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鈴木美枝子君 あのとき初めて
沖繩の方の
気持ちを知ったという感じがいたしました。そのあくる年私は参りましたものですから、行くのはパスポートだとか、いろいろなことでたいへんでございましたけれ
ども、なお自分の目で見、耳で聞くことができました。二十年ぶりに
佐藤総理が一九六五年に
沖繩に行くのにはそれなりの
意味があると私は思うのです。その
意味を、これは私がかってに解釈しちゃいけないのですけれ
ども、同じ一九六五年のその年のうちの一月の十三日と十四日、
佐藤・ジョンソン会談の共同声明の中で、一点私の目にとまるのは、「
沖繩及び小笠原諸島における
米軍の軍事施設が
極東の安全のために重要であると認めた」、「重要であると認めた」という背後のところで、同じ年に
ベトナムの北爆が開始されているという関連がございまして、そしてまた、
沖繩には同じ年の七月の二十八日にグアム島からB52が台風だと言って三十機ばかり来ているわけです。B52というのはどういう飛行機かというと、核を二発積んで、そして爆撃し得る、もうとても大きな、私たちは女だからそういうものはたいへんに——私たちの
戦争のときにB29——B52、数字ばっかり頭に入るのですけれ
ども、よくよく調べてみると、一九六六年に
沖繩に行きましたときでも姿を大ぜいの人に見せないように翼だけちょっと出している。やっぱり
アメリカでは見せたくない。なぜ見せたくないのか。それは大ぜいの
沖繩の人を刺激したくない。また、
本土の私たちにも知らしたくない。そういうものを私は感じて帰ってまいりました。そしてそのあくる年なんです。一九六六年に
佐藤総理は、参議院の予算
委員会で、
沖繩が攻撃されれば
日本も防衛に参加する、と答弁しているわけです。これが一九六五年から一九六六年までの私が
沖繩に行ったその前後でございました。そして、その二年たったときに、一九六八年に
沖繩の石川ホワイト・ビーチというところから、ついこの間も
佐藤総理は、古い兵器をみんな片づけてそうして新しい兵器にかえているんだというふうにおっしゃいましたけれ
ども、それはまさしく、いまから三年前の一九六八年、石川ホワイト・ビーチ、メースBというのがもう古いというので取り去りまして、そして
アメリカではこう言っているわけです。メースBは旧式化した兵器で、
沖繩にいつまでも配備しておくこと自体不経済であり、また
米軍は固定
基地を必要としない、と言っているんですね。先ほど青島さんはたいへん流動的なことを言っておりましたけれ
ども、流動的なものと関連して、原子力潜水艦の問題をちょっと取り上げてみたいんですけれ
ども、メースBとかえたのがポラリス——ポセイドンというんですか、水中から核爆弾を発射し得る能力を持っている原子力潜水艦の寄港し得る
基地を新しくつくったということなんです。これは一九六八年といいますと、きょういま、このごろこの国会の中で——私はまあ入ったばかりなんでございますけれ
ども、
沖繩のことでいろいろなことが展開し、そしてやっているんですけれ
ども、三年前にすでにこの新しいものを建設している。そして、古い機械を取り除いて、もっと能力のすごい機械をここへ運んでいるという事実があるわけでございます。そしてまた嘉手納
基地、これはちょっと前で一九六九年なんですけれ
ども、嘉手納
基地に四千メートルの滑走路を持った、飛行機の飛べる、爆撃機の飛べる、それが二本建設されているというんです。そしてその四千メートルの滑走路というのが成田と同じなんだそうです。そしてこの成田と同じだということを私ちょっと教えていただきたいんです。私はただ寸法が同じだとかそういうことだけでいきなり言ってはいけないかもしれませんけれ
ども、成田と、嘉手納
基地というアジア一の
基地ですね、あそこは。私は一九六六年に行ったのでね、これはこうなんだと説明されたときに、あれがアジア一の
基地だというるとの中の滑走路ですね、それが四千メートルで、成田が四千メートル。そうすると成田はどのぐらいのものを飛ばすんでしょうか。専門家じゃないから、飛ばすなんて言っちゃって申しわけないんですけれ
ども、それは教えてくださいませ。防衛長官。