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加藤シヅエ君 そういう私が申し上げましたようなことに対して、
外務大臣も
総理大臣もそういうお
気持ちを十分にお持ちになっていらっしゃるということを伺いまして、私は、それを喜び、ぜひそれが少しでも早く実現されるようにと切望してやみません。
そこで、いままで
日本の外交において、戦後、
日本が侵略国としてひどく方々に御迷惑をかけ、方々から、戦後、後々まで憎しみの感情が
日本及び
日本国民に向けられたということに対して、皆さんもよく御記憶だと思いますが、東南
アジアの諸国の方々は、今日は非常に平和的に
日本と交わってくださいますが、あすこまで行くのにもたいへんな
日本の外交上の骨折りが官民両方の面で行なわれたということをもう一度思い返していただきたいのでございます。そして特に、私が、謝罪をすることがいかに
相手国の
政府当局及び
国民の多数の心をとらえるか、そこから入っていかなくちゃいけないかということを申し上げているのでございますが、岸さんが
総理大臣でおられましたときに、東南
アジアを平和ミッションとしてお回りになる、そのときにも私は進んで当時の岸
総理にお目にかかりまして、いま、まず最初にお出になるオーストラリアなどでは、在郷軍人の方
たちが、たいへんな怒り、憎しみを持ってゴーホーム・キシというような旗を立てて出迎えられると、そういうようなところに一国の
総理が入っていらっしゃるということは、これはたいへんなことだと、それに対しまして、どうか岸
総理として、そこへ入り込んでいらっしゃる最初の
ことばは、
戦争中はまことに申しわけなかった、私
たちは反省して心からこれをおわびいたします。その
ことばでお始めになってくださいということを進言いたしました。岸さんもよく御承知と思いますけれ
ども、
総理として、公に、これらの東南
アジアの国々におわびの
ことばをもって始める外交をお始めになって、その結果が非常によかったといって喜ばれ、帰られましてから、閣議に正式にこのことを報告しておられるのでございます。こういうようなことが
日本の外交にも例があったということに、どうか
総理並びに
外務大臣も心強くお思いになって、ひとつ、その戦法で切り込んでいらっしゃるというようなことをぜひやっていただきたい。私はこれを切望いたします。
そこで、
外務大臣に最後に伺いますが、せんだって天皇、皇后両陛下が御訪欧なさいますときに、
外務大臣は就任早々まだ日も浅く、また御病気の御静養のあとにもかかわらずお供なさいましたのでたいへん御苦労であったと思います。したがいまして、お察しするところ、十分な御準備ができていたのかどうか私には少し疑わしいと思うのでございますが、私はたまたま天皇、皇后両陛下がロンドンにお着きになりましたその同じ日に、ある国際会議に出席するために私はロンドンに参ったのでございます。そして両陛下がどのような歓迎をお受けになるのか。
日本にいたらテレビにかじりついてでも見たいところでございましたけれ
ども、会議に出ているのでそれもならずで、
新聞を集めて見たのでございます。そういたしましたら、実に一
日本人としてショッキングなニュースをたくさん見ました。そういうようなあまり心よくないニュースというものは、一体
外務大臣に率直にほんとによく報道されているのかどうか。どうもその辺があんまり通じていないんじゃないか。いいことだけは大臣にお聞かせするけれ
ども、あまりよくないことはそのままにして、時の流れるのにまかしてしまうことになっているのじゃないか。私は、特にその中で驚きましたのは、
日本の天皇陛下が、ああしたお人柄の方でいらっしゃいます。学者でいらっしゃいます。別に
戦争を好むお人柄では全然ない。この
日本の天皇陛下のお人柄というものが少しも英国やオランダの人
たち——
戦争によって
日本に依然として憎しみを感じているこれらの人々に理解されていなかったということでございます。たいへん残念なことです。ですから、その
新聞の記事には、ひどいのになりますと、
日本のエンペラー・ヒロヒトはヒットラー、ムッソリーニと組んで
戦争して、あの
残虐行為にも加担したのだ。これはエンペラー・ヒロヒトではなくて、エンペラー・ヒロヒットラーと言うべきだ。こんなことが書いてある。これは
日本人としてほんとに残念なことです。そんな
戦争好きな天皇陛下ではいらっしゃらない。なぜ、あれだけのお人柄が理解されていなかったか。そしてもう二十五年も経過いたしておりますから、
戦争のあの当時のことなんかは忘れられているんじゃないかというような
気分でおいでになったところに甘さがあったと私は思います。私
たち民間人が旅行すれば、二十五年間もたっても、行くたんびに憎しみ持っているなんては言われませんけれ
ども、一国の
代表としての天皇陛下がおいでになれば、あの
戦争当時にひどい目にあった人、家族が死んだ人、コンセントレーション・キャンプで
残虐行為を受けた人、ビルマの死のロードの建設で倒れた人、こういう人
たちの遺族、その友人、生き残った人、そのときの苦しみが二十五年たってもそのまんま胸に燃え返ってくるのでございます。そういう感情が広がって、それが
新聞記事のあっちこっちにあらわれている。宮廷外交ははなやかであった。天皇陛下はたいへん御満足なすったということは私も心から喜びます。しかし、下のほうを流れている層に、そんなような憎しみが解決されないで残っていた。
外務大臣もそれを御存じなくて、ただお供をしてお歩きになったんでは済まないと私は思います。私は及ばずながら一個人としてのおわびの
ことばを述べる機会があれば述べましたし、またそれがBBCに放送されたり、あるいはオランダのテレビに放送されたりして、それだけのことでも、オランダのコンセントレーション・キャンプでひどい目にあった方々、三十八名の方が署名した公開状をオランダの百の
新聞に送って、
日本の婦人議員がここであやまった、
戦争中のことについて謝罪をした。私
たちはこれ以上憎しみの感情を持ち続けることは許されない、許そう。こういうことを公開文として
新聞に発表してくださいました。こういうような、これは一民間人の
努力にすぎないことでございますけれ
ども、ああいうような公式の大きなことが行なわれる前に、
政府当局として、そういうようなことが何らかの形で行なわれておりましたら、そこでさらにヨーロッパにおける
日本の真価というものが、もっともっと深く打ち立てられたのではないかと、私はそのことを残念に思っております。
福田外務大臣は、その当時のことについてどのようにお思いになりますか伺いたいと思います。