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根本公述人 私は、
弁護士といたしまして、いまの
沖繩に住んでおります原子爆弾の被爆者に対する原爆医療法の
適用の問題、それから米国民
政府によって渡航を拒否されました瀬長亀次郎さん外二名の方の国に対する損害賠償事件を担当する
弁護士の一人といたしまして、一九六六年以来三度ほど
沖繩に渡って、この事件の調査なりあるいは打ち合わせなりをして、若干
沖繩について見聞してまいりました。それから本年の八月、元
日本弁護士連合会の
会長であります中松澗之助氏を団長といたします日弁連の第三次
沖繩調査団に参加いたしまして、約二週間ほど調査に当たってまいりました。で、
沖繩におきますこの
状態、これとそれから私がいままで若干調査しました結果に基づきまして、
沖繩協定の
関連法案につきまして
意見を述べさせていただきたい、かように存ずる次第であります。
これらの
法案のうちで、やはり一番大きな影響を持つと思われますのは公
用地の
暫定使用法案であるかと思います。この
法案は、先ほどの
公述人も申されましたが、この
法律の施行と同時に
法律が現在の米軍使
用地をそのまま継続して使用させる権原を与える、こういうようなものでありまして、
所有者に対する唯一の手続であるところの通知さえも使用の後にやってよろしい、こういうような、
日本の
法律としてはきわめて異例な
法律であります。
この
法律の内容につきましては、先ほど来、数数の
公述人が
意見を述べられ、
室井先生、
藤島さんから鋭い批判がなされております。私もこの内容に立ち入る前に、では、この
沖繩における公
用地暫定使用法案が
適用されるこの
土地というものがいかなる経過によってできてきたかということを若干申し述べたいと思うのであります。それは、この経過がわかりませんと、この
法案によって継続されるであろう
土地使用の
日本の
憲法における位置といいますか、そのものについて的確な判断ができない、こういうふうに思うからであります。
現在、
沖繩におきます
軍用地は、大体その中心部分は、一九四五年六月末に
沖繩戦の戦闘が終了しました、そして米軍が
沖繩全島を全面的に占領した後に囲い込んだものであります。その間、
沖繩の住民の皆さんはどこにいたかというと、
沖繩各地に設けられました強制収容所に収容されておったのであります。軍隊の捕虜に対する収容というものは、これは通例の戦闘の場合に見られるのでありますけれ
ども、非戦闘員を全面的に強制収容所に収容しておくということは、世界の戦闘史上に例を見ないと私は思うのであります。こういう国際法の違反が堂々と行なわれたところに
沖繩の占領の特殊性があるのであります。そして彼らは、米軍は
沖繩の
土地をすべて自分の管下におさめました。そして不要な部分のみについて
沖繩県民に居住を許したのであります。この結果、
沖繩県の各部落の中には、部落全体が
基地になったところが何カ所もあります。そして、そこに住んでいる人たちは、自分がもといた住みかに帰ることができずに、よその部落の端のほうに割り当て地を割り当てられ、そこに住んでいるのであります。
皆さん、
沖繩の現地においでになられた方もたくさんおられると思います。中部の地域に北谷村というところがございます。ここの村は、現在有名な嘉手納
基地のある嘉手納村と一つの村でありました。しかしながら、嘉手納空軍
基地がまん中にどっかとすわり込んで、住民の通行が禁止されまたしので、その結果、北谷村と嘉手納村が分村せざるを得なくなった、こういう
土地でございます。これは
本土の場合にはとうてい想像のできないことだと私は思います。それで、その北谷村の村役場は現在謝苅というところにございます。この謝苅というところは、北谷村の海岸からずっと坂を登ったところにございまして、戦前には謝苅には嫁に行き手がないといわれたようなへんぴなところで、生活が非常にしにくいところでありました。一方、この北谷村は「北谷ターブッカ」といわれまして、
沖繩で有名な美田地帯でありました。その美田地帯がいまは
あとかたもありません。部落は石垣がわずかに残っているだけで、全く痕跡をとどめていないわけであります。そして、その部落の
あとと、それから水田地帯のところに、広大な面積の中に
アメリカの陸軍病院が建っているのであります。そして村民はその謝苅の狭い、非常に急傾斜のところにわずかに三十坪、四十坪の割り当て地——現在割り当て地の制度は廃止されておりますけれ
ども、その
あと地に住んでいる。人を救う病院が人間の生活を破壊している、
沖繩県民の生活を破壊している。私はこれがやはり
沖繩の現実であろうと思うわけであります。先ほ
ども申し上げました嘉手納村につきましては、有名な嘉手納空軍
基地のために、
沖繩の嘉手納村の耕地の九五%が
軍事基地になっている。こういうことでは村民の生活はとうてい成り行くわけがないわけであります。
沖繩の
基地は、
沖繩県民の生活、農民の収入の源泉というものを全く奪い去っている。これは嘉手納村とか、あるいは北谷村とか読谷村とか、中部の地帯の村はそういう状況が最も顕著なわけでありますけれ
ども、全島これ
基地といわれている
沖繩におきましては、大なり小なりそういう結果が出ているのであります。
今度の
沖繩のこの暫定
法案によりますと、これらの
基地がそのままそっくり継続使用されるということになると思います。
返還協定のA表、B表、C表を見ていただけばおわかりになると思いますけれ
ども、
返還されるといわれているC表の中でも、ほんとうに実質的に返るという
土地はほとんどないといってよいかと思います。那覇の空軍
基地はそのまま
自衛隊の
管理下に置かれるに相違ないと思います。C表の中で非常に大きな面積を占めております奥の演習場だとか、あるいは第二瀬嵩演習場というようなところは、実態をお調べになればよくおわかりかと思いますけれ
ども、本来の
意味の
基地ではないわけです。演習をやるための単なる一時使用を村長が認めて
アメリカが使っているという
基地であります。ですから、これを
基地の面積の中に入れるのは非常におかしいわけであります。したがって、この
返還の面積に充てるということも、これはおかしいわけであります。そうしますと、
沖繩の
基地というものはほとんど全部がそのまま引き継がれていく、こういうふうに言っていいかと思うわけであります。
それからもう一つは、
沖繩の
基地が——これは一九四九年の中華人民共和国の成立、それから五〇年の朝鮮戦争の結果、
沖繩の恒久的な
基地の建設が本格化したわけであります。その結果、第二次の接収が行なわれました。このときは、文字どおり、
アメリカ軍は銃剣を突きつけて、ブルドーザーで木をひき倒し、家に放火をして住民をほうり出したのであります。
嘉手納村の隣に読合村という村がございます。そこに渡具知という部落がございますけれ
ども、そこの人たちは、現在、隣の村の嘉手納村の比謝その他の部落に住んでおります。この人たちは、自分の部落に約一年半——一年十カ月ぐらいですか、かかりまして、三度も居住地を移転しながらようやくまた帰ってきました。しかしながら、五三年のこの第二次の接収によって、再び自分の部落から追われてしまったわけです。それで、先ほど私が申し上げましたような嘉手納村の比謝その他のところに住んでいる。そういうようによその部落に住んでおります
方々も、現在は、自分の居住権を確かめるために借地
契約を結んでいるのであります。しかしながら、この渡具知の人たちは、やはり自分たちはもとの部落へ帰れるのだ、こういうことを考えておりますから借地権を結んでいない、そういう不安定な状況が続いています。こういう状況でありますから、仕事の面も、しっかりと自分の大地に根をおろしたような生活をやりたくてもやれない、こういう生活が現在続いておるのであります。
今度の公
用地の使用の暫定
法案は、いつか自分の部落に帰れる、
復帰になれば自分の部落に帰れる、そして、いま二十坪、三十坪という狭いところで、それこそアラブの難民のような生活だといっても言い過ぎじゃないと思いますけれ
ども、そういうところから、また、貧しい生活とはいいながら二百坪、三百坪という自分の屋敷で自分の田畑を耕して、だれの世話にもならずに生活ができる、そういうような希望を抱いていた
沖繩の農民の
方々の希望を打ち砕くものだ、こういうふうに言っていいかと思うわけであります。
自民党の皆さんも、ことに
地方から出られた方方は農民の生活というものをよくご存じだと私は思います。こういう選挙区の皆さんのそういう生活の上に立って、やはり
沖繩の
土地法案の内容というものを十分私は御
審議をいただきたい、こういうふうに思うわけであります。
では、
日本の国の
立場といたしまして、こういう
アメリカの
土地使用の継続を認めないといいますか、返してもらう
法律的な根拠はあるかどうかということが私は問題になると思います。私は、やはりこれは一国のことでありますから、無理な無法な要求はできないと思います。それについて私たちがやはり想起しなければならないのは、やはりわれわれが一九四五年八月十五日、第二次大戦を終了するにあたりまして締結いたしましたポツダム宣言でございます。ポツダム宣言は普通無
条件降伏といわれて、
日本国は何をされてもしようがないのだというような俗説があります。賢明なる国
会議員の皆さんはそういうことは考えておらないと思いますけれ
ども、無
条件降伏したのはこれは
日本軍隊であります。このことはポツダム宣言に明確に書いてある。しかしながら、ポツダム宣言はわれわれの
条件をそのとおりだということでもって、
日本政府にその順守を要求しているのであります。その内容は言うまでもありません、
日本の軍国主義の解体と
日本における平和的で民主的な
政府の樹立であります。それができるまでわれわれは占領する、その目的が達成されたならばわれわれはすべて全面的に
日本から撤退をする。言うまでもありません、
沖繩は
日本の内地の一部であります。
適用されるべき
法律は他府県、東京都とも京都ともみな同じであります。これは朝鮮や台湾とは違うのであります。でありますから、
沖繩につきましても全面的にポツダム宣言は
適用されておるのであります。でありますから、
沖繩における占領
行政と
日本本土における占領
行政とは異なるべきはずがないのであります。そしてまた、そこにおける講和というものも、やはりひとしく同じようになされなければならない。これが国際法の原則であり、また条理であるというふうに私は思うわけであります。
この現在の
沖繩における
基地というものは、言うまでもございません、これは連合国の一部でありますところのソビエト連邦あるいは中国に向けられた
基地であります。あるいはまた朝鮮、ベトナムその他みずからの民族の独立のために戦っているそういう人民のために向けられて、現在、ベトナム戦争のために前進
基地として使われている、こういう実情であります。このような
基地というものはポツダム宣言によって認められるものではありません。むしろポツダム宣言に違反するものだということはいえると思うわけであります。
したがいまして、
アメリカの
沖繩における
軍事基地というものは、われわれがポツダム宣言に従う、ポツダム宣言に基づく国際法上の権利として講和を要求するならば、事は断わることのできないものであります。ポツダム宣言は言うまでもなく一般的な休戦の
条件を定めたということとともに、これは講和の予約を含んでおるのであります。したがいまして、この来たるべきといいますか、行なわれるべき対日講和というものはポツダム宣言に従って行なうことをわれわれは要求する権利を持っている、こういうことはいえると思うのであります。
したがいまして、このポツダム宣言に反する
沖繩の
基地というものは、われわれはこの講和にあたっては全面的に撤去を求めることができる、こういうふうに言うことができると思うわけであります。そして、国際法によりますれば、占領の終結というものは原状回復の原則、このものが
適用されるべきものであります。したがいまして、この原状回復の原則によりますれば、
沖繩の
基地というものはもとの
状態、住民が住める
状態にして返さなければならない。そして、占領軍が行なった占領権力に基づく施策というものは一切効力をなくすといいますか、あるいは国際法上認められた効力のみ存するのであります。したがいまして、この
沖繩の
基地の全面的な
返還、全面的な撤去というものは、
日本は国際法上の根拠を持っている。そしてまた、それを要求できる。
日本政府は国民の名においてそれを行使することができるわけであります。これを放棄した、事実上放棄したところに問題があるのではないかと思います。
国権は、言うまでもなく、国民の信託に基づき国民のために行使をされなければいけません。そして、この
沖繩協定は——いままで講和
条約第三条によって
沖繩の
施政権が移ったと普通いわれておりますけれ
ども、実際において国連憲章上これを信託統治にすることはできない。そういう
意味では無効な条項であります。したがって、その第三条に法的の
意味を認めることはできるとしましても、それはいわば
アメリカの軍事占領を
日本政府が継続することを認めたという
程度の内容であるかと思います。したがいまして、今度の
沖繩協定というものは、第三条によってブランクになっていました
沖繩に関する対日講和の部分を完結するものであるというふうに私は考えるものであります。したがいまして、この
沖繩協定というものは、ポツダム宣言によって、国際法上の原則によって処理されなければならない、こういうふうに思うわけであります。
この観点からいたしますれば、
沖繩の
土地というものは
沖繩県民に返すべきものであります。その後その
土地がどのように使用されるか、それは第一には
沖繩県民の意思による、その所有する者の意思によるところであります。
政府はむしろこれに対して懇請する
立場にある。しかるに、懇請すべき
立場にあるものが、
法律という形において無
条件に
沖繩県民の手の届かないところにおいてこれを取り上げる
措置がなされている、こういうところに問題がある、こういうふうに思うわけであります。
土地法案の内容につきましては、先ほどの
公述人の
方々から
憲法上の問題点についてはいろいろ論ぜられましたので、私は省略をさせていただきたい。
次に、請求権の問題であります。
御存じのように、
沖繩協定は請求権を第四条において放棄しております。今度の
国会の
関連法案を私拝見いたしますと、講和前の人身損害の補償漏れについてだけ見舞金を出すということが書いてあるわけであります。しかしながら、先ほど申し上げましたように、国際法上の原状回復の原則に従いますれば、
アメリカ軍によって行なわれた違法な行為、軍人の犯罪とかあるいは不法な
土地取り上げ、あるいは不当に安い
軍用地料の支払いというものは、原状回復の原則によって当然てん補されなければいけない、損害の賠償がなされなければいけない。これを
日本政府が放棄した、国際法上当然
沖繩県民にかわって
アメリカに請求すべき
立場にある
日本政府が放棄した、このところに問題点があるわけであります。
私は、この第四条によりまして、
沖繩県民の
アメリカ軍に対する、
アメリカに対する請求権が放棄されたとは思っておりません。それは、なぜならば、これは県民と
アメリカ政府との
関係でありますから、
日本政府の行為によってもこの請求権を放棄することはできないと思います。しかしながら、国際法上の権利はやはり
政府が国民にかわって請求をしなければ、その実現は著しく困難になります。この第四条があるおかげで、
沖繩県民が米国
政府に対して請求いたしましても、これをたてにとって断わられるでしょう。その結果によって、
沖繩県民が非常な損害を受ける、実質上自分の損害をてん補できない、こういうことが起こり得るのであります。したがいまして、この結果こうむる
沖繩県民の損害というものは、やはり国家賠償法に準じて
日本政府が
責任をもって立法
措置をとって、
沖繩県民の権利としてそれを補償すべき
措置をとるべきものである、かように考えるのであります。それでございません単なる見舞金ですと、いままで外人賠償法というもので
アメリカ軍が
沖繩県民に払っていたのと全く同じであります。この外人賠償法は、
沖繩県民に権利を認めたものではございません。
アメリカの出先の軍が被占領地の住民とトラブルを起こし、そのことによって占領自体が非常にむずかしくなる、これを防ぐために
一定の見舞金、恩恵としての金の支払いを出先の軍に認めた。その結果、
沖繩県民がその手続に従ってお金が取れる、こういうような内容であります。
琉球政府の調査によりましても、従来の請求金額のおよそ二割ぐらいしかこの支払いがなされていないわけです。しかもその金を取るのに、これでもって私の請求は一切片づきました、文句は言いませんという、こういう一札を入れなければお金が取れないという屈辱的な内容のものであります。これをぜひ改めて、やはり
沖繩県民の権利が正当に保障されるように
国会において
審議をお願いし、立法をつくっていただきたい、こういうふうに私は思うわけであります。
それから裁判権の問題でありますけれ
ども、最後でございますが、これも
沖繩のこの
法律を見ますと、「裁判の効力の承継」と書いてございます。だけれ
ども、これは裁判を、占領が終わった後に裁判を承継すべきものではないと思います。これは外国の判決に準ずるものであります。
日本の民事訴訟法の二百条でも、こういうような
条件のある外国の裁判は認めることができると書いてあります。それから刑法五条は原則として外国判決の効力を認めておりません。それから最高裁の、
復帰前の奄美において行なわれました刑事裁判の結果についても、最高裁の判決はそういう
立場をとっておるのであります。ですから、これは
日本の
政府が、
日本の
国会が自主的に
日本の主権の行使として独立に認めるか認めないかを定むべきものであって、これを外国との協定においてこういうものをやるというのは、主権の著しい制限であり、
アメリカの
立場からすれば
日本の主権に対する介入行為だと私は思うわけであります。こういうものはぜひ改めていただきたい。そして今度の協定を見ますと、
アメリカの軍事裁判、民
政府裁判所の裁判の効力さえも認める結果になっている。こういうものは一切御破算にしていただきたい。そして占領下にこうむった
沖繩県民のそういう不名誉が回復されるような
措置ををぜひとっていただきたい、こういうふうに思うわけであります。