○田中恒利君 私は、
日本社会党を代表して、ただいま辻原弘市君によって
提案されました本院副
議長荒舩清十郎君の
不信任案に対し、
賛成の
討論を行なわんとするものであります。(
拍手)
去る十一月十七日午後三時十五分、
沖繩返還協定特別委員会において突如発生したできごとは、まさに、問答無用と言わんばかりの、力の政治をむき出しにした自由民主党の不法、不当の
暴挙であり、安保、日韓に引き続き三たびにわたって
わが国議会史上に最大の汚点を積み重ねたできごとであります。(
拍手)
この日、わが党楢崎
委員によって、岩国
基地に核が
存在するとのきわめて重大な疑惑が提起され、これをめぐっての質疑の続行中に
政府・
自民党が答えたものがこの
暴挙であったことに思いをいたすとき、追い詰められた権力支配者がしばしば用いる、答えず、見せず、言わせずの実体をまざまざと見せつけられたのであります。(
拍手)これはまた、いみじくも、この
沖繩返還協定こそ、核隠し、本土の
沖繩化と
主張し続けたわが
日本社会党の正しさを立証したものといわねばなりません。(
拍手)
真実はきわめて単純であり、かつ、明快であります。
国民の多くは、テレビカメラを通して、
沖繩返還協定特別委員会において何が起こったかを
承知しているのであります。(
拍手)その事実は
何人も否定することはできません。
自民党青木
委員の緊急動議なるものは、何度聞いても「
委員長」という一言しか聞こえないのであります。あとは、わあっという与野
党委員の喚声と、上を下への大騒動が写し出されているにすぎないのであります。幾ら
櫻内委員長が耳ざとい人といえ
ども、この間に質疑が打ち切られ、起立多数の
採決が行なわれたとはとうてい思えないのであります。児童会や生徒会の運営を経験した小学生、中学生でも、いなと答えるでありましょう。この
暴挙に怒りを込めた
国民大衆の抗議の渦巻きが院内外をおおい尽くしたのは、当然であります。翌々日の十九日夜、日比谷公園を中心に繰り広げられた過激派集団の火炎ビン闘争と
本質的には何ら変わらないできごとといわねばなりません。(
拍手)
櫻内委員長が地獄耳の一番手なら、さしずめ、
船田衆議院議長と荒舩副
議長は、早のみ込みの名手であります。
委員長報告に寸分の疑いも示さず、
手続は完全であり、合法的なものとして、野党の差し戻し
要求を拒否し、あまつさえ、あっせんと称して、この不当なできごとを合法化するため野党分断の挙に出、その道具に、事もあろうに、院の
決議は
各党の完全
意見一致を必要とするとの多年にわたる慣例を放棄したのが、十一月二十四日の
議長職権に基づく本
会議の
強行でありました。
自民党が行なった茶番劇を、
国民の負託にこたえるべき
国会の名によって正当化せんとする姿は、まさに多数横暴、
議会ファッショ化を示すものであり、断じて容認しがたいのであります。(
拍手)しかも、それが
船田議長と荒舩副
議長の
職権乱用によって行なわれたところに、本
不信任案に賛同する最大の
理由があります。
副
議長荒舩清十郎君は、かつて、朝鮮民族の
悲願である南北の統一を阻害する日韓条約の
審議に当たる
特別委員会において、二度にわたって、
与野党合意の
委員会運営をくつがえす緊急動議の
提案者であり、このため同
委員会を
混乱させ、日韓
強行採決の糸口をつくった人であります。日韓条約は、やがて本
会議において、当時の
船田中
議長によって、わずか四十五秒の間に、電光石火、可決されたのでありますが、との両君がコンビを組んで、いままた、一度にこりず二度までも、日韓
国会にまさるとも劣らぬ
沖繩返還協定の
強行採決を容認したことは、
議会制度の根幹をゆるがすものであり、天人ともに許しがたいことであります。(
拍手)
副
議長は
議長の補佐役でありますが、そのよって立つものは、
議会制
民主主義の基盤であります。そこでは、言論の自由が保障され、
審議の徹底が期されねばなりません。その衝に当たる
議長と副
議長は、いやしくも一
党一派に偏することなく、不偏不党、公平厳正の態度が求められるのであります。しかるに、十一月十七日から二十四日に至る間のできごとは、いずれもこの期待を裏切り、いかに抗弁されようとも、あらかじめ
政府・
自民党によって計画されたコース、すなわち、十一月二十四日までには
沖繩返還協定を
衆議院において成立させることによって、
参議院の
審議いかんにかかわらず
自然成立を期すという独断専横のスケジュールを、
議長、副
議長の
職権を利用して突っ走ったというにすぎないのであります。
国民を愚弄し、
国会の
権威をそこなうものこれより大なるものはないと申しても過言ではありません。
かくて、
存在し得なかった
採決が
存在したと言われ、不法、不当が正当化され、法規に基づく
成規の
手続、
慣行を無視した議事運営が公然と行なわれるという
事態を招いたのであります。その
責任は重く、あげて
政府・
自民党と、その出先としての
議長と副
議長が負わねばならないことは当然であります。(
拍手)
副
議長荒松清十郎君は、かつて
佐藤内閣の運輸大臣として選挙区内における急行列車の停車駅問題を起こし、
世論の糾弾を浴びて退任を余儀なくされたことは、いまなお記憶に残るところでありますが、今回新たに、列車停車どころか、
議会制
民主主義の根幹をゆさぶる、言論
そのものを制限、封殺せんとする役割りを果たしたことは、まさに
不信任に値するといわねばなりません。(
拍手)
さらに、私は、この
強行採決をめぐる一連のできごとは、重大な真実を
国民の目からおおい隠そうとするものであることをおそれざるを得ません。岩国
基地の
核兵器問題で
政府追及中のわが党楢崎質問を途中で封じたこと、さらに、
安里、
瀬長両君の
沖繩の声を封殺したことなどがそのあらわれであります。
あの
強行採決に至るまで
沖繩返還協定審議に費やされた時間は、わずかに二十二時間五十分であります。六年前の日韓条約については三十三時間余り、十一年前の安保条約には実に百三十時間四十六分を費やしているのでありますから、どこから見ても
審議不足はいなめない事実であります。
あらかじめ予定されていた
現地沖繩における公聴会、関係
委員会との連合
審査、
参考人の
意見聞き取りなど一切が行なわれず、この日のために国政参加選挙によって選ばれた
沖繩選出議員の声すら無視されたり、聞き流されたり、拒絶されたり、逆にこれを利用するかのごとき動きすら見せたことは、きびしく批判、
反省を求めねばならないところであります。(
拍手)
皮肉にも、
強行採決が行なわれたその日、全文百三十二ページに及ぶ
沖繩建議書が屋良主席によって本土に届けられたのでありますが、
衆議院は、この
沖繩の声をすら黙殺したのであります。
そこには、二十六年の長きにわたる異
民族支配下にあった
沖繩県民の
祖国復帰への
要求が、核も
基地もない平和な島、
沖繩の即時無
条件全面
返還であることを明らかにしているのであります。日米共同声明に裏打ちされた
佐藤総理のいう核抜き本土並みの
返還協定には疑問が多く、不満であることを訴えているのであります。広大な
米軍基地とその軍事機能の意味するものが、
沖繩をして
アメリカと自衛隊の極東戦略体制の中心に位置づけ、
県民生活を
基地依存型に固定化するのではないかとの疑問が提起され、
沖繩米軍基地にある
核兵器の確認とその撤去の方法、請求権の放棄に伴う、
日本政府が
沖繩県民に負うべき補償義務の基準、範囲、期間、さらには、
米軍基地の規模と様態、縮小の具体的スケジュール等々が、
復帰をめぐる
県民要求としてきびしく指摘をせられているのであります。
政府と
国会は、まず何よりもこの声にこたえねばならない
責任と義務があったのであります。
衆議院は、
強行採決という不当、不法な手段によって、この
責任を果たすことなく、
沖繩県民と全
国民の声を封殺したのであります。それは、この
返還協定の正体が明らかになることをおそれた
政府・
自民党によって隠され続けてきたということであります。
世界は、
中華人民共和国の国連
復帰を軸に、大きく変わろうとしております。
アメリカの極東支配体制の動揺と後退が激しく表面化している中で、
佐藤内閣の
沖繩返還協定には重大な
誤りがあることを指摘し続けたわが党の
主張に何ら答えることなく、
強行採決の
暴挙をもってした
政府・
自民党の政治姿勢は、やがて歴史の審判するところとなるでありましょう。(
拍手)
わが国をめぐるこれら内外のきびしい激動の渦中にあって、国権の最高機関としての
国会にあって、
衆議院副
議長の要職にある
荒舩清十郎君が、国運の将来を決定づける
沖繩返還協定の
審議にあたり、いたずらに
政府・
自民党の走狗と化し、
沖繩県民の期待を裏切り、
国会における民主的討議を注視していた
国民に向かってまさに目つぶしともいうべき
暴挙を容認した、その
責任の
重大性を重ねて指摘し、この際、残された
議会人としての道を全うするため、その
責任を明らかにし、いさぎよく
誤りを
誤りとして認め、その職を去ることこそ
唯一の道であることを信じ、あえて苦言を呈した次第であります。
以上をもって、私の
不信任案
賛成の
討論を終わります。(
拍手)