○渡部(一)委員 私は、末席にこうして
質問する前に、
質問するチャンスを与えていただきましたことにまずお礼を申し上げたいわけでありますが、この
議論を進めるにあたりまして、深い遺憾の意を表さざるを得ないのであります。
十七日の日、同僚の楢崎君の
質問の途中に、午後の三時十五分、本
委員会において
強行採決が行なわれました。この
やり方というものに関しては、私
たち末席にすわっている者にとっては、声も聞こえなければ内容も不明であるという
状態のままに、後ほど御説明によれば、
返還協定に関する採決を終了したとのことであります。
私は、まず
委員長に対して、はなはだ深い遺憾の意を表さなければならないのであります。
委員長は、従来、本院においては、むしろ自由民主党員の中にあって人格者をもって呼称された方であります。少なくとも
議会民主主義の本道というものが何であるかは百も
承知であり、重々わきまえておいでの方であると私は信頼もし、尊敬もしておった一人であります。
また、
強行採決のきっかけをつくった青木君は、あえて名前を言うのでありますけれ
ども、これまた有識の方であり、その今日までの経歴を
考えてみるに、
議会民主主義がどれほど大事なものであるかということは百も
承知、二百も
承知のはずであったはずであります。それなのに、何たる暴挙であったか。私はこれを
考えるときに、血の逆流する思いを禁ずることができないのであります。
議会民主主義というものが、
自分の意見を一方的に相手に押しつけるものであるならば、
議会民主主義は要らないのであります。それは暴力で応酬すればよい。機関銃を撃ち、大砲を撃ち、射撃し合い、殺し合えばいいのであります。あえてそういうところはとるまでもない。政治が何で
議会民主主義を今日まで発達せしめ、それを最高の権力を取り扱う方法として採択したかというならば、言うまでもなく、
議会民主主義の中に、最も犠牲を少なく、最も大衆の動向を察し、最も大衆の意見を的確に把握する、そういう制度として最も優秀であると認めたからにほかならないのであります。しかし、その制度は、単に
自分がそれを制度として自由かってほうだいに悪用することを続けるならば、その制度自体は崩壊に瀕するわけであります。
議会民主主義の名をとりながら、今日に至るまで幾たび世界の歴史の中で
議会民主主義が崩壊し、
議会民主主義の名をかたりながらファッショ政権が登場し独裁化が横行したことでありましょうか。われわれはそういうことを断じて許してはならないのであります。
私は、先ほど
総理がお話しになりました中にも、はなはだ挑発的な言辞があったことを悲しむものであります。
総理は、あの
民社党の同僚議員に対して何と言われたか。
議論が
平行線になったら、この
平行線になった
議論にケリをつけるために断を下すしかないと、こう言われました。そして、その断というのは、横暴なる採決をもってあらわれたのであります。このような挑発的言辞を私は許すこと自体が、本院の名誉に対する重大な挑戦であり、侮辱であると言うしかないと思うのであります。
私がこのような初歩的な
議論をあえて申し上げる理由は、少なくとも
議会民主主義というものをわれわれが一番大事にしなければならないいまの時点であります。私
たちは、
沖繩県民の問題を扱い、そうしていま取り扱われているものは、
沖繩県民だけでなくて、
日本の将来すべてをここに論じているのであります。少なくとも
日本がこれからどういう国家にならなければならないか、ここでは
議論が続いていると思うのであります。その問題を取り扱う際において、かくのごとく
議会民主主義の崩壊を来たすような暴挙というものは二度とあっていいものではない。
私は、
国会に登場さしていただいたのは、足かけ四年前であります。しかし、それ以前から本院の
議会民主主義というのは崩壊を続けてまいりました。安保
国会しかり、日韓
国会しかり、そうして社会保障に関するさまざまな法案に対する採決しかり、防衛二法に対する採決しかり、常に
議論というものは徹底的に行なわれず、秒読み、時間読みスケジュール闘争が行なわれ、そして
最後は、何ら重厚なる
議論が行なわれないままに、いきなり
強行採決が行なわれるというような悪いパターンができ過ぎてしまいました。もうこういうようなばかばかしいパターンというものを、こういうものを二度と後代に伝えてはならないということこそ、われわれが肝に銘じて
考えるべきことではないでしょうか。私は、少なくともその
反省の中から立つのでなければ、私
たち共通の地盤というものが全くなくなってしまう。
あとはいたずらに暴力へ暴力へと走る風潮に、われわれ自体がその暴力を肯定する作業をすることになると思うのであります。
表に、最近は爆弾事件が続いております。火炎びん闘争が続いております。その問題について、
総理も、あるいは尊敬すべき閣僚の各位も、しばしば批判のおことばを述べられました。しかし、暴力にかわる政治体制が
日本にいまあるのかどうか。その批判に対する反批判にこそ私はこたえなければならぬと思います。いまその問題を
考えますときに、
国会に行ったってしょうがないんだ、
国会ではねたってサル芝居なんだ、
国会の
議論は何を言ったって同じではないか、われわれが腕力をふるい、火炎びんをふるうしかないではないかという青年の叫び声にどうしてこたえることができましょうか。私は、十一月十七日の三時十五分という、このそれこそ汚辱に満ちたるあの
強行採決は、二度と、本院の品位を傷つけるものとして、これは絶対に阻止しなければならない
やり方であると思います。
私はきのうタクシーに乗りました。タクシーの運転手さんがこう言っておりました。十七日から二十二日までの間の五日間、その間本気で
議論をやったら、
議論はほとんど片づいたんじゃないでしょうかと、そのタクシーの運転手さんは言いました。本院において
審議された時間は、総合計してみますれば、
沖繩返還協定についてはわずか二十三時間四十四分と記録されております。寝ないで
議論すればまる一日です。そして、空転したこの日数というものはすでに五日間であります。この五日目の本日を迎えるにあたって、何でこんなむだをしなければならなかったのか、私はもう一回こうした声なき声の庶民の叫びに対して、政治がこたえる
責任があると思います。何でこんな妙なことをしなければならないのか、何でこんな意地の張り合いをしなければならないのか、私は
考える必要があると存じます。そして、いたずらな挑発的なこういうパターン、そして衛視に囲まれながら退場された
総理の心境と
委員長の心境に対して、私はもうそれこそさげすみを覚えずにはおられないのであります。なぜかといえば、
議論の府であるこの
国会の中で、腕力によって守られ、腕力によってその意思を貫徹したという事実は、あなた方の政治的生命に重大な影響を与えるだろうからであります。私は、それは議員としての資格を放棄するものであったとしか断ずることはできません。
また、今回の
強行採決はあまりにもひど過ぎた。日韓
国会ですらも
審議時間は十日でありました。しかし、今回は足かけ七日であります。あの日韓
国会ですら、
審議時間は三十三時間を記録しております。それに対して、今回は二十三時間四十四分であります。
総理は日韓
国会には十回お出になりました。そして今回はわずかの六回であります。
質問者は、あのときですら十五人なのに、今回は十人、関連
質問を含めて十二名であります。安保を論じるならば、六十年安保のときでさえも、
審議時間は三十七日、時間は百三十時間四十六分、
総理の
出席は三十三日間にわたったといわれております。
質疑者は四十六人であったと伺っております。
沖繩問題はいままで長い間
議論されてきました。総合計すれば二百時間にも及ぶ
議論が行なわれていると聞いております。しかし、
協定が出されてからのこの
議論はわずか二十三時間。少なくとも
日本の運命をきめるものが、こんな
やり方でよかったのか。私は、
日本国民の前にわれわれがこたえなければならないことはあまりにも多過ぎると、もう一回申し上げたいと思うのであります。
私は
総理にも重大な
反省を求めます。私はテレビで、
総理が衛視に囲まれながら退場していく姿をじっと見ていました。
総理はうすら笑いを浮かべておられました。私はそのときに、あなたは何もわかってないな
あと、もう腹の底から感じないわけにいきませんでした。
総理、私は
総理のことを頭からけなしているのではありません。少なくとも本院が
国民にこたえるという原点に戻らなければならぬという点については、
総理もおそらくは共感されることと私は思います。
私のきょうの
質問は、単なる
質問というよりも叱責であります。そして私
たちは、もう一回この本院における
委員会の
審議を常態に戻すためには、私
たちの理性がもう一回常態に戻らなければならないと思います。少なくとも、人類が数世紀にわたってつくり上げたこの英知であるところの
議会民主主義というものを守るためには、それこそわれわれは血のにじむ思いを今後もしなければならぬと思うのであります。
総理は、単なる
総理ではなく、自由民主党の
総裁であります。そして私は、
総理の
あとを継がれるところのたくさんの次の
総理、またその次の
総理、おそらくは
日本の政界に重大な影響を持つであろう自由民主党の
皆さん方に申し上げておきたい。二度とこんなことはあってはならない。少なくとも、論議が
平行線ならば断をたれなければならないなどというような暴言を吐くなんということは、
総理としてあるべきものではないと私は申し上げたい。私は
総理に
反省を求めます。こんなことでいいんでしょうか。こんなことで……。
私
たちはここのところに同僚議員の空席を迎えております。この座席を見ていただきたい。私
たちは、選出された数百人の議員は、全
国民からの負託を受けてここへ登場いたしました。ここで扱われているものは全
国民の主権であります。そして、それを代表して選ばれた者
たち一人ずつが、その主権について十分に討議をし、十分に
議論することこそ、われわれの大きな使命であったかと思うのであります。しかし、その主権を取り扱うには、代表者の数が足らないのであります。この社会党議員の席を見ていただきたい。この声なき声を見ていただきたい。私
たちは、彼らの意見を封殺してここへ入れることのできなかったわれわれというものに対して、無力感を感じないわけにはいかない。私は、できることであるならば、本院において
ほんとうに、意見の対立はあろうとも何をしようとも、この
審議だけを尽くすというのがたてまえだと思います。そして、そのために私
たちは全力を尽くして戦います。しかし、
結論はこういう
結論になります。
私の座席はあの一番
最後部でありますが、
最後部の一番かどの、曲がりかどのところには
安里積千代君の席があります。彼は沖繩を代表してここにやってきました。そして、
瀬長亀次郎君の席はこのうしろにあります。彼らは両名とも欠席せざるを得なかった
事情を私は察してやるべきだと思います。
沖繩県民は、どれほど大きな真心と愛情を込めて、多くの期待を込めて、そして、異なる政見を五人の代表に託して本院へ送ったのであります。しかし、その代表のうち、すでに二人は欠けました。そうして、彼らの空席は何を物語っているか。本院の決議というものが沖繩の心を
一つも理解していなかったということを、彼らはその欠席をもって意思表示をしているのであります。私はこの席におる者として、この二人の欠席を重視せざるを得ない。少なくとも、あの二人にしゃべらすことすらできなかった
日本のこの
議会民主主義というものに対して、私
たちはもう一回
反省をするべきではないでしょうか。
各党の意見の対立、
各党のさまざまな意見の対立というものがあるのは当然のことであります。意見の対立は当然でありながらも、その意見の対立が
沖繩県民の傷ついた心をさらに傷つけたという重大な事実に対して、われわれはいかに
考えたらよいのか。私は、それに対する大きな
反省と謝罪があってしかるべきだと思います。
そして、この大きな空席をかかえたまま、本院は
協定委員会の続行をしようとしているわけであります。しかし、
協定委員会における信頼は失なわれ、そうして本
協定委員会における無数の前提が傷つけられたままであります。参考人を招いて意見を聞こう、こういう約束も確かにできたはずでありました。
審議は十分に尽くす、
質問時間は制限しないでやろうと取りきめたこともまた打ち破られました。要求資料は全部提出する、
政府は何回もそう申しましたけれ
ども、その要求資料もことごとくまだ出ておりません。そうしてまた、他の関係
委員会との
連合審査を行なうことも決定しながら、その約束も破られました。なかんずく、
沖繩現地における
公聴会は、たび重なる要求にもかかわらず、とうとうこの
公聴会を開くことが不可能になりました。
沖繩県民の心というのは、平和を願う心であり、自治を願う心であり、人権を尊重する心であると、ある沖繩の方が言われました。私は、
沖繩県民が平和憲法にあこがれて、
日本国に
ほんとうの信頼を持とうとしている直前にあたって、この
返還協定の
審議のあり方は、彼らのかすかに抱いた期待をむざんに打ち破るものであったことを私は悲しむものであります。
返還協定委員会のあり方というものが、今後の本土の沖繩政策のすべてを象徴するものであると、沖繩の方々はきっと受け取られることでありましょう。この悲劇的な
事態を回避するために、私
たちは本
協定委員会に
出席してまいりました。空白
国会に終止符を打ち、
審議を再開し、少なくとも、ここにおいて沖繩のすべてが論議され尽くされたという実績をつくるために私
たちはやってまいりました。そして、私
たちの態度は前後一貫していないのであります。矛盾だらけであります。
議会民主主義を打ち破った自由民主党になぜ協力しなければならないかという批判は、たくさん聞こえてまいっております。私
たちはその多くの批判の中にここにやってまいりました。それは、
沖繩県民の少しでも慰めになり、
議会民主主義に対する一歩前進になればという、つらい気持ちを抱いてきょうはこうして立っているのであります。
私は、先ほどからひとつもおもしろくはない、憂うつな、憂うつな重苦しい感じであります。こんな重苦しい感じのままにいま私は
審議を再開しようとしております。
総理にも、
委員長に対しても、また自由民主党の同僚諸君に対しても、閣僚の諸君に対しても私は申し上げます。これでいいのでありましょうか。私は、もう一回胸に手を当てて、今後の
国会審議を
議会民主主義の基本的ルールの上に立たなければ、たとえここにおいてどういう法案が可決されようとも、私
たちは沖繩の人人に顔向けのならない
事態を迎えることでありましょう。そして、その法律は守れず、暴動に次ぐ暴動が
沖繩県民の心をゆさぶり、そしてさらにひどくは、せっかく本土に復帰されたと思った沖繩が、形式の上だけであって、その
実態というものははるかにお粗末な、心の離れた沖繩というものを迎えるだけのことになるでありましょう。愛情の通わなくなった家族というものは崩解するしかないのであります。そしてそれと同じように、心の通わない沖繩は、沖繩ではないのであります。それは、依然として米軍の軍政下に置かれているだけの沖繩にしかすぎないのであります。
私は破格な
質問を続けてまいりました。
質問というよりも、単なる私の意見の開陳のごとくに見える意見を述べてまいりました。私は、
日本国民の
議会民主主義に対する深い絶望の感情をいまここに込めて述べました。そうして、
沖繩県民の絶望しているこの感情を込めてここに申し上げました。私は、その
意味で、
総理並びに関係閣僚にしか御
答弁が求められないのは遺憾であります。しかし、自由民主党の
総裁としてのお気持ちもあわせてここに意見を表明していただくことを求めたいと思います。私は、その御見解を述べていただくことにすらためらいを感じております。
総理は
ほんとうに
反省してくださるのであろうかどうか。先ほどの
河村君との意見の交換を見まして、私は遺憾な気がしておるのであります。
いまや、私
たちは
議会馬主主義を
考え直す
段階に来ております。そして、
沖繩返還協定というもので一番大事なものは何だったか。私はこれだったと思い当たっているのであります。核兵器も大事でした。軍事基地、米軍基地をどう追い出すかという
議論も
ほんとうに大事でした。しかし、
沖繩県民の心をどういうふうに受け入れることができるか、それのほうがもっともっと大事なことでした。そして、
日本国民の
議会民主主義に対する信頼を取り戻すことは、そのまた何十倍も大事だったと私は思います。いま私はこの
議論を開始し、こうしてお話しをしているにつけましても、その大事な問題こそ、まさに本院の
議論の冒頭に行なわれなければならなかったと痛感しております。残念な気がしております。どうか、深い
反省を求めると同時に、一言の
反省のことばを私は
国民の前に要求するものであります。