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宮城参考人 過度の
喫煙というものは身体の健康に害があるか、こういわれますと、私はおそらくそうであろうかと思います。過度というのは、いかなる場合においても害をもたらすからであります。しかし、私は心理学者といたしまして心理学をやっておりまして、しかも精神医学を専攻した医師といたしまして、この側面からこの問題を
考える余地があるということ、そういう側面から
考えますと、
有害表示の
有害性も
考え得る、こういうことについてちょっと問題にしてみたいと
考えるわけでございます。
こういう問題を問題にいたしますときにいつでも問題になりますのに、一番
最初に、お配りしたものに「二種の分類」というのを書きましたが、二つの分類を混同するということがあり得るかと思います。皆さん方のところではそういうことはございませんと思いますが、犬、ネコという分類があります。民主的、非民主的という分類があります。これを混同する。犬、ネコの場合は、そこに来たのが多かれ少なかれ犬的だとかネコ的だということはありません。犬かネコかどちらかである。ところが、理想概念の場合には多かれ少なかれであります。民主国だ、非民主国だとは言いません。そういうわけでありまして、この点を
考える必要がある。つまり有害だということは、有害必ずしも有益を含まないという
意味ではない、こういう
意味であります。
二ページを見ていただくとその問題が出てまいりますが、有益及び有害というのは、完全な有益、完全な有害というのは理想概念、極限でありまして、実際はそういうものは世の中にはきわめて少ない。鋭利な刃物、これは害を与えますが、役に立つ。毒というものは薬にもなり得るわけでございます。より有益なものを妨害するものが世の中にはありまして、これを消極的有害、より有益なものを妨害する場合があります。あるいはより有害なものを避けることを可能にするものがありまして、これを消極的有益ということができるかと思います。
たばこというのが消極的な有益というものを持っているということが、これが次に問題にしたいことでございます。
非常にわかりやすいように次の三ページを見ていただきますが、ここにこんな図を書きましたが、わかりやすいように「栄養過多」と一番右に書いてあるものから問題にいたしましょう。これは私は精神的なものに
関係がある場合があると思います。きわめて簡単な例といいましょうか、身近な例を問題にいたしますと、評論家だった大宅壮一さんが非常に健康を害した。これは口さみしさから、
たばこを吸いませんので、ピーナツばかり食べていまして、非常にふとり過ぎというものを起こしたわけでございます。これは栄養過多ということを引き起こした例でございますけれ
ども、精神的なものでも、多かれ少なかれこういった精神的なものが
関係した不健康というものはあり得るということが言い得るかと思います。特にたとえばいろいろなテンションが高まる、緊張が高まっている、それを弛緩しようというような
人間、あるいは劣等感を克服しようという傾向がいろいろな
人間にありますが、これがしばしば攻撃的な傾向を持ってあらわれます。ちょうどいまの栄養過多であらわれたように、攻撃性を持ってあらわれる。そして犯罪、特に麻薬におもむきやすい。
たばこはこれを緩和する役割りをしているということは当然
考え得ることであります。これは犯罪やいろいろな例を申し上げないといけないかもしれませんが、少なくとも麻薬の代用になっている。そしてその
たばこを持たないところの種族で、麻薬がある
程度はびこっているなどという例は、これを示すことであります。
さて、そうしますと、過度の
喫煙というのは健康を害すという
表示はどうか。これは消極的利益を、いまのように麻薬にいくとか犯罪にいくとかいう、そういうようなことを防ぐ消極的利益を持っている、それを無視させるばかりではありません。
この四ページに、
表示の効果というものを羅列いたしました。
一つは、教育的、これはこういう
肺ガンを起こしますよという指示を与えることです。それからもう
一つは、気休めと申しますか、ややおまじない的要素を持っている。気休めのために
表示をする。第三は、おどしです。スレットアピールと申しますが、おどかして、
肺ガンになりますからというので、おどしの
意味を持つ。この三つの
意味を持っているかと思います。
ところで、過度、有害というようなものは感情的要素がありますので、どうしても気休めであるかおどしであるかという傾向をとりやすい。単なる指示ではないという要素があるかと思います。ところで、いまの一番最後にありましたおどしのスレットアピールのほうでありますが、これは
実験的
研究がありまして、過度のおどし、スレットというものが逆効果を示すというのが
アメリカでもって
実験的に示されているのであります。それから逆効果にならない人、むろんありますが、逆効果にならないような人ではおまじない的
意味しかないということになると、はたしてそんな
表示というのが、それほど
意味があるのかどうかということが明らかになりましょう。
そればかりではありません。ここで
喫煙者の場合をとって
考えますと、
喫煙者の場合は、
喫煙したいという欲求がある。あるにもかかわらずやめられない。これは欲求とそれに対するブレーキ、これは心の中でコンフリクト、葛藤を起こします。これは五ページのところでそう表を書きましたけれ
ども、こういう葛藤を起こします。それはノイローゼの原因になるということは当然言い得ることであります。ノイローゼというのは、むろんこれは先ほど申しました理想概念でありますから、すべての人が医者のところに行くようなノイローゼを起こすとは限りませんが、多かれ少なかれノイローゼ的になる、不安を持つということは確かなことであろうかと思います。
それでは、今度は六ページに参りまして、「
たばこの精神衛生的効果」と書きましたが、つまりこれは、社会心理的には何かプラスがあるかどうかと申しますと、いまのようなより有害なものを防止する、このほかに、社会生活の潤滑化、あるいは苦痛なき税金による心身症の防止、一応こう書きましたが、そういった税金などというものが心身症の原因になる。つまりぜんそくとか
胃かいようとかいうものの原因になるといわれておりますが、こういったようなものを少なくするのに役立つということは当然
考え得ることでありまして、そういう社会的にいった場合に、肉体的健康にもプラスになる要素があり得る、こういうことが言えるかと思います。
その次のページには、青少年と
喫煙問題を問題にしておりますが、これはあとで御質問がありましたときにまた問題にすることにいたしまして、最後の
結論のほうに入りたいと思います。
有害表示というものは、第一に画一的に行ないます。したがって、精神的な有害になる可能性を含んでいる。これが第一の点でありましょう。
それから第二に、先ほ
ども吉田参考人が申されましたけれ
ども、教育的
方法、これが非常に必要なことであります。下世話なことばでいいますと、教育的
方法のしりぬぐいというものがこの
表示にあらわれていることはなかろうか。無害な吸い方はこうだ、あるいは、こういうものを吸ったらこうだ、あなたのからだにはこれがいいということを教えるべきであって、それを画一的に
表示だけで間に合わすのは、おまじない的な気休めでなければ、そういうおどしであると言ってよろしいかと思います。
第三に、日本人の性格、これは私が最近
調査をいたしたりしたのでありますが、何といってもイモーショナル――パッションとイモーションということばがありますが、情動的、かっとなりやすい、そういう傾向がありまして、しんねりむっつりといつまでもあることを追求するパッションというものが少ない、そういうかっとなる性格があるわけでございます。やれこうだということになりますと、これは悪い悪いということになりますと、みんながなるほどそうだそうだということになりやすいのでありますが、これとアングロサクソンのような
国民性とは非常に違っております。アングロサクソンなんかでは、全面的禁止だってことによったらできます。かつて、いまも
お話のように、禁酒法をも通した、そのくらいですから、それができますけれ
ども、
わが国ではこれは不可能であろうというように
考える次第であります。
この日本人等の性格のことは、あとでまた御質問がありましたら問題にしたいと思いますが、要するに、こういったような問題を
考えて申しますと、そして私の
立場だけから、つまり心理的な、精神医学的だけから
考えますと、プラスを含んでいるにもかかわらず、こういうような
有害表示をするということは、これはやはりマイナスを持っているのではないか。
有害表示をしろという方々の健康への非常な熱意というものには敬意を表しますが、この健康というものは、精神的健康をも含めていただきたい、こう
考える次第でございます。
あとでまた問題にしたいと思います。