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華山親義君 ただいま
議長から御報告のありましたとおり、本
院議員堀田政孝君は、去る二十日逝去されました。私どもは、君がかねて病気のため御静養中と承り、御回復の一日も早からんことを心から祈っていたのであります。しかるに、不幸にも御本復を見るに至らなかったことは、まことに痛恨きわまりない次第であります。
ここに、私は、
諸君の御
同意を得て、
議員一同を代表し、つつしんで
哀悼の
ことばを申し述べたいと存じます。(
拍手)
堀田君は、大正六年、
東京に生まれ、長じて
東京帝国大学法学部に学ばれ、
昭和十五年、同校を卒業するとともに内務省に入られました。しかし、入省した翌年には召集を受け、三年余にわたり軍務について南方を転戦した後除隊し、
東京都の
事務官から、
終戦を間近にした
昭和二十年五月、
山形県に赴任されました。これが君と
山形とを結ぶ機縁となったのであります。
戦後一
たん退官の上、
昭和二十六年、
山形県
総務部長に迎えられて県政に当たり、戦後新たに発足した
地方自治の確立に努力されました。
山形県のごとき、財政に乏しく、
県民の所得の低いところにおいて、
地方の
発展と民生の
安定向上に精魂を傾けられたことは、いまなお、
県民の記憶に強く残るところであります。
やがて、君は
防衛庁に転ぜられ、
広報課長、
国防会議参事官、
教育局長などを歴任した後、
人事局長の要職につかれました。
その間、学究はだでありながら、かみしもがきらいな型破りの人として庁内の人気を
一身に集め、将来は
防衛庁を背負う一人として大いに期待されていたのであります。
しかしながら、多事多端な
内外の
情勢を静かに見詰め、深く
思いをめぐらしてきた君は、みずから
政界に入って
国政に挺身しようとのや
むにやまれぬ決意から、何のちゅうちょもなく官途を去られました。
そして、
昭和四十二年一月、
衆議院議員総
選挙が行なわれるや、「
政界に新風を吹き込もう。新しい情熱と姿勢で
政治に取り組もう。」とのスローガンを掲げて勇躍立候補し、健闘されましたが、善戦もむなしく惜敗されたのであります。
この
選挙戦の
あとをかみしめながら
選挙事務所を
あとにしたときの心境を、君は、御自身の著書「ひとすじの道」の中で、「外はまだ雪が降っていた。道も家々の屋根も真白だった。この日から、捲土重来を期する私の戦いが始まったのである。」と述べておられます。いかに君が牢固たる
決意をもって
政界に臨まれたかがしのばれるのであります。
そして、
昭和四十四年の総
選挙には、衆望をになって
みごと本院議員の栄冠をかちえられ、年来の宿願を達成されました。(
拍手)
君は、当選後、自由民主党に所属されましたが、本院にあっては、
内閣委員また
文教委員として、その豊富な
経験と知識をもって終始熱心に
国政の
審議に当たられました。
三月ほど前に、私と君とは、故郷の
山形へ向かう列車の中で隣合わせとなり、四時間ほどの間、そこはかとなくよもやまの話をしたのでありますが、その話の中で、私が
外交畑の
経験を持っているからでしょうか、
外交のことを聞かれました。特に、私が
終戦直後北京において目撃したアメリカの指導による
国共合作の経緯について興味を持たれたようでした。また、
日本の
政治経済の歩みの中で
農業を中心とする地域が取り残されることは、
政治のためであろうか、それとも避けがたい運命なのであろうかと、憂いをともにして話し合ったのであります。私は、この車中での会話を通じて、
堀田君が
国会議員として大きく成長するであろうことをかいま見た
思いがしたのであります。
第六十五回
国会には、病のため加療中の身でありながら、病院から登院して本
会議や
委員会に出席されたとのことでありますが、
在職期間は二年一カ月という短いものであったとは申せ、精励もって
議員の職責を果たされた君の
功績は、まことに大なるものがあったのであります。(
拍手)
思うに、
堀田君は、時の流れを見分ける
判断力の鋭さと、一たび
決意するや、その目的に向かって断固として所信を貫くき然とした性格の持ち主でありました。それゆえに、君の人生は曲折に富み、幾多の苦難を余儀なくされたのでありますが、何ものをもおそれず、わが道を邁進する気概こそ、
人間堀田政孝君の真骨頂であったと申せましょう。(
拍手)
また、その反面、
人間としての誠実さとあたたかさにもあふれ、いつも新鮮で若々しさを備えておられました。そして、君の夢は、一人でも多くの若人を集めて、農村の
未来像を描き、
日本の将来を憂え、そこに結集されたエネルギーを、
日本の、さらには世界の
政治、
経済の中に反映させることにありました。接する者だれしもが、まさに天馬の空を行くがごとき君の御活躍を願わずにはおられなかったのであります。
しかるに、天は無情にもこの人にかすによわいをもってせず、春秋に富む五十四歳の君を、卒然としてわれわれから奪い去ったのであります。
忘れもいたしません。去る総
選挙において、
山形の師走の雪空のもとで
選挙戦を争う中で、君は、病に倒れながらなお立ち上がって奮闘されたのであります。このとき以来、君はついに健康を回復することができなかったのでありますが、
一身を顧みず、最後まで
議員の責務を遂行し、職に殉じられたのでありまして、
政治に心身を燃焼し尽くされた君の崇高な精神には、強く心を打たれざるを得ません。(
拍手)
高邁な理想を抱きつつ、いよいよ
政治家としてその本領を発揮せんとして
いたやさきに、雄図半ばにして倒れられたことは、君の心情察するに余りあり、痛恨の情ひとしお深いものを覚えるものがあります。(
拍手)
今日、
内外の
情勢を思うとき、君のごとき
政治の
使命感に徹した前途ある有為の
政治家を失いましたことは、国家のため、
国民のため、まことに大きな損失であると申さなければなりません。
ここに、つつしんで
堀田君の生前の
功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、
追悼の
ことばといたします。(
拍手)
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中央更生保護審査会委員任命につき
同意を求
めるの件
公安審査委員会委員任命につき
同意を求める
の件
日本銀行政策委員会委員任命につき
同意を求
めるの件
社会保険審査会委員長及び同
委員任命につき
同意を求めるの件
電波監理審議会委員任命につき
同意を求める
の件
公共企業体等労働委員会委員任命につき
同意
を求めるの件