一生懸命になっているときに、そういうことをしていただくことは、非常に妨げになるということから、これはひとつ御遠慮願ったほうがいいと思う。また、吉岡自体も、こういった報道機関に会うのをいやがっておるのでございます。そんなところで騒がれるのはいやがって――今後はどうかわかりませんが、いままではいやがっておるのであります。聞くところによると、フジテレビの何に出たので、弁護士さんから、お礼に、現金がいいか、物がいいかと聞かれて、物をもらったということは、真偽のほどはわかりませんが、聞いておりませんが、そういうようにすれば、あるいは、だんだん報道機関に会うようになるかもしれませんが、とにかく現在はいやがっておるのであります。そういう者を、わざわざそういうふうにして更生しようとしている者を、心を乱していただきたくないというのが、われわれ保護関係の者の一致した希望でございます。  それから、先ほど課長が取り調べをしたというようなお話でございまするが、これは取り調べというと何かいかにも犯罪捜査のような感じがするわけでございますが、そういう意味ではなくて、事情を聞いたわけです。課長といいましても保護観察官でございます。保護観察に付せられておる者でございますので、保護観察官が事情をいろいろ聞くのは、これは当然でございます。また、行動の自由を拘束されたといいますが、そういう事実はありません。本人が行きたいというところであれば、それは変なところへ行くのは――先ほどの順守事項の基準を読み上げましたように、変なところに行くのは制限しますけれども、そうでなければ、本人が行きたいというところで、適当なところであれば、何も拘束することはいたしておりません。またそういった関係で本人がこうしたいとかどうしたいとかということを拘束するというような、何といいますか、自由を拘束するというようなことはいたしておりません。ただしかし、これは社会に出ましたけれども、満期で出所したものじゃございませんので、仮出獄中のものでございますので、保護観察を受けておるという一つの制約がございます。したがいまして、保護観察中に順守事項違反をすれば、これは、先ほど佐々木委員から質問がありましたように、仮出獄の取り消しをされる場合もあるということは、これは刑法の二十九条に記載されておるとおりでございまして、そういった制約がございますけれども、それ以外に特に本人の自由を拘束したといったようなことはないはずでございます。
  33. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま矯正局長からの御答弁をいただいたのでございますが、実はこの刑務所長のことでございますが、これは矯正局長のほうから直接広島刑務所長のほうへ御照会いただけると思いますので、遠慮さしておいていただきたいと思います。が、私実は、福山刑務所長に会いまして、そのことを、ここにテープに持っているわけなんです。よければかけますけれども。マスコミの人に出会った場合には、仮釈放を取り消す、そうすれば、おまえさんは、無期懲役だから刑務所の中で死なねばならぬぞということを、三十分にわたって話をしたということを、御本人の口からお話になっておられるのです。もし委員の方よろしければおかけいたしますし、あるいは照会の結果、お答えいただくほうが穏当であれば……。どちらでも私のほうはよろしゅうございます。
  34. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 速記をとめて下さい。   〔速記中止〕
  35. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 速記を始めてください。
  36. 佐々木静子

    佐々木静子君 それでは私続けますが、いまこの両局長からのお話で、マスコミが興味本位に扱う、あるいはマスコミごときがというお話がございましたが、このマスコミの扱い、たとえば中国放送、これはTBS系統に流れた放送でございます、あるいはフジテレビに。局長さん方はごらんになった上でお話になっておられるのですかどうですか。  私の見た範囲、また、これを見て感想を寄せてきた人たちは、非常に感激した、涙なくしてはこういう番組は見れなかった。あるいは近来こんな胸を打つ感動的な番組はなかったということで、非常にまじめな番組として喜んでおるわけであります。局長さん方は、マスコミごときとか、あるいはマスコミの興味本位に乗せられて云々というような御答弁でございましたが、これを調査なさった上でおっしゃっているのかどうか、お答えいただきたいと思います。
  37. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 私はそれを見ておりませんけれども、ある程度報告を聞いておるのでございます。で、私どもといたしましては、無期懲役という懲役刑は非常に重い刑であると思っております。それから、強盗殺人という罪も非常に重い罪であると思っております。したがいまして、できれば特定の仮釈放者がまあ十何年も施設におきまして刑を受けまして、罪の償いをしたわけでございますから、どういうふうな取り上げ方がされるか知りませんけれども、できれば新しい人生のやり直しの始まったところでございます。これが仮釈放になりましてから、三年も五年もたったのちに、また何らかの機会で報道陣が適当な形でお取り上げになるということは、場合によってはいいことがあるかも存じませんが、大体におきまして、非常にまずいことが多いのではないか。それから、犯罪によりまして、最も大きな被害を受けますのは、もちろん殺された人間でございますが、私はそれ以上に実は近親者というものが非常な被害者であるということを平素感じているのでございます。兄貴が強盗殺人をしたというようなことで、妹は嫁にも行かれないというようなことが幾らでもあるわけでございまして、したがいまして、なるべくそういうものを、しかも罪の償いが済んだあとで、しかもいまこれから新しい再出発の発足の時点で、そこでつかまえるということは一般的には私どもは適当ではないんではないかということを考えておるわけでございます。
  38. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) テレビを見たかというお問いでございますが、私は実は、あれは何日でございましたか、フジテレビですか、フジテレビで夜十一時過ぎに放映されたのをちょっと見たわけでございます。  そのときちょっと吉岡は出てまいりませんが、声だけでございまして、阿藤が出てきまして、阿藤と電話対談という形で放映されたのは見ております。
  39. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは保護局長に結論的に伺いたいのでございますが、二日から五日にわたるのは別に犯罪あるいはそれに類したことの取り調べということでもなく、また、マスコミに本人の意思のいかんを問わず出たことによって、今後、仮釈放を云々というようなおつもりでお調べになったわけじゃないわけでございますね。
  40. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) それはそういう意味で取り調べたのじゃございません。先ほど申したように、取り調べたのじゃなく、観察官が事情を聴取したということでございます。
  41. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうしますと、特別の順守事項違反のない限り、吉岡の身柄は、これは仮釈放がいまのまま十分に保護されるわけでございますね。それは局長の責任において御明言いただけるわけでございますね。
  42. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 現在まで私たちの聞いておりますところでは、順守事項違反というものがあったようには、委員会のほうでも――委員会といいますか、地方更生保護委員会のほうでも理解しておらないようでございます。私のほうにそういう報告ございませんが、現在の状況ではそういうことはありません。
  43. 佐々木静子

    佐々木静子君 この弁護人が吉岡のほうに面会を求めたということは、これは実は、この十一月初旬の段階では、吉岡が不当に拘束されるかもわからないということであって、人身保護請求をするべく委任状までとって、原田弁護士が弁護人として動いておったわけでございますので、その点誤解のないように。しかし、いまの保護局長の御答弁いただきまして、それは杞憂にすぎなかったということを私も非常に喜んでおる次第でございます。  それから、この出所した九月二十二日以後、東京の正木ひろし弁護士あるいは大阪の佐々木哲藏弁護士あてに、いまの呉の出所先では、非常にそのつとめ先は吉岡のことを知っておって、自分がいまのところでは更生しにくいので、東京あるいは大阪でしかるべき保護者としかるべき就職先をさがしてほしいという手紙をもっと早い時期によこしているわけなんでございます。ところが、両弁護人もいまあまり吉岡をいろいろなことで話題の中心にするということも好ましくないのじゃないかということで、ひそかに保護先を検討しておったわけでございますが、吉岡さんがいまの武田さんという保護司のところで造船所に働いているわけですが、そこでは広島刑務所出所者がほかに何人かおるために、あれが有名な吉岡だということで非常におりづらい。そういうことで適当な場所ということをいま検討中なんでございますが、そういうことで、条件さえ整いましたら、保護局長とすると、それは当然本人の更生のために許していいとお考えになっていらっしゃるわけでございますね。
  44. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) これは、ちょっと仮釈放になるまでのことを申し上げなければ御理解いただけないかと思うのでございますが、先ほども申しましたように、仮出獄をさせるかどうか審理いたしますときには、その過程におきまして、本人の帰住先をどこにするかということが一番問題になるわけでございます、帰住先がなければこれはちょっと出すわけにいきませんので。ところが、本人は、身寄りがないわけじゃございませんですけれども、身寄りのほうが引き受けてくれないといったような状況がございまして、本人の希望で、どこか更生保護会に帰住させてもらいたいということでございましたので、それではどこの保護会にすればいいだろうか、いろいろ大阪とか東京とか離れたところのことも考えたわけでございますけれども、保護会に入れるだけではいけないのでございまして、更生保護会に身柄を、食事をさせて宿泊させながらどうかで仕事をさせなければいけませんので、そういったことを考えいろいろしますと、なかなか適当な引き受ける保護会もなかった。結局、現在の更生保護会の会長さんが保護司でもあり、非常に保護の熱心な方で、経験も豊かな方でございますので、この方におまかせすれば非常に更生のためにいいんじゃなかろうかということで、本人も喜んでそこへ入ることになったわけでございます。そして、また、その保護会に宿泊いたしまして、つとめるところも、その保護司さんの関係しておられる、いま佐々木委員のおっしゃいました造船所でございまするけれども、そこを予定したわけでございます。  ところが、いまそこに広島刑務所の同囚がおるというお話でございまするが、本人は、実は、仮出獄になりまして外へ出ましたところが、車に酔うわけでございます。長らく刑務所におったためかしれませんが非常に車に酔う。この保護会から造船所に行くには車に乗らなければいけません、バスでも何でも乗らなければいけませんので、これはとてもそこへは行けないということで一回も造船所には行っておりません。ですから、その造船所に広島刑務所に服役しておった者がおるかどうかということは、吉岡自身は直接は見聞してないはずでございます。ところが、そういった熱心な保護司さんが関係しておられる造船所のことでございますので、ほかにもそういう仮出獄をして、そこで保護観察中に引き受けて指導したという対象者、あるいはもう保護観察が終わってしまっている方かもしれませんけれども、そういった人がおることはおるだろうと思います。しかしながら、吉岡自身は、それはまあ知らないはずであったと思うのでございまするけれども、これはどこからか聞けばわかることでございますので、そういう心配をしておるのかもしれないと、こういうふうに思っております。  それで、これをそれじゃどこかほかのそういう心配のないところへやってやれば非常にいいわけでございます。それと、いま申しましたように、車に非常に弱いといいますか、酔いますので、ですから、現在のところでは保護会で付帯事業としてやっておりまするところのブロックれんがといいますか、かわらといいますか、それの仕事をさしておりますので、現在遊ばしておるわけではございませんので、現在の状態でも作業としては適当であろうということを考えておるわけでございます。
  45. 佐々木静子

    佐々木静子君 これ、犯罪者予防更生法三十六条に、保護観察において行なう補導援護として、第三号に、「宿所を得ることを助けること。」、第四号に、「職業を補導し、就職を助けること。」というふうな規定がございまして、この規定の趣旨からいきましても、いい住まいと堅実な職場さえあればもちろん保護観察所としても全面的に御協力いただけるわけでございますね。
  46. 笛吹亨三

    政府委員笛吹亨三君) 御趣旨はそのとおりであると思います。ただ、いままでの経験から申しまして、長らく刑務所におった者を仮出獄させまして、それをさせるまでにいろいろと環境の調査、調整をいたしまして、きめました帰住地を、わずかの期間で変えますと、問題が起こった事件が非常に多いのでございます。そのためにわれわれのほうはある程度はもう少し心情が安定するまでは、そのままで置いておいたほうが本人のためによくはないかというように思います。例をあげますと、大阪刑務所事件の、和歌山へ帰りました者なんかが、大阪に適当な職があるからといって転居許可願いを出して1事実、行ってしまってから許可願いを出したのですけれども、あれで許可をいたしましてああいう結果が起こっておる。これはまことに、最近の例でございますので申し上げますが、そういったような例もありますので、苦い経験もありますので、ある程度心情が安定するまでは、地方更生保護委員会が非常に苦労して調査、調整いたしました、そういった条件のもとでしばらく置いておきたい、このように考えております。
  47. 佐々木静子

    佐々木静子君 先ほどのこの中国放送のテレビを実は私も見たのでございますが、そのときに、吉岡晃さん、この人は昭和四十三年ころの印象では、非常にからだが弱いように私は思っておったのでありますが、からだはだいじょうぶかという質問に対して、からだは全然じょうぶなんだという答えだったわけでございます。じゃ、君はたいへん健康なのかと言って聞いておられますと、テレビで、いや、病気なんかはしたことがないという話だったわけでございます。まあ私も、今度出所した後、吉岡さんから手紙をもらいまして、いまお話の武田さんのところをたずねて、吉岡さんにも出会ったわけでございますが、きわめて健康だということで、私も非常にけっこうだと思っているわけなんでございます。仮釈放にする以上は、やはり刑務所の中でも相当労働にも従事してきたと思うのでございますが、刑務所の中の吉岡さんの就労状態などは大体どんな模様だったわけでございますか。
  48. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 何ぶんにも長く入っておりましたので、その間の作業状況などはなかなか一口に申し上げるわけにはまいらぬのでございますが、通常の刑務作業に服していたということを申し上げるよりしかたがないと思いますが、ただ、いまのお尋ねの中に、この吉岡君が全然病気をしたことがないと言っているそうでございますが、これはいささか正確でございませんで、肺結核でございまして、広島刑務所在監中に、特に昭和四十年の九月ごろは非常に容態が悪くなりまして、四十三年ごろまで、その病舎におきまして肺結核の療養を受けておったという事実があるわけでございます。それがなおったと、軽快したということで仮釈放になったと、こういう実情にあるのでございます。
  49. 佐々木静子

    佐々木静子君 実は、私いま申し上げましたように、フジテレビのほうへ、あるいは吉岡さんに出会ったときの話などから、全然病気じゃなかった、実はおまえは病人だということになっておいてくれと刑務所から頼まれて、いまおっしゃった期間病舎の中にほうり込まれておった、そういう話を聞いたんでございます。それで私非常に不審に思いまして、いま申し上げた福山広島刑務所長にすぐお会いしたわけです。そうして福山所長に、吉岡さんはどういう健康状態であるかということをお尋ねしたんです。そうしますと、福山所長は、いや、あの人は全くな健康体です、特別頑健というわけではないけれども、全然からだの悪い人じゃありませんというお話だったんです。私、念のために福山さんに、あなたはいつからの時点のことを知っておられるのですか、というふうにお尋ねいたしました。そうしますと、私はここへ赴任してから二年以上たっている、吉岡のことなら何でも知っている、全然健康な人間であるというお話だったんです。それで私重ねて、刑務所の中で病気をしたことはありませんか、たとえば手術を受けるとか、肺結核にかかるというような事実はなかったんですかとお尋ねしたんです。そうしますと、そんなことはありませんよ、あの人は全然元気ですよということで、まあ、それは人間のことですから、地方人ということばを使われましたが、地方人と同じ程度に、それは十八年の間にかぜくらい引くこともあるでしょうというお答えだったんです。これも実はここのテープの中におさめさしていただいているのです。その意味において、吉岡さんが私の顔を見るなり、刑務所でえらい目にあいました、自分は病気じゃないのに、おまえはともかく重症の肺結核の患者になっておれということで、元気な人間が病棟に何年間もほうり込まれた、結核の患者のたくさんいる中にほうり込まれて、自分はうつらないか、うつらないかと、それが一番心配であったということを言っているのです。そのことについて矯正局長の責任あるお答えをいただきたいと思います。
  50. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 全然病気でなかったというふうに広島の刑務所長が申したといたしますれば、これはまことに妙なことを言ったと言わざるを得ない。一時は肺結核安静度二度というところまでまいりまして、非常に重態であった。それは昭和四十二年四十三年当時でございますから、福山現所長が着任する前のことではございますけれども、このくらいのことはいまの所長が知っているはずだと私は思うのでございます。
  51. 佐々木静子

    佐々木静子君 おことばを返すようですが、私は、所長はまあ吉岡さんのことは何でも知っていると言われるけれども、それだったら医務部長さんを呼んでもらったらどうかということをこの間、所長さんにお会いしたときに言ったんですが、大体元気な人間だから、医務部長などと何にも関係はない。自分はほかの所長と違って、受刑者を毎日見回る習慣をつけておる、吉岡さんには毎日出会っていて非常によく知っているが、きわめて健康体であるということを言っているわけなんです。  それから、いまのお話でございますが、これは昭和四十三年の四月、これは実は八海事件が七回目の裁判最高裁判所のほうに回されまして、七月に公判が口頭弁論がいよいよ開かれるというその三月ごろでございますね。吉岡が、自分が単独でやったもので、阿藤さんらほかは全然関係がないのだという手紙をいままで何通も刑務所から発信しているのに、それがどうも届いてないらしいということを盛んに言っているということを弁護団が聞きまして、そして四十三年の三月の二十八日に原田香留夫弁護士が、そして四十三年の四月一日に、これは数名の弁護士が、東京、大阪から広島の刑務所長に、吉岡に面会さしてほしいということを申し入れたわけでございます。それからその直後、また別に、この吉岡の上申書、この八海事件の真相を真剣に書きつづった吉岡の最高裁判所あるいは高等検察庁あての手紙を、広島刑務所で隠してしまってはこれはたいへんなことになるということで、広島地方裁判所に証拠保全の裁判を、これは四十三年の四月一日に申し立てたわけでございます。そしてその際に、吉岡晃に証人として出廷するよう召喚状を直ちに広島地方裁判所から出したわけでございますが、その際、広島刑務所の医務部長河原秀雄は、吉岡晃はいまおっしゃったような安静度二度であるという診断書、これを出しているわけでございます。病名は肺結核、そして昭和三十七年五月二十一日肺結核のために病舎に収容した、そして同年の七月三十一日に休養が解除になり、また八月十四日に再発、病床に休養し、三十九年五月七日に休養解除、そして四十年の九月に再発して病床に入った。安静度二度であって、大喀血でもすると予後にはなはだ悪影響を及ぼすことになるから、引き続き安静加療を要するので、現在においては出廷不能であるという診断書を出しているわけでございます。そして三月十四日、三月二十六日、三月二十八日に喀血したという診断書を書いているわけなんでございますけれども、その診断書の報告がいま矯正局長のほうに届いているのではないかと思いますが、これはどういういきさつでこの診断書をつくったのか、当時からこの診断書は全くおかしな診断書ではないかということが問題にされておったのでございますが、矯正局長のほうで特にこの診断書の作成その他について、御調査になったことがございますか。
  52. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 私はこの診断書の作成について調査をいたしておりません。  それからいまお尋ねの、刑務所最高裁判所あるいは最高検察庁等に出す手紙を押えたというようなことにつきましては、すでに四十三年当時問題になりまして、そして参議院の法務委員会におきまして、四十三年の五月二十一日に亀田得治先生からもお尋ねがあった点でございます。それは先ほども申し上げましたように、吉岡が新しい人生の再出発の時点にある段階でいろいろ吉岡のことを申しますことは、私は非常に心苦しい感じが禁じ得ないのでございますけれども、これはせっかくのお尋ねでございますので、ある程度申し上げざるを得ないということを御了承いただきたいと思うのでございます。それは、吉岡は、昭和四十年ごろまでは、大体心情が安定いたしまして、無期懲役の刑を広島で受けておったのでございますが、肺結核になりまして病舎に入りましてから、非常に不安定になったようでございます。その上申書も何回も出したり、取り下げたりする、その上申書も最高検あての、検事総長あての上申書には多数犯を供述するような上申書を書く、弁護士さんのほうには自分の単独犯であるというような上申書を出すというようなことで、しかも本日書きまして、これを出してくれと言っておいて、明日あれはやめてくれというようなことで、非常に心情が不安定であるために、刑務所長が手紙を書くことによってますます本人の心情が安定しないのではないかという判断をいたしまして、相当多数の書信を発信を許さなかったわけでございます。それらの書信は、結論的には、やはり阿藤氏ほかの方々が最高裁判所に上告いたしておりますので、まあ重要な関係者である吉岡の発信を、行刑上の理由だけでとめておくのはいかがなものであろうかということで、全部一括いたしまして最高検に送りまして、検事総長のほうから最高裁判所に出したという実情にあるわけでございます。  したがいまして、手紙はそういう点につきまして、勝尾前矯正局長当時にここで御質疑があったわけでございますが、肺結核という点につきましては、これはまあ広島刑務所にはレントゲンもございますし、いろいろな検査をする器具、機械等もございますので、こういう重大な問題を私どもは医者が故意に虚偽の診断をするというようにはちょっと考えないのでございまして、やはりただいまの診断書は医者がその良心に従って書いたものであろうというふうに考えておるわけでございます。
  53. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま矯正局長から御答弁いただきましたが、最終的な御答弁には相当事実と違っているところがあるんじゃございませんですか。いま最終的に吉岡さんが書いた上申書なり最高検察庁あての手紙、検事総長から最高裁判所に提出したと、いま矯正局長は言われましたが、手紙は私が持っているんです。ここにあるんですよ。最高検察庁から最高裁に出した手紙がなぜ私の手元にあるんですか。
  54. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) ことばが足りなくて恐縮でございますが、私どもにもここにあるのでございまして、写しを出したのでございます。全部写しを提出いたしたのでございます。
  55. 佐々木静子

    佐々木静子君 それら手紙は、吉岡さんは刑務所の方に頼めば、間違いなく最高検察庁あるいは最高裁判所あるいは弁護士さんに、いろいろ上申した手紙は届いていると思っていたところ、出所するときになって、この手紙は実は全部発信してなかったんだということで返してもらった。いまごろこんなものもらってどうなるかということで届けて来たんです。そしてその内容はどうでしょうか。いま矯正局長は、吉岡晃さんは検察庁には多数犯を主張し、弁護士には単独犯を主張したと言われましたね。手紙を読み上げてもよろしゅうございますよ。これらの返ってきた手紙は最高検察庁あての手紙で、しかも単独犯を主張しているんです。事実と違うじゃありませんですか。結局矯正局長さんは、多数犯を主張する手紙だけを刑務所長なりなんなりから報告を受けられて、単独犯を主張する手紙がたくさん最高検察庁あてに出されているという事実を御存じなかったか、あるいは知っておられながら故意にそれを隠しておられるか、私はそのどちらかしかないと思う。物証がちゃんとここにあるんですから読み上げてもよろしゅうございます。
  56. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) ただいまの点もまことにことばが足りなくて恐縮でございますが、確かに検察庁に対しましても、単独犯を主張した部分もあると聞いております。それから、ただしすべて本人にはそのつど、これは不許可であるということは言ってあるはずでございます。これは取り扱いがそういうことになっておりますので、したがいまして不許可にいたしました手紙はこういうものを不許可にしたんだということで、出て行くときに渡すという扱いになっておりまして、それで渡したわけでございますが、そこで本人がこれを返されて初めて出されなかったことがわかったという点も、私どもにとってはいささか不可解と言わざるを得ないのでございまして、とにかくその当時、これの最高裁判所のほうに写しが出ておることは間違いないのでございます。
  57. 佐々木静子

    佐々木静子君 これはいまも矯正局長が言われたように、これは八海事件の弁護団その他この八海事件の真実を追求しようという大ぜいの国民の人たちが、非常な努力をして刑務所の中に十八通の上申書が隠されているという事実を追及したわけです。その結果、いまおっしゃったような参議院の法務委員会での追及になり、検察当局としては一生懸命隠しておったこれら手紙の写しを、ついに最高裁に出さざるを得なくなったというのが実情なんでございます。そしていま出せなかった分については、そのつど吉岡さんにその旨言ってあるというお話でございますが、それは全然報告はないわけです。ですから、手紙を出したのに返事が来ないということで吉岡さんが非常に不安に思っておったわけでございまして、それはその当時問題になって、日本弁護士連合会の人権擁護委員会のこの調査報告書の中に詳しく書いてございますし、また、広島刑務所の当時在監していた人の証言からもはっきりと出てきているわけでございます。結局、このように、いま単独犯を主張する手紙と多数犯を主張する手紙があると言われましたが、ここに残されていた十八通、これは全部単独犯を主張する手紙でございます。そうすると、多数犯を主張する手紙だけを発信し、単独犯を主張する手紙を発信しなかったのは、それはどういうわけなんですか。
  58. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) この手紙を不許可にいたしますということは、昭和四十二年の五月九日から昭和四十三年四月十六日までの間に行なわれておるのでございます。で、その間で現地の、当時の所長の報告によりますと、その間が最も心情が不安定である。出すと言ってみたり、やめると言ってみたり、それから先ほどもお話がございましたが、自分が結核であるにもかかわらず、ほかのものから結核をうつされるのではないかというようなことがございまして、そこで、まあ施設といたしましては、その書信を不許可にしたわけでございます。その昭和四十二年以前の手紙は、その前はそういう不許可というようなことがなかったわけでございます。  で、いま検察がこれを隠したというふうにおっしゃいますけれども、検察が隠したんではございませんで、広島刑務所受刑者処遇、すなわち受刑者の心情の安定をはかるという処遇の一環といたしまして、不許可にいたしまして、これが弁護士会その他で御指摘がありまして、むしろ検察庁のほうからは、そんなものは持ってこいというような趣旨が連絡されまして、そして、広島のほうから最高検のほうへ届ける、こういう経過になったわけでございます。
  59. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま矯正局長から心情安定とか、心情不安定とかというお話がありましたが、これがどうも私、非常に妙なことばだと思うわけでございまして、どうも刑務当局のお話を伺っていると、多数犯を主張しているときは常に心情安定であり、単独犯を主張しだすと、急に心情不安定になる。そういう矯正用語といいますか、刑務所用語というようなものがあるわけでございますか。全く単独犯行を書いているときは心情不安定という表現になっているわけです。そして多数犯に切り変わるとああ吉岡の心情が安定したということになるわけです。それはどういうわけですか。
  60. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 手紙の内容によって心情が安定する、安定しないというようなことを判断することももちろんございますけれども、その単独犯だから安定してない、多数犯だから安定しておるというようなことはもちろんございません。  で、心情安定とか、心情不安定というのは、矯正の用語でもございますが、むしろこの種の肺結核その他の処遇に当たられますお医者さんなどもよくお使いになることばでございまして、御承知だと思いますが、何もこの手紙だけに限らないのであります。この吉岡君は証人といたしましてもかなり供述が何回も変わった人で、そういう意味でこの八海事件の一つの問題の人物であったわけでございますが、それがこのことに限らず入院中はいろいろな点で神経質になると申しますか、いらいらすると申しますか、先ほど保護の現段階においても何か非常にいらいらしているというようなことを保護局長が申しておりましたけれども、私はどうも性格的にそういう人ではないかというふうに考えているわけでございます。
  61. 佐々木静子

    佐々木静子君 私はこれは矯正局長は御専門家としてもう少し物事をたとえ一センチでも三センチでも掘り下げて考えてごらんにならないと、これはとても健全な矯正という問題ははかれないのではないかというふうに私は非常に危惧するわけでございますが、吉岡は無期懲役で広島刑務所に服役している者でございます。そして私先ほど保護局長に念を入れて尋ねましたように、吉岡は仮釈放で出所できなければ広島刑務所で死ぬべき運命を持っている人間なんでございます。しかも仮釈放を申請してくれる人はだれか、これは広島刑務所長しかないわけです。広島刑務所長ににらまれたならば、彼は広島の刑務所の中で一生を終わらなくてはならない。それ以外にもう道はないわけなんです。吉岡が心情不安定だとか、言うことがくるくる変わるとか、それは吉岡が変わっているのはどういうわけで変わっているのか、それは矯正局長が当然見抜けなければならないのじゃございませんですか。  私はこれから先の質問をほんとうは矯正局長が進んでお答えくださるならば私はあとの質問を省略するつもりだったのです。しかし刑務所側、矯正局側の責任はすっかりのがれて一人吉岡はうそつき、言うことがくるくる変わる、心情不安定ということで、吉岡の責めに帰そうというお答えであるならば、私はやむを得ませんから、どういうわけで吉岡がいろいろな手紙を出さなければならなかったのか。そのいきさつを御質問させていただくよりほかしかたございません。その点について矯正局長はこれは吉岡が自由な意思で単独犯の手紙を引っ込めて多数犯に切りかえた、あるいは刑務所側の意向があって単独犯を引っ込めて多数犯に切りかえた、そこら辺についての御配慮とか、あるいは当然なさるべき――全く権力のもとに置かれた弱い人間に対してそれくらいの調査矯正局長としてなさらないわけですか。どういう調査をなさってそういう答えをしておられるのか。もう一度お答えいただきたい。もしそれがいままでどおりの形式的なお答えであれば、私はこの手紙一つ一つについてどういういきさつでこの手紙を多数犯の手紙に切りかえさせたか、一々具体的に申し上げます。そうしますと、非常に残念ですが、広島刑務所職員の名前一人一人をここの席上においてあげなければなりません。それでよろしければこれから先質問を続けさせていただきます。
  62. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 現段階におきましては、もういろいろ調査をするにいたしましても、かなりいろいろな、まあ本人がまず出てしまっておりますし、調査方法がないわけでございますが、亀田先生がここで御質問になりました当時、かなり前矯正局長が調査をしておるように私は思うのでございます。その記録に基づきましてまあ私といたしましてはいまお答えをするよりしかたがないわけでございますが、御承知のように、刑務所は、八海事件の吉岡につきましては無期懲役囚として処遇するだけのことでございまして、刑務所といたしましては、別にいる阿藤周平君その他の人間が有罪であるか無罪であるか、そういうことは刑務所としては関係のないことであろうかと思うんでございます。で、この無期の吉岡君もいずれは出さざるを得ない。これはもう絶対にどの行刑官も私は考えておることだと思いますが、いままで無期懲役になりまして二十年というような長期間置かれた者は非常に少ないのでございまして、いずれは出ていく人物であると。出ていくようにするためにいろいろな作業もさせ、矯正処遇を行なうわけでございます。本来、受刑者と申しますものは外部から隔離されておるわけでございまして、たとえば接見とか、信書の授受というようなものは原則的には自由ではございません。たとえば暴力団の受刑者が入りますれば、その暴力団と――これは保護局とよく打ち合わせまして、これがまた暴力団に帰らないようにということを、施設の中におりますときから、いろいろそういうできるだけの措置をするわけでございまして、したがいましてその暴力団に手紙を出すというようなときに、これは適当でないと認めれば所長はそれを不許可にするということはあり得るわけでございます。そこで、そういう意味におきまして、この吉岡の書信の検閲が行なわれ、そしてそれが大体先ほど申しましたように、四十二年の五月までは不許可にあまりなっていない。四十二年の五月に至りまして、約一年間でございますか、何回も書くと、書いてはすぐやめるという、あるいは出すというようなこと、それからその内容もそうでございますが、そのほかに本人のいろいろな行状がございまして、これは手紙を書くということ、手紙を出すというようなことでは、かえって本人の心情が不安定になる、それは結局は本人が肺結核でございますので、肺結核がそれだけなおる可能性が長引く、長引けば仮釈になる時期が長引くというようなことでございますので、不許可にしたというふうに私はその当時の調査の記録から承知をいたしておるわけでございます。
  63. 佐々木静子

    佐々木静子君 それでは、いま結核のお話がございましたので、先にそのことからお尋ねいたしますと、現在福山刑務所長は、自分が赴任してから二年余りになるが、全然休んだこともございません、非常によく働く、健康体で、とんでもない結核なんて、というお話なんですが、これはあとでお許しを得られればこのテープをかけたいと思っております。昭和四十三年の四月に二度の安静度を要する結核患者が、いまから二年前と言いますと四十四年の秋でございます。一年半の間にそんなに早くなおることがあるか。私は非専門のことでございますので、実は結核の専門医三人にこのことを確かめたんでございます。とんでもない、そんなに早くなおる方法があったらわれわれが広島刑務所に教えていただきたいという話で、医学の常識からは当然なおらないそうなんでございます。かりに安静度二度のような重症な結核患者であるとするならば、福岡刑務所長が普通の囚人と同じように労働さしたこと自体、これは非常な人権問題ではありませんか。その点について局長の御答弁をいただきたいと思います。
  64. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 病気になります前の状況は、長年にわたりまして入っておりまして、刑務作業に従事しておったわけでございまするから、あるいはその間に――刑務所におきましては定期健康診断というようなことをいたしておりますけれども、あるいはその間に医官が見落とすというようなことがあったかもしれませんが、私どもがここに持っておりまする吉岡君の病状経過の概要によりますと、まず昭和四十二年ごろから悪いことになっておりますが、その最終の一番悪いころの状況を申し上げますと、四十三年の五月に、外部の吉島病院の島という先生に刑務所に来ていただきまして、吉岡のレントゲン検査、断層写真の撮影というようなことをいたしたわけでございます。その結果が、右の上葉部に小さい空洞があるというふうに診断されております。そうしてこの空洞その他の肺結核の治療を、相当長期間にわたりまして培養検査の結果、結核菌がマイナスになったので休養が解除されたというのが昭和四十四年の九月九日でございまして、相当期間結核であったということでございます。したがいまして、福山所長が一度も病気をしたことがないと申したといたしますれば、これは非常な間違いであって、私はあとで十分本人に確かめてみたいというふうに考えるのでございます。
  65. 佐々木静子

    佐々木静子君 時間のつごうもあると思いますので、結論だけを申し上げましょう。  私、福山所長の肩を持つわけではありませんが、実は吉岡晃のレントゲン写真、出所したときのを入手しておるわけでございます。これは私立の開業医のお医者さんのところでレントゲンをとりまして、肺結核の既往症は全くないという診断でございましたが、念のために公立病院でもう一度とったわけでございます。そうしますと、これは空洞も全くなければ、肺結核の既往症は全くない、過去に喀血したような場合であれば、空洞が残る。かりに肺結核が治った場合でも、それは肺結核の場合には、完全に回復するというのでなくて、固まるわけでございますから、レントゲンを見ればはっきりするわけでございます。これが吉岡のレントゲン写真であること、これは間違いございません。これは肺結核の既往症なし、空洞も全くない健康な健康人でございます。私は、矯正局長の御答弁を伺いますと、まるでキツネにつままれたような感じがいたします、非常に申しわけないのですが。  その診断を、医者にしてもらった人、それは吉岡晃本人に間違いないでしょうね。ほかの人をお使いになったわけではないでしょうね。
  66. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 御質疑の御趣旨をよく体しまして、これは今日でもわかることでございますから、吉岡の処遇記録というようなものが刑務所に残っておりますから、十分に再調査をいたします。
  67. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは重要な問題でございますので、吉岡の病状のカルテその他身上書、これを法務委員会のほうへ一度刑務所のほうから提出していただきたいと思うのでございますが……。
  68. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 佐々木君の言うとおりにいたします。
  69. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうしたら、そういうことでまたいずれ資料をお出しいただいたあとで質問を続けさしていただきたいと思うのでございますが、ただ、私、きょうは大臣もいらっしゃいますから、申し上げたいことは、これら十八通のこの単独犯を主張した手紙、これをなぜ多数犯に書きかえなければならなかったか。これは吉岡晃からもじかに聞いたわけでございますが、担当看守から、なぐる、けるの非常な暴行を受けた、ひどいときには、保護房にほうり込まれて、右手と左手を互い違いに革手錠をはめられて、一番長いときには、一週間それでほうったらかしになっておった。食事はどうしたんだと聞くと、ネコや犬のように口だけで食べた。それでは便所はどうするのかと聞くと、たれ流しで、もうこれ以上不潔で、くさくてがまんできない、死ぬかと思ったという話をしているわけでございます。これは吉岡晃さんだけでなしに、その当時広島刑務所に服役していた者がそれを裏づけることを申しております。実は八海事件の弁護団が、このような手紙をたくさん吉岡さんが書いておるという事実は――その当時広島刑務所に服役していた者が、その当時ほどなく出所して、単独犯を主張したばかりに、吉岡さんが広島刑務所の中で、えらい目に会っている、このままでいけば、殺されるかもわからぬというような情報を、いろいろと何人もの人が知らしてくれたからでありまして、これは全部が全部ほんとうとは、私も必ずしもそうだと言うわけではございませんが、しかし相当程度これは証拠で裏付けられていることだと思うわけでございます。まあこの点につきまして、矯正局長にまた次回にも続いてお尋ねさしていただくようにしたいと思いますが、私は、この問題について、これは刑務所内の発信、これは最高裁判所とか、高等検察庁とか、地方検察庁とかいう発信と言っても、全く公的な手紙なんでございますが、こういう手紙まで一々担当の看守が見る。そしてそのとき看守の主観によって心情安定だとか、心情不安定だということで、没にしてしまう、これは重大な人権問題であり、特にこの八海事件の場合は、この手紙が届かなければ無実の人間が死刑にされるという可能性が非常に強かったわけなんでございます。そういう危険な状態から考えまして、今度の監獄法改正に当たって、手紙を発信した場合に、看守いわゆる刑務職員以外の者が手紙を開封できる機関、第三者が手紙を審査して判断することのできる機関、そういうものを、これは受刑者人権を守る上からも、ぜひ必要じゃないかと思います。  法務大臣にお伺いしたいと思うのでございますが、この八海事件、たまたまこれは氷山の一角だと思います。このような事件の経緯をごらんになりまして、今度の刑法改正に際しまして、大臣としてこの発信、手紙の問題についてどのようにお考えになりますか、所信をお述べいただきたいと思います。
  70. 前尾繁三郎

    国務大臣前尾繁三郎君) 八海事件の問題につきましては、私なんにも承知いたしておりませんので、よく調査いたしますし、また、後段の御趣旨の点もよく検討したいと思います。
  71. 佐々木静子

    佐々木静子君 それでは時間の都合もあると思いますので、次回にこの録音の問題、あるいはこの多数犯の主張――単独犯を主張した手紙を撤回して、多数犯を書きかえさせられた経緯などについて重ねて質問さしていただくことにしまして、きょうの質問はこれで終わらせていただきます。
  72. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 関連。矯正局長にお聞きいたしますが、吉岡が健康体であるのにもかかわらず、病気だということでもって診断書をつくったり、あるいはまた、病舎に収容されたりしたというふうな、さっきのお話ですが、健康体であったか、それとも健康体ではなかったのかということは、非常にこれは重要な問題だと思いますから、そしてしかもそれは、先ほどお話がありましたようなふうに、カルテだとか、あるいはまたレントゲンだとかいうようなふうなものを見れば今日でもわかるはずだと思う。そこであなたのほうであらためて刑務所のほうにそれを照会して、場合によったらあなたのほうでそれを十分検討していただいて、この次にそれの十分な御答弁を願いたい、こういうようなふうに思いますがね。そして、あなたにこれいまから私は追及するわけじゃないけれども、健康体であったのにもかかわらず、地方裁判所のほうに吉岡が病気であるという診断書を提出したということになると、これは何か文書偽造か何かになるのじゃないかというふうな感じも起こります。いまからそれを追及するというわけじゃないけれども、非常に重要な問題だと思いますから、そういうようなふうに立ち入ったひとつあなたのほうで十分な措置を検討していただきたい、こういうようなふうに思います。
  73. 羽山忠弘

    政府委員羽山忠弘君) 御指摘のとおりまことに重要な問題だと私も考えておりますので、十分に調査をさせていただきたいと思います。  ただ、この際、日本弁護士連合会人権擁護委員会からの昭和四十三年六月二十日当時の文書中にもあるのでございますが、「吉岡の犯行は、単独犯自供、六人共犯自供、五人共犯、二人共犯、五人共犯、今回の単独犯自供と、めまぐるしく変化して止るところを知らない。」というふうに、弁護士連合会のほうでもおっしゃっておるくらいでございまして、いま佐々木先生も、どこまで、全部が全部ほんとうであるかどうかはということをおっしゃったとおりに、現段階で――私はこれからレントゲンとか過去のカルテというようなものはわかると思いますが、現段階で吉岡の供述というようなものがはたしてどこまで信用できるかという点もひとつお含み置きいただきたいと、こう思うわけでございます。
  74. 藤原道子

    ○藤原道子君 関連。私はそういうようなことを初めてきょう聞いたわけでわかりませんが、ただ結核患者でもないものを、しかも安静度二度の人が一年やそこらで働けるようになるはずがないのです。私もまだ若かりしころ看護婦でございましたから、関東大震災のときには、救護看護婦で働いていて、トラックの上で喀血して倒れたのですが、ごく初期だったのです。その初期であったものがずいぶん長い治療をいたしまして、いまでもレントゲンをとると、やはりここに空洞が残っております。レントゲンをとると、医者には、ああと、こういうふうに言われる。いま私このレントゲンを拝見いたしましたけれども、私には全然御病気があるようには思えない。安静度二度といえば非常な重体でございます。病気であったか、なかったか、その当時のレントゲンはあるでしょうし、さらに診断書は保存されてあるはずでございます。ぜひ資料として御提出を願いたい。お願いいたします。
  75. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) ただいま佐々木君、また後藤君、さらに藤原君からもお願いいたしましたように、ひとついまの案件につきましては、どうか次回の委員会で、委員にお知らせを願いたい、こう思うわけでございます。  本件に対する質疑は本日はこの程度といたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時十八分散会      ―――――・―――――