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1971-08-19 第66回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年八月十九日(木曜日)    午前十時二十三分開会     —————————————    委員の異動  八月二日     辞任         補欠選任      二木 謙吾君     黒住 忠行君  八月九日     辞任         補欠選任      黒住 忠行君     二木 謙吾君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         大松 博文君     理 事                 久保田藤麿君                 鈴木  力君                 安永 英雄君     委 員                 金井 元彦君                 志村 愛子君                 内藤誉三郎君                 永野 鎮雄君                 二木 謙吾君                 宮崎 正雄君                 片岡 勝治君                 鈴木美枝子君                 宮之原貞光君                 内田 善利君                 萩原幽香子君                 加藤  進君    国務大臣        文 部 大 臣  高見 三郎君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        人事院総裁    佐藤 達夫君        文部政務次官   渡辺 栄一君        文部大臣官房審        議官       奥田 真丈君        文部省初等中等        教育局長     岩間英太郎君        文部省大学学術        局審議官     犬丸  直君        文部省管理局長  安嶋  彌君        文化庁長官    今 日出海君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (中央教育審議会答申に関する件)  (教職員懲戒処分に関する件)  (教職員の給与に関する件)  (映画の振興対策に関する件)     —————————————
  2. 大松博文

    委員長大松博文君) ただいまから文教委員会を開催いたします。  まず渡辺文部政務次官から発言を求められておりますので、この際これを許します。渡辺文部政務次官
  3. 渡辺栄一

    説明員渡辺栄一君) 貴重な時間をちょうだいいたしまして、一言あいさつを申し上げたいと思います。  このたび文部政務次官を命ぜられました渡辺栄一でございます。まことに微力でございまして、文教行政きわめて重要なおりから、非常に責任を痛感いたしております。幸い、教育には非常に造詣の深い高見文部大臣のもとでありまして、微力を尽くしまして万全を期したいと思っておりますが、委員各位の格別の御指摘と御協力を切にお願いをいたしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)     —————————————
  4. 大松博文

    委員長大松博文君) 教育文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 鈴木力

    鈴木力君 文部大臣に簡単に数点お伺いいたしますが、実は文部大臣就任のごあいさつ臨時国会でお伺いをいたしました。ごあいさつに対する質問ということはちょっと変なんでありますが、そういう意味ではなしに、大臣のごあいさつを伺いまして、私はちょっと気になることがあるものですから、しかも、それはいま予算編成段階だと思いますので、いまお伺いしておかないとぐあいが悪いと思いますので、簡単にお伺いしたいと思いますが、このごあいさつをずうっとこう伺って、あるいは文章を拝見をしてみまして、私はいまの学校教育の、あるいは社会教育も含めてもいいと思いますけれども、大体国が教育要請をしておるさまざまな問題があります。それに対しての要請にこたえるべき条件は整ったということが明治以来いつかあったかどうか。そういうことを文部省大臣として検討していただいたことがあるのかどうかということが一つなんです。つまり、私が申し上げたいことは、もう率直に申し上げますと、少なくとも学校にしてもあるいは教室にしても、教材教具にしても、教員定数にしても、これだけが必要だという前提のもとに教育課程なりいろいろなものが文部省から示されておる。しかし、その教育課程をこなすに十分な条件のほうはいつでもおくれてきておったわけなんです。したがって、今度中教審答申とかいろいろな画期的なことを、いい悪いは別として、掲げられておりますけれども、それ以前にいまの足りない条件をどうするかというようなことを大臣就任のときにお考えになっていたのかいなかったのか。いなければあとで具体的な御要望も出したいと思いますけれども、まず大臣にその点に対する所見をひとつ伺いたいと、こう思うのです。
  6. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 鈴木先生からたいへん痛いところをつかれたわけであります。実は私も鈴木先生と同じ考えを持っておりまして、第一帝国議会以来の歴代総理大臣施政方針演説というものを全部読んでみました。読んでみましたが、その中で、歴代内閣総理大臣が、教育重要性をうたっておらない総理大臣は一人もございませんでした。しかし、教育について画期的な制度なり予算なりをつけた時代というものは残念ながら見当らないということを実は非常に遺憾に思っておる一人であります。今回私が所信を申し上げましたのは、私の当面感じております感じを申し述べたのであります。文部省本来の仕事である設備整備の問題につきましては、これはもう文部大臣当然の仕事であるという意味において、所信表明の中ではこのことを申し述べませんでしたが、鈴木先生その点をあるいは御心配になっておるかもしれないと思いますが、来年度予算編成におきましてもこの面については文部大臣の当然の仕事であるとして十分真剣に取り組んでおるということをこの機会に申し上げ、御了承をいただきたいと思います。どうぞひとつその点は御理解をいただきたいと思います。
  7. 鈴木力

    鈴木力君 これは高見大臣に申し上げるのは恐縮なんですけれども歴代大臣のいまのような御答弁で私は納得できなかったから、だから最も文教通と誉れの高い高見文部大臣がなった機会にもっと具体的な御答弁を期待しておったわけなんです。たとえば、文部大臣は御存じだと思いますが、だれか文部省当局からお答えいただいてもいい。いま特別教室文部省が必要だという水準に照らして何%足りないのか、まあ時間がかかりますからお答えいただかなくてもいいです。文部省調査の結果ですね、中学の場合でもおそらく三九%足りないはずです。これがいまの六・三制がスタートしてからそれでも充実した姿で、およそ四〇%も足りないのです。ところが教育課程のほうは、特別教室を使って教育をするという前提のもとに教育課程のほうが進んできているわけです。それで文部省のほうは、およそ四〇%に該当する特別教室はないままに今日まできておる。これはもちろん公立諸学校文部省の直轄ではありませんから、したがって文部省責任でないぞといえば、そういうへ理屈は成り立つかもしれません。しかし、これは国の施策として、それをそのままにしておいて、次の仕事に手をかけるというやり方が、私には納得できない。当然の仕事であるとおっしゃるけれども、当然の仕事が今日まで放置されておったわけなんです。二十何年も放置されておる。しかし、これはさかのぼって見れば、明治日本学制がスタートしたときからこういう状況が続いておったわけです。だから私の基本的に申し上げたいのは、ずっと教育史をひもといて見ると、制度いじりというのは常にある。十年くらいたつと、そろそろ制度議論が出てきた。しかし現状の制度に見合ったような、そういう条件を整えたということは明治五年からたった一ぺんもなかった。そろそろここらあたりでそういう文教行政の行き方を変えてもいい時期になったのではないかということが私、大臣に申し上げたいことなんです。だから中教審答申があった。それにこたえてどうこうとか、あるいは学校の何か管理体制どうこうということも必要かもしれません。しかしそこに行く前にやるべきことをやらないでおったということについては、今度最も理解があるといわれている文部大臣の手でどうしてもこれをやってのけなければならないと思うから、私は申し上げているのですが、そこで、いま特別教室の話は一つ具体的な例として申し上げました。教材教具についても同様であります。これも文部省はちゃんと水準をきめているわけです。小学校の場合には四九%にしかなっていない。これは文部省数字で、たぶん私の記憶ですから間違っているかもしれませんけれども、四九%しか教材教具がないということになっておる。半分しか与えられていないわけなんです、学校教材教具が。そうしておって六・三教育の成果があがった、あがらないと言って制度いじりにまた乗り出すというところに、どうしても私は納得ができない点がある。したがって大臣が、先ほど当然のことであるから特にあいさつには書かなかった、あいさつには言わなかったとおっしゃるなら、今度の予算要求では一〇〇%要求をまず出されるかどうかということを伺いたい。  そこで、くどくならないように私が感じている具体的な点をもう少し申し上げますと、校舎の問題はさっき申し上げました。それから教材教具についてもいま申し上げた。同時にいま過密地域校舎校地問題があります。これは大臣、今度御旅行なさるそうでありますが、おひまのときに神奈川県から千葉県、あるいは埼玉県のどっかの地域を一度見ていただきたい。建築現場ならざる学校はほとんどない、回ってみますとですね。これがしかもいま始まったことではない。人口の過密現象が起こってから今日までずっと続いている。そういう中で、建築現場の中で子供たち教育を受けておる。これをどうする。これをそのままにしておいて制度どうこうというようなことを、議論もいいけれども教育を受ける側からいうと、およそ見当の違った議論のようにしか聞こえないということなんです。ここに対してどうするか。それから基本的には、なお教員の問題で言いますと教員定数があります。これはもう大臣が御承知のとおりでありますから……。特に教特法審議段階なんかでも小・中学校教員定数が足りないためにどんなに授業時間が縮められたか、あるいは先生方家庭作業がなされたかということは明らかになったはずです。これはいまさら繰り返すまでもありません。タイムテーブルを見ると、いまの小学校のあの定数ではどうにもならぬということが明らかになった。また当時の文部省当局もそれははっきりと認めたはずです、はっきりと通常国会で認めておいて次の段階にいく。文部省所信にはそれの解消ということが出てこないということが納得できないということなんです。したがってそういう点についても所見を伺いたいし、特に事務職員養護教諭については、これは法律上各学校に全部置くということになっておるわけです。それがわずかに救済規定で特別の事情ある場合には当分の間置かないことができる、それにあぐらをかいて今日までまだ各校配置をしていないわけです。それこそが私は制度上の欠陥なんで、まずそういうところから直していくということをやらないと、ほんとうに新しい文部大臣理解者として名前は高いけれども実際にやってくれるかという気持ちは、なかなか現場にはすとんといかないような気がしてならないわけです。ですから私は、特別教室教材教具、あるいは過密地域校地問題、そういう問題については予算も膨大にかかると思いますが、これをことしの予算で一ぺんに全部一〇〇%とれといってもとれるかどうか、私らが野党から見ても非常にむずかしいだろうと思います。しかし抜本的な、前進ができないということになれば制度いじりをする資格がないと私は申し上げたい。現行制度のことさえできない者が新しい制度をつくるなんというのはおこがましい話だ、そういうふうに私は考えたいのです。特に制度の中にある事務職員養護職員の満配は具体的にどういう形にやってくださるのか、そういう点も含めて、まとめてひとつ御答弁いただきたいと思います。
  8. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) こまかい数字の問題は局課長からお答えをすることにいたします。
  9. 鈴木力

    鈴木力君 数字はいい。大臣の決意……。
  10. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 今度の予算におきまして私も鈴木先生と同じような考え方に立っております。どうぞこの問題は与党、野党などということなしに、ひとつ共通の御協力によってこの予算を獲得できますように御協力をいただきたいと思うのでありますが、確かに御指摘の問題は長い間の懸案であります。私も実は昭和四十三年に横浜市の過密地帯を視察をいたしまして、これではならぬということを深く痛感をいたしまして、四十四年度でありますか五年度でありますか、私が強く主張いたしまして過密地帯校地取得費補助金をつける制度をつくったのでありますが、これもわずかに二十億しか予算がつかなかった。こんなことではとても過密地帯の問題は解決するものじゃないというので今度は相当大幅の予算要求をいたしております。予算要求いたしておりますが、これは自民党の内輪で話をしてそれで解決する問題じゃ実は私はないと思います。少なくとも文教に御関係のある皆さんこぞっての力でこの予算を獲得する努力を、ひとつ御協力のほどをお願いを申し上げたいと思います。確かに御指摘のような問題を当分の間はという財政事情のほうに藉口して逃げておるということは少なくとも許されることじゃないという私は基本的な考え方を持っておるということだけを申し上げまして、こまかい問題につきましては局課長からお答えを申し上げることにいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
  11. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) ただいま鈴木先生から御指摘のありましたような教育環境整備ということにつきましては、私も八年半ばかり前に財務課長をいたしまして定数法その他をやった経験がございますけれども、いままで、たとえば校舎の問題につきましても非常に力を入れてきたわけでございますが、しかしながらその社会的な変動、いま鈴木先生からも御指摘がございましたように、過密の問題でございまするとか、過疎の問題でございまするとか、新しい事態が次々と起こっております。たとえば、ただいま大臣から申し上げましたように、最近過密問題が非常に大きくなってまいりまして、それに対処しまして、文部省としましては、校地取得を含めまして過密の問題に最重点を置きまして、校地取得費予算要求するというふうなことをやってまいったわけでございます。しかし、ことしの状況を見ますと、学校統合が非常に要求が強くなってきたというふうな、私どもが予想しましたよりもはるかに大きな数字が出てまいりました。その問題等もございまして、先ほど御指摘になりましたように、平常の状態でございましたら特別教室等整備ということももっと進んだと思いますけれども過密の問題あるいは過疎の問題というふうな新しい事態が生じてまいりまして、その点で計画がおくれておるわけでございますが、そういう問題をできるだけ敏感にくみ取りまして、私どもも今後それに対処するということが必要であろうと思います。  なお、教員定数につきましては、先生指摘のとおりでございますけれども、私どもの前からの経験でございますと、事務職員などをふやすということにつきましては、現在、国家公務員等につきまして人員整理というようなことをやっておりますものですから、これは打ち割って申しますと、なかなかこれをふやすということはむずかしいわけでございます。私も財務課長当時、事務職員を認めてくれないので、ほんとうに困ったようなありさまでありますけれども、ともかくそのときには何とか法律改正ができたわけでございます。それにつきまして、ただいま五ヵ年計画進行中でございまして、養護教諭事務職員につきましてもそれぞれ増員をはかるということをいたしております。私ども先生指摘の点はそのとおりに受け取っております。したがいまして、私ども養護教諭事務職員の充実につきましては全力をあげてその実現につとめたいと考えておりますが、いろんな事情があることは先生十分御承知のとおりであります。私ども努力の足らざるところは、ただいま大臣からも申し上げましたように、ひとついろいろと御協力を賜わりたいと考えております。
  12. 鈴木力

    鈴木力君 事情のあることはよくわかるんです。そのうちの最大事情文部省がやる気があまり強くないこと、それが一番大きな事情だと私は見ておる。だから、私はいまのうち、特に事務職員養護教諭ですね、これは法律できめられてあることなんです。何べんか私はこの委員会でも申し上げたことなんで、繰り返したくないんですけれども学校という機能に対する文部省理解が違っているのじゃないかということですよ。学校には校長教諭事務職員養護教諭、これこれを置くと書いてある。ところが、事務職員養護教諭がいなくとも学校は回るが、校長がいなければ学校は回らないという考え方文部省にあるのじゃないか。教長のいない学校はありませんよ。ところが、事務職員養護教諭のいない学校はたくさんある。これを何カ年計画ということでも、いまだかつて満ぱいの計画を出されたことがない。私は一ぺんにむずかしいという事情はわからぬわけでもない。しかし、少なくともいまこれほどテンポが進んでいる世の中に、五ヵ年計画なんかを出されるときに、法律にあるものが満ぱい計画ができてこないということが、これが最大事情だと私は思う。きょうはこれでやめますけれども最低のこれらのことについては、満ぱい計画を出してやりますと——大臣がおっしゃった、御協力を願いますということをつけてけっこうです、私も協力はやぶさかでない——それくらいのことはこの席で言ってもらいたいと思いますが、どうですか。
  13. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) ただいま、前の大臣局長がおつくりになりました五ヵ年計画進行中でございます。これは関係各省庁とも相談をした上の、約束をした上の計画でございますから、これをそのとおりにやっていくということはこれは当然のことだと思います。私どもとしまして、学校事務職員が必要でないということは考えたことがないと申しますか、前に、私、荒木大臣がやはり参議院の委員会事務職員要求問題についていろいろ御答弁をいたしまして、具体的な計画をおすすめして、それが基礎になって五ヵ年計画が推進されるという事情がございました。その際以来、事務職員養護教諭学校に必要なんだということは繰り返して私は申してまいったような記憶がございます。ただ、いろんな事情がございまして、教員を先にするのか、あるいは養護教諭を先にするか、事務職員を先にするか、そういうふうな適任者が得られるかどうか、そういうふうな全体のことを考えあわせまして、漸次それを充実していくという点で御了解をいただいているというふうに考えておったわけでありますが、さらに今後努力をしていきたいということを申し上げたいのであります。
  14. 鈴木力

    鈴木力君 最後に一言大臣に御要望を申し上げて質問を終わりますが、またあと機会一つ一つ詳しく御質問申し上げる機会があると思います。  いま予算要求の重要な段階ですから、特に五ヵ年計画については前からの引き続きのことでもあり、形式的には計画中でも直すということはこれはなかなかむずかしいということは私もわからぬわけじゃない。しかし、義務教育に関する限りは五ヵ年計画は相当に進行しており、新しい計画が出てくる時期が間近です。そのときに最低でも事務職員養護教諭は満ぱいの新しい計画で出直します、それくらいのことは言ってもらいたいし、ぜひそういう計画で進めてもらいたい。そのほかのことにつきましても、さっき言いましたように従来から続けております努力は、これは高見文部大臣がさっきおっしゃいました、抜本的に大幅な予算要求として改善をはかる、この方向にぜひ具体的に結果が出てくることを私のほうは期待を申し上げ、少なくとも法律上はっきりしているこのことについては満ぱい計画でいかないと、私はとてもじゃないけれども承知できない、それを申し上げ、御要望を申し上げて質問を終わります。
  15. 安永英雄

    安永英雄君 私は中教審答申が出た時点においての文部省態度、こういったことと、去る十日、佐賀の地裁で判決が出ました、いわゆる佐教組事件と申します行政裁判、この判決をめぐって、二点について質問をいたします。  そこで第一点の中教審答申でありますが、これは四十二年から四年間にわたって審議会審議をし、その最終案が現在出ているわけであります。そうして聞くところによりますと、もうすでに文部省の中にこの学制改革に対する推進本部、こういったものまで設置をしてある。こういう段階を踏まえて私は文部省態度というものをこの際明確にしておく必要があるということで質問をしたいと思うんです。  そこでこの審議会でありますが、私ども今日まで中間報告等を受けて、そのつどこれに対する批判も行なってきたし、あるいはこの内容についての指摘もずいぶん行なってきたわけであります。総じて、最終案を見てみますというと、これは相当重要な問題をはらんで、そうして私どもに言わせると、これは基本的に間違った方向答申が出ている、一言で言えばそう言える答申だと私は考えますから、それを前提にして聞いていきたいと思います。  そこで、審議会の大体の今日までの審議経過を見た場合に、非公開あるいは秘密主義、これが非常に多い。こういう経過を踏まえて今日まできていることは事実です。あるいはまた途中で形式的に国民の声を聞くと、こういった形で公聴会みたいなことをやってきたことも事実でありますが、これもほとんど形式的に終わっている。しかもそのあらゆる方面の意見というものがあらゆる方法で出てくるといっても、頑としてやはりこの審議会方向というものは、内容というものは、絶対に間違いはない、賛成を多数得たというふうにひとりよがりな判断で出てきている経過をこの最終的な答申内容は持っているというふうに私は考えているわけであります。たとえば、この審議会構成等についても非常にちぐはぐな構成をやっておる。時間がありませんから、この指摘はいたしませんけれども、特に日本教育学会代表とか、あるいは現場教師代表、こういったものを出さないで、非常に片寄った審議委員構成でやられたということは、私は今後国民の合意を得る、こういうふうな作業文部省で行なわれたとしても、私はすでにこの四年間の間にそういった要素を含んでおるものであり、私は答申としてはこれは完全なものではないというふうに考えています。言いかえますと、国民不在、私は四年間の経過審議を振り返った場合に、そういう感じがするんであります。  そこで、私は大臣にまずお聞きしたいんでありますけれども、今後の審議のために聞きたいことは、今度答申を受けました教育改革のための基本的施策というこの答申内容、これ全部を政府なり文部省は、受け入れたのか、了解をして、そのとおりだというふうに全部そっくりとにかく受け入れて、そっくりこれを具現をはかろうというふうにいまから出発をなさるのかどうか。私の聞きたいのは、多少加えますと、たとえば選挙制度審議会というふうなものが答申をやる。ところがそ中の、たとえば一番骨になっておる政治資金規正法、これの改正をぜひ抜本的にやらなきゃならぬという答申が出る。しかしそれは政府が採用するところにはならない。そうしてせいぜい選挙の活動の自由化、こういったものを一部取り上げていくというやり方も、この諮問機関から受けた答申については処置されたことがある。あるいはまた米価審議会等から答申が出ても、これについてそのままそっくりいったことはない。あるいはいま問題になっております医療保険制度審議会、こういったものから、抜本的にやれという答申が出ましても、この抜本的な施策というものはとらない。一部は取り上げる。まあこういう例があるから、私はまず基本的に、この答申というものを全部が全部、受けた膨大な内容を全部にわたって文部省としてはこれでよろしい、答申を受けてそれをそのまま文部省態度としてこれを具現化をしていくというふうな段階にいまあるのかどうかという問題についてお聞きします。
  16. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 安永先生お答え申し上げますが、中教審審議の過程が非常に閉鎖的であったというお考えは、私は必ずしもそうでもなかった。八万人、七十団体の意見聴取あるいは公聴会等をやりまして、十二分に各界各層の御意見を伺い、試案を出して、その試案を提供することによって、各界各層の御意見を聞いて、答申までには相当の修正が行なわれて最終答申が出た、という意味においては、必ずしも安永先生の御指摘のように、秘密主義の閉鎖的な審議会であったと申し上げることはできないだろう。この間の中教審委員各位の非常な御努力は高く評価してしかるべきものだと思っております。ただ、先生がいまおっしゃったように、中教審答申は、実は正直なところを申し上げますと、あれ全体を読むだけでも容易なことじゃございません。したがって、私がすべてを理解しておるわけじゃございませんけれども、当面する諸問題の中で取り上げていかなきゃならぬ問題、これはつまみ食いをするという意味じゃございませんが、当面する諸問題について、これはすぐに着手しなきゃならぬという問題もありますし、またもう一ぺん検討し直さなきゃならぬ問題もあります。あまりに多方面にわたっておる事柄でありますので、中教審も、平時における教育改革なのでありまするから、それをいますぐやれということを要求しておるわけじゃありません。長期的展望に立って将来この方向に向かってやるべきであるということを指示しておるのでありますから、いろいろの検討を積み重ねていかなきゃならぬということは申すまでもないことであると思うのであります。したがいまして、この問題については、これを実施をいたしまするにあたりましては、各界各層の国民的合意の上に立っての改革でなきゃやることはできないと考えておるのであります。ただ当面しておりまする問題として、私はぜひこの機会にやってみたいと思いますのは幼児教育の問題と特殊教育の問題、こういう問題は当面の急務として取り上げていかなきゃならない問題ではないかと思うのでありまするけれども、お話しのように、これを全部一挙にやろう、一挙に解決するんだということを中教審も求めておりませんし、文部省自体としてもそういう考え方でやっておるのじゃございません。十分な科学的検討の上に立って、しかもその検討を評価をいたしまして、その評価の上に立って新しい学制改革考えよう、教育制度の改革を考えよう、こういう基本的な考え方に立っておるものであるということを御理解いただければまことにありがたいと思うのであります。
  17. 安永英雄

    安永英雄君 私の質問が悪かったのかもしれませんけれども、何言っておられるのか一つもわからぬ。私は当面の問題にしろ何にしろ——当面の問題というのは文部省が従前から当然やらなければならなかったという問題を、いま推進するんだというおっしゃり方と、中教審のこの答申というのは、おっしゃるとおり当面直ちにやれというものと、直ちにやらないで検討しろとか、あるいは長期にわたってと言いますけれども、この中教審答申全部がやはり哲学的な思索もあるんです。あるいはまた国家と個人とか、あるいは伝統と創造とか、あるいは自由と規制と、こういった哲学的な基本というものからつちかっていって、そうして現在の憲法あるいは教育基本法の、とにかく表面立っては修正を加えないけれども、全くこれと趣旨の相反するような内容も含まって、そうして私は間違っておると思いますけれども、間違いなりに脈絡は一貫しておるわけです。そうして一貫しておるその中の、いまおっしゃったように幼児教育を取り上げて当面の問題とする、こうなってきますと中教審との関係はどうかという問題も、あとで私は聞きますが、要するに長期にわたろうと当面の問題であろうと、あの中教審答申全部をこれでよしと、これは文部省態度なんだという形で受け入れているのかどうかという問題を聞いておる。
  18. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 中教審答申は、答申に対する考えとして、これを高く評価いたしたい、しかしこれを実施の段階に移すにあたりましては慎重な準備を要しますし検討を要する問題がある、したがって全部が全部を受け入れるということにはまいりかねる状態も起こり得るということは申すまでもないことである、こういう意味で申し上げたのであります。それから幼児教育、特殊教育の問題は、中教審答申の有無にかかわらず、当面緊急な問題としてやらなきゃならぬ問題であり、たまたま中教審もこれを指摘しておる、かような意味お答えを申し上げたつもりであります。
  19. 安永英雄

    安永英雄君 わかりました。だから、要するにあの膨大な内容を含んで、大臣も読むのに精一ぱいだという話もありましたけれども、しかし、それはもうすでに推進本部が発足しておるというふうな状態の中で、私はどうもあやふやだと思いましたけれども、しかし、全部が全部あの答申をうのみにするということではないし、またいまの文部省の立場としては、当面中教審答申にあろうとなかろうと、この行政の責任においてやらなきゃならぬという問題について推進をしていっておるのだ、結果としてそれを見てみると、答申の中にもかたがたそれがあったというふうな形で現在の中教審を受けての立場はあるということをおっしゃいましたので、この点については確認をいたしておきたいと思います。  そこで、いま幼児教育とか特殊教育、こういうことを部分的におっしゃいましたが、いまも質問がありましたけれども就任あいさつですから、あいさつに対しての云々ということは問題ではありましょうが、内容的には私は大臣の抱負ということがはっきり示されておると思うし、この内容全部を見てみますと、お話を聞いてみますというと、ほとんど全部が中央教育審議会答申の趣旨を実現するためにということで、いま約七項目にわたってこれはこう実現するのだという形が、この前のあいさつの中に入っておるというふうに私は確認をするわけです。もう一度言いますというと、教育改革推進本部を発足させる、先導的試行という問題についても取り組んでいく、幼稚園の拡充計画を推進していく、特殊教育内容の研究を促進する、高等教育についての抱負を述べられておるし、教員の資質の向上と待遇の改善、次に私立学校に対する助成の強化、これだけはどう見ましても、この審議会答申をしてきました内容、これを受けて、そしてこれを実現していくという決意を述べられたわけです。いまおっしゃった答申内容というのは、全部が全部われわれとしては受け入れるものではないし、これについては今後国民の世論とかあるいは各層の意見、国民的な合意で、合意に達しないものはどんどんはずしていくのだと、文部省態度もそれで変わり得るのだという立場をいまおっしゃったわけでありますが、この七項目については私は重要だと思う。これはそうは言ったけれども中教審答申内容そのものの部分部分で実現していこうということであって、あながち大臣がいまおっしゃったように、文部省が当然やらなきゃならぬ問題でたまたま中教審答申内容もある、だからこれを強力に推進していくのだというふうに私は受け取れると思う。したがって、ここで具体的にこの七項目について、この推進方の具体的な内容について説明をしていただきたいと思います。これは大臣でなくてもけっこうです。
  20. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) 七項目の第一につきましては、先ほど御指摘のように教育改革推進本部を省内に設けることでございます。これにつきましてはすでに七月一日より改革推進本部が発足しております。事務次官を主宰者といたしましてすでに発足しております。そこでやります事項といたしましては、一つ中教審答申の実施に当たっての具体的な計画等についての総合調整、これを第一にしております。それからあと広聴広報活動、こういう計画をどのように実施するか、このようなこともこの推進本部において取り上げることになっております。  第二につきましては、先導的試行についてでございますが、これは先導的試行を実施する学校を定めまして、どのような内容でどのような研究方法で、、あるいはどのような事項について研究開発を進めるかということにつきまして、定められたものについてスタートいたしますのが昭和四十九年度から、こういう計画になっております。したがいまして、昭和四十九年度の実施を前にいたしまして四十七年度並びに四十八年度の二年間でその先導的試行をどのように実施するかという具体的な実施計画を研究し、詳細に綿密に立てる準備をいたすことになっております。繰り返して申しますと、四十七年度四十八年度二年度で準備をいたしまして、そして四十九年度から先導的試行にスタートするということでございます。  第三につきましては、幼稚園の普及充実についてでございます。これにつきましては昭和四十七年度から十年計画を定めまして積極的に普及振興をはかることになっております。そしてその十年計画の前半、五年計画で五歳児の子供の幼稚園に就園したい希望者は全員就園し得るように措置をする、こういう計画ができております。  それから第四は、特殊教育の拡充整備でございます。これも昭和四十七年度から幼稚園振興計画と同様にスタートすることになっておりまして、この内容といたしましても答申で述べられております事項はほとんどその計画で実行されるようになっております。特に重度の障害児を収容できる学校を設置する、こういうことも計画されておりますし、さらにまた昭和四十九年度からは都道府県に対して必要な収容力を持つ養護学校を設置する義務を課する、こういうことも一つのねらいとして計画が立てられております。  それから第五は、教員の資質の向上と処遇の改善についてでございます。これは答申におきましては教員給与の抜本的な改善ということを提案されておりますので、文部省内におきましては専門的にこれを研究する研究会というものを組織いたしまして、具体策をどのように立てるべきか、本年度から研究にスタートしておる次第でございます。さらに教員の資質向上に関連いたしましては免許制度の再検討とか、あるいは新任教員の実施修練とか、いろいろと提案がなされておりますが、これらにつきましても専門的に検討いたしまして、そして昭和四十八年度から年次計画をもって処遇の改善を実施していきたい。こういうように考えられております。  それから第六番目には、高等教育の問題でございますが、これにつきましてはまず大学改革調査会というものを発足させまして、そして本年度中に各大学において改革が容易にされるようにその条件整備をいたしまして、それから昭和四十七年度におきましては国としての高等教育基本計画というものを策定いたしまして、そして各大学の自主的な改革と、それから国の基本計画、この調整をはかりまして、そして政府と大学の密接な協力体制のもとに四十八年度以降において段階的に目標年次を矯めて、高等教育各般の改革が実現されるようにしたいと、こういう計画で進められております。  それから最後に、私学助成関係でございますが、私学助成につきましては、答申にも強調されておりますので、私立幼稚園以外の私立学校に対する助成の強化とかあるいは受益者負担の適正化とか奨学事業の抜本的な改正、こういうようなことを一連の総合施策として考えるべく検討を進めます。そうしまして、昭和四十八年度ごろから年次的にそれが実施されるように具体的に検討を促進していく、こういう計画でございます。  以上でございます。
  21. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) たいへん恐縮でございますが、ただいま全般的に御説明申し上げましたけれども、私の担当の点につきましてちょっと誤解を受けるような点もございましたものですから、補足をさしていただきたいと思いますけれども、先導的試行につきましては、ただいま幼児学校とかあるいは中・高の一貫教育とかまあいろいろなことが言われております。それから教育内容につきましても、教育やり方につきましてもいろいろ言われておりまして、そういう問題につきましての中で、特に幼児学校とかそれから中・高の一貫教育とか、こういうものは中教審でもまた非常に研究を要するような課題として御提案がございましたので、私どものほうとしましては、先ほど申し上げました四十九年度から何か具体的にそういうものを設けてやっていくというふうな発言がございましたけれども、ただいまのところ私どもは、こういうものはまず具体的な問題として研究に着手をするということで、先の計画をまだきめてやるような段階になっておりませんものですから、その点はひとつお含みおきいただきたいと思います。  それからもう一つ、幼稚園の振興計画につきましても、五ヵ年なら五ヵ年でやるという方向は変わりませんけれども、まだ十分その私立の幼稚園とかあるいは保育所とかいう関係を調整していろいろやらなきゃならない部面もございます。そういう面におきまして、十カ年計画につきましては、ただいま奥田審議官から申し上げたとおりでございますけれども、五ヵ年計画につきましては、もう少し実態を見きわめて、初年度をスタートしてから全体的な計画を立てたいというふうに考えておりますので、その点も御了解いただきたいと思います。
  22. 安永英雄

    安永英雄君 私もそこが聞きたかったんでですが、局長のほうから訂正がありましたから、確認をしたいと思います。いま大臣がおっしゃったいわゆる中教審答申内容というものがたまたまいままで推進をしてきておったものと一致するので、そういうところから進めていくんだと、こうおっしゃったけれども、先導的試行などという問題は、これは一番大きな学制改革の基本になる問題なんです。これはもう十分討議をしなきゃならぬ問題だ。これを四十九年から実施するなどというような、発表をしたことがあるんです、文部省は。これは坂田さんの時代です。これはいま訂正があったから、私はいわゆるこの実験的な期間が終わったら四十九年から直ちに先導的試行ということで突っ走って全部いくんだというふうな言い方をされて、非常にこれは全国に波紋を描いておるところなんで、これは早急に訂正されなければならなかったと思う。いま訂正されましたから、この点については、先導的試行というものについての実施というふうな問題についてはまだ未定なんだと、まだこれは十分国民の意見、各層の意見を聞いてやらなければならないのだというふうに確認をいたします。しかし、私はそれにしましても、四十八年から四十九年にかけてのこういう時期に、実施計画、法令の改正あるいは実施校の指定、こういったことをなさるというふうに聞いておるが、この点についてはどうなんですか。たとえば、答申の中で、幼児学校の四歳から七歳、これを国立十、公立が四十六、私立十、四歳児から十七歳までの全段階を含む実施校を国立十、公立四十六、私立十、これをやんなさいというふうにしておるわけで、これは明らかに文部省が現行の制度の中でこういうことを進めてきた実績がないんですよ、何も。だからあなたのほうとしてはこれは一時的に実験的にやるんだ、やらしてくれという立場かもしれないけれども、この出発それ自体はよほどやはり中教審答申を世に問うて十分な検討の結果、これは進めるならば進めるし、やめるならばやめるべきなんです。これは無用の混乱を招いてきますよ。特に答申をごく最近受けて、直ちにそれに向けて先導的試行については云々ということを発表なさるのは早過ぎる、私はこういう気がしますが、まあいまの局長のことばでその点についての実施その他についてはまだきめてないんだということですから、先ほど説明されたのとは本質的に違ってくるというふうに確認をします。この点は大臣も先ほどおっしゃったとおりでありますから、少なくとも先導的試行などという問題についてちょっと紹介しますと、あなたのほうから出しておるこの「文部時報」という本の中の一三ページに、ここのところでこの中教審審議に加わった臨時委員の一人がこういうことを言っているんですよ。「六・三制がなぜ悪いか。あるいはそれを変えて何にするのか。五・四制にするのか。あるいは五歳就学が可なりや、不可なりや。というふうな問題が出てくるときに、そういうことを論ずる学問的な根拠、理論的な根拠というものは全くない」こうみずから言っておるわけです。それから、これについての実験データ、これも全くない。ほんとうのところは、むしろこの中教審が、理論的根拠もなく、実験的データもなくして、かってに五・四制だ、何だかんだとやることができない、正直に言ったら、もうとにかく中教審の結論を出したけれども、先導的試行については、これは全く自信がないんでございます。ないからとにかく実験をやってください、こう言っておるんですと、こういう言い方なんです。これははっきりしているわけです。これくらい危険な答申内容はないわけです。かりに、いま言ったように、各県に一校ずつとか、公立一校ずつとか、いま言った少しこれをやらしてごらんなさい、これははっきり先導と名前がつけてあるけれども、モルモットですよ。これはとにかく全国的に問題になっている点であり、もうこれは答申を受けて、早々と先導的試行については云々ということで、これについての準備をするとか何をするとか、こういう問題については差し控えてもらいたい、こんなふうに思います。この点について、あとでまとめて見解を述べてもらいたい。しかし訂正があったからこれはわからぬことはない。軽々しくこれは手をつけるべきではない。  それと幼稚園の問題をお聞きしたいと思いますが、私は幼稚園の問題については、ある程度この中教審答申内容はこの先導的試行を望みながら、しかし当面という形の当面のほうを実施しておるように私は思うのです。それがたまたまいままでわれわれも要求してきたし、幼稚園の拡充強化という問題については、これは文部省の従前の態度、これをやっておるんだという形になります、そうすると、これについていまちょっと補足がありましたけれども、十年計画という問題がありますが、これについて先ほどこの十年計画内容が示されました。これについては何か自信なげな言い方をいまされたようでありますが、この幼稚園拡充計画の十カ年計画内容について、さらに詳しく説明をしていただきたい。
  23. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 先ほどの点からお答えを申し上げますけれども、各県に一校、先導的試行のための実験校をつくるというふうなことは、これは予測計量の際に一応の過程としてあげたことでございまして、中教審答申の本体につきましては、先生が御指摘になりましたように、これはこれから十分研究し、調査し、そしてやるべきものだというふうな趣旨に私ども受け取っておりますけれども、またそういうことで、ただいま来年度の予算要求の中でそういうものをどう取り上げるかということを、いま省内で検討中でございます。したがいまして、その点についてはまだ明確なあれはできておりませんけれども、もし私どもで案ができましたら、また先生方にもお知らせするということにいたしたいと思います。また、幼稚園の十年計画につきましても同様でございまして、ただいま予算省議を行なって、それを最終的に検討中の段階でございまして、その詳細についてちょっと申し上げるという段階までにはきておりません。しかし、ただいま申し上げましたように、十年間で希望する四、五歳児を全部幼稚園に収容できるような、そういう計画計画を進めています。もちろん、保育に欠ける子供につきましては、別に保育所としてのものがございます。それから全部収容する際にも、公私立の役割り分担というふうなこともあるわけでございまして、それからも含めまして全体的にただいま検討を進めている段階でございますから、もうちょっとの間その点につきましては御説明をお許しいただきたいと思います。
  24. 安永英雄

    安永英雄君 誤解のないように、先導的試行のことについて一言だけ申し上げておきますが、私の言っておるのは、そういう実験的に各県に一校ずつとか、こういうこともやめなさいということを言っていることも私は一応つけ加えておきますよ。そのことがいけない、もう少し検討しなければだめだということなんです、これは。全部じゃなくて、ほんの各県の一つ学校すら、いまみたいに理論もなければデータもない、こういったものを実験的にやっていくというためには、まだまだ準備も必要であるし、来年の予算の中にどう入れようかなんということを考える時期ではないということを申し上げておる。それについては反対なんです。全体的に区切りをどうするとか、先導的試行の実現という、こういったことについては賛成するはずもないし、まあ実験ぐらいはよかろう、各県に一校ずつという考え方も捨てなさいと私は言っている。
  25. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) ただいまのところ、まだ決定はいたしておりませんが、そういう考え方はとらないつもりでございます。
  26. 安永英雄

    安永英雄君 次に、それではなかなかおっしゃらないけれども、それをあなたのほうはほんとうだろうと思うけれども、しかし、新聞報道等には詳しく出ているんですよ。これはどうか。私は読み上げてみますけれども、幼稚園の問題、何もまだきまってない、きまってないとおっしゃるけれども、坂田文部大臣のときでも、すでに大綱については、これは発表しているんですよ、予算の問題は別として。そうして、今度推進本部ができたら直ちに検討しているじゃないですか。そうして「教員の確保の問題」、「人件費を含めた私立への助成」の問題等で、坂田文部大臣当時に言っておったように、「幼稚園の数は原則的に小学校の数と同数」にまずやる、これでは「一致」、結論が出た。そうして「来年度はとりあえず、公立、私立いずれもない全国の千四百九十四市町村を重点的に」そのうちの「約七百を新設をする。」、それからまた、「就園率の非常に高い過密地域では、私立幼稚園の設立を促進するため国庫補助を大幅に拡充する」、こういう「特別措置を講じる。さらに園児が少ないため私立では採算のとれない地域は必ず公立を設置する」。これぐらい明確に出ていることはないので、あとで出てくるのはこれについてのかける計数しか出ていないのです。私は計数を聞いているのじゃないのですが、少なくともいま申し上げたような方針というものについては、この十カ年計画の中にそれを確認をし、実施に移そうというふうな決意で進まれておる段階なのかどうか、お聞きしたい。
  27. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 私どもも幼稚園の振興計画は検討いたしておりますけれども、他方、自民党のほうでもこれはいろいろ御計画を進めておりまして、その自民党の先生方の中でプロジェクト・チームをつくられまして、そこで一応できました案が、ただいま先生のお読みいただきましたような案になっているわけでございます。私どももほぼそれに近いような考え方予算を編成するという方針をきめるということになると思いますけれども、私どもは省の中でこの問題を予算編成の一環として取り扱っておりますので、まだ私ども文部省の案というところまではいっておりませんものですから、先ほどそういう意味でもうしばらくお待ちいただきたいということを申し上げたわけでございます。
  28. 安永英雄

    安永英雄君 わざわざ自民党の話まで出さぬでもいいと思うのです。社会党もあります。  局長、私が聞いておるのは、文部省態度を聞いているのです、いまの現時点における。私はここでもう一つ心配をしておりますのは、幼稚園の問題で、いまの計画で進むのはけっこうだと思います。いままでずいぶん設置をし、公立をつくれ、金を出せと言い続けてきたわけですから、これについての十カ年計画もこの中のまず七百を新設さしていく、これは画期的なことだと思う。これはぜひ進めてもらわなければならぬと思うが、ちょっと話は返りますけれども中教審答申との関係、先導的試行との関係、これの準備ではないか。たとえば幼稚園が現在のところ七〇%が私立で三〇%が公立、こういった関係になっておるので、直ちに先導的試行に切りかえていくというのはぐあいが悪い。反撃も食らった。だんだん公立学校をふやしながら私立を減していきながら、そうして先導的試行のほうに入っていこう、こういう意図があるとするならば、それは私は一応切り離して進めてもらって、従前のやはり幼児教育の振興、幼稚園教育の振興、これに全力をあげているのだという主体的な立場をとって進められておるというふうに確認をしてよろしいか。
  29. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 私どもも幼稚園の振興計画と先導的試行は別に考えたほうがよろしいのじゃないかというふうに、ただいま先生が御指摘になりましたのと同じような考え方でやったらどうかというふうに考えております。
  30. 安永英雄

    安永英雄君 いまの考え方で私もはっきりしたと思いますけれども、この点もやはりはっきりしなかったと思う。全国の私立学校の幼稚園等については非常に混乱を来たしておるし、推進本部態度というものについて非常に疑惑を持っているのです。この点、はっきりいたしましたから、この点についてはこの中教審答申とは関係なしに、幼稚園の拡充強化というものをやっていくということを確認をいたしました。  次に、いま七項目の説明がありましたが、この教員の処遇の問題、この問題についても、従前から教員の待遇改善という問題については、私どもとしては要求し、文部省に言い続けてきた。それから前の国会でありました教特法審議の中でも、人材を登用するためにも、とにかく待遇を飛躍的に改善をしなければならないというふうに言われた。ところがその間にちらちら見えたのは、西岡前の次官等が、これは無責任発言が非常に多かった。この委員会でもずいぶん追及していくというと、これは文部省態度であるかのごとき、あるいは西岡個人の態度というふうなことになって、最後は西岡個人でございますというふうなことを言うけれども、やはりこの処遇の方法というものについても根強く何か一つひっかかるものを持っておったことは事実であります。しかし、文部省は今日までこの教員の待遇の問題、この問題について定まった態度というものはなかったわけでありますが、この点について私はびっくりしたのは、七月の三日に人事院に教員等の給与改善という要望書を出されておる。ここで初めて教員の給与の方法という問題について、私ははっきり文部省の意図が出たというふうに思うのです。それは「高等学校以下の学校関係」について、「教諭および実習助手の初任給を大幅引上げる」、これは賛成であります。二番目の「教頭および教務主任、学生主任等について新等級を設定し、教頭を複数制にする」、こういうことをとにかく勧告の中に入れろ、こういうことを人事院に要望するというふうなことが出て、ここで初めていわゆる答申の中に含まっておる趣旨というものが、三日の文部省要望書の中に含まってきておる。ここで初めて明らかになったような気がする。そこで、教員の資質の向上というものの中でいろいろあっているけれども、非常に職務、職階、いわゆる五段階方式と世に言われておりますそういったものを一応示唆しておる。これをさっそく受けて、これを文部省態度としていま持っておられるのかどうか、これをもう一回聞きたいと思うのです。学年主任とか教務主任とか、こういったものの俸給表をつくれ、こういう要求を出すというのは、どこから出てきたものか、この点、この中教審答申というものと関係があるのかどうか、あるいは従前から考えておったのかどうか、あるいはこれがほんとう教員の待遇措置になるのかどうか、この点について見解をお聞きしたい。
  31. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 結論だけ申し上げますと、これは中教審答申とは関係がございません。と申しますのは、これは前から人事院に対しましてこういう趣旨のことを要望しておるということでございます。なぜそういうことを要望したかと申しますと、教員の給与の場合には、これは初任給はほかの公務員より高い、しかし、だんだんとこう一般の公務員よりは低くなってくるというふうな実態がございます。その原因は、これは先生も御承知のとおり、一般の公務員につきましては、係長でございますとか、課長補佐でございますとか、課長でございますとか、あるいは部長でございますとか、そういうふうな役職が上がると申しますか、そういう役職につくたびに俸給が上がっていくというふうな実態がございます。ところが、先生のほうはそういうふうなことではなくて、これはもう教諭でございますと、一本でずっといくわけでございます。そういう点からしても、ほかの公務員と比べて非常に上のほうになりますと不利になってくる、それを何とか是正できないものかということ。やはり先生の場合を考えましても、ある程度責任のある地位というのか、たとえば教務主任でございますとか、あるいは学年主任でございますとか、そういうものがあるんじゃないか。そういうふうなものが、ほかの公務員と比べますと、たとえば課長でございますとか、課長補佐でございますとか、そういうものと同じくらい職務の上では重要じゃないか。これは純粋に給与の面から申しておるわけでございます。そういうふうなところをとらえて先生の待遇改善はできないものか、そういうふうな考え方に基づくものでございまして、これは学校管理体制その他とは切り離して、純粋に給与の問題として考えた場合でも、そういう方法があるんじゃないかということで要望したのです。そういうふうに思われるわけでございます。
  32. 安永英雄

    安永英雄君 これは私はあとに相当時間をかけてやりたいと思いますけれども、いま局長がやわらかに言っておるような、そういうあれは相当進んだ話であります。これはもう教頭の管理職手当をめぐって、あの時期からずいぶん問題になってきておって、他の社会では課長、課長補佐、あるいは局長、こういったところで給与が上がるけれども学校の中には校長さんと先生しかいない。したがって、もったいないじゃないか、これは優遇措置というものを考えたらいいじゃないか。これは逆であります。むしろこれは人事管理面から来ておる問題であります。学校の中に、いまおっしゃったように、非常に自信がないようでありますが、学年主任もいらっしゃるんじゃないですか、教務主任もいらっしゃるんじゃないですか——教務主任、学年主任をどうきめておるかという問題については、よほど慎重に調査もし、実態を明らかにしなきゃならないと思うのです。四月に学校で人事異動が終わり、学校の中でどなたか職務分担をきめる。そのときに、ある人は衛生係になりなさい、ある人は掃除係の担当です、ある人は運動の係、いろいろな係ができるわけです。こういうふうに、いわゆる校務分掌の中における学年主任であり、教科主任、そういった形で生まれてきておる。そういったかっこうの中で、それは責任の度合いということをいまちょっとおっしゃったけれども、それについて給与をつけるということになってくると、たいへんなことになってくるわけです。いわゆる学校運営管理、こういった問題に大きな影響を与えてくるし、ねらいとしてはそうじゃないかと思う。わざわざ位をつけてやれば金をもらえるじゃないか、こういう発想ではないかと思う。私はこの答弁は時間がありませんから、今後十分やっていきたいと思いますが、ただ、これもいまさっき報告がありましたけれども文部省の中に教職員の給与改定の研究会をつくる、これは発足をいまからさせるということで、その発足にあたっての趣旨でありますが、この点、簡単に編成の目的、それをそれぞれ整理をして答弁願いたいと思うんです。研究会の性格、こういったものをお伺いしたいと思います。
  33. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) たいへん恐縮でございますが、これにつきましても、まだ結論が出ておりません。一案といたしまして、ほかのいろいろな官庁のそういう給与に非常にたんのうな方、そういう方も入れて、そういうものをつくったらどうかという意見がございます。私自身の考えとしましては、やはり給与問題というのは、これはなかなかむずかしいのでございまして、実情はわかりましても、そいつを給与の制度として確立するためには、やはり給与的な、給与理論と申しますか、そういうものについてある程度十分わかった者が真剣に取っ組む必要があるんじゃないかということで、これはそういうふうな考えで、実際的に責任をもってやったらどうかという意見は持っておりますけれども、しかし、これだけの大きな問題でございますから、やはり一つの組織をつくらなければならないんじゃないかというふうな程度でございます。これもただいま検討中でございますので、その点は御理解いただきたいと思います。
  34. 安永英雄

    安永英雄君 現在の出された答申をめぐって七項目にわたって当面の問題として着手していくということが、先ほど審議官から説明がありました、そうしてこれはつくったという話でありますが、これはいま局長がおっしゃるわけですから、これはまだ海のものとも山のものともわからないということですか。審議官も確かにそう意識して発表になったと思うけれども、要するに今度の中央審議会答申を受けた、その中に給与問題についての答申内容がある。それを具現化するためにこの研究会というのをつくっていって、期日的にもいま言ったんですよ、この問題については四十八年度から着手すると言うんでしょう、先ほど言ったのは。この給与の問題はそういう指標までもつくっているんですね。いまあなたがおっしゃった人事院に要望書を出したときには、これは従来の考え方で出した。今度の研究会というのは答申を受けて、それの具現方についての研究をする会というふうに私は受け取ったから、いまお聞きをしておるわけです。これについては私はずいぶん早いと思うんですよ。この問題はあの答申の中で給与の勧告が出ておる、出ておるけれども、もう今度の四十八年ですか、改善に着手する、こういったものではないと思う。あれをよく読んでもらいたいんですよ。一歩下がって中教審答申内容そのものに入っても、いろいろな条件の中で、これだけのものができ上がったら先生というものはこういうことになるんだ、したがって、こういう先生についてはこういう給与をしなければならぬという、そういうものであって、その前提の問題について、まだまだ四十八年度から着手——万が一中教審の示している内容教員の待遇改善というものを具現するためには、もう四十八年から手をつけられるような内容ではないんですよ。私はいま、これは研究会というんだから、どういう性格を持ち、どういう権能を持ち、どういう構成でやられるのかお聞きをしておるわけですけれども局長は皆目これについては未確定です、こう言われますが、考え方をもう少し……。
  35. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 待遇改善の必要性につきましては、これは先生方からも御指摘のあるとおりでございまして、もう中教審答申のあるなしにかかわらず、これはやらなければいけないということは、これは言うまでもないことでございます。私どももかねてから官房長を中心にしまして、省内でいろいろ研究をしてまいりました。しかし、中教審答申をきっかけにしまして、その中にはもちろん制度前提にした待遇改善がございます。しかし、それとは別に教員の待遇改善を総合的に、単に給与という面ばかりではなくて、少し総合的に検討してみる必要のあることは、これは言うを待たないところじゃないかと思います。そういう意味で研究会をつくるということは、これはそういうふうにしたいということでございますが、私が申し上げましたのは、その中の組織をどうするか、どういうふうな構成でやっていくかということにつきましては、いまいろいろ相談をしておるという段階であるということを申し上げたわけであります。
  36. 安永英雄

    安永英雄君 それではとにかく中教審答申を受けて、これの具現方というものをどうするかということを研究する研究会だという性格は持たしてある、持っておるという構想を持っておるということですか。
  37. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) これは私から御答弁するのがいいかどうかわかりませんが、大学の問題もございますし、ただいま官房を中心にその問題につきまして検討中でございます。そういう研究会をつくるということは間違いございませんが、その内容等につきましてはまだ検討中であるということでございます。
  38. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると、この会の性格というのもまだ未確定だというふうに確認してよろしいですか。というのは、私盛んに聞いているのは、一番初めに大臣に聞いたように、教員の給与をとにかくよくしなければならぬという意図のもとに今日までやはりきているわけですよ。人事院総裁も来られておりますけれどもあと質問しますが、毎年毎年あなた方も人事院総裁に対して給与を上げてくれという要求をされておる。しかし、これでまだまだだというふうなことも、この前の教特法審議する中にも出てきた、こういう従前の教員ほんとうに純粋に給与を上げてやろうというための研究会の従前の流れをくむ研究会なのか、全くそうじゃなくて、今度の勧告を受けて、これをどう具現していくかという研究会なのか、その性格はまだきまってないというふうにおっしゃっておるのか、それはきまっておるのだとおっしゃっておるのか、構成だけができてないとおっしゃるのか、その点をもう一ぺんお聞きしたいのです。
  39. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 性格につきましてはまだきめておりませんけれども中教審答申があったわけでございますから、それはそれで別だと、いままでどおりのやつはいままでどおりでやるのだということではございません。やはり中教審答申があったわけでございますから、そういうものも含めて教員の待遇については総合的に考える、給与の問題はもちろん人事院の勧告が必要でございますから、私どもが人事院にお願いをし、人事院を説得するに足るだけの私どもが研究をするということがどうしても必要じゃないかということでございます。
  40. 安永英雄

    安永英雄君 人事院総裁にお聞きしたいのですが、先ほど私申し上げましたように、文部省のほうが七月にとにかく教務主任とか学年主任とか、新しい等級を設定してくれと、設定する考え方をひとつつくってくれというような申し入れをしておるわけですね。それからいまも局長から中教審答申もされておることだし、従前から給与の問題については考えておったと、したがって、人事院を感激させるような勧告をさせるような研究をいまからするのでという話ですが、私はこれは直ちに発足をして四十八年度から着手するなんというのは危険なメリットまでつくっておるということでありますから、報道機関のほうからとってみますというと、そういう感奮興起するような、人事院がそれはそうだといって勧告するようなものをつくるということで、やはり人事院のほうから勧告、こういったものでそれを得て実現していきたいという構想を持っておるようです。私のほうから再三聞きましたが、やはり中教審答申を受けて、これをよりどころにして給与を改定したというのではやはり片手落ちなんで、やはり本筋としては人事院を通じて、いま人事院勧告の内容あたりを具現するような内容を持っていきたいという考え方を持っておる。その私は前段としてまず七月に教務主任とか学年主任とか、これはその構想によく似ているわけです。これを持っていって取り上げられなかったのです、この間の勧告の中に、私はこう思うのですけれども学校教育法の中で教頭という問題もないわけです。法制化されていない。ましてや教務主任、学年主任というものはない。また実態のないものもあるし、実態のあったところで事実上、責任を伴っているものか、伴っていないものかという問題においてこれは非常に不明瞭なんです。私の大体調べたところでは、これはもう輪番制になっていて、去年は英語の主任だったけれども、ことしはあなたやってください、私は卒業生の担任を持っているから、あなたは一年生のほうを持っているからからだが多少あくから、あなたのほうが主任になってくださいとか、いろいろ学校の創意くふうによってこの主任とかというものが出てきている。別に責任の度合いとか、官僚的な段階ではないのです。それが非常に学校ではうまくいっている。私はそういうことで非常にデータを持っているわけですけれども、もしもといったら人事院総裁おこるかもしれないけれども、今度はねられた——はねられたのかどうか知らぬけれども、そういうものの根拠なり、文部省の言ったことをがんとして聞かなかったり、あるいは今後持ってきてもこれは私は人事院としては勧告するような筋合いのものではないと思う。その点についてどう思いますか。
  41. 佐藤達夫

    説明員(佐藤達夫君) 何とか主任等々の要望は、前にここでごやっかいになりました教特法のころから出ておった要望であると思います。それが実現しなかったことについて前の大臣はだいぶ不満のようでしたけれども、要するにどういうわけかというお尋ねでありますから簡単明瞭に答えれば、いまちょうどおことばがありましたように、われわれを感奮興起せしめるに至らなかった、こういうことに尽きると思います。
  42. 安永英雄

    安永英雄君 これはいまからずいぶん、これは大臣も当初におっしゃったように、メリットは四十七年というものは局長、動かせませんか。人事の改定というメリットを置いたなら、それは確実にそのとおりに進んでいくとするならば来年の勧告の中に入れてもらわなければ間に合わないんですよ。この道筋とりますか、はっきりしてください。そうしたらこっちもまた審議のしようもある。四十八年からやるなら来年の人勧の中に入れてもらわなければ間に合わない。そういう手続をとりますか。
  43. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 給与改善の問題は非常に急を要することは確かでございますが、しかし、私どもが研究をいたしまして実際に人事院に申し入れをするという段階までいけるかどうか、これはいまのところまだわからないわけでございまして、四十八年度にそういうことをするということは私もちょっと言えないのじゃないかと思います。
  44. 安永英雄

    安永英雄君 それでは先ほど審議官が言われたのは、これは私見てみますと、審議官言われたのは、坂田文部大臣がこの答申を受けて、欣喜雀躍受けた即日もう、こう受けました、けっこうなものを受けました、そうしてこれは直ちに実施しますという中にちゃんと入っているのですよ。だから、今度の大臣が先ほどおっしゃった大臣の立場からするならば、取捨選択も十分される余地もあると思うのです。審議官の読み上げたのは、坂田文部大臣時代の答申を受けてということです。先ほど当初に聞いた大臣の立場というものは、そういったメリットその他の問題についてもあるけれども、これについてもやはり相当いろいろな方面からの意見を聞いたり、あるいは当委員会審議をしたり、いろいろな中でやはり変化が続くのだというふうに私は思いますけれども、時間がありませんから、もう一点のほうに移らせていただきます。  時間がありませんから簡単に申し上げますが、この八月の十日に長い間審議が行なわれておりました佐賀の地裁におきまして一審の判決が出たわけで、これは御存じのとおりであります。そうして被告側の教育委員会、これが不当な処分をしておったということで、これを懲戒処分を取り消せと、こういう明白な判断が出たわけであります。で、私はこの当委員会において、あるいは中郵事件、あるいは都教組の事件の最高裁の判決、続いて和歌山あるいは福岡、佐賀、こういう一連の事件というもの、これの判決が出るたびに追及をしておったのでありますが、この点については最終的には、これが刑事訴訟の問題であるので、行政処分の問題等については、これは判決が出ていない、これは全く別だと、こういうふうにして逃げたのであります。また、それは一つ考え方かもしれません。私どもはこの刑事訴訟の問題が出たときに、これはあくまでも、この内容を見たときには、行政処分、こういったものまで当然触れておるという個所もずいぶん指摘をして、そうして文部省が指導する行政の処分という問題については、考え直してはどうかということを主張し続けてまいりました。その間、坂田文部大臣のほうで、確かに刑事訴訟の問題で、判決文を読んだ場合に、非常に軽微であるかどうか、あるいは公共性という問題、あるいは損害、被害を国民に与える程度、こういったものについては非常に不明確、判決も不明確、しかし、そういう与える影響というものについては非常に薄い。こういうことで主として、判決文を読み上げませんけれども、無罪の根拠になっておるということになるならば、これは文部省としても、文教委員会としても、そういった限度については、やはり結論を出すように検討すべきではないかということになったこともあります。あるいはまた処分の内容、量、質の問題についても、これは現行やっておる問題について、実態をつぶさに検討していけば、やはりこれは不当なものがずいぶんあるということも理解できる。したがって、これについても、今後文部省としても検討していきたいということを坂田文部大臣もこの席で言ったことがある。ところが、文部省逃げておったわけでありますけれども、行政訴訟という問題で今度明確に判決が出てきた。聞くところによりますると、これは当たっているかどうか知りませんが、文部省のほうのいろいろなサゼスチョンで、和解もしたかったこの佐賀の教育委員会もついに上告せざるを得なかった。こういうことも聞いておりますけれども、真偽のほどはわかりませんが、上告したことは間違いない。二審、三審といくかもわかりません。しかし、一審の中で待ちに待った行政の問題について、裁判所がどういう判断を出すだろうかというふうに私どもとしても考えておったし、文部省としても考えておったのでありますが、こういった処分を取り消せという判決が出た。内容申しません、時間がありませんから。これを受けて、私は少なくともいままでのように、刑事裁判における判決が、最高裁の判決が出てすら、行政の問題と刑事の問題は違いますからと、こういうふうにして言っておったけれども、行政の第一審が出たこの段階において、いままでずいぶんなとにかく処分者を出してきておる、処分しろといって指導しておるこの文部省態度というものも、ある程度検討の時期が来たのではないか。私に言わせれば、もうこの判決どおりに今後の処分の態度というものは持つべきではないか。一歩譲って、そういう態度に直ちにできないとするならば、何らかの、とにかくいままでどおりの行政処分についての指導方針というものどおりにはいかないという私は責任感じてもらわなければならないと思う。この点について文部大臣のお考えをお聞きしたい。
  45. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 地公法三十七条一項の規定が憲法二十八条に違反しないということは、教職員の争議行為が次代の国民教育上に障害をもたらすものであるという理由で、昭和四十四年の四月、例の都教組事件につきまして、刑事免責の判決がございましたことは御承知のとおりでありますが、その際にも、このことが違憲にはならないということを判示いたしておるので、私としましても公立学校教職員の職務というものにはきわめて高い公共性があるということから、その職務の停滞は許されないと考えておるのであります。昭和三十二年に行なわれました佐賀教組の本件の一斉休暇闘争も、当時の教育上に障害をもたらすものであって、地公法三十七条一項で禁止する争議行為に該当するものであると言わざるを得ないということは、文部省としては一貫した考え方なのであります。  ただ、そういう考えで、誤解のないように申し上げておきますが、文部省といたしましては、これに対して上訴することを示唆し、上訴することをすすめたというような事実はございません。その点だけを御理解をいただきたいと思います。
  46. 安永英雄

    安永英雄君 都教組事件のあと文部省態度というのは私どもよく承知しております。また、今度の判決も憲法違反とは言っていない、三十七条は。そのことは趣旨はわかった、ただもっともということで。具体的には佐教組の問題を詳細に事実行為をずっと述べていった場合に、教育計画というのは相当の余裕を持っておる。絶対変わらないというものではない。ある程度の弾力性あるいは柔軟性というのが日常教育のために必要である、また、それを許しておるということで、三、三、四割の一斉休暇というものについては、これを根拠にして、これは処分をしてはいけない、処分を取り消すべきであるという判決を出しておるわけです。現在、私は聞きたいんですが、これは時間がありませんから、資料要求もしておりましたけれども、相当ものすごい、これは文部省が上告は、私は大臣がおっしゃるから、そうだろうと思いますけれども、行政指導で処分をしろという、処分の方法なり何なりは通達その他で指導していることは事実です。指導している。そうして三十分の授業をカットしたということで、処分をする。二十九分ならよろしい。二十九分のときには処分しないが、三十分たったときには、これは処分する。佐賀のこれは三、三、四割の二十四時間ストライキ。福岡県教組あたりはこの当時日常やっておった。何回もやっておった。何にもない。支障を来たさない。処分もなければ、刑事問題にもならない。それが佐賀だけなった。これは当然佐賀の判決の結果というものは私ども待っておったわけです。いま、人事院総裁もおられますけれども人事院総裁政府に十年間にわたって完全実施をせよと言っておったものが十年間かかって、去年の五月完全実施ということをやられた。その間に争議行為をして、三十分とか一時間とか、わずかな時間、いわゆる佐教組事件の無罪の根拠になった、一日休んで、その授業計画が、やっても、一年から見れば、弾力性があるから取り戻しておる、とう言っておる。三十分や一時間のカットという問題について、この佐教組事件の無罪になった根拠を考えてみるならば、これはまた処分をしてはならないという帰結は当然出てくると思う。裁判にかけなくても出てくる問題であります。私はそういうことを言っておるわけです。したがって、現在やられておるあれを、大臣としては、既定方針どおりだというふうな意向のことを、ことばはやわらかにおっしゃったようでありますけれども、しごく内容としてはきびしい、断固としていままでの方針は変わらないんだというふうな言い方ではなかったかと思うんですけれども、何らかここで、とにかく文部省としては、この行政処分についての指導という問題については考える時期に来ておるのではないかと思うし、検討しなければならぬ時期に来ておるんじゃないかと思いますが、もう一回大臣のあれをお聞きしたいと思う。
  47. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) これは、安永さんのせっかくの御質問でありますけれども、私は、争議が三十分であろうと二十分であろうと二十九分であろうと、時間によって争議行為が処罰の対象になるべき性質のものじゃないと思うんですね。で、行政裁判所がなくなりました今日、司法裁判所の判示を仰ぐということは、これは当然の救済措置だと思うのであります。が、少なくとも、この争議によって被害を受ける者はだれであるかということを考えますというと、これは子供であるということでございますね。地域住民に対する一般的な影響がどうのこうのという問題じゃなくて、子供が被害者である。もちろん、それは取り返しはつくじゃないかという議論はあるかもしれませんけれども、少なくとも公共性の非常に高い教育の場においての争議行為というものは、その争議の態様というものを中心に考えなきゃならぬ。目的、態様というものを中心に、処分するかしないかという問題を考えるのはこれは地方の教育委員会の判断に待つべきものであって、したがって、これが地公法第三十七条の第一項に触れるものであるという基本の姿に変わりはないということを、この点、これははっきりと申し上げておきたいと思います。
  48. 安永英雄

    安永英雄君 私が言っているのは、そういった論を進めていくといつもそういうところで逃げられる。子供の云々と、こういうことですけれども、ここで少なくとも行政の面から考えた場合に、そういった面を取り上げて云々するということじゃないと私は思う。現に、あなたのほうで指導をしておるのかどうかは別として、時間の問題は別とは言っても、二十九分と三十分とはずいぶん違う判断を教育委員会はしながら、それで処分をやっておる。こういう事実も私は次にあげていきたいと思う。それからまた、処分以外の延伸等についての考え方については、坂田文部大臣とはずいぶん話し合いをし、ここではっきり検討するということも言っておったが、処分ではないと言いながら、延伸というのを処分の範疇に現在では入れてしまっておる。こういう問題もある。私はこの処分の問題は、単に子供が云々という問題で片づけられる問題ではないと思う。各方面から総合的に考えなければならない問題である。私は、そういう意味で、時間もきましたから、この問題については次の機会に、あなたのほうもデータを十分持ってきていただきたいと思う。私もデータ持ってやりますから。  これで終わります。
  49. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は本日が初めての質問でありますし、また、さっきからお伺いいたしておりますように、国会向けの非常に丁寧なることばもあまり存じませんので、あるいは質疑の中で失礼なことがあるかとも思いますけれども、その点はまずひとつお許しをいただきたいと思います。  去る十三日の人事院勧告についての質問をしたいと思うのでありますが、人事院総裁にお伺いをいたします。十三日の総裁談話によりますと、勧告は、人事院がことし四月現在で行なったところの調査の集計に基づき、公務員の給与を民間給与の水準に追いつかせる趣旨のもとに行なったものであると、こう明確に言い切られておりますし、また、勧告の至るところにその旨が強調されておるわけでございますが、私は、今日なお公務員給与のあり方が、このような官民比較主義と申しますか、もっと端的に申し上げますならば民間追随主義であるということについて、大きな疑問を持っておるわけでございますが、このことについては後ほどお伺いいたすことといたしまして、まずお伺いをいたしたいのは、その勧告の強調いたしておりますところの民間給与の対比の中身の問題でございます。たとえば勧告は、官民給与の格差を一一・七四%であるとしておるのでありますが、春闘の積み残し分という立場から見てみましても、昨年の春闘は比較的早期に終わっておりますが、それにもかかわらず、積み残し分は四・一一%であったようでございますが、ことしは、人事院も御承知のように、いわゆる春闘が長引いて、五月はおろか六月まで、いわゆる賃金問題の妥結が長引いておるという実情であるのでありますが、そういう点を考えてみました場合に、積み残し分を昨年よりもはるか低く三・五五%として押えておられるわけであります。この点私は正確な実態とはどうも思えないのでございますが、その点に対するところの御見解をお聞きいたしたい。  また、公務員と民間との職務の態様の比較を見ましても、公務員の多種にわたるところの俸給表と、民間のそれと、同種あるいは同ワクとして比較すること自体に私には非常な無理と、また、相当複雑性があると考えられるわけでございますし、企業の規模あるいは事業所の規模の対象によっても、この格差のはかり方というものはだいぶ違うように考えられるわけでございますけれども、そこらあたりのやはり人事院の考え方ということを明確にしてもらいたい。ただ、私がお尋ねしたいのは、よくこの委員会等で出ておりますところの、いや五百人以上だとか、千人以上のところを云々という、何もそこの基準をどうしておるということじゃない。いずれにいたしましても、やはり企業規模、いろんなもの、対象の大きい小さいということをいろいろ取りまぜて考えてみますれば、やはり相当格差の取り方についても問題点があると、こう考えられるだけに、この点もお聞かせ願いたいと思うのであります。  さらにまた、ほんとうに人事院が文字どおり民間給与との水準に追いつくことにこの勧告の趣旨があったとするならば、民間や公共企業体がすでに四月から実施をされておるのに、どうして公務員だけが依然として五月勧告という形になっておるのか、これは非常に疑問であるのであります。昨年の八月二十八日の本院の文教委員会におけるところの議事録を拝見いたしますと、総裁はこの問題についてわが党の安永君の質問に答えて、五月実施は昭和三十五年以来何らの批判も見ることなしに受け入れられてきたんだから、にわかにこれを軽率に変えるわけにはまいりませんとこう答えておられるのですがね。しかし、今日のこの状態の中では、もうこういう答弁では世間を納得させるわけにまいらないのじゃないでしょうか。それをあえてしてやはり依然昨年どおりの答弁を一体総裁はお考えになっておられるのかどうか、ここのところを私はお聞きしたいのですよ。この問題については、何ら批判を受けなかったどころか、実は公務員の間には初めからこの問題についても不満があったのです。ただ、御承知のように一昨年までは五月実施さえもできなかった、完全実施さえもできなかった、ここに一番不満の焦点があっただけに、昨年本委員会で答えられておるところの、何らこの問題については異議がなかった云々というのは、これはちょっと私は総裁のひとりよがりの御発言かと考えられるわけであります。それだけに私はやはりこの問題についての明確なる人事院の方針、考え方というものを示していただきたいし、率直に申し上げますならば、ほんとうに勧告が文字どおり民間の賃金の水準に追随するということであるならば、これは実施期日も四月一日というのは当然じゃないのでしょうか。このことにあえて目をつぶって、五月としておらなければならなかったところのその理由ですね、これは皆さん御承知のように、すでに大新聞の論調の中にも、もう公共企業体や、あるいはまた筋論で言えば四月実施がもう常識なんだから、そろそろ人事院もそこに踏み切ったらどうかという論説さえもあるのも御存じだと思います。そういうことを考えてみますれば、ここのところをやはり明確にしてもらわなければならぬし、またこの四月実施というものはもう踏み切る段階だと私は思うのであります。ほんとうに人事院が総裁の常に言われるところの中立性あるいは人事院の尊厳性というものを高めようとするならば、五月実施で云々というような政治的配慮はもう一てきするところの段階ではないか、このようにも考えるわけですが、この問題に対するところの総裁の御見解をまず承りたいと思います。
  50. 佐藤達夫

    説明員(佐藤達夫君) 前のことを十分御勉強の上でのお尋ねでありますから、たいへんお答えのほうもしやすいのでありますが、おそらく三点いまのお尋ねの中にあると思います。  その第一点は、しょっちゅう私どもとして恨みつらみを申し上げて言っているところでございます、春闘がどうしてあんなにおくれるのかということに尽きるわけなんです。御承知のように初めはあれほどおくれてはおりませんでしたが、昭和三十九年ごろからだいぶおくれを始めて、その次の年をどうしてくれるというようなことはわれわれのほうに非常に強力なる要望があったのです。なるほどこれはみすみす来年持ち越すというのも公務員諸君のためにもならぬ、筋からいっても、来年の経済界と対応した勧告の形にはとてもこれはならぬ。前年の分が持ち越されるということでは若干不合理な点もあるだろうということで、勇気をふるって例の積み残しをそこに計算に加えたということをやりましたことは、もう宮之原委員も十分御承知のとおりであります。それ以後春闘が早まるかといえば決して早まりはしない。ことしのごときは、いまおことばにもありましたように、たいへんおくれましたために、われわれ調査をしておる者はたいへんな苦労をしております。調査期間中締め切りに追われて工場をたずねれば、いまはそれどころじゃないのだ、取り込みの最中だと、帰れと言わぬばかりに追い返された、また済んだだろうと思って工場に足を運ぶというようなことまでしまして、ことにことしはその点を訴えたいのでありますけれども、苦労に苦労をしてわれわれとしては調査をした。したがって、いま二〇何%というようなおことばがありましたけれども、何もそんなに変わらないところまでわれわれの努力によってやりました。これ以上延ばすならば、これはむしろ調査時期のほうをおくらして、四月調査を六月調査にせにゃなるまい、そのほうが公務員の方々のおためにもなるのじゃないか、春闘を早めてくださらないならばですね、というようなことで、総評議長なり何なりに対してわれわれのほうは勧告権を持っておればいいのですけれども、そのほうの勧告権がない以上は、われわれのほうが追随しなければならない情けない立場におってのことである、それにもかかわらずよくことしは調べたということをおほめをいただかないと、われわれの調査員の方たちは浮かばれないということになるわけであります。  そこで第二点は、民間の企業との比較の問題で、これは民間追随主義についてはいずれまた別に御追及があると思いますから、その点については触れませんが、われわれは官民比較の立場をとって、なおかつそれがまた正しいと思っておりますからして、その比較のやり方の問題はこれまた大きな関心を持って臨んでいっておるわけであります。ただ、いまのことばに、五百人とか千人とかけちなことは言わぬとおっしゃいましたので、よほど次元の高いところをお考えになってのことではないかと思います。したがってその点軽々しくお答えすると、こちらが恥をかくことになりはしないかと思うのであります。われわれは、現在は百人以上、五十人以上というところで基準を置いておりますのは、日本における全従業員の過半数ですか、半数以上を占める人たちをとらえてその水準を比較をして、せめてここまではぜひ追いつかしていただきたいという立場をとっており、また、かくして納税大衆を含む国民各位の御納得も得ることだろうと、昔のように天皇の官吏というようなことで官吏、公務員が特権的な立場を持っておれば、私自身も経験がございますけれども、当時の官吏の俸給なんというのは民間には目もくれずに独自の白紙の上に数字を並べておりましたけれども、今日においては憲法二十八条によって公務員も勤労者である——労働者ということばをお使いになる方もありますけれども、憲法に言う勤労者である以上は、昔と比べてこれは決して特権的な立場を持つものとは考えられないということになれば、国民大衆に対する納得を得るその給与のあり方ということになれば、せめて全従業員の半数以上を占めるくらいのところの水準には合わせていただきたいということは趣旨が通るだろうということでやっているわけで、これは宮之原委員十分御承知のことで、いまさら申し上げるまでもありませんけれども、ここで繰り返して申し上げさせていただきます。  それから、四月実施の問題は、いまお述べになりましたとおりの立場でおります。五月にきまったいきさつなどのことも、これは十分調べておりますけれども、五月説が間違っておるとかいうところまで言うことは、いわゆる十年以上、完全実施までの間にわれわれの五月一日から実施というやり方が間違っておったということもまだわれわれとしては確証をつかんでいないということもありまして、しかし、考えてみれば四月説も一理なきにしもあらず、最近では一理あると言わねばなるまいというようなところまで、これは、私は率直なことを申し上げておるわけなのです。しかし、それがいま触れましたような国民大衆を納得せしめるようなそういう確固たる論拠、五月は間違っておったというようなことはまだわれわれとしてはいまの研究段階では出ておりません。したがいまして、これはわれわれとしてはとらわれない考え方でなお真理を追求してまいりたい。ただいまことばじりをおとらえするようで恐縮でありますけれども、民間、公共企業体では四月に実施されているというふうな考え方を持ってますと、御承知のように春闘によって上がる民間企業もたくさんあるはずです、最近では大体春闘のほうに寄ってまいりましたけれども、いまだにやはり夏から秋にかけて上がる企業もございますし、この民間における値上げの時期というものをとらえていると、これはよほど精密なる計算をしませんと出てこない、ということは、私が申し上げるのはおかしなことで、手のうちをさらけ出すことですけれども、これは真理の追求のためには何もかも申し上げたほうがいいと思いますが、四月に調べたから四月にさかのぼるという単純な話に持っていきませんと、民間のほんとうの上がりを追っかけるということになると、九月に上がったところ、十月に上がったところまでこれはとても計算はできないのであります。これだけ単純な問題であるだけにまた理論的にどれほどの真理がそこにあるかという問題があるわけであります。したがって、この点は検討を続けております。そうして、りっぱな結論が出て国民大衆もなるほどとおっしゃっていただければ、もちろんわれわれはその正しいあり方に実施時期を持っていくという気持ちでおるわけでございます。
  51. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 積み残し分の問題でありますけれども、まあ私に限られた時間がありますから別に機会もあると思いますから、何か総裁のことばをかりて言えば、六月、七月まで延びておるのだから勧告もおくらしてくれるならばそれはその分も正確にはかれるのだと、こういう趣旨でございますと、それで十分ですよ、公務員の待遇がより改善されるならばそれでけっこうだと思いますよ、端的に申し上げて。ただ、そのかわり実施は四月、たとえば十月勧告されてもこれは四月であればけっこうなんです。こうなっていただけばけっこうなんであるから、そのこととこれと混同されぬようにしていただきたいと思うのですよ。それから四月実施の問題ですけれども、私はあえて間違っておるとまだ断定しませんけれども、しかし常識から考えて人事院は四月調査を原則としておられるし、あるいはまた民間のやはり賃上げというものも確かに九月も十月もありましょうけれども、大部分は三、四月でしょう、そういうものと勘案してみればこれは当然四月実施というのがこれはあってしかるべきだというのが私は正論でございます。しかも、確かにいままでは先ほども申し上げたように、完全に実施をされておらないこと等から考えれば、そこに政治的な配慮があったということもしかるべきだと思いますけれども、もう昨年からは完全に実施されておるようなわけですから、ここのところがやはり一歩勇断をもってもう踏み切るべきところの段階に来ておるのではないかと、こう思いますし、ぜひともひとつその点来年は積極的な前向きの姿勢を示していただきたいということをまず申し上げておきたいと思うんです。  なお続いてお尋ねしなければならない点は、先ほどもちょっと触れましたところの公務員給与のあり方の問題でございます。私は勧告の官民比較至上主義というものを、そろそろもう脱皮をしていいころじゃないかと端的に思うんです。こう申し上げますと、総裁は、まあ人事院は中立機関として公務員の一種の基本権の代償的機能があるのだから、現在の官民比較主義が客観性があって手がたい方法だと、こうおっしゃるかもしれませんけれども、しかし、もういつまでもこのような方針だけを踏襲するんでは、私は公務員の給与というのは民間の賃金体系の中にいよいよはめ込まれてしまって、埋没してしまって、公務員の特性というものが失われてしまうんではないかとさえ思っているのであります。そういう点から考えるならば、公務員の給与はどうあるべきかという原点に立ったところの給与体系の確立というものは私はもうそろそろ人事院でも本格的に検討するところの段階に来ておると指摘をせざるを得ないんであります。今日よく言われておりますように、優秀な人材が民間の大企業には行くけれども、公務員にはどうも云々というやはり一部の声がある。その声の一つの要因も、私はやはりこの給与の問題とも全然関係ないでもないんじゃないか、一理あるんじゃないだろうかと、こう思うものでございますし、今日それぞれの職業の特性とその任務にふさわしい給与の確立ということは、私はやはり世界的に見れば一つの趨勢だと見ておるのでございます。まあ私がいままでタッチしましたところのいろんなヨーロッパ各国におけるところの関係団体のいろんな賃金問題のあり方に対するところの取り組みなり、あるいは世界のいろんな労働組合の方向等勘案すれば、そのことが非常に強調され出しておるというのが現実であるだけに、私はやはりもう人事院もいつまでもこの民間給与追随主義ということから脱皮をする時期に来ておるんじゃないだろうかと、こう思うんです。もちろん私も直ちに人事院がそのことに踏み切るには、非常に大きな、克服しなければならない、解決しなければならぬところの問題点があるということはよく承知をしておるんでございますけれども、それにしてもやはりこの前向きのそこへの姿勢というもの、あるいは勧告の要素というものがうかがわれてこそ、私はやはり公務員全体に対してもこの問題に対するところの関心をより集め得るんじゃないかと思います。しかしことしの勧告を見ますれば、むしろそれとは逆行したような形で民間追随主義が強まりつつあるという感じさえも受けざるを得ないからこう申し上げる。したがいまして、ここで私がお聞きしたいのは、その公務員給与のあり方という本質論について私はやはり総裁の御見解をひとつこの機会に承りたいと思いますし、またこのことと関連をいたしまして、文部大臣には教育公務員給与のあり方に対するところの基本的なやはりものの考え方というところの御所見をもあわせてお伺いをいたしたいのであります。したがいましてそういう点をひとつお聞かせを願いたいし、その点は私が日ごろ尊敬をしておくあたわざるところの総裁に、ひとつ理にかなったところの御見解をぜひともお聞きしたいと、こう思っております。
  52. 佐藤達夫

    説明員(佐藤達夫君) 先ほど触れましたように、私自身、回顧的な立場からいいますというと、昔は官民比較などということを超越しておったということを先ほど触れたわけです。それが望ましい将来の理想的な姿ではないかということは、私個人的にはいまでもそう信じております。しかし、これも先ほど触れましたように、今日の実態から見てどうか。たとえば非常に給与水準のあるいは賃金水準の高いヨーロッパ諸国あるいは英米というような国々さえも、近ごろになって人事院の方式を追随し始めて、民間調査ということに非常に重きを置くようになってきたという事実もあります。それはそれとして、やはり一般的に非常に経済あるいは賃金状態がよくなって、公務員がどうのこうの、よ過ぎるの何のというような声の出ないようなおおらかな世の中になれば、私はそれは実現可能だろうと思います。ところがわれわれが最近経験をしておるところ、これは宮之原委員も十分御承知でありましょうけれども、大体民間追随主義を批判され始めたのは、給与、金の面だけを民間と合わせて、公務員の実態、勤務実態なり何なり、企業努力といいますか、そういう面において、一体民間とどうか、合っているかどうかというところから、いたずらに金額のみについて民間に追随することはどうかという角度から話が一面からは出ておる。それは言いかえれば、金額を合わせるのはよ過ぎるという立場からのこれは民間追随主義に対する批判であります。それからもう一つ、最近幸いにしてこれは影が薄れてまいりましたけれども、所得政策というものが数年前から相当叫ばれておる、その所得政策の一環として低賃金を一般にプリベールさぜるために、公務員の給与をその指標にする、ガイドポストとかガイディングライトとかいうことばで、これは結局私どもとしてはおそろしい一つの問題だろうと思います。あまり民間追随主義が悪い悪いと言いますと、今度はそっちの面が、おそろしい面が反面においてあるというのがまだ私は現実の実態だろうと思います。そういう面がなくなれば、先ほど申しましたように、個人的にも私どもはおっしゃるような気持ちを持っております。しかし当面はそれを許されない環境にあるということになれば、やっぱりおことばにありましたように、一番これが手がたい方法だ、これは一歩も譲らぬ、これだけの調査の結果ですという態度が最も賢明であるというふうにまだ現在では考えております。
  53. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 宮之原先生から、教員給与の問題についてどう考えるかという御質問がございました。人事院総裁は実は私の役人時代の先輩であります。大先輩で尊敬しておる方でありますので、実は率直な感じを申し上げますと、教育界に人材を誘致するということは、金だけの問題でないことは申すまでもないことでありますけれども教員給与を抜本的に改正するという基本姿勢だけはぜひ貫きたい、人事院総裁にこれ、しがみついてもお願いをいたしたいという気持ちを持っております。そのことだけが何も質のいい先生を大ぜい集めるということじゃありませんけれども、少なくとも給与の面について、学校先生の職務の、勤務の態様というものから考えてみますというと、現在の給与でいいということは、ゆめさら考えられない、どうしてもこれを抜本的に改正しなければならぬ、人事院のほうに私からもぜひお願いをいたしたい、かように考えておるということだけ申し上げておきます。
  54. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 例の公務員給与のあり方の問題と関連をいたしまして総裁のおっしゃったところのいわゆる引きかえの人事管理の強化の問題あるいは所得政策の導入云々という問題について非常に警戒をしておるんだと、このお話については、私も全く同感であるわけでありますが、さらばといっていつまでもこのことだけの問題においてこの公務員給与のあり方という本質的な問題をやはり前向きに検討しないというわけにはまいらないと思う。したがってやはりこの点は、要望にもなるわけでございますけれども、今後のやはり大きな課題として、ぜひともひとつ私は検討していただきたい、こう思うのであります。  なお、引き続いてお尋ねいたしたいところの点は、いわゆることしの勧告の中で公務員関係が一番問題点としておるところの一時金の傾斜配分の問題についてですね、お尋ねをいたしたいのであります。この一時金は基礎とするところの指定職は特別調整号俸を受ける層の一種と二種のみで三種以下は適用されないと私は理解をしておるんですが、今回の勧告はそのように理解をしておっていいのかどうか。いま一つは、三種、四種、五種、これにも今後は一体一時金のこの傾斜配分というものを拡大をされていく方針であるのかどうか、今後のひとつ課題の問題と関連をいたしましてその点をお聞きをいたしたい。なおまた、この拡大方針とも関連をいたしまして教職員給与との関連で申し上げますならば、先ほども話がありましたところの例の中央教育審議会答申にあるところのいわゆる五段階給与というこの問題のことでございますが、私どもはこれは非常に差別的な格差拡大の一つの給与体系を教員に押しつけようとする考えを中央教育審議会は持っておるという理解に立っておるわけでありますが、それとの関連でもし今後も三種、四種五種にもこれを拡大する方針だとするならば、人事院はこういう給与のあり方という教職員のことについて一体どういうふうにお考えになるのか、そこらあたりもお伺いいたしたい。先ほどの質問の中で文部省の初中局長は、いわゆる教職員も他の公務員の職制と同じように係長、何とかとあるんだから、いわゆるこの係長クラスに匹敵するものとしてたとえば主任級とか、あるいは教科主任級とか、こういうものをつけるのが至当なんだというようなものの考え方、これに対しましては先ほどきわめて明快な人事院のものの考え方がされて、私非常に胸がすっとしたのですが、いずれにいたしましてもいま申し上げますところの一時金の傾斜配分の問題とからんで今後のその問題に対するところの方向性、このところをまずお伺いをしておきたいと思うんであります。なおこのことと関連をいたしまして文部大臣にも重ねて私前のほうに質問があったのですよ。あくまでやはり先ほど初中局長答弁になったように、学校教育の中には他の官庁と同じようにいわゆる課長、課長補佐とか係長というようなものに匹敵する教頭給与とか、あるいは学年主任給与とか、あるいは何主任ですか、教科主任ですか。そういうようなものをうんと導入していこうというお考えなんですか、どうですか。そこらあたりを重ねてまたはっきりしておきたいと思う。  続いてもう一点お伺いをしておきたい点は、勧告の俸給表について見ましても民間給与の傾向に照らしまして初任給の引き上げ、二人世帯形成時から三人世帯形成時にかけての改定に重点を置いているということが明確に看取できるわけでありますが、私はそのこと自体はきわめてこれは歓迎すべきことだと思うのでありますが、ただ端的に指摘しておかなければならない点は、待遇改善の重点方式というものが単にそれは率の面だけであっ七金額の面においては、実感として受け取るところの下級公務員にとっては優遇措置として見えないということなんです。たとえば行(一)の高校卒が四千八百円しか引き上げられてないのに指定職が二万円も引き上げられておるという今度の勧告を見た場合に、幾ら人事院が今度の場合はそういう下級職員を優遇したのだ優遇したのだとこう言ってみても、これは実感としては下級公務員、いわゆる組合に関係をいたしておりますところの、入っておるところの一般の公務員には受けとめられておらないのです。その点は一体どういうように考えておられるのか、言うならばこのことについては公務員の生活実態からいたしましても非常に不満があるのであります。端的に依然として上厚下薄の勧告体系でしかないのじゃないか、こういう意見から脱せないのであります。これは何と申しましても率が上がったからいいんじゃないかと、こうおっしゃってみても、お互いに率で生活しておらないわけで、実際には金額で受け取って金額で生活しておるのですから、そこのところを一体どういうように考えておられるのか、もしこれらの問題について先ほど申し上げましたところのいわゆる一時金の傾斜配分の問題とも関連をいたしまして、私はほんとうにこの公務員のいろんな待遇改善という問題を考えるならば、いわゆる下級の下位等級にあるところの公務員の給与の待遇改善というものを実質的に改善をするという大胆な方向が打ち出されてこそ、それにふさわしいところのものが出ると思うのでありますが、この点に対するところの人事院の御見解をお聞きをいたしたいと、こう思うのであります。
  55. 佐藤達夫

    説明員(佐藤達夫君) 特別給のお話はいろいろ申し上げたいことがありますけれども、これはもう御承知のこととして、いまお尋ねのポイントだけについて申し上げます。ただ気になりますのは、傾斜配分というおことばをお使いになりました。これは配分の性格を持つものではないということだけは、はっきり申し上げさしていただきます。すなわち普通配分と申しますというと、一一・七四%格差があった、その配分を上に厚くするか、下に薄くするかというような問題になりますが、けれども特別給の場合はそういう意味の配分ではございませんので、したがってまた上下ということばを私あまり使いませんけれども、便宜上、下級の人々に対する四・八月分というものは、今回も完全にそれは保証するわけであります。民間の場合を申し上げると、たとえば部長級は七月分、それから普通の係員級は四月分というようなことで、それに合わせれば実は四・八カ月分というものは高過ぎるということにもなります。これは決して配分の面から来たのではない、したがっていまの管理職相当者に渡るお金は、これは別に用意していただくということでございますから、それだけをます。したがって下級の方々には一切御迷惑はかかっておらないということは、はっきり御了解を得ておきたい。  あとどうするつもりか。これはいろいろ御議論聞いておりますと、国会の委員会の場面でも、たとえば一、二等級ぐらいに取れる層だと、三等級、四等級まで及ぼすつもりはないか、及ぼしたほうがいいとおっしゃるのか、悪いとおっしゃるのかこれは知りませんけれども、及ぼすつもりはないのかというようなことは、これは確かに問題には違いないと思うのでありますけれども、私は先ほど触れましたけれども官民比較主義というものは正しいという前提に立つならば、やはり民間の場合ずっと傾斜が、配分とは言いません、傾斜といいますか、その傾向を見ますと、やはり課長補佐とかなんとかの辺になってきますと、それほどまだほうっておけないという場面には来ておらない。最も顕著な部長級なり課長級なりの辺のところ、これをひとつ押えて処置をしなければいけない、しかしそれを処置するにしても、あくまでもそれを埋めるようなところまではとてもいかぬ。当面必要な調整を加える程度ということにしておりますから、いまの三等級とかなんとかというところまでは、今度は全然考えなかったわけです。今後の問題は、これはまた国会の御審議もありましょう、いろいろ御意見もあるでありましょうから、それによって検討はしますけれども、いまのところはそこまで考えないできているということを申し上げさしていただきます。  それからその次は、五段階何とかという何か中教審答申のお話でありましたけれども、これは実は官民比較主義とは別の問題なんです。ですから、あまり官民比較主義がよくないということになると、別のほうの考慮を大いに入れろという部類に入ってくる問題であります。そのことはこの間さんざんここでごやっかいかけました教職調整額四%、あれもほんとうはいまの宮之原委員のおことばによりますと、官民比較から超越したやり方なんであります。その系列に入るこれは大きな問題になる、中教審関係のものは。したがいまして先ほど安永委員お答えをしましたように、よほど感奮興起するに至るか至らないか、こういう問題になるのであります。  それから初任給引き上げ、これは官民比較主義をとっていく立場から申しますというと、どうしてもやはり民間が相当ことしも高うございますので、それに合わせました。  それから多少その辺、官民比較主義とはまた別個のわれわれとしての判断を加えまして、二人世帯、三人世帯の辺のところについては標準生計費というものをわれわれのほうで別途に計算して、二人世帯の標準生計費、三人世帯の標準生計費というものさしを一ぺん当てまして、その結果今回相当手厚い手当てをした。全体の率が、格差が去年より低うございますから、たとえば一等級のあたりの辺では今回の勧告では引き上げ率も低いし、引き上げ額も去年よりも低いというような状態になっております。それは、いまの初任給なり二人世帯、三人世帯の辺に手厚くやった結果でありまして、したがいまして五等級の全体の平均の引き上げ率、それから引き上げ額、これは率、額とも五等級、八等級あたりのところは率も額も去年より上回っておる。これは率だけではないかというけれども、私どもは上厚下薄とか上薄下厚ということばは一切使いません。上薄下厚が美徳である、上厚下薄が悪徳であるというふうには考えない。筋の通った給与が美徳であるという立場に立っておりますから、上薄下厚というようなことばは使いませんけれども、率ではおっしゃるとおり低くなっている。しかし、これは別途職務と責任という冷たい鉄則が給与法上ありますので、そういう点を勘案して、あるいはまた民間との対比というような点も勘案いたしまして、現在のような率になっているというふうに御了解いただきたいと思います。
  56. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 五段階給与の問題につきましては、これは最終的には人事院の勧告をまってきめるべき性質のものでありますけれども、先ほど安永先生の御質問に対して初中局長お答え申し上げましたとおり、できるだけ教員の給与を高めるために一つの手段としてそういう道を考えてみたらどうだという考え方で、いま鋭意検討中でございます。もっともこれは、まあ最終的には何と申しましても人事院の勧告をまってやるべき事柄であります。いまこれが直ちに実施に移すべき性格のものでないことは申し上げるまでもございませんけれども、できることなら何とか人事院の御勧告を得て、そういう形のものをつくりたいというのが文部省の念願であるということを御理解をいただきたいと思います。
  57. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 傾斜配分の問題について、確かにそれは配分ではない。まあ正確には総裁がおっしゃるとおりだと思いますが、常識的には、やっぱり受けるところの実感としては、これは一般の公務員はそう受け取らざるを得ないんです、率直に申し上げて。これはやっぱり普通何カ月分とあるのに自分たちのほうには薄くしてある。やっぱりこれは上のほうに持っていったんだなあと、こう思われているという、このやっぱり実感的なことばというのは、これはお忘れになっては困る。確かにそれは給与理論上の配分かというと、配分でないことは確かですけれども、なおこの問題と関連をしまして、その三種、四種、五種の問題に入る前にはっきりしないのでいろいろ質問があるんですが、私はそういう傾斜配分をするという、そのこと自体に反対の立場で申し上げているわけですから、あるいは賛成の下心があって三種、四種、五種に広げろという意味で言っているんじゃないかというふうに人事院がとられるとたいへんな違いでございますので、その点明確にひとつ理解をしていただきたいと思います。確かにいまのそれは、率だけでなくて額だとおっしゃるんです、下級職員の場合。しかし先ほど申し上げたように、片一方はやはり四千八百円しか上がらぬけれども、片一方は二万円上がったというんなら、これは額のほうも優遇をしたので、これは幾ら強弁されても通りませんよ。総裁、世の中の常識として……。公務員が皆さん御承知のように、もういつまでも人事院の勧告にぶら下がっていては困るから、もうひとつわれわれにスト権を返してもらおうじゃないか。直接政府と交渉してでもそういうところを打破しようじゃないかという気持ちが強まりつつあるのは、そこらあたりに大きな原因があるということを私どもは十分理解しておいていただきたいんであります。  なお、文部大臣の問題については、これは私は非常に重要な問題を含んでいるところの御答弁だ、考え方だと思っているんです。あなたは五段階給与の問題とは別に、これはいわゆる主任級、いわゆる学年主任とかあるいは教科主任というのは、これは教員の待遇を高めるところの手段としていいじゃないか、こういう発言なんですけれども、一体教育というものをどうお考えになっているのか。ほんとうにここのところを明確にしておかなければ私は困ると思う。先ほど初中局長の話では、他の一般の公務員もいろんな職階制があるんだから、それと見合ったようにみんな教員の給与を引き上げるためには、そういうものをつくったほうがいいじゃないかというお考えですけれども、これは全く教育そのものを知らないところの、いわゆる官僚的といいますか、行政官僚的な発想だということを明確に申し上げておきたい。私はあなたに尋ねたいんですけれども、一体学校教育におけるところの責任の度合いというものをどういうふうに考えるか。学校教育におきましては、これは新卒の卒業したすぐの先生であろうと、相当な経験年数を持ったところの先生であろうと、子供の教育に対するところの責任の度合いは全く同じなんですよ。あなたは年が若いからいいかげんに教えなさい。学級経営は簡単でよろしい。こういう論理は成り立たないんですよ。ここにいわゆる教育というものの責任の、子供を一番重点に置くというならば考えなければならぬ。それは一体行政官庁みたいに、校長が一番責任があって、次が教頭であって、教科主任があって、学年主任があるという、行政的な発想で見れば、あなた方はその問題については先ほどの問題が出てくると思うけれども、事、教育現場という教育の次元から見れば、子供というものは皆そういう次元に立って自分の先生というものを見ておるんですよ。それを一つの学年があって、私の先生は学年主任先生だ、私の先生は教科主任先生であって、待遇はこんなに違う、一体子供にどういうふうに教育的に影響しますか、そこのところを文部省考えてみなければ、教育的にものを処さなければならないのです。そこのところを考えないで、ただ行政的な発想だけで教員の待遇を考えられておるところに、大きな本質的な問題の私は誤謬があるということをこの際指摘をしておきたいんだ。もしあなた方がほんとう教員の待遇というものを考えるならば、これはあの学校教育法にきめられておるところの、校長教員の待遇をうんと高くすれば事足りるのですよ。それをほかの行政官庁と同じような形にしようとするところに誤まりがあるし、私はおそらく推察するんでありますけれども、先ほど総裁のおっしゃった感奮興起させることができなかったというそこらあたりの問題がある。むしろ私から言わせればほんとう教育を知っているのは人事院総裁であって、残念ながら文部省の官僚の皆さんは、教育の実際、教育それ自体が学校教育において子供に及ぼしておるところの影響は何か、そこを知らないんだと、こう言いたいところなんです。したがって、この点を私は時間がありませんから、あらためて答弁を聞きたいと思いませんから、次の機会に私は論争するにやぶさかでありませんから、もう一回検討してください。そこに今日の文部行政というものが官僚的発想であり、行政的発想だと言われるところの一番の要因があるわけで、ここにまた現場教員の一番の不満があるんだということを私は申し上げたい。  次いで、最後にお尋ねをいたしておきたいところの点が二つほどあります。その第一点は、勧告は教職調整額の支給と関連をいたしまして、高専の教師に対しましても同様の処置をされておるわけです。私はこれはまあ当然のこととして歓迎をしなければならないと思うのでありますが、同時にこの際さらに聞きたいことは、そういう教育というものの本質から考うるならばですね、なぜこの幼稚園の教諭ですね、この人々に対しましてはこの問題については検討されなかったのかどうか。もしやはり教育という立場から考えるならば、私はやはりこの幼稚園の教諭に適用させる方法をこれは考えなければならない重要な問題だと考えるから、こう申し上げたのであります。  なお、このことについては、おそらく私は文相とあまり意見が一致しませんけれども、この問題については一致すると思いますけれどもね、文部大臣所見をも承っておきたいのであります。先ほどの質問にもありましたようにですね、幼児教育の充実というものがあり、しかもその十年計画で来年からは相当額のことをやる。幼稚園もふやすのだと、こういう構想をいまお持ちでございますけれどもね、もしほんとうに幼稚園教育の充実、幼児教育の充実ということを考えるならば、施設だけではこれはりっぱになりませんよ、人を得なければ。そのためには、何としてもこういう調整額という問題もやはり幼稚園という問題についても考えるというのが至当じゃありませんか。そういう一番大事な教育的な問題を抜きにしておいて、こういうことは何ら人事院に申し入れないでおって、先ほどお話がありましたような妙ちくりんな主任級、学年主任級などを置けなんていうこれは全く教育を忘れた処置と言わざるを得ないのです。そこのところを私は文部大臣がどうお考えになるのかそこをお聞きいたしておきたい。  もう一点最後にお尋ねいたしておきたい点は、扶養手当の問題につきまして、児童手当を受ける者は扶養親族としないということが書いてありますですね。これのことについてもお尋ねしたいのですが、たしか昨年の九月であったかと思いますけれども、例の児童審議会がこの問題についての答申をまとめた際に、この支給の対象及び費用の分担というところとも関連をしながら、この公務員の扶養手当については今後調整をしていこう、しかも併用という方向で調整をしようじゃないかというのがこれは委員間の意見として大かたまとめられたところの、同意されたところの方向なんです。そういうことを十分人事院は御承知の上で、あえてこの児童手当を受ける者は別だと排除されておるのかどうか。そこらあたりの事情をあわせて明確にしておいていただきたい。
  58. 佐藤達夫

    説明員(佐藤達夫君) 幼稚園のお話は実際ごもっともなんで、これはおそらく文部大臣もごもっともだとお感じになりながらお聞きになっておると思うのです。文部省もそれは確かに問題にしておったのです。しかし当時の教職調整額のときは、当面必要の範囲ということで、義務教育関係に中心を置いてやりました。しこうして幼稚園の場合にはちょっと実情の違うところがあるということで、そこで線を引いたわけです。そしてこれは将来の研究問題にしようということで残しております。この委員会の席上でもそういう問題が出ておりまして、われわれとしては研究問題にしておるということに御了解願いたいと思います。  児童手当のほうは、児童審議会のことまでお触れになってたいへん敬服しましたけれども、私どもが見ましたのは、児童審議会の前身である児童懇談会というのがあるのです。そこの報告の中には、公務員の扶養手当等とは併給しないという形の意見が出ておったということは事実です。これは事実でありまして、何も私どもは感奮興起をしたわけではない。それによって感奮興起をしたわけではございません。私どもは別途筋論として考えました場合に、三千円おもらいになるわけです、児童手当のほうは。それにまあスズメの涙かどうか知りませんけれども、われわれとしては貴重な扶養手当をさらに重ねて差し上げるということになるのは、一体広い目で見た場合にどうか。そして一万人かそこらの方々は二重の所得をされるわけです。それよりも、その三千円おもらいになっている方に差し上げるお金があるならば、それは独身者を含めて公務員全体——その方方も含みますが、独身者及びその方々をも含めて公務員全体の利益のためにこれは貴重な配分として回したほうが筋が通るじゃないかということで、われわれは当然問題ないものとして併給はしないというたてまえで踏み切ったわけであります。
  59. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 文部大臣はどう考えるのですか、その幼稚園のやつは。
  60. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 幼稚園の問題は、実は教特法を手がけました際の委員長は私であったのであります。その当時から私は幼稚園をやはり加えるべきだということを主張し続けておったのでありまするけれども、人事院のほうで、この際は当面義務教育学校にしぼっておこうという御発想でありまして、御了解が得られなかったという事情があります。けれども、いま総裁がおっしゃったように、この問題は将来考えなければならぬ問題だと、私どももぜひ考えていただきたいということについては宮之原先生と全く同感であります。考えるのがあたりまえじゃないかという考え方をいたしておるのであります。
  61. 内田善利

    ○内田善利君 時間も来たようですから、そして人事院給与勧告についてはるるいま質疑がかわされましたので、一問だけ総裁に念を押す意味でお聞きしたいと思いますが、先ほどの人事院総裁の御答弁は、四月一日実施について、実施するお考えがないということのようでありましたが、その理由が、聞いておりまして、非常に薄い。これでは国民が納得しないのじゃないかと、そのように思ったわけですが、五月一日実施が間違っているとは思わないとか、民間の実態の調査が、四月一日からが夏から冬にかけてもやる企業があると、こういったことだけでは、四月一日実施できないという理由にはならないのじゃないか、国民はこれでは納得しないのじゃないかと思いますが、もう一度四月一日実施ができない理由を明快にお答え願いたいと思います。
  62. 佐藤達夫

    説明員(佐藤達夫君) 四月一日にする気持ちはないというふうにお取りいただいたとすれば、多少私の発言が正確を欠いておったかと思います。われわれとしては虚心たんかいに、とらわれない立場で、四月説、五月説という二つ並べて、なるほど四月説も一理あるわいというようなことまで、ここでそういう実感まで申し上げておるわけであります。ただし、先ほどるる申し上げましたようなたてまえから、昭和三十五年以来十何年も五月一日ということで勧告にはっきりうたって申し上げてきているわけですから、一種の安定した形のものとなって今日に至っておるわけであります。それを変えるというためにはよほど積極的な確固とした理由がなければ、そう軽々しく変えるべき問題ではない。したがってその間、一理あると申し上げましたけれども、二理も三理もというようなところまでこれからさらに固めて、いまたまたま国民各位のお話がありましたけれども国民各位の御納得の得るようなひとつ理念を発見して、その暁においては断行せざるを得ない、また断行しなければこれは筋として間違っておるということでありまして、とにかくその筋を追求しておるのが今日である。  私どものところには、よけいなことを申し上げますけれども、公務員各位あるいは公務員組合の諸団体からは非常に賃上げの熱烈なる要望が毎勧告のたびごとに殺到するわけであります。しかし一方においては、底辺におられる国民各位の切々たる訴えというものもまた私のところに来ておるのであります。たとえば中小企業のだんなさまとか、あるいは中小企業に雇われて働いておる、組合に入っていない従業員の方々、公務員だけ賃上げをしてどうするのだ、われわれはどうしてくれるのだ、物価のしわ寄せを受けるのはわれわれではないかと、悲痛な要望がまたそういう面から参っておるわけであります。したがいまして私は納税者を含む国民大衆が納得していただけるような根拠がなければ、軽々しくこういう重大な転換をすべきではないという気持ちを持ちながらその検討に情熱を持って当たっておる。正しいということになればそれに踏み切ります。国民各位を納得させるだけの理屈というものを発見しない限りはそう軽々しくは踏み切れないという気持ちでございます。
  63. 内田善利

    ○内田善利君 それではまだ納得できないのですが、文部大臣はこの点について、人事院総裁にはしがみついてでもお願いしたいという発言があっておりましたが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。  それからもう一つ、先ほど質問があっておりました五段階給与についてどう考えておられるのか。  この二点だけお聞きして終わりたいと思います。
  64. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 四月一日実施という問題については、人事院総裁、公の席でありますからつとめて御発言なさらないようであります。十三日の日に人事院総裁総理大臣に勧告をなさいましたときに、わざわざ私のところにお立ち寄りをいただきまして、今度は高専についてはこうする、あるいは幼稚園についてはこうするというようないろいろな教育関係の問題についてはことこまかに実は御指示をいただきまして、その際に実は先ほど宮之原先生の御質問に対してお答えいたしましたように、私は幼稚園の問題についてもひとつ考えてもらいたいということも申し上げましたし、四月一日実施というものはどんなものでしょうという話もしたのですが、実はいろいろ考えてみたけれども、なかなかこれはむずかしい問題だ。これは何といっても人事院の専門家でありますから、私どもしろうとがくちばしを入れるべき問題ではないと思いまして、私は、ただ私の感触だけを申し上げただけのことでございましたけれども、五段階給与の問題については、最終的には、これは人事院が勧告をなさる問題でありますので、私のほうといたしましては、教員の資質向上、待遇改善の一つの手段としては、何とかしてこういう形ででも教員の処遇改善の道を開いていきたいという熱望に燃えておるということだけを御了承いただきたいと思います。
  65. 内田善利

    ○内田善利君 この問題については、非常に現場のほうでも問題があるようですから、後ほどまた質問することにしまして、午前中の質問はこれで終わります。
  66. 大松博文

    委員長大松博文君) 午前の会議はこの程度とし、午後二時まで休憩いたします。    午後一時二分休憩      —————・—————    午後二時十分開会
  67. 大松博文

    委員長大松博文君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  午前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  68. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 今先生、しばらくでございました。今先生が百も二百も御存じのことをここでちょっと助けていただきたいし、それからお伺いしたいと思います。  文化政策、学問、芸術、宗教、道徳、政治の中にそれらの項目のあることを存じあげておりますけれども、私が三十五年、私個人のことじゃなくて、三十五年働いておりました仕事場の中の、テレビは最近のできごとでございますけれども、映画の仕事、まあそれを私は芸術をやったということを自分の中に拒否しておりました。それは映画というのは大多数の人が見るから、世界じゅうの人と交流できるから、つまり、スクリーンは拡大されるから、人間を通して文化政策の、政府のことばで言えば、精神的なと言うかもしれないけれど、私たちは、私のからだを媒介にして、人間のからだを媒介にして魂の表現といいますか、そういう表現をする。私たちにとってみましたら、大衆的文化、大衆が、税金を払っている大衆の立場、ですから、ここも税金を払った場所として私は先生協力してもらいたいと思います。協力ということを私は申し上げたいんです。お願いというんじゃなくて協力、そういう大衆的な文化に対して、いまちょっと先生協力していただきたいことをお願いするわけでございますけれども、ずうっと三十五年、映画の仕事をしておりまして、そして、映画の中でやっている仕事がどんなに私たちが自分のからだを材料にして、ここに品物があったとか、ここに品物があったとかいうんじゃなくて、自分のからだを材料にして人間を表現するということの中で日本映画がどんなによくなればいいかという希望を持ちながら、いわば、いろんなところで愛国なんということばが出てまいりますけれども日本の映画はよくなるというふうな思い方も国を愛している、そういう立場から申し上げるんですけれども、私、この十五年来、五十三カ国の人の集まる映画祭、今先生も映画祭によく行っていらっしゃるから、この映画祭の状態なんかよく御承知だと思いますけれども、カンヌの映画祭とか、これはたいへんこのごろ問題になっていて、たいへんお聞きになる方も御興味があることだと思いますけれども、中国が主催しましたアジアの十七カ国が集まる映画祭とか、アジア・アフリカ二十四カ国の人が集まる——二十四カ国というのは二十四カ国に住んでいる映画の人たち、監督、一俳優、制作者、それから五十三カ国が集まる、アメリカの人を含めてのヨーロッパのイタリー、フランス、それらの、映画でいえば先進国ですね。まあ百年前のフランスの映画がソビエトのフィルム・ライブラリーにある。そういうようなことを研究し合って、そうしてやっぱり映画の発展につとめているという立場をもって言うのですけれども、それらの人が集結して言うことばは、映画はその国の事情がよくわかる、映画は重大なる芸術である。世界じゅうの人がそう結論を下すのですね。ということは、大衆的な文化と言いましたけれども、映画はプリントになりますから、芝居のように人間が行って経済がかかると、撮影するときは経済確かにかかりますけれどもあとプリントになりましてそうして外国へ行くと、それで外国の事情がわかる、その国の事情がよくわかる、これが五十三カ国の結論のことばだったのです。そこで、いま現状における日本の映画なんです。その国の事情がわかる。映画は重大なる芸術である。映画は尊い芸術とかすばらしい芸術と、こう言っていないのですね。重大なる芸術であると言っているのですね。その国の事情がとにかく映っちゃう。映って人間が拡大される。この顔も拡大されちゃう。たとえば原爆の映画をとりましたら、この顔が拡大されることによって被爆者の人がどういう傷を受けたか。いま私が言っているのは、二十六年前に戦争で原爆を落したか落さないかと言っているのじゃないのです。原爆が存在している、世界じゅうに存在している中でのその映画を見るということは、また戦争を知らない子供たちにとってもそれは真実を知るという英知にかかわる、人間の深い英知にかかわる問題だというふうな意味での重大なる芸術である。その国の事情は映画を見るとよくわかる。こういうふうな立場を言ったのではないかと私は想像するわけなのでございます。そうして、日本の映画がだいぶ前から人づくり——私は年がずいぶんいっておりますので、映画に出演するときに、見る側の方たちに対して裏切りたくないという気持ちがいつもございます。真実を表現したいという気持ちがあります。幸いにして日本にはすばらしい憲法があって、憲法第十九条ですか、思想の自由と良心の自由、これは最も文化的なものにかかわってくるのじゃないかと私いつも思っているのですよ。そうして人づくりの問題なんですけれども文化政策の綱領を読ましていただきますと、そういう人づくりについて、人間の魂について、詳しくは書いていないわけでございますけれども、つまり、教育の問題で原点的に考えなきゃならないというふうなことが書いてありましたけれども、原点的というようなことは、人間の根底にあるものを考えなきゃならないのだというふうに私はとらえさしていただきまして、人づくりの問題について先生ちょっと聞かしていただきたいと思います。
  69. 今日出海

    説明員(今日出海君) 非常に広範な御質問でございますが、まあ人づくりということを公に為政者が言い出したのは池田勇人総理の時代だと思います。実は私もその人づくり委員会委員になりまして、なかなか、一人一人がりっぱなそれぞれの専門家であられますけれども、そういう方が何回か集まって、人づくりはこうしようというような具体的な問題というものが私はついに出なかったように思います。また非常に大きな拡大した結論的な委員会、これは五十人くらい集まったことと思います。それにはまあ何か具体的な、予算につながるような案が述べられたんだと、これはもう私はこれでなかなか人なんてつくれるものじゃないというような感想を持ったままで実は人づくり委員会というものはおしまいになりました。私は残念なことだと思います。仰せのように、人をつくるということは、まあ技術的な問題ではないので、いろいろな思想を超越したわれわれの日本人あるいは人間としての一つの理想像というものがごく簡単に、ごく大衆的にだれの耳にも入るようなひとつそういう理想像というものが描けないものかしらということを述べて、この一つのことばでもいいんです。たとえばイギリスで申しますならば、ジェントルマンということばは、これは心の中の、ジェントルマンというのは服装のいかんにかかわらない、階級のいかんにかかわらない、一つの、自分が人間としてのジェントルマンであろうということをイギリスの人は言い出した。しかし、われわれはまた違った日本の立場から、どんな人にも、われわれがどうなろうかというような理想像が一言で言いあらわせないものか、それが一番大事なんじゃないかと私はそのとき思いました。現在でもそういうように思っております。ただそのことばが得られない。これは政府が非常な大金を出してもひとつ募集したらどうかと思うくらいに、いま私は文士のくせにその一言のことばがいまだに出ないのです。しかし、そういう心をいつでも持っております。ですからおそらく、そういう何ということばで表現していいかわかりませんけれども、どんな人も、どんな子供もそういうものを求めているのじゃないかというように私は感じておりまして、これは内閣がかわったからとか何かということではないし、また立場が違うとか、思想が違うということだけではないだろう、こういうように思っております。まだ模索しているので、いいことばがあったら、またお教えを願いたいと思います。
  70. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 人づくりのことば、たいへん長い間世間にイメージを与えていて、単語というのは一種のイメージを与えるものだと思いますから、イメージを与えていたけれども内容という問題になりますと、大多数の人が参加している映画とかテレビとか、もちろん教育教育は軸になりますけれども、そういうものがどういうように人づくりにかかわっているかということをもっと根底的なところでとらえたいと思うのでございますけれども、戦後ずっと映画はだめになるというように思いかけてきたのは、映画は中小企業だと思ったからなんです。それも日本の中の中小企業でなくて、日本が市場にされている中での中小企業、アメリカの映画なんかでいいますと、先生、映画やっていたことがあるのですから、先生だって、トラ・トラ・トラという映画があるとすると、日本の映画でしたら、ネコ・ネコ・ネコとなりましょうか、経済的な面からいって、日本国内の中小企業ではなくて、世界の市場になっている立場の中小企業、映画はだめになると思ったのは一九六三年くらい以後からなんですね、私たちは仕事をしておりまして。ということは、経済の移動がある。経済が変わって、経済成長ということばは五年このかたございます、けれども、一九六三年くらいから日本の中小企業、日本のワク内ではなくて、世界の市場になっている日本の映画の中小企業というのは変わってくるのじゃないか、こういうように私は思っておりました。思ったのは、自分では大作の映画に出演をしておりましたけれども、その経済の移行がそうなるんじゃないか。だから経済成長の一方では、文化的なものが変わってくるんじゃないかという、経済の中でからだを材料にするのですから、先生御存じの作家の方は、筆一本を材料にするという、こういう経済と魂の問題のアンバランスが起きるのじゃないかと思ったのが一九六三年ごろからなんです。ここで先生にちょっとお悔やみを申し上げなければならぬのは、先生さっき個人的に作家だとおっしゃいましたけれども、三島さんのああいう問題について、政治的な問題でなくて、政治を乗り越えたところでほんとうのお悔やみを申し上げたいと思うのです、そういう状態を。先生の場合は作家でいらして、いまのたいへん重大なお仕事をしていらっしゃる。私は俳優を長くやっておって、税金を払っている大衆の方たちの中で自分がどう憲法十九条の中で思想の自由と良心を持って俳優の仕事をするかという、このたてまえの中で問題があったわけなんでございますけれども、映画の仕事をしているほとんどの若い人たちがこのごろでは裸になる。裸映画の中のリストがつくられていて、これは私、年いっていますから裸になれということは要求しないであろうけれども、だけど若い人たちは裸になるというようなリストがつくられていて、そうしてその裸の映画やなんかに出るということは、若い人たちにほんとうにこれは気の毒だというふうに私は思います。つまり若い人たちは、裸になるときにこれは自分をためしてみるとか、それからこれを通して見るとかという、いろいろ自己肯定の問題があるかもしれないけれども、また裸になる必然性があればいいと思うんですよ、必然的なものをとることが芸術であるのだから。だけど、もうけるために裸になってすぐ経済にいくという可能性を生み出した社会にも責任があると私は思うんです。その辺のところを先生考えていただきたいというふうに思うんです。輸出映画でもって金を六十八億円ですかお出しになっているということが——どういう映画の中に出されているかということは私もよくわかっておりますのですけれどもほんとうにそういうふうなことにただ金を出せばいい、金を出してもらわなければ困るのだけれども、そういう矛盾を持っているのが人間のかかわったものをつくっていくというようなことだと思うんです。そうしてそれをお願いに行く場合なんですけれども、金の交渉に行くときには通産省で、輸出映画の金の出るところはそういうところらしいのですけれども、私は行ったことないのでわからないんですけれども、そうして芸術的な話を訴えに行くところは先生たち。こっちへ行ってあっちへ行って……。それを総合的に、経済と人間を表現する問題と一致点を持てるというような、行政の上でもう少しそういうふうにしていただきたいと思うんです。でも輸出のお金やなんかのことについては先生、将来どうなるんでしょうか、そのことについて先生教えてください。
  71. 今日出海

    説明員(今日出海君) 私のほうは文化プロパーの仕事でございまして、通産省で融資しております輸出映画振興の予算でございます。これは昨年の国会でも二度ばかり問題になったものでございます。私は、あれは映画企業である、また純粋に企業的なものであり、それから当時あの制度ができましたときは外貨獲得ということが非常に大きな日本で問題になっていたときなんです。で映画でも輸出して外貨を獲得するならばこれはもっと奨励すべきでないかというのでああいう融資の予算を通産省がおとりになったのだろうと思います。しかし現在、外貨がだぶついているというようなときに、なおかつ外貨獲得の目的によるああいう予算が必要かどうかということは、私の権限では全くないんですが、どうかと世間では申しております。私のほうはそういう企業というものを離れて映画そのものが堕落したり衰退したりするということに非常な関心を持っておりまして、これにはどうしたらいいかということにつきましては、おそまきながら実は文化庁が開設されましてどうしたらいいか、なかなか具体案が出てこないのでございますが、いま企業家の御意見あるいは要望書も私のほうにしばしばまいっております。また、独立映画プロですね、そこからも要望書が出たり、またそういう方々としばしば会合を持って、どういうようなことをしたならば映画の衰退を免れるか、そしていい映画がもしできましたならば、これは輸出というようなことよりも、ひとつ外国からも必ず買いに来るぐらいの映画ができるようになり、また今日の映画界の衰退というものをどうしたら救済できるかということとか、まあ、さまざまな問題を究明しております。で、昨年は、ここにおります私のほうの安達次長と私はとっくり考えて、ひとつそれならば映画の一番むだな——むだじゃないんでしょうが、いまとなっては一番金のかかる撮影所問題というものをこれはひとつ政府でやったらどうかしらというような、夢のような話を二人でいたしまして、それで安達さんにイタリアのチネチッタを調査をしてもらいました。二、三カ月前にチネチッタの所長が日本へ参りまして、いろいろ聞いてみましたが、なかなかこれも政府の力でそういうものを新しく建てていくということは早急には困難ではないかしら、しからばどうしたらいいかしらということを究明して、一度あなたも議員さんとしてこれに私のほうから改めて御協力願いたいくらいに、ある程度皆さんの意見というものが集まって、それにわれわれも加わって一種の結論に近いものが——むろん結論といっても大したことはありませんけれども、やっております。少しでも映画の製作費というものに、独立プロあるいは会社を問わず何かいい企画、いいものに製作費の一部を援助したい、そういうことが一番妥当で、かつ現在可能な仕事ではあるまいかというようなところに、いろいろな仕事に携わっている、そういう方々とも話し合った末に、ややそういう結論に近づきつつあるのが現在であります。まあ、予算の問題なんかになりましたら、何ぶんまた御協力を願いたいと私のほうからお願いしたいと思います。
  72. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 お金のこと、ほんとに映画産業では、私は長い間やっていて、全く貧乏な国だというふうに、今先生ももう知っていらっしゃると思いますので、そう思うんです。経済成長の中の大衆的映画はほんとうにたいへんなんだと。そしてそれはいままででもあらゆる芸術家の——経済の点では犠牲ですけれども、それを喜びに変え得るということはほんとうの人間が表現できたという、それができなくなるということは、お金にならないし、表現できにくいという、経済が人間より優先した形のあらわれ方で、さっき言いました重大なる芸術であるという、その国の事情がよくわかるという、そういう経済と人間との矛盾というものを表現しているのが映画だ、映画が表現してそれを見せている。その中でも原爆の映画なんですけれども先生も御存じでしょうけれども、私は私のおじいさんが原爆で死んでいるし、お友だちの先生——作家の原民喜さんが鉄道自殺なんかしているので、真近なところにいるので、原爆映画に幾度か出演いたしまして、被爆者の人々の——われわれにとって被爆者の人は先生ですから、俳優にとって表現する場合には——私は受けてないから痛みはわからないわけです。ですから、被爆者の人たちを先生として、からだのぐあいとか、精神的構造とか、そういうものをお伺いします。ですから、ここでは俳優の私は被爆者の人を先生といたしましょう。そういうことによって、私たちは被爆者の人の苦しみを表現することによって、大多数の税金を納めている大ぜいの方たちにも見てもらうという立場があるんですけれども、二十六年前の原爆のときにとりました原爆の記録映画がございますけれども、現在では文部省の中の情報図書館課にあるそうでございますけれども、これはアメリカではコロンビア大学のマスコミセンターが、もう五百本ぐらいのプリントを編集して売って、世界の中で日本の大事な——と言いたいんですね、俳優の私は。創造者の私は。大事な原爆の被爆のその状態を世界の子供さんたち、高校生や何がが見ていらっしゃる。見ていらっしゃるというのは、この間の戦争じゃなくて、原爆時代における科学的な勉強といってもいいと思うんですけれども、見ていらっしゃる。それからまたあれは何万フィートととって、上映したら五時間ぐらいかかるものを、コロンビア大学のマスコミセンターが編集して大体二時間ぐらいにまとめ上げて、そうして、おととし日本に返ってきたわけでございますね。残念なことに、最近返ってきたということは、戦争の体験のない若者が育ったときに返していることだと私は思うんですけれども、これは若い人のために、私もやっぱり自分の青春のときに戦争だったので、私は若い人のためにそうしていただきたいと思うんですが、たった二年ぐらい前に返ってくる理由がそこにあると思うんです。いわゆるその前に、すでにアメリカではコロンビア大学のマスコミセンターが世界に五百本のフィルムを流して、それを科学的に勉強していらっしゃる。やっぱりそういう点で日本の若い人たちが立ちおくれちゃいけないと思うんです。世界の若い人が原爆の被爆のそのおそろしいことを映画の中で、拡大された中で——テレビは小さいですから、拡大された中で世界の子供さんは見ていて、アメリカの子供さんたちはそれを見ていて、高校生の人たちはそれに対する、日本流のことばでいえば作文を書いているんです。できごとというものはすでに過去のことだけれども、現実に見ているということはこれは科学的だと思うんです。そうして科学的に発表している。その中で日本の若い子供さんたちはおくれちゃいけないと思うんです。確実に真実を知って、そうして真実を知ることは何かといえば平和を求める心だと。私は、武器を持たない平和産業の文化人はそうとらえたいと思うんです。そういう意味でいま情報図書館課にあるあの作品を——この間上映したじゃないかというならば、この間、前の人たちをカットしたというのは個人のプライバシーというようなところで話が分かれたらしいけれども、でも、このごろの人をとりまして年齢をそこに書きまして、六十歳、五十八歳と書いて、そうして何とかこうやって生きてきたという、同じせりふを言わしている。私は映画の仕事を専門にしておりますから、もうどういうダイヤローグ書かれて、どういう立場で言っているかということは映画を見れば一目でわかるわけです。みんなどうにか生きてきたと、こういう言い方をしているということは、原爆を受けても六十歳まで生きられるという、同じ方向でものを見せるという、戦争体験のない人にそう思わせるということなんじゃないか、こういうふうに思うわけなんです。もうコロンビア大学のマスコミセンターが世界に流し、それをアメリカの高校生に見せているんですから、これは日本の若い高校生の人たちにも公開しまして、そうしてその真実をお互いにディスカッションするくらいなことをするほうが文化的なんじゃないか。文化が人間にかかわるものならば、文化が経済に負けないで、そうしてすくすくと若者が伸びるものならば、そうしていただきたいというふうに思うんですが、今先生、力貸してください、お願いします。
  73. 犬丸直

    説明員(犬丸直君) ただいまのお話でございますが、初めに私から、原爆記録映画を現在どう取り扱っているかということを、簡単に経過を御説明いたしたいと思います。  いま先生のお話しのように、広島、長崎の原爆被災記録映画でございますが、初め、被災直後、日本関係者によって記録が始められたところ、占領下でございましたので、GHQのほうでそれをストップされ、そして自分のほうで記録をつくった。そうして記録映画をつくりまして本国に送って、わが国には何もなかったわけでございます。そういう状況でしばらく推移しておりましたところ、昭和四十二年の十一月になりまして、その間にはいろいろの日本関係者の運動等があったということを聞いておりますけれども、米国政府から日本政府が利用するために複製フィルムが引き渡されるという状況になりました。それでいま先生のお話しのように、約二時間四十五分上映時間があるものでございます。で、その引き渡しを受けました文部省といたしましては、これをどう扱うかということをいろいろ当時協議したわけでございます。内容を検討いたしますると、内容はやはり学術研究を中心としたものでございます。原爆というものが建築学あるいは物理学、生物学、あるいは医学の関係からどういう影響を及ぼすかということをいろいろな角度から研究した学術的な価値の高い記録であるというふうに考えられます。もちろんその一方から言いますと、先生のお話しになったような、原爆というものに対する認識、一般的な認識のために役に立つということもあるわけでございます。そういうものでございました。それで、これを直ちに一般に公開することがどうだろうかということがその当時問題になりました。それはたとえば特に人体関係の部分などは非常になまなましい記録がございます。それから被災者の人権問題等も心配されましたので、その当時文部省におきまして、原爆被災者記録映画の保管上に関する会議ということで、各関係の学識経験者にお集まりいただきまして、これをどういうふうに日本政府として利用したらいいかということを御相談申し上げました。その結果でございますね、非常にこれは学術的な価値が高いものであるし、わが国にとって意義深いものであるから、一つには学術研究用の資料としてこれを十分に活用するようにしよう。しかしながら一般に公開するについてはあまりにもなまなましいと申しますか、特にまだ被災者の関係者、遺族等もおられますし、そういう人たちの人権問題に関係する部分もあるので、公開することはできないというものもございます。それで、このまま公表することがいろいろな社会的な影響を及ぼすと判断いたしまして、その会議の結論といたしまして、特に人体に関係した部分、全部ではございませんけれども、部分的にそれを編集し直して、そうして一般に公開できるようなものにして利用したらどうだろうかという結論になりました。もとのものは、これは英語でございますけれども、そういう形で部分的に編集し直しまして、そうして日本語版をつくりまして、これを一般の利用に供する、こういう形で処理することにしたわけでございます。現在コピーが英語版、原版のままのものが四本ございます。それから日本語版が七本ございます。いずれも文部省が管理しているわけでございますが、この四本のうち、その英語版のもとのうちの一本は文部省で保管し、残りの三本は仁科記念財団、仁科先生はこの原爆映画の作製の問題にも関係されましたし、いわゆる返還の問題についても努力された方でございますが、それから広島大学、長崎大学にそれぞれ長期貸し出しをしております。それから日本語版の七本は、そのうち二本は広島市と長崎市にそれぞれ貸し出し中でございます。そういうことで英語版の場合は、学術用に使っていただく、それから日本語版については、これは一般に貸し出しをするという扱いをしております。四十三年度これができましてから、四十三年度以降いろいろな方面で、テレビ関係にもお貸しいたしまして、三十九件の貸し出し希望がございまして、貸し出しをした実績を持っております。  以上、大体そのような形で現在管理しています。
  74. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 個人的プライバシーの問題というようなことで、一般の方たち、アメリカのように高校生にも見せるというような形はとられていないようですけれども、私はあくまで文化的な立場で、だから今先生お願いするんですけれども、政治的なというか、党派を乗り越えた形の中で上映していただきたいというふうに思うんです。それは世界の子供がそれを見ている事実という問題。それから個人的プライバシーの問題があるなら、この十年このかた映画を被爆者の方たちと一緒にとって、私たちは街頭に立って百五十円の切符を街頭の人に売ることはちっとも何でもなかった。いい映画をとるためにこじきみたいになることも何でもないんです。だけれども、そこで若い人というふうに言うのは、つまり若い人は未来だという立場からなんです。未来だという立場です。個人的プライバシーの問題でしたら、こう言うんです、被爆者の人たちは。自分たちが傷ついた問題を乗り越えて、若い人たちのためにもし自分たちが平和ということを口にできなくなるようなことがあったらおれたちはかたわと同じだと言うんです。自分たちはかたわだ、自分の肉体は傷つき、そうしてかたわと同じなんだ、だから原爆の映画にこうやって外へ出て切符を配るんだ、こういうふうに言うんです。だからどうぞあの方たちに自分はかたわなんだということを思わせないように——上からものを言う義理はありません——共通の立場から、あの人たちと私たちは、未来の子供のために平和だと言わしてください、そういう映画に参加さしてください、そういう映画を公開さしてください、これを言うことが文化人の、そうですね、お金がなくても楽しみなところなんですよ。憲法十九条の思想と良心の問題について、まさしくそこにのっとって人づくりができるということが私のお願いなんです。そうして、その一つの課題を今先生どうぞお願いいたします。次のときまたよろしくお願いいたします。  それから今先生、すみません、お願いします。共同でやっていただきたいのは、いま言いましたように一緒に映画をとりました、それこそ平和でなければおれたちかたわなんだということを十年来聞いて、そうして手がこうなっていますけれども、映画の仕事を自分のお金を出して、自分のお金を出して一緒に映画をとった被爆者の方がいるんです。その方を参考人としてここへ呼んでいただきたいと思います。そうするとものすごく勇気が出るということを私十年来つき合っていて知っているんです。その一人じゃなくて被爆者の方たち全員が勇気が出て、そうしてそれはすばらしいことになると私は思うんです。どうぞ先生協力してください。お願いします。
  75. 内田善利

    ○内田善利君 それでは、中教審に対する政府態度をお聞きしたいと思いますが、まず第一に安永委員から質問があっておりましたけれども文部大臣就任あいさつですが、内容全部がほとんど、今後私は学校教育行政についてはその答申の趣旨の実現に重点を置く所存でありますと、こういうことでいろいろお話しになっているわけですが、当面する教育の問題は非常に重要問題が山積しているわけです。そういった山積している現在の教育改革一つ一つ解決していくことなしに、こういった行政主導型の、お仕着せ型の、結果的にそうなると思いますが、そういった中教審だけにたよるような、こういうことでなくて、現在の山積する教育問題一つ一つ解決していくという方向が私は望ましいと、このように思うわけですが、教育改革の問題はこれは日本にとって重大な問題だと思うわけです。したがいまして、国民的な合意の形成がなくては国家百年の大計を大きくあやまっていくんではないかと、このように思うわけですけれども文部大臣国民国民的合意によって教育改革をなさっていかれるおつもりがあるのかどうか、まずお聞きしたいと思います。
  76. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 内田先生の御質問全く同感でございます、私も。いままでの日本教育制度の改革と申しますものは、みんな大きな社会的な変革を土台として改革が行なわれた。今度は戦後二十六年を経ました今日、もう一ぺん教育というものを見直そうじゃないかという考え方から、中教審お願いをいたしまして、四年間の歳月を経て今度答申をいただいたのであります。しかし四年間の間に八万人の方の御意見を伺い、七十団体の御意見を伺いましたが、この改革を推進するということになりまするというと、やっぱり何と申しましても平常時における改革、したがって国民の各界各層の御理解と御支持がなければこの仕事はできないとかように理解をいたしております。この点は先生のお考えと全く同じでございまして、そこで文部省といたしましては、今後広聴広報という仕事に来年度から全力を注ぎます。今年もこの問題につきましては広く広聴広報の機会を得たいと考えておりますし、改革推進本部をつくりましたのもそういう趣意でつくったのでありまして、全く御意見と同じことであると、私はこの仕事をなし遂げる一番大きな要件は何と申しましても国民の合意と理解だということを念頭に置いてこの仕事に当たっていきたいとかように考えております。
  77. 内田善利

    ○内田善利君 文部大臣そのようにおっしゃいますけれども中教審自体が文部大臣諮問機関でありますし、また今度できた教育改革推進本部にしても、これは文部大臣がつくられたものだし、そういったことで幾ら八万人とか各種団体にお会いになっても、これは国民の合意ということには私はならないと、このように思うわけです。やはり文部省から独立した国民総参加の教育運営の中枢機関を設けて、それによって国民的合意を得ながら教育改革を進めていくべきじゃないかと、このように思うわけですが、この点は並行線でしょうか、どうでしょうか。
  78. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 御指摘のように、広聴広報と申しましても文部省がやるんじゃないかという御意見でありまするが、たとえば教育制度の改革などにつきましては、別に研究開発センターというようなものも設けざるを得ないだろうと思います。そこで、それには外部の方の御意見も伺わなきゃならぬ、しかしまあ中教審答申内容というものについてほんとう国民の皆さんに御理解をいただくということがまず第一の問題であろう、かように考えます。だから私は広聴広報と申しますよりは、文部省が押しつける広報よりはむしろ国民各層の御意見を伺い、その公聴の機会を数多く持ちたい、かように考えているわけであります。
  79. 内田善利

    ○内田善利君 この中教審のいう第三の教育改革ということを文部大臣はどのようにとらえておられますか。
  80. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 第三の教育改革ということばを中教審は使っております。まあ激動期にありまする今日の社会の情勢から申しますると、戦後二十六年を経ました教育制度というものをもう一ぺん見直してみようじゃないかという意味において第三の教育改革ということばを中教審は使ったものだと、かように私は理解をいたしております。したがいまして、新しく教育制度を画期的に変える、全体的に変えるという性質のものじゃございません。いまあります制度が絶対悪であるという意味においてこれを否定するという性質のものじゃございません。六・三制の制度もすでに定着をいたしております。しかしその中にあって、社会的な大きな変動をいたしております中にあって、教育というものをどう位置づけていくか、どうこれから改めていくかという意味における改革が第三ということばをあえて中教審が使いましたゆえんではないかと、かように理解をいたしております。
  81. 内田善利

    ○内田善利君 文部大臣が諮問された機関じゃなくて国民総参加の独立した教育改革のそういった機関を設けるという考えはありませんか、どうですか。再度質問します。
  82. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 第三の機関を設けたらどうだという内田先生の御意見でありますが、実は中教審で四年間にわたって論議いたしました結論が答申されておるので、新しい機関をつくるという気持ちはただいまのところ持っておりません。
  83. 内田善利

    ○内田善利君 どうしてこういう質問を私がくどいようですがするかといいますと、次のような事項が見られるのですが、たとえば西田前審議官がお書きになった「中教審の疑問に答える」というところで、「現場教師といわれる人の御意見から気のついたことも数多くありましたが、同時に教師としての自分の立場の利益だけを考え国民的な立場から教育の問題を考えているとは思えないこともありました。」というところがあるわけですが、これを見ますと、これは明らかに現場先生方に対する不信感があるわけですが、こうした姿勢では国民的合意の形成などは幾らたくさんの方に会ったとしても、こういう不信感が根強いものがある以上は国民的総参加による教育改革はできないじゃないか、行政府考え方は絶対だというような、そういった独善的なものをこの文章から感ずるわけです。また西田前審議官の答弁なんですけれども教員が「自分の立場の利益だけを考え」ているということですが、これはどういうことをさしておるのか。また「国民的な立場から教育の問題を考えているとは思えない」、こういうふうに書いてあるわけですけれども、これは一体どういうことをさしておるのかお聞きしたいと思いますが。
  84. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 御指摘の西田前審議官の「中教審の疑問に答える」という文章の中でいまのようなことがあったことは事実であります。しかし西田君が述べておりますのは中教審が各方面の意見を聞いた趣旨と、その場合の現場教師の意見についての感想であります。なお西田前審議官が中間報告に現場教師の意見がどのように反映したかについては具体的に答えることが困難だという意味のことを申し上げたのではないかと思うのであります。たとえば中間報告におきましては各方面の御意見を伺いまして、その結果、先導的試行の進め方だとか、特殊教育の拡充整備、幼稚園教育の普及充実、教育研究開発などについて大幅に試案を書き改めております。これは御意見を尊重して書き改めております。これがどの部分が現場教師の意見であったということも表現することが困難だということを申し上げたのでありまして、事の性質上非常にむずかしいから、これが現場教師の意見であったということを申し上げることはできないということを申し上げたものだと思います。文部省としましては、答申の実施にあたって、現場教師はもちろんのことであります、広く各方面の御意見を伺いまして、これを参考として施策を進めていくという方針に変わりはございません。
  85. 内田善利

    ○内田善利君 OECDが、日本教育で一番大きな問題は、現場をあずかる教員と行政府の意思の断絶、このことについて指摘をしているわけですが、このことについては答申でも全然触れておりません。また、文部省としても過去にはこういった断絶があったわけですが、やっと愼枝委員長とお会いになったようですけれども、こういった現場教員との意思の断絶、こういったこと、またいまの申し上げましたこと、そういったことなどから文部大臣は前向きに話し合っていかれると思いますけれども、懇談していかれると思いますけれども、今後とも公式に教職員団体の代表と話し合っていかれる意思、話し合って意思の疎通をはかっていかれる決意があるのかどうか、現場教員との断絶というのが一番私は教育改革を阻害するのではないかと、そのように思います。そういった意味で、文部大臣の決意を聞きたいと思いますが。
  86. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 先日、私は日教組の槇枝委員長に会いましたが、これは槇枝委員長委員長就任しましたごあいさつを受けるという程度の会談でございました。私は一番憂えておりますのは、同じ教育仕事に携わっておりながら、教師と文部省とが対立の関係にあるという状態は、教育界の最大の不幸であると考えておるわけであります。そういう意味から申しまするというと、教育諸団体はいろいろあります。日教連というのもありますし、教師の会というのもございます。ございますが、何としても一番大きな組織は日教組であります。日教組の御意見も謙虚に聞くという態度文部大臣として当然とるべき態度じゃないかという判断に立ってお目にかかりました。先日、愼枝さんがおいでになりましたときも、愼枝さんのほうからもこういう会談をこれからも持ってほしいという御意見でありましたので、私はかように答えております。局課長で済む問題は局課長に話をしてもらいたい。どうしても大臣でなきゃならぬ問題は大臣のところに来られてかまわない。しかし、中央交渉だとか、定期会談だとかいうような、かみしもを着ての話はお互いにやりにくいだろう。だから、ひとつかみしもを着ない話し合いを、文部省に来たついでに、大臣室にあかりがつい、ておれば大臣、来ましたよという形でやってもらいたい、そんなら私は喜んで会うということを申し上げておきました。日教連の方ともお目にかかりました。まだ教師の会の皆さんとはお目にかかっておりませんけれども、私はこの会談を拒否するつもりは毛頭ございません。これからも機会あるごとにいろいろ御意見を伺いたいという気持ちでおるわけであります。
  87. 内田善利

    ○内田善利君 行政府主導型の教育改革が誤りであるということを指摘したいのですけれども、そのためにはやはり国民の合意ということが非常に大事だと、私はきょうの質問を通じて御意見申し上げたいと思うのでありますけれども、そういった国民の合意形成がなくしてやっていきますと、政府教育に介入するようなおそれもありますし、現在、現に中教審答申を受けて、坂田前文部大臣はもちろん、大臣も手のつけやすい幼児教育、特殊教育から着手したいと、このように両大臣が述べられておるわけですが、この幼児教育一つとらえてみても、幼児教育に携わっておる人たちの意見をどれだけお聞きになったのか、十年計画によって、もうすでに着手なさることになっておるようですけれども、なぜこのように強引に現場先生方の意見を聞かないで着手されようとしておるのか。日本私立幼稚園連合会あるいは全国私立保育園連盟などは、非常に中教審構想に対して反対運動を起こしておるようでありますが、幼児教育を画一化しようとしておるわけですけれども、今日でさえも幼稚園と保育園の関係にには問題がありますし、また文部省と厚生省の問題もありますし、こういった関係性あるいは幼児に対してどういった教育をしていくのかという、そういった理論構成もまだまだできてないように思いますし、こういった具体的な理論もなしに直ちに十年計画に着手していこうという、こういったことはどういうことからこういうことになったのかお伺いしたいと思うのです。
  88. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 幼児教育に対しまする母親たちの希望というものは非常に大きいのであります。その要望を受けまして、幼稚園の整備計画というものを立てたのであります。現に進行中なのでありまするが、その幼稚園に入ることすら幼稚園の予備校をつくらなければならぬというふうな競争率であるというところから考えてみましても、公立幼稚園というものを拡充するということは、何よりも大切な問題じゃないかと私は考えております。もちろん、日本の幼児教育というものが私立幼稚園によって実は今日まで発達をしてまいりました過去の実績というものは、これは、私はだれよりも真剣に評価をしているつもりであります。したがいまして、来年のことを言うと鬼が笑うということになるかもしれませんが、来年度の予算をごらんいただけば、なるほど文部省はこういうことを考えておったんだなということが私立幼稚園の方にもおわかりいただけると思いますけれども、公教育であるべき幼児教育を私立の幼稚園におまかせをしておくとするならば、公教育にふさわしいだけの設備あるいは補助、こういうものについては、国は徹底的にめんどうを見なければならぬ、かように考えております。だから公私の格差をできるだけ少なくするために、私立幼稚園に対しまする特別な補助政策を真剣に実はただいま検討しております。と同時に、保育にかけまする、子供が育児園に入っております。あるいはまた労働省関係の託児所などというのもあるのですが、これからの問題等関係につきましては、これが幼稚園教育にふさわしい状態になりまするように、厚生省との間では緊密な連絡をとってやっておるのでありまして、この間の摩擦は私は将来なくなるようにいたしたいとせっかく努力をいたしておるところであります。両者の話し合いにつきましては十分話し合いはついておるつもりでおるのであります。
  89. 内田善利

    ○内田善利君 最初から申し上げておりますが、国民的合意によってひとつ教育改革を実施すべきだと思いますが、この幼児教育につきましても広く意見を聴取するということから日本私立幼稚園連合会あるいは全国私立保育園連盟等々の現場の教師とよく相談をして積み重ねて、熟慮に熟慮を重ねて国民全部が納得した上でこの幼児教育というものに取り組んでいただきたいと、このように思いますが、この点いかがでございましょうか。
  90. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 坂田前文部大臣当時に幼児教育懇談会というものを設けまして、すでに発足をいたしております。私もこの懇談会を引き続いてやってまいりたいと、かように考えております。そして私立幼稚園あるいは育児所等の皆さん方の御意見も十分反映をいたしまして、取り入れまして、それによって幼児教育というものの振興をはかっていきたいという考え方でおるわけであります。
  91. 内田善利

    ○内田善利君 この点については、また後ほどの委員会で詰めていきたいと思いますが、今度の中教審答申の中で一番疑問に思いますことは、答申の中で先涯教育の中から学校教育考えねばならないとしながら生涯教育をどうとらえるかは今後の課題であると、このようになっておるわけでありますが、文部大臣学校教育の改革の答申に際し、生涯教育はどのように考えておられるのか。この中教審答申は非常に矛盾点があると、このように思うんですが、生涯教育をどうとらえるかを明らかにした上で学校教育の改革を考えるべきではないかと、このように思うわけですが、狭い学校教育だけでなくて、生涯教育社会教育、家庭教育と、そういった観点に立って学校教育改革を考えるべきではないかと、このように思うんですが、その点はいかがですか。
  92. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 中教審も生涯教育というものの観点に立ってものを申しておるのであります。だから学校教育というものを一挙に改革をするというんじゃなくて、生涯教育というものを最終の目途とするということになりますとまず家庭教育の問題から始めまして幼児教育、それから制度としての学校教育あるいは高等教育の問題、また職場に出ましてからの職場教育、社会に出ましてからの社会教育、これらのものを一貫してやっていくんでなければ生涯教育と申すわけにはまいらないのであります。したがいまして、社会教育審議会答申を得まして、社会教育についてはこの際思い切って力を注ぎたいという考え方で臨んでおるわけでありまして、これは中教審指摘をいたしておりますとおり、教育は生涯にわたっての教育であるという観点に私どもも立っておるわけなのであります。先生指摘のとおりの学校教育制度さえ改革すればよいというような幅の狭い考え方をいたしておるわけではございません。
  93. 内田善利

    ○内田善利君 第三の教育改革という以上ですね、まず現在の山積する教育行政に対する徹底的な批判、分析を行なった後にそれを是正することから着手すべきではないかと、このように思うんですけれども、第三の教育改革ということを実施する前に、たとえば教育費の父兄負担の軽減とかあるいは学力テストの問題、あるいは試験延長の制度、あるいは過密過疎の問題、あるいは教員の給与問題等々、たくさんゆがみやひずみやあるいは不備等があるわけですが、こういったものを正して一つ一つ解決していくことが私は教育改革だと、このように思うんですが、この点いかがでしょう。
  94. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) これは、その答申指摘をしておりまするいわゆる第三の教育改革というのは、先ほど私お答え申し上げたことで御理解がいただけたんじゃないかと思いまするが、学校制度のあり方についても現行制度を一挙に改革しようというような考え方じゃないということはさっきも申し上げたとおりであります。ともいたしまするというと、改革ということばを使いまするというと、白か黒か二者択一というような考え方が先に立つのでありまするが、今回の改革と申しまするのは、現行制度を十分に価値評価いたしまして、これは中教審答申を作成いたしまするにあたって、四年間の中で過去二年間にわたっては明治初年からの日本教育制度の果たしてきた役割りというものの評価をいたしまして、その上に立って今回の答申を実はあと二年をかけてつくり出したものでありまして、今日悪いものを完全に否定してしまって、そうして全体的によいものをつくり出すというような考え方で第三の教育改革に乗り出しておるわけじゃございません。現行の制度を足場といたしまして、現行制度をあくまでも足場といたしまして、現行制度には長所もありまするし短所もあります。さらに日々変化しておりますところの社会情勢というものも考えまする場合に、今日のように急激に発展いたしまする社会に対応して一人一人の子供たちがより自立的、自主的に活動できる能力をつくり出してやるということが何より大切なことじゃないかと思うのでありまして、現行制度を私は完全に否定してかかろうというような大それた考え方は夢にも持っておりません。また、中教審もこの点についてはそういうような見方から確かな根拠なしに一挙に改革を行なおうとする考え方を退けるという態度をとっております。現行制度を最善のものとして一切の改革を拒否するというような考え方も必ずしも適当じゃないと思いますが、現行制度を根幹としてその充実をはかる。むしろ教育改革というのは、量の改革よりは私は質の改革という意味において教育制度のあり方というものをより一そういいものにいたしたいというのが中教審答申の基本的な姿勢ではないかと、かように考えておるわけであります。
  95. 内田善利

    ○内田善利君 次に、御承知のとおり、全国の教員研究所連盟の約八千四百人のアンケートの結果を見ますと、現在の体制で第一に学級の人数を減らすことによって、飛び級あるいは無学年制を採用しなくても効果はあがると、こういう結果が出ておりますが、この結果を大臣はどのようにとらえられますか。
  96. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) 中教審答申におきましては、いまお話しの飛び級とか無学年制ということにつきましては、「個人の特性に応じた教育方法の改善」ということの提案の中に「適切な実施方策を検討すべきである。」といたしまして、その一つとして「生徒の指導を学年別に行なうことを固定化せず、弾力的な指導のしかたを認めること。」、あるいは一定の成熟度に達した上級の段階では、能力に応じて進級・進学に例外的な措置を認めること。」、こういうことが提案されておるわけでございます。現在の制度におきましては、こういうことはとられておりません。これを制度の上にとるかとらないかということにつきましては、今後研究開発を進めていって、その検証を経た上で慎重に取り扱うべきものであると思っております。その研究開発には研究者と、それから現場学校教育実践者と、それから行政の担当者と、この三者が協力一致してやることということも中教審で言われておりますので、そういうような方向で研究を進めていくべきであると思います。
  97. 内田善利

    ○内田善利君 小・中・高では一学級の人数は少なければ少ないほどいいわけですが、アメリカでは一人の生徒に一人の先生というようなマン・ツー・マン方式で授業が行なわれておるわけですけれども日本の現状は人数が多いために黒板の字が光って見えたり、あるいはからだが大きくなって机の数が多くて、なかなかその道を通って歩くのも困難になるほど、たくさんすし詰め学級が行なわれて、マン・ツー・マンじゃなくてマン・ツー・マスだと言われておりますが、これはいま言ったように、学級数を減らすことによって学校教育の成果をあげていくのが当然だと私は思うんですが、こういった点について、学級編制の数あるいは教員定数是正等、やはり長期計画を立ててやるべきじゃないかと思うんですけれども中教審答申にはこういったことは何にも出ていない。こういった点については文部省としても長期計画を立ててやるべきじゃないかと思いますが、いかがでしょう。
  98. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 先ほどもお答えいたしましたように、学級編制あるいは教職員定数の問題につきましては、ただいま五ヵ年計画進行中でございまして、その実施を私ども忠実にやってまいりたいと考えておるわけであります。学級編制につきましては、先生指摘のとおりのことが一部人口急増地帯などにあるような状態でございまして、まことに遺憾なことでございますけれども、私ども昭和三十三年ごろから学級編制の改善が教育効果に一番効果があるんじゃないかということで、その改善に努力をしてまいったわけでございます。御案内のとおり、戦後は六十人以上というふうなこともございましたけれども、この十年間で小学校、中学校ともこれは一学級平均十人子供を減らしております。具体的に申しますと、小学校は現在平均三十三人、それから中学校のほうは三十七人というところまで持ってきております。学級編制の問題でございますけれども教育効果の点、あるいは先生が教えいいという点から考えますと、少ないほうがよろしいというのは、これはまあ当然のことでありますが、しかし子供を教育いたします場合には、やはり集団として子供を扱うという点もまた非常に大きな意味があるわけでございまして、そういう点から申しますと、小さな学級というのはそれ相応にまた弊害があるということもいわれているわけでございます。世界的に見ましても、現在先生一人当たりの児童の数と申しますのは、日本の場合は二十六人ぐらいでございまして、これは欧米各国に比べましても決してひけをとらないところまでまいっているわけでございます。数字上から申しますとそういうぐあいでございます。  今後、現在五カ年計画進行中でございますが、この問題につきましても十分検討を加えながらやってまいりたい、教育条件整備と申しますのは、先ほどもお答えいたしましたように、文部省としては一番大事な仕事ということで従来からつとめてまいったところでございます。
  99. 内田善利

    ○内田善利君 最後に一点だけ質問しておきますが、前回の教特法審議のときにも問題になったわけでございますけれども、現在の教師は教えること以外に雑務が非常に多いわけですね。前国会で審議したとおりでございますが、これをなくして教師が教師としての仕事に専念できるように、そういった体制をつくるべきであると、このように思うのですが、先ほど問題になりましたけれども事務職員あるいは養護教諭あるいは給食要員、そういった人員配置の計画を示すべきではないかと、このように思いますが、この点はいかがですか。
  100. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) これも先ほど鈴木先生から御指摘ございましたとおりでございまして、私どもとしましては、前に荒木大臣の当時、事務職員養護教諭の五千人増員計画というものを立てましたときから、この問題には真剣に取り組んでまいったつもりでございます。御指摘のとおり、先生の雑務というのがまだまだ非常に多いような現状でございますので、御指示に従いまして私ども計画的にその充実につとめてまいりたいということを考えておるわけでございます。
  101. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 時間の都合で、きょうは中教審答申の中の幼児学校の構想と幼児教育の本質並びにその普及充実について、ごく概略の点をお尋ねしてまいりたいと思います。  本論に入ります前に、八月九日の朝日新聞に「中教審構想へ反対運動」と題して、私立幼稚園と保育園が幼児教育制度の確立を目ざして国民運動を展開しようとしてすでに動き始めたということが報じられておりました。それはもうすでに御承知のとおりだと存じます。  そこでお伺いしますが、中教審のメンバーの中に直接幼児教育関係のある方、特に私立幼稚園関係者にどんな方がおられますか、承りたいと存じます。
  102. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) 中央教育審議会委員は、その委員構成といたしまして、原則として利益代表というような形で委員を選ぶというたてまえはとっておりません。現在までの四年間の審議に当たられました委員の中には、幼児教育についての学識経験の豊富なまあいわばベテランの先生委員になっておられるわけでございます。それから私立学校関係につきましては、数名の委員の方が私立学校からの教師として委員となっておられます。
  103. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 利益代表というおことばでございましたけれども、そのことば、私はちょっとぐあいが悪いのじゃないかと思います。この教育の問題で利益代表なんというようなものではなくて、その実態がどのようにつかめているかということが私は非常に問題だと思うのです。いま名前をおっしゃっていただけませんでしたし、数名の方がお入りになっていらっしゃるということでございましたが、その顔ぶれをひとつお聞かせいただきたいと存じます。
  104. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) 副会長の上智大学の大泉先生、それから早稲田大学元総長の阿部先生、東京家政大学長の有光先生、元お茶の水、現在青山学院大学教授の坂元先生、立正大学の小尾先生、堀越高校長の堀越先生、京都産業大学の若泉先生、以上の方が委員でございます。
  105. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 その方々は直接幼児教育関係をお持ちになった方でいらっしゃいますか。
  106. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) すべての方について詳細には私存じませんですが、たとえば坂元彦太郎先生はお茶の水女子大学の付属幼稚園の園長を相当長く経験されてまいっております。それから堀越先生関係あるのではないかと思っております。
  107. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 やはりいろいろなところで問題を起こしている根源がそういうところにあるのではないかという感じがいたします。先ほど文部大臣は、非常に多くの方にお会いになり、そしていろいろな団体の方に会って国民全体の合意を求めてこうしたものをやって進めていこうとおっしゃったわけでございますけれども、こうした大事なものをおきめになるその中教審のメンバーの中に、ささやかな幼児教育関係者しかないというところに私は問題があるんではないかと、こういうことを考えるわけでございます。  本論に入ります。まずお尋ねしたいことは、文部省は先導的試行として、幼児学校についてどのような理念と計画をお持ちになっていらっしゃいますのか、承わりたいと存じます。
  108. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) 中教審答申において述べられておりますこの先導的試行につきましては、その考え方の見出しといたしまして、「人間の発達過程に応じた学校体系の開発」ということを提案しておりまして、そのために「現在の学校体系について指摘されている問題の的確な解決をはかる方法を究明」していく必要がある。「その第一歩として」先導的な試行に着手する必要がある。」ということを言われまして、その先導的試行の中の一つに、いまお話しの「四、五歳児から小学校の低学年の児童までを同じ教育機関で一貫した教育を行なうことによって、幼年期の教育効果を高めること。」、これが一つの提案になっております。これを取り上げる。ほかにまだあと三項目ありますが、いま幼年期の教育にしぼりますが、これを取り上げる理由といたしまして、中教審答申の中にもそれは明示されておるわけでございますが、たとえば、いろいろと現行制度におきましても、小学校の低学年と幼稚園との間の関連の問題、あるいは幼年期におけるところの早熟現象の問題、それと就学の時期との関係問題等がいろいろと問題になっておるので、幼年期の集団施設教育のさまざまな可能性を究明するために、こういう先導的試行を行なってみたらどうかと、こういう趣旨でございます。幼年期の集団施設教育のさまざまな可能性を究明する、これが究極のねらいと申し上げていいかと思います。それからまたさらにそれを実行するにあたっては、しかしながら、いろいろな留意しなければならない事項がある、こういうことも中教審では具体的に述べておられますが、一例で申しますと、「綿密な準備、調査によって科学的な実験計画を立案」しろ、それから研究の途中の成果については常に評価をして、その評価を行なう場合も研究者と教育者というものが協力して専門的に厳正に評価を行なえ、あるいは特別な生徒だけを収容したり、特定の地域だけに片寄ったりするようなことのないようにしろ、こういうようなことが留意事項として言われております。
  109. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 ちょっと、私がお尋ねしましたのとお答えが違うような感じがするのでございます。中教審答申はそういうことだということをいまおっしゃっていただいて、私もそれは読んでおりますから、よくわかっております。そういうものを文部省はどのようにお考えになり、どのようにお受け取めになって、そしてそれをどのような計画をもっておやりになろうとしておりますのかということを私は承っておるわけなのでございます。中教審が先導的試行として幼児学校についてはこうだということを述べていらっしゃることは、私ももう読んでおりますので、それはあらためてお聞かせいただく必要はございません。私のお尋ねいたしましたことについて明確な御答弁がいただきたいというわけでございます。
  110. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 先ほども安永先生の御質問に対しましてお答えをいたしたわけでございますけれども、私どものほうもこれは調査研究の対象として取り上げるということを考えておるわけでございまして、先々幼児学校をつくるかどうか、そういうことも含めて検討したいというふうな考えでございます。したがいまして、いまのところ具体的にどうするというふうな計画は持ち合わせておりません。
  111. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 これは中教審答申でございますが、四十九年からというようなことでございますね。そうしてこれだけの学校数というようなことまでうたわれておるわけでございますね。ですから、もう少しその問題も詰めていただかないと、ほんとうはむずかしいことになるんじゃないかと思います。この構想につきましては、各界いろいろな疑問と不安を持っていることは事実でございます。私は七月末に兵庫県の県、市、町村の九十数名のまず教育長さん方に対しまして、いろいろな文書をもってお尋ねをしているところでございます。八月末という期日を切っておりますので、いまのところ五、六通しか集まっておりませんけれども、その中にもいろいろな問題点の指摘がございます。まず、その中に教育機会均等の原則と希望するすべての子供の就学、それは学齢児就学の義務との関係を公教育の観点からどのように踏まえたらよろしいのか、こういう問題が一つございます。また、現在の入試競争の激しさは、すでに幼稚園児にまで普及しているといわれる中で、幼児学校新設がこの傾向に一そうの拍車をかけることにはならないか、こういう心配がひとつ出ておるわけでございます。しかも、この傾向を抑制する歯どめが示されていないのも問題ではなかろうか、こういったような点が出されてきておるわけでございます。したがいまして、九十何名の方が全部意見を寄せて下さったときには、この問題に対してかなりの疑問点や不安が出てくるのではないかというふうに考えるわけでございます。私はこの問題につきましては、現場先生との話し合い、おかあさん方の御意見も聞きながら、日をあらためて詳しくお尋ねをするつもりでございますけれども、幼児学校の基本的な姿勢を明確に出していただかないと、先ほどのようないろいろな問題点が出てくることは必須だと考える次第でございます。  次いでお尋ね申し上げたいのは、午前中に大臣は、これまですべての総理が教育は大事だと言われたという御答弁がございました。そのとおりだと思います。そしてまた、それと同じように各文部大臣が幼児教育は大事だと言われたわけなんでございます。ところで、大事にするということは一体どういうことなのでございましょうか。その幼児教育が大事だという、教育が大事だということは、一体どういうことをやることが大事だということになるのでございましょうか。それをお聞きいたしたいと思うわけでございます。今日の人間疎外あるいは人間の商品化、あるいは非人間性を招いた原因は一体どこにあるとお考えでございましょうか。これを是正するためには教育面で、特に幼児教育の面でどのようにおやりになるおつもりか、まず文部大臣の御所見を承りたいと存じます。
  112. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 萩原先生はその道の大家でいらっしゃるんですから、私から申し上げるまでもないことでございますが、私は幼児教育の一番大事な問題は、幼児期における人間的な豊かな情操の育成である、かように考えておるのであります。知識、知育の先取りが幼児教育のねらいであってはならないという考え方を持っております。中教審は先導的試行において四、五歳児の学校をつくってみたらどうか、これはある意味においては義務教育年齢の引き下げということにもつながる可能性があるのでありますけれども、少なくとも幼稚園教育におきましての一番大きなねらいは子供として最初の集団生活をする、その最初の集団生活におきまする人間的な情操というものを中心に考えなければならぬのではないか。私いまこれは個人的な私見を申し上げて恐縮なんですけれども、いま一番の憂うべき姿は、社会情勢がそうさしておるのでありますけれども、まことにいやなことばで私使いたくないことばでありますけれども、親子間の断絶などということばがありますけれども、実は家庭教育と幼児教育、幼児教育学校教育、この間のつながりがどうもうまくいってないのじゃないか、これを真剣に考え直してみなければならぬのじゃないかというのが、これは私見としての私の見解であります。だから、幼稚園教育において一番大事な問題は、何としても人間的な情操をつちかうという観点に立って幼児教育というものがなければならぬじゃないか、かように考えておるわけでございます。
  113. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 いまの文部大臣の話を承って私たいへん安心をいたしました。  ところで、その幼児学校でございますけれども、四歳、五歳・六歳、七歳と、こういうことになりますと、親はどういうことを考えているかと申しますと、四歳から学校教育みたいなことをやってもらえるのだろうかという考え方の人と、それだったら非常に心配ではないか、いわゆる学校へ四歳から、いわゆる小学校並みに引っぱり上げるのじゃないか、いまおっしゃったような知的な面をがっと急にやられるのじゃないかというような不安もあるわけなのでございますね。そういうことをいろいろ考えてみますというと、いま大臣がおっしゃいますのは、幼児学校というものの構想はむしろ生活を中心にしたところのほうに焦点を合わせると、こういうふうに考えてよろしいのでございましょうか。
  114. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) これはもう萩原先生仰せのとおりに私も考えております。そうでなければならぬと思っております。
  115. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 それでございますと、私も一つは安心をいたしました。  次いで、幼稚園教育の普及充実についてお尋ねをいたしたいと思います。  文部省は、幼児教育振興策として、四十七年度を第一年次とする十カ年計画をお立てになったと承っておりますが、さようでございますね、その内容のあらましをお示し願いたいと存じます。
  116. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 先ほどもお答えしたわけでございますけれども、いまちょうど省議でそれを検討中でございまして、もうすぐ全体の計画ができると思います。その後に先生方にお知らせするようにいたしたいというふうにいま考えております。
  117. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 岩間局長さんはたいへん誠意のある方でございますから、おそらくそうやっていただけると思いますので、その日をお待ちいたします。  では、第一年次としての来年度の予算要求でございますが、それについてのお見通しはいかがでございましょうか。
  118. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) これもただいま申し上げたとおりでございます。並行してやっておりますものでございますから、私のほうで成案ができましたら先生方にお知らせするようにいたしたいというふうに考えております。
  119. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 でも、もう予算が大詰めにきているということなのでございますけれども、その点でいかがでございましょうか。
  120. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) この問題につきましては、どうせ最後は皆さんにお願いをしなければならぬ問題でございますから、相当大幅に要求はいたしております。はたしてこれが通る通らないかということは、これは皆さんの御協力も得なければならぬ問題でございますが、私も必死の努力をするつもりでおります。ことに先生は、私立幼稚園が公立幼稚園に乗っ取られるんじゃないかという懸念が私立幼稚園側に非常に多いということを御懸念になっている向きもあろうと思いますので、これは私の憶測から申し上げますけれども、私は、私立幼稚園が果たしてまいりました今日までの業績というものに対して非常に高く評価を、たしておるし、これを保護しなければならぬと考えております。したがって、地域配分にいたしましても、たとえば幼児教育を最も必要とする地域、また、おかあさんが最もこれを必要とお考えになっている地域は実は人口急増の地域である。義務教育である小学校校舎すらプレハブの校舎であるという状態であるのに、これを設置を義務化するというようなことを申しますと、ほんとうに急増地帯の市町村はお手上げになる。そこで、まず小学校のプレハブ校舎をなくすることを先決の問題として予算要求をいたしております。同時にまた、公教育をあずかっておられる私立幼稚園に対します保護、助成というようなものについては特別なる配慮を願いたいというつもりで予算要求をいたしておりますが、ここで金額が幾ら幾らになっておりますのでひとつよろしくと申しましても、これは相手が、大蔵省があることでありますから、いますぐここで金額を申し上げる段階ではてざいませんけれども、何とかひとつ幼児教育にりいてはなるほどなといわれるだけの予算を獲得いたしたいものだと、かように考えております。いずれ省議をまとめましたところでまた御協力をね願い申し上げるような事態がくるだろうと思います。どうぞひとつその節はよろしくお願い申し上げます。
  121. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 ですけれど大臣、やはり文部省のほうがどれほど必死におやりになる気があるのかないのかというところに問題は大きくかかってくると思います。で、ほんとうに私が先ほど申しましたように、幼児教育は大事だとおっしゃってくださるけれども、どうすることが大事なのかということにひっかかってくる問題だと思うわけでございますね。ですから、そういう点どうぞ大臣、このたびは必死になって取り組んでいただきたいと存じます。  で、十カ年計画を立られる際に文部省は、先ほど内田先生のほうからも出しておられましたけれども日本私立幼稚園連合会、あるいはいろいろな各界の幼児教育関係者の意向というものをどのようにお聞きになりましたか。その方たちはそのときにどのような要求を出しましたか。その点について承りたいと存じます。
  122. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 私、前に管理局長を二年ばかりやっておりましたものですから、私学の方々の大体の考え方、それから希望というものは大体は承知できるつもりでございます。この問題起こりましてから前の局長も私学の幼稚園の方々にお会いしておりますし、それから私も二回ばかりお目にかかっております。それからさらにこれからも私どものほうで一応の計画ができましたらその案につきまして意見を聞いてみたいというふうな感じがしております。私学の方々が御要望になっている点は、一つは、公私立の配置の問題と申しますか、調整の問題と申しますか、そういう問題を御心配のようでございます。それから私学に対する助成と申しますか、あるいは私学に子供を通わしておられる父兄の側、父兄負担の軽減と申しますか、そういうような面での私学に対する助成、そういうものを強く望んでおられます。もう一点は私学の教員の待遇改善でございます。そういうふうな点がおもだった点ではなかったかというふうに考えております。
  123. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 それについてでございますけれども、「文部時報」の七月号でございますね。これに、新増設がいろいろ進み、希望者が全員入学されるような十カ年計画の終わった時点で、公私立の父兄負担の格差の解消とか、あるいは教員の給与の問題とかを考えていく、というようなことが出ているわけでございますね。十年たって初めて父兄負担が軽減される、いわゆる格差の是正ということをしていくんだということでは、私は非常に私立の先生方は御心配じゃないかという感じがするのでございますね。この点はいかがでございましょう。年々やってくださるおつもりなんでございましょうか。
  124. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) 私どもは当面急いでやらなければいけないのは、希望する四・五歳児をできるだけたくさん幼稚園に収容するということが一つございます。  もう一つは、公私の格差をできるだけなくしていくということが最も重要な点だと思います。その二点を中心にただいま案をいろいろ検討中でございます。そういうつもりでやっていきたいと思っております。
  125. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 年次的におやりいただくわけでございますね。そういうふうにぜひお願いいたしたいと思います。  時間がございませんので、次の問題に移りますが、答申では、保育幼稚園、つまり保育所の中で幼稚園の基準を満たすものについては、二枚看板を掲げることを示唆しておられるようでございますね。そこで、逆に、保育にかける子供の数は、主婦の職場進出の増加に伴って流動的に変化し増加していることは御案内のとおりでございます。したがって、幼稚園の中でも保育にかける子供がだんだん多くなっていくものと思われますけれども、これにつきましてはどのように対処をされるおつもりなのか。また、保育にかける子供の親が実は幼稚園教育を受けさせたがる傾向というものがあると聞いておりますが、その理由はどこにありますのか。この問題について、対保育所との関係をどのようにお考えになっておりますのか、承りたいと思います。
  126. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) ただいま御指摘になりましたようなことは、私事実であろうと思います。それからまた、父兄が幼稚園教育に非常に期待をしており、保育所では、預かってくれることは預かってくれますけれども教育という面から申しますと、幼稚園に期待するところが大きいというふうなことがおそらく理由ではないかと思いますが、私どももそれにこたえるだけの幼稚園教育の充実ということに心がけてまいりたいということを考えております。しかしながら、現在のところ保育所も幼稚園も率直に申しまして、両方とも足りません。おそらく希望する者を全部収容するということには至っていないのじゃないかということで、保育所、幼稚園それぞれ分担する機能があるはずでございます。それぞれがまず両方の機能を満たしていくというのが先決ではないかということで、このたびの計画でも両方とも計画を立てまして普及をはかるということを第一に考えて、いま申されましたような実態があるということは十分承知しておりますけれども、保育所との関係等につきましては、その過程の中でいろいろ相談をしていく、実態を考えましてそれに対処する、こういうふうにやってまいりたいと考えております。
  127. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 教育機会均等という上から申しまして、やはり何かなしに幼稚園のほうが高いレベルのことをやってもらっているという感じが、いま親たちの中にはあるということになりますと、やはり保育所の保母さんと幼稚園の先生とは大体同じようなレベルの人ということが、まず私は要求されていくんではないだろうかというような感じがするわけでございます。私も、実はこの四月十日から福祉法人の保育所を開設いたしました。それは、ちょうど私の上に団地ができたものでございますから、市のほうでやるつもりがないということになれば、私は、やはり自分が言い続けたいわゆる保育にかける子供をこのままにしてはおけないと、自分の言ったことを実践に移したわけでございます。ところが、そういうことで、私のいまのところにきている保育所の保母さんというのは、みんな幼稚園の免状を持った人が来ております。そういうことになりますと、これは同じような教育がやってもらえると思います。しかしながら、それにいたしましても、幼稚園の指導要領に準じてと、その準ずるということばが、非常にまた何かなしに一枚下という感じを持たせるような感じがする、こういうあたりにおきまして、私はよほど考えていただかなければいけないのではないか、そういうふうに考えるわけでございます。  次の問題に移りますけれども、その答申で五歳児の七五%を幼稚園、二五%を保育所に収容することを前提として幼稚園の普及を考えている。こういうことでございますけれども、その七五%、二五%の積算の根拠は一体何でございますか、承りたいと存じます。
  128. 奥田真丈

    説明員(奥田真丈君) 答申の参考資料として資源の見積もりが出ておりまして、その中で、幼稚園のことで、五歳児の七五%を幼稚園、二五%を保育所に収容するということがいわれておりますが、この資源の見積もりに出しましたその試算の方法といたしましては、一応数値はいろいろあがっておりますが、原則的には実態を基礎として計算、推計値等を出しております。  で、ただいま御指摘のパーセンテージにつきましては、昭和四十五年に文部省で実施いたしました幼児教育に関する社会的要請調査というものを昭和四十五年にやったわけでありますが、この調査でいろいろの角度から保育所に入所する者の希望というものを押えております。その結果によりまして、たとえば母の共働きであるがために保育所への入所を希望する者というもののパーセンテージが三五・一%という数字が出てきたり、あるいはまた、保育の代替を必要としておる者の割合というものが二五・六%というような数値も出ておりますし、さらに、また、保育所の普及状況というものも二〇数%になっておりますので、今回の中教審におきましての試算においては、保育所に収容する者というものを二五%と押えたわけでございます。その残りの七五%、これを幼稚園に収容する、こういう推計過程をたどったわけでございます。
  129. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 これは社会的要請に基づく調査ということでございますけれどもほんとうは保育所に入れなければならない子供が実は幼稚園を希望したと、こういう実態と少し違ったものが出ているんではないだろうか。実際、厚生省のいわゆる保育所の係の方々とお話し合いをしていただきますというと、この七五%、二五%というのは少し違ってくるんじゃないか、実態というものは少し違っているんじゃないかという感じがするわけでございますけれども、それはいかがでございましょうか。
  130. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) そういう数字が一応出ておりますが、実施の段階におきまして、私ども厚生省ともいろいろ話をいたしまして、その数字を現在変えまして、七〇%と三〇%ということをただいまのところでは考えておるわけでございます。
  131. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 答申では、個人立幼稚園の学校法人化の促進を主張しておるのでありますけれども文部省は従来から通達などで指導されていると私はお聞きしておるわけでございます。ところで、その成果はあまりあがっていないように思われるわけでございますけれども、また、難点は一体どこにあるのでございましょうか。いろいろ通達をお出しになったけれども、なかなかその学校法人に切りかえるということがむずかしくなっているんじゃないか。大体、年々、どれほど学校法人になっておりますのか、その数字はいかがでございましょうか。また、その促進のきめ手は文部省としてお持ちになっておりますのかどうか、承りたいと存じます。
  132. 安嶋彌

    説明員(安嶋彌君) ただいまお話がございましたように、文部省におきましては、昭和三十九年以来、新設幼稚園につきましては、原則として、その設置者は学校法人でなければならないという指導をいたしております。かつまた、すでにできておる幼稚園でございましても、その設置者が学校法人でないものは、できるだけ学校法人となるよう指導するということで進めてまいってきておるわけでございますが、ただいまお話がございましたように、この施策が必ずしも所期の目的を達していないということは遺憾ながら事実でございます。ただ、それでは全くそういう方向に動いていないかと申しますと、必ずしもそうではないわけでございまして、昭和四十二年におきまする幼稚園の数が六千七十四でございますが、当時、学校法人立はそのうちの千三百八十八園、二二・九%、個人立が二千八百三十二園、四六・五%でございました。その他は財団法人立でございますとか、宗教法人立、その他の法人立ということになるわけでございますが、大体、二三%が学校法人立、四六・五%が個人立、こういう形であったわけでございます。それが四十五年度におきましては、幼稚園の総数が六千八百八園、そのうち千九百九十園、二九・二%が学校法人立になっておりまして、逆に、個人立は二千八百七十九園、四二・三%ということに相なっております。でございますから、大きな傾向といたしましては、学校法人立が漸増し個人立が漸減するという方向にはあるわけでございますが、しかし、この進み方が遅々としておるということはまことに残念でございます。  で、なぜこういうふうに個人立幼稚園の学校法人化が進まないかということでございますが、その理由はいろいろあると思いますが、おもなものとして私ども考えておりますことは、一つは、学校法人でございますと、私立学校法の規定によりまして、解散の際の残与財産の帰属者にかなりな制限がございまして、他の学校法人その他教育の事業を行なう者ということになっておりまして、この教育の事業を行なう者は、従来の指導でございますると、公益法人ということになっております。つまり、個人の財産をこうした場合には、こうした規定がございますと、解散の場合におきまして当初寄付いたしました財産を手元に戻すことができないというような事情があるわけでございまして、小規模な個人財産を基盤にいたしておりまする幼稚園におきましては、やはり一種の不安があるということはいなめないかと思います。それから寄付をいたしました際におきましては、租税特別措置法の規定によりまして、譲渡所得税が学校法人の場合は非課税扱いになるわけでございますが、この非課税扱いにする条件がかなりきびしい。これは詳しく申しますといろいろあるわけでございますが、かなりきびしゅうございまして、これを個人立の幼稚園の方が充足することがなかなか大変であるというようなことがございます。それから園地、園舎等はこれはすべて自己所有であることが必要だということを申しております。ところが、都会地等におきましては、買い取ろうと思いましてもなかなかそれが買い取れない、自己所有にできないというような条件等、いろいろな事情がございまして、この法人化の要件をなかなか満たし得ない、こういうことがございます。  その他まあいろいろ事情もあるかと思いますが、おもな事情はそういったことで法人化がなかなか進まないということでございますが、しかし、幼稚園の場合でございましても、設置者が学校法人であり確実な財産的な基礎を持つということは、これは必要なことで望ましいことでございますから、いま申し上げましたようなこの基準をただ単に下げるということでは、これは意味がないわけでございます。むしろ、私どもは、第一次的には、個人立幼稚園の設置者が大いに努力をしていただきまして、この基準を充足するように努力をしていただくことが第一だと思いますが、しかしながら、以上申し上げました基準で実情に合わない点とか、あるいは要件としてきびし過ぎる点といったようなものについては、今後、先ほど来お話しが出ておりますように、幼稚園の大幅な拡充計画進行させようということでございますので、この際、そういう点は総ざらい的に検討いたしまして、改めるべき点は改めていきたいというふうに考えております。
  133. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 ぜひ、そういうふうにお願いをいたしたいと思います。寄付をして、税金を取られて、何てまあほんとうにこんな引き合わぬ話あるだろうかと、私も考えながら腹が立ったりしたわけなんでございますけれども、そういったような点、非常にいろいろ問題がございますので、この際、ほんとうにそういった幼稚園を振興させるということでございますならば、そういう点もぜひ一度考え直していただきたいというふうに考える次第でございます。  今度は、幼児教育で大きな実績を上げております宗教法人立幼稚園の取り扱いというものが答申の中では触れられておりませんですね。現在、宗教法人立の保育所は、社会福祉振興会から資金を貸し出してもらう対象になっております。しかしながら、宗教法人立幼稚園については、国からの援助が行なわれていないわけでございますけれども文部省は、宗教法人立幼稚園に対して積極的な財政援助をはかるおつもりはございませんか、承りたいと存じます。
  134. 安嶋彌

    説明員(安嶋彌君) 宗教法人立幼稚園の問題でございますが、ちょっと御参考までに申し上げますと、幼稚園の設置者の約三割が宗教法人でございます。これに対しましては、従来は災害の場合——激甚災の場合でございますが、これは若干の補助がございますが、その他、施設につきましても、設備につきましても、国からは特別な補助がないというのが現状でございます。そこで今後どうするかということでございますが、ただいま御指摘がございましたように、社会福祉事業振興会法におきましては、この宗教法人立の児童福祉施設に対して貸し付けをすることができるということに先般法改正いたしたようでございます。私どもも、そういう前例もございますので、この憲法八十九条というような規定の上からは若干議論が残るかとも思いますが、そういう立法例もございますので、この私学振興財団を通ずる宗教法人立幼稚園への貸し付けというものを、前向きで検討してみたいというふうに考えております。
  135. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 だんだん時間がなくなってまいりましたので、一つ提案をさせていただきたいと存じます。  私立幼稚園側では、都道府県や市町村に対しまして、幼稚園教育振興委員会というもの、まあ仮称でございますが、その設置を法制化するように主張していると言われておりますけれども、このねらいは、もう私が申し上げるまでもないわけでございます。そこで私は、地域における幼児教育を総合的に行なう立場から、公私立幼稚園、保育園、すべてを含んだ幼児教育振興委員会というものをつくるべきだと考えるわけでございますけれども、この点について、大臣の御所見を承って質問を終わりたいと存じます。
  136. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) 萩原先生指摘の点は、いずれにいたしましてもこの問題は立法化しなきゃならぬ問題なんであります。法制化いたします場合に、ひとつ前向きに考えさしていただきたいと、かように御了承いただいておきたいと思います。
  137. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 大臣、そういうことが必要か必要でないかということがまず前提になります。そういうことになったときには前向きに検討しますではなくて、そういうものはぜひ必要だからやはりそういうものをつくるように前向きに検討するというのと、ちょっと意味が違うと思うのでございますが、いかがでございましょう。
  138. 高見三郎

    国務大臣高見三郎君) これは必要だと思います。必要だと思いますので、制度改正のときに考える。というのは、調整する機関というものはやっぱりなくちゃならぬと思うわけであります。そういう意味において考えるということを申し上げたつもりでございます。
  139. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 わかりました。  以上で終わります。
  140. 大松博文

    委員長大松博文君) 本日の質疑はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後四時十分散会