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公述人(新里恵二君) 新里でございます。
私は、一九二八年に
沖繩の那覇で生まれまして、一九四四年の四月まで
沖繩で生活いたしておりました。その後、
本土に在住しているわけですけれども、一九五五年ごろから
沖繩の歴史の研究に手を染めまして、これまでに
沖繩の歴史、民俗、文化といったようなことについて二冊の書物を出版しております。それからまた、
沖繩問題について、そのつど自分の
意見を論文にしたりあるいは口頭で発表してまいりました。かたわら、私は弁護士でもありますので、
沖繩の問題を
法律的な側面から検討する、研究するということをやってまいりました。たまたまことしの六月に那覇が市になってから五十年になる、那覇市制五十周年ということで那覇市からお招きを受けまして、私、二十七年ぶりに
沖繩に帰ってまいりました。その後ことしの十二月五日から約一週間、これは同僚の弁護士十四名と主として
沖繩の
基地問題、軍用地問題について調査のために参りまして、一行が帰りましてからも、私、三日ばかり残留いたしましたので、今月の十四日に
沖繩から帰ってきたわけでございます。そういうわけでありますので、私、
沖繩県出身者の一人として、それから
沖繩の歴史、
沖繩問題の研究者として、あるいは弁護士として、そういう
立場から若干の
意見を申し上げまして、御参考に供させていただきたいと思います。
それからもう
一つ、私、きょうは、共産党の推薦で
公述人ということで参っておりますけれども、共産党の政治的な主張をこの場で代弁するということよりも、むしろ、
沖繩の県民百万が
沖繩協定とその関連
法案についてどういう不満を持っているのか、あるいはどういう点で疑問を持っているのかということを代弁するという基本的な
立場で公述をさせていただきたい、かように考えております。
沖繩の県民の不満と
不信を代弁するわけでありますから、あるいは言辞やや非礼にわたる、あるいはお耳に痛いことを申し上げることもあるかと存じますが、もしそのようなことがございましたら、戦後二十六年の間、異民族支配のもとで苦しんだ
沖繩の県民の屈辱感と憤りということに思いをいたされまして、非礼の点についてはあらかじめ御寛容をお願いしたいと、かように考えております。
まず初めに、
沖繩協定とその関連
法案についての総括的な
意見でございますけれども、一昨日でございましたか、この
委員会の
審議をテレビで見ておりましたら、たまたま江崎
防衛庁長官でありましたか、政府自民党が非常に困難な条件の中で今度の
沖繩協定をかちとったのだ、その努力については一応評価していただきたい、こういう発言がございました。私は、それを聞いておりまして、一体これを
沖繩の県民が聞いたらどういうふうに聞くのだろうかと考えました。と申しますのは、私の
意見では、
アメリカが曲がりなりにも、しぶしぶながらでも施政権の返還に同意せざるを得ないところまで追い詰めたのは一体だれなのか。これは決して私に言わせれば政府自民党ではございません。むしろ政府自民党は、これまで私どもが
復帰運動を続けるにあたって、いつもいわば妨害者の
役割りを果たしてきたというふうに私は考えております。
だれがそれでは
沖繩をしぶしぶながらでも施政権の返還だけでもせざるを得ないところまで追い詰めたのか、これは明らかに
沖繩県民百万が中心になって、そして
本土の国民と呼応して戦ってきたからであります。
私、ことしの六月に
沖繩に帰りまして、「カクテルパーティ」という作品で芥川賞を受賞した大城立裕さんと酒を飲みながら話をしたわけでございますけれども、そのときに大城立裕さんは「うっちゃりの力学」という
ことばを使っておりました。「うっちゃりの力学」というのは、私なりにふえんして申し上げますと、要するに、
沖繩県民を含む
日本国民が二十六年間の長い、苦しい戦いの中で、いわば
アメリカと
日本の支配層の
沖繩政策というものを押しまくり、突きまくりしてきた。そこでどうしても土俵を割らなければいけなくなった
アメリカと
日本の支配層が徳俵に足がかかったところで、押してきたその力を逆用して、さか手にとって、それを安保体制あるいはサンフランシスコ体制の侵略的な再編強化に利用しようとした。それが今日いわれている
沖繩返還ではなかろうか、こういうふうに私は考えております。
政府・自民党の
方々はよく、
沖繩協定に不満だというのだったら、それじゃ
沖繩が帰らなくてもいいのか、こういうふうな設問のしかたをなさいます。しかしながら、私は、こういう二者択一、設問のしかたというものは全く欺瞞に満ちたものであると考えます。
沖繩県民を含む
日本国民の前にいま置かれている政治的な
選択は何かといえば、日米共同声明と
沖繩協定にに基づく返還か、それとも
沖繩県民が真に望んでいる即時無条件全面返還か、この二者択一があるのであって、決して、現状維持か、それともこの協定に基づく返還かということではないと思います。
しばしば論をなす
方々は、この
沖繩協定が批准されなかったら、あるいは関連
法案が通らなかったら
沖繩が返されなくなるじゃないかというふうなことをおっしゃいます。しかしながら、歴史的な経過をごらんになるならば、
アメリカの上院におけるロジャーズ証言を待つまでもなく、そのような前提自体が誤っているということは一目りょう然だと思います。
たとえば一九六七年の二月二十四日に教公二法の
反対闘争というものがございました。一千名の警察官隊が立法院を取り巻いていたわけですけれども、約三万のデモ隊が警官隊を物理的にも支配し、制圧し、排除して教公二法をとうとう廃案に追い込んだわけです。また、一九六六年の一月以来、
アメリカは
沖繩で一坪の
土地も新規接収することができないでおります。全軍労という労働組合は、御
承知のように、布令でストライキを禁止されている組合です。にもかかわらず、数次にわたってストライキが敢行されております。こういうことは、一体何を
意味するか。
アメリカが現状のままでは
沖繩を支配することができなくなっているということだと思います。そのためにこそ
日本の独占資本に片棒をかついでもらって、
日本の政府に片棒をかついでもらって
基地の支配を安定させなければいけなくなった。そのことがいまの返還になってきているのだと私は考えます。
したがって、私は、率直に申し上げますけれども、どうぞこの協定あるいは関連
法案を批准しない、廃案にしていただきたい。そうするならば、われわれは二年や三年と言わず、いまより一そう
アメリカを苦境におとしいれて、われわれが希望するような返還をかちとることができる。少なくとも、今日のような返還ではない、今日のような屈辱的な、侵略的な
返還協定ではない返還をかちとり得ると、かように確信を持って、
沖繩の県民の二十六年間の長い苦しい戦いの経験を踏まえて、歴史家として申し上げることができる、かように考えております。
次に、関連
法案でありますが、公共用地の
暫定使用法案について
意見を申し上げさせていただきたいと思います。
関連
法案全部について、もし時間が許せば、私は、二時間でも三時間でも
意見を申し上げたいわけですけれども、国会の慣例とかで時間的な制約があるそうですから、公共用地の
暫定使用法案についてだけ申し上げます。
この公共用地の
暫定使用法案というものは、われわれ
法律家の常識から言いますと、全く憲法違反のかたまりのような
法律であり、近代法の常識からすれば、考えることのできないような暴案であるというふうに考えております。御
承知のように、
沖繩における軍用地の問題は決して昨今に始まったわけではございません。もともと
本土と比べての特色ということで申し上げますならば、一九四五年の六月二十三日に
日本軍の組織的な抵抗が終わりました。そのときに、
米軍は、
沖繩じゅうのすべての
土地を占拠したわけです。わずかに民間人が使用することを許されていたのは、北部にありました幾つかの捕虜収容所だけであります。金網で囲んで、そこに
沖繩の県民を囲い込んだわけでございます。その金網以外のところは全部
米軍が占領したわけであります。一九四六年の秋になりましてから、それぞれもとの市町村に帰ってもいいということで帰還を許されたわけですけれども、その場合にはすでに
米軍が
土地を囲い込んでありまして、
米軍に不必要なところは
住民が住んでもいいという形で軍用地の取得が始まったわけです。このような軍用地の取得は明らかにヘーグ陸戦条約に違反するものであります。その後、
朝鮮戦争が激化する中で新たな
土地接収が行なわれるわけであります。たとえば、一九五二年だったかと思いますけれども、真和志村銘苅の武力接収、五三年十二月の小禄村具志部落の武力接収、五五年七月の宜野湾村伊佐浜部落の武力接収、そして伊江島の武力接収という形が続くわけです。そういう中で、
米軍は何をしたか。たとえば具志部落の武力接収の場合でありますと、武装した米兵が出動してまいりまして、床尾板でもって農民をなぐる、ける、たたく、そして、たとえば伊佐浜の場合ですと、民家に火をつけて焼き払ってしまう、ブルドーザーでこわしてしまう。お墓をこわすものですから、人骨も出てくる。こういったいわば文明社会では考えられないような強奪、暴虐な行為を、そういういわば強盗行為をやってこの
土地を確保してきたわけであります。もちろん、事後に布令その他を出しましてこの事態を合法化しましたけれども、これはいわば銃剣をもって制圧しながらの契約でありまして、決して自由な
状態での契約ではないわけであります。
暫定使用法案は、御
承知のように、公示によって
土地の使用権を取得するということをきめております。これは、私に言わしめるならば
米軍のいま申し上げましたような暴虐行為を追認するものである、そして、布令による
土地収用をいわば
日本の国内法によって代用するものでしかない、こういうふうに考えます。かりに
日本政府が
沖繩の県民に対して日米交渉のいきさつをすべて公開して、その上で、
日本政府の力が足りなかったからどうしてもこういう協定しかできなかった、まことに申しわけないけれども、三万七千人の軍用
地主の
方々は
米軍に
基地を提供してくれないだろうかと、これが私はおそらく
日本政府のあるべき姿だろうと思います。ところが、そうはしないで、いま申し上げたように、
日本の非力のためにどうしてもこういう協定しか結べなかったのだ、がまんしてくれないかとお願いをすると、こういう
立場で
日本政府なり自民党がものをおっしゃるのでありますならばまだしも、
沖繩の県民は、そうか、しかたがないというふうに考えたかもしれません。ところが政府は逆に居直って、あたかも自分たちの功績であるかのようにおっしゃる。佐藤首相に至っては、
戦争で一ぺん失った領土を平和のうちに回復するのは世界史的な壮挙である、こういうことをおっしゃる。これは
沖繩の県民がどうしても容認できない。
この
暫定使用法案については、
法律的にもさまざまな問題があります。憲法の各条項に違反する。たとえば、憲法九条、二十九条、三十一条、三十二条あるいは九十五条、各条項にそれぞれ違反するということは、すでに
法律学者あるいは在野の法曹が指摘しておりますので、私は、これ以上繰り返しませんけれども、ただ申し上げておきたいことは、地積の確定すら十分にはできていないということであります。つまり、どこにあるどの
土地を、だれの所有の
土地を提供するのかということすらはっきりしていない。たとえば、私ども訴訟を起こしますときには、どこどこの何番地にある宅地何坪というふうに申します。そうしますと、登記簿謄本と公図がございますから、どの
土地かということが特定できるわけです。ところが、この
法案によりますと、要するに、たとえばイ、ロ、ハ、ニ、ヘ、トの点を結ぶ線というふうなことでおそらく公示がなされるはずであります。こういうふうな提供
土地のきめ方でもし裁判所に訴訟を起こす、あるいは賃貸借契約を結ぶということになりますれば、裁判所は、当然、これでは物件の特定ができていないと、こういうふうに言うに違いないわけです。御
承知のように、一九五一年に
沖繩では地積の測量が行なわれました。これは
戦争で公図や登記簿などの公簿が全部なくなってしまったからであります。しかしながら、当時の測定器具はきわめて幼稚でありましたし、測定技術も幼稚でありましたから、
琉球政府に聞きましても、あるいはまた軍用
地主連合会に聞きましても、現在の公簿、公図というのはきわめて不完全なものである、特に
基地の中の測量立ち入りができなければどうにもならないくらい混乱しているんだということを申しております。また、
沖繩では所有権喪失者というふうに言っておりますけれども、いわゆる公簿、公図漏れ、つまり一九五一年の地積測量のときに申請をしなかったために、あるいは申請ができなかったために、実際に
土地を持っていながら
地主としては登記されていないという
方々もたくさんあります。そうしますと、この
法案に基づく
土地の
収用というものはどういうことになるかと申しますと、
収用の客体すら特定しないままで行なおうとしている。これは賠償請求権の場合でも同じであります。つまり、
日本政府が二十六年の間に
沖繩の県民が受けたさまざまな損害、そういうものを全部調べ上げまして、そして、これは賠償請求できないもの、あるいはこれは賠償請求できるもの、あるいは賠償請求はできるけれども政治的な配慮から放棄するものということをきめたのではございません。何の調査もしないで、あらかじめ一括して賠償請求権を放棄するということをしているわけであります。それと同じように、
米軍に提供する
土地、
自衛隊に提供する
土地、それがどこにあって、だれの所有であって、何坪あるのかと、こういうことも確定しないままでこういった
法案を準備している。このことに対して、
法律家として全く非常識きわまるということを申し上げるほかない。
日本弁護士連合会の調査報告が最近出ましたけれども、この中でもこの暫定期間が
長期にわたる、あるいは五年にわたるというのであれば、それはもはや暫定ないし一時使用の域をこえて、不当に私権を侵害するものであるということを申しております。言うまでもなく、
日本弁護士連合会――日弁連と私ども申しておりますけれども、日弁連は決して左翼的なあるいは革新的な
立場の弁護士からだけなっているわけではございません。自民党の支持者もいますし、他の政党のそれぞれの支持者もいるわけで、あるいは無党派の人もいるわけです。その日弁連ですらが、
法律家としての常識に立って考えるならば、このような
法律はとうてい容認できない、われわれの
法律的な常識から逸脱するものであると、こういうことを言っているわけです。論をなす人によりますと、この
暫定使用法案は、法のもとの平等、憲法十四条に違反しないんだと、こういうふうに申しておりますけれども、しかしながら、それは、いわば
あとからつけた理屈でありまして、むしろ先に
米軍に対して何としてでも
土地を提供しなきゃいけないという
現実があって、それを合理化するためにさまざまな理屈をこねているんだとしか私には考えられないわけであります。
次に、
自衛隊の
沖繩配備の問題について
意見を申し上げます。
沖繩戦の中で、
沖繩の県民はさまざまな
被害を受けたわけでありますけれども、特に
沖繩の県民がいまなお記憶して忘れていないことは、
日本軍による残虐行為であります。たとえば壕に入っておりますと、
日本軍がやってきて、われわれがこの壕を使用するから君たちは出ていけということで、壕から追い出す。あるいは壕の中に赤ちゃんを連れてきておりますと、赤ちゃんが泣き声をあげますので、その赤ん坊を軍人が殺してしまう。飢餓に瀕している民衆からその食糧を
日本軍兵士が奪ってしまう。枚挙にいとまのないほどの事例があります。スパイの嫌疑を受けて虐殺された同胞もいます。
沖繩戦の中で
沖繩の県民がいまなお胸に刻んでおることは、帝国主義的な軍隊というものは決して民衆を守ってくれるものではないということです。具体的な知恵として言えば、
日本軍の近くにいたほうが生命身体の危険が倍加するということです。だからこそ
沖繩の県民は、ことしの六月に「琉球新報」の調査によりますと、四七%の
人たちが
自衛隊の配備に
反対しておるという調査結果が出ております。私は、
沖繩県民の一人として、このような
自衛隊の配備に対しては断じて
反対したい、かように思っております。
最後に、私は、ごく最近出版されました「サンデー毎日」に、「琉球新報」の社長の池宮城秀意さんが書いておる論文の一節だけ読み上げて、皆さん方の御参考に供したいと思います。御
承知のように、
沖繩には「
沖繩タイムス」と「琉球新報」というのが
二つの
現地紙として大きな
新聞でございますけれども、その片一方の「琉球新報」の社長の池宮城秀意さんです。表題が「だまし続けた「お上」へのこの根強い
不信感」というふうになっております。一節だけ読みますと、「国会での政府と議員との応答からすれば、そのようなことはないであろう、」――「そのようなこと」というのは、げたを預けて逃げ出すのじゃないかという不安感ということでありますけれども、――「そのようなことはないであろう、と考えるのが常識であろうが、
日本の政治と政府が必ずしも信頼できないというのが、過去の事実であったことを国民は十分に知らされているから面倒である。ことに、長い歴史の中で痛めつけられてきた
沖繩県民には「お上」というものへの信頼度がきわめて薄い。明治百年の時代に
日本政府とその役
人たちが
沖繩県民=
沖繩人の信頼を裏切る数かずのことをしたということ。それが大東亜
戦争一日米
戦争――
日本の敗戦から二十五年の間も脈々とつづいてきて今に至っているのである。それは
沖繩に限ったことではない、といわれるかも知れないが、
沖繩の場合、それが特別にひどかったということである。国会、その他の場での
沖繩問題の「もつれ」の根源が、そのような「歴史的」でかつ「心理的」なところに発していることを知るべきである。」、こういうふうに言っております。またこういうふうにも池宮城さんはおっしゃっておる。「外国、あるいは、自国の政府の「都合」で、
被害者になる
可能性のある国民の合意なしに「ことを決める」ということは現代においてゆるさるべきではなかろう。
沖繩国会での佐藤首相以下の政府答弁には、どこをとってみてもその場のがれの文句にしかなっていない。「どうせ、なってみればわかる。下手なことは言わないに限る」という政府の腹の底が見えすいている。「俺たちは三百余りの議席を持っているのだから、共闘野党がいくらじたばたしても、行きつくところは見えすいている」との態度は口にしないが、はっきりとあらわれている。」――こういうふうに「琉球新報」の社長の池宮城さんがおっしゃっております。これはおそらく
沖繩県民の心であるに違いない。
先ほどから
沖繩県民の心ということについて、
立場を異にするさまざまな方から公述がございました。先輩である瀬長さんの
意見も拝聴いたしました。しかしながら、自民党の推薦で基本的に賛成だとおっしゃっておる方でも、
沖繩県出身者の発言の中には何かしら言外に……。
沖繩の悲しみを訴えるような響きがあったことをお聞き取りいただけたのじゃなかろうかと私は考えております。
これで私の公述を終わります。