○山中国務大臣
沖繩の農林漁業、一次
産業でありますが、これの
ウエートは
本土に比べて高うございます。しかしながら、
琉球政府の長期
計画ではそれが相当減っていくようなふうに書いてあるわけであります。私は
沖繩本島においてはそういう傾向になっていくのもやむを得ないだろうと思うのであります。しかしながら、
沖繩本島においても南部地域あるいはその他の地域についても都市近郊の農業形態というもので非常に土地収益性の高いものに切りかえていかなければならないし、それを織り込んでいかなければならないと思っております。またキビ、パイン等も基幹作物でありますから、これはやはりキビについては地域作物にはたして農業災害補償
制度が適用できるかどうか。となると、今度は奄美大島のキビまで含めて
考えなければなりませんし、そこらのところをいま検討しておりますが、干ばつになって生産者は手取りはもうほとんど皆無だ。普段なら八トンから七トンとれる圃場から全くとれないし、とれても一トンぐらいだというような
状態のときに、問題は幾ら生産者価格を引き上げてきめましても、農家の手取りというのはキビがないわけですから、そうするとそれは救いにならないということ等もありますから、これは今後やはりそういう基盤整備なりあるいはまた畑かん等のダム建設なり伏流水のくみ上げなり、こういうようなことでいろいろと条件も整備していかなければなりませんが、本島は別として、その他の離島においては、これはもうキビ、パインを
中心とし、やがて畜産、肉用牛を組み合わせた
生活というものを捨てたら、ちょっと離島の
人たちの
生活設計というものあるいはまた離島の未来図というものはかけない。どうしてもやはり農業というものを捨てることはできない。したがって、農業の
構成人口が減っていくことは、これは先進国型になるわけでありますからいいとしても、やはり
沖繩本島を除く離島においては、農業というものは相当
振興策を積極的にとっていかなければならぬと思っております。
それに、
沖繩は漁場の中に島があるという感じでありますけれ
ども、遺憾ながら漁業のあり方はまだ近代化されておりませんし、漁船もくり船と呼んでおるような小型な、非常に操業海域の狭い小さな船が七〇%も占めておりますから、これらについては、先ほ
ども触れましたように二歩五厘という超低利の金でもって大型化、近代化をして、少なくとも目の前にある漁場から
沖繩県内の自給自足はもちろんのこと、
——いまは
本土から魚がいかなければなりませんから足りません。したがって、
大衆魚介類でも一〇%、高級生鮮魚介は二〇%の物品税がかかって庶民の手に届くというような
状態は、これはやはり
沖繩の置かれた海洋県という立場から放置できない問題でありますから、私としては、一次
産業のうち農林漁業というもの、ことに農業、漁業というものには相当大きく援助をして、そしてそれによって立ち上がる道を与えませんと、
沖繩本島を除く島々はいよいよ急速度に過疎への道を歩いていくおそれがあるということを
心配しておりますので、農林漁業については十分の
振興策を講じていきたいと
考えます。
造船、石油化学は、もうすでにガルフ、エッツ、東洋石油等、現在の施政権下でできてしまっております。しかもそれは非常に巨大な量のものであって、とても島内需要、県内需要というものを当てにしたものでないことは当然でありますから、したがって、通産省等の石油業法等の中に入ること、いわゆる
本土の制約を受けることを条件等にして一応認可というものを
琉球政府がしたようでありますけれ
ども、今後私としてはあまり
沖繩には石油
——CTSだけならまだよろしゅうございますが、精製から石油関連の
産業というものをそう積極的に実はあまり進める気はございません。むしろそれよりも、公害をあまり出さないで
雇用労働力に非常に貢献する造船業というようなものあるいは弱電
産業等は積極的に推していかなければならぬものだと私は
考えております。造船については、川崎重工がドル・ショックによって
進出を一応断念したという表明を最近運輸省にいたしまして、私もショックを受けております。しかし一方、
現地側においても糸満造船所なり
那覇のそういう造船
関係者等が自分たちでやっていける
規模の造船所をつくりたいという意向がありますから、そういっても五千トンクラスのものまではやるということでありますので、こういうものは積極的に、既存
産業の育成、そして
雇用事情への貢献ということで進めてまいりたいと思います。
また、海洋博等がいよいよ本ぎまりになってまいりますと、これが
沖繩にとって一つの観光立県という柱になりますように、済んだ
あとは取っ払ってしまうというようなことにならないように、そして積極的には世界の人類がい
どもうとしている海洋
開発の拠点にもなり得るように、そういう文化的な学術的な角度からも
沖繩海洋博が
沖繩の
資産として、目に見えないもの、そして有形の観光立県の柱になるようにという
配慮をしつつ
沖繩海洋博というものに進んでまいりたいと
考えております。