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参考人(
堂野達也君) いま申し上げました十二月十九日の
決議ができまして、さらに、御
承知のように、その後、新しい
裁判官の新任が拒否された、あるいは
司法研修所における阪口修習生が罷免された、あるいはまた、宮本
判事補が再任されなかったというような問題がだんだんエスカレートしまして、いよいよ
司法の危機というものが迫りつつあるというような
考え方になったのでございまして、その
意味におきまして、どうしてもこれをわれわれの
一つの力によって
裁判所に建言して、とめてもらいたいというような
意味から、五月八日の
日弁連の臨時総会におきまして、いま申し上げました宮本
裁判官あるいは新任を拒否されました
裁判官、それから阪口
司法修習生の問題につきまして、臨時総会が開かれまして、この場合におきましても、当時
弁護士会の全会員はたしか九千二百名と存じておりますが、
出席者は四千四百五十五名でございました。その臨時総会におきまして、これらの宮本問題、新任拒否問題、阪口問題等について
決議ができまして、そうして
裁判所の善処を
要望するという強い
決議ができたわけでございます。それにつきましては、単に
決議をしっぱなしでは何にもならない。どうしても強い行動を起こして、
裁判所にも再考を願わなければならない。こういう
意味におきまして、何らかの
委員会をつくるということが
附帯決議でできましたので、それに即して、いまおっしゃられました
司法の
独立に関する
委員会というのができたのでございます。
この
委員会におきましては、要するに、たしか五月の末にできたと思うのでございまして、それから六月ごろ発足いたしまして、現在、これを三つに分けまして、広報企画部会と、それから
制度部会と、それから、いま言う宮本再任、新任、罷免の問題を研究、対策する部会と、こういうぐあいに分けて活動を開始しているのでございます。ただ、私
どもが宮本
裁判官の問題あるいは新任問題等につきましていろいろと申し上げるのは、御
承知のとおり、先ほど申し上げましたが、思想、信条の問題をとらえて、これを再任拒否する、あるいは新任を拒否するというようなことは許されないのじゃないかということと同時に、ことに宮本
裁判官の場合、十年間まじめに
裁判官としてつとめ、いろいろ
弁護士会等の
調査によりますと、非常に優秀な
裁判官だと聞いております。この方が再任を拒否されたと、そうして再任を拒否された
理由は、いままでの新聞・雑誌、あるいは当
委員会等の速記録を拝見いたしまして、先ほ
ども御説明ありましたけれ
ども、
理由は明確じゃない。
裁判所がおっしゃると、明確だとおっしゃるけれ
ども、私
どもとしては何としても明確にならざる部分があることは明瞭でございます。で、私
どもから言いますならば、俗でございますけれ
ども、少なくとも十年間まじめにっつとめた
裁判官が十年目の期限が来たと、これは法律的に十年ときまっているんだから、今度選ぶか選ばないかは
裁判所側の自由であるというような
考え方は常識的に成り立たない、条理的にも成り立たない。御
承知のように、
裁判の中でよく使われることばでございますが、健全なる常識とか、条理というようなものからいたしまして、そういう人が再任されないということは、何人もこれは納得できないのでございます。これが病気だとか、あるいは何か特別な事情があるとかというような場合は別でございますけれ
ども、いままでのところでは少なくともそういうことはうかがわれないのでございます。
ことに、御
承知のように、
最初はいろいろ表向き
裁判所に対して、
理由を公表したほうがいいという
意見でございましたけれ
ども、だんだん
裁判所のほう自身が強い態度をとられるものでございますから、少なくとも宮本
裁判官本人に対してだけでもその
理由を言ったほうがいいんじゃないかと、説明したほうがいいんじゃないかというような
世論まででき、宮本
裁判官も、私にだけでもそのはっきりした
理由をおっしゃっていただきたいということを言ったやに聞いております。そうしますと、それでもなお何も言わないということは、少なくともほかに
理由があるのではないかと。そのほかの
理由ということは、大きな声では言えない、堂々と言えない
理由、それはいま申し上げたところの思想、信条にかかわる問題であるのじゃないかと、こういう疑いを持たざるを得ないのでございます。そういう
意味で、もしまたそういう
理由によって再任が拒否されるとするならば、
裁判官の皆さんも安閑として裁
判事務に携われない、あるいは正々堂々と
裁判を行なわれないのではないかと思うのでございます。それでなくとも、御
承知のように、労働、公安事件等でいろいろな判決が出ますと、あるいは偏向判決だというような批判もございます。そういうことがもし取り上げられるとしたならば、一人一人の
裁判官のいわゆる
裁判の
独立というものはあり得ないと
考えるのでございます。そういう
意味で、私
どもはこれはやはり
司法の危機だと、
裁判官はあくまでも
独立した
裁判をしなければならぬ、また
裁判所はあくまでも
独立でなければならぬと、今度の問題は
裁判官のあるいは
裁判所の外から起きた問題じゃなくて、
裁判所内部における問題のように感ぜられるから、なおさら私
どもとしては
在野法曹といたしましてこれを憂えて、そうしてこの問題に対処したいという
考えに燃えているのでございます。
で、私
どもはこの
意味におきまして、特に宮本
裁判官の問題にいたしましても、これはどうしても
弁護士会のいろいろな
委員会、いろいろな場所でいろいろな議論が論ぜられておるのでありますけれ
ども、どうしてもこの問題は納得いかない問題だということは一致していると思います。なるほどきわめて少数の者は
反対でございましょう。しかし民主主義の時代でございますから、
反対のない色、一色の賛成論というようなものはむしろ
意味をなさないのじゃないかと私は思うのでございまして、そういう
意味で、
日弁連がこの
司法独立に関する
委員会を持って、そうして強く
裁判所等にも、また政府の皆さんに対しても善処を求めたいという意向でおります。