○
塚田大願君 先ほどから
北海道の
冷害の問題につきましてはかなり
質疑が出ましたが、私も実はこの間単独で、独自で
北海道の
調査に参りました。そのようなことからこの
北海道の
冷害の問題についていろいろお伺いしたいと思うのです。
先ほど、
実情を見ていなければなかなか実感がわかないのではないか云々という
お話がありました。しかし
大臣は、私は三十九年にも
視察に行っているから十分存じておる、こういう
お話でございましたけれ
ども、やはりことしの
冷害というのが三十九年の
冷害、あるいは四十一年の
冷害を上回るものだ、
北海道の
開拓史上最高ではないかというのが実際の
視察した人たちの実感だろうと思いますし、また
現地でもそのように言っております。でありますから、先ほ
ども論議がございましたが、
北海道で発表されました
被害状況よりももっと実際は大きいというのは
農林省自身もすでに認めておられる、こういう
状況でございます。したがって
実情につきましては私はもうるる申し上げません。
ただ私が行きまして驚きましたことが一つございます。それは私
どもが
調査に参りましていろいろ
農民の方々と
お話をいたしますと、そしたら、ほんとうにあなたがたの
考え方を率直にひとつ訴えてくれ、話をしてくれといろいろ懇談をいたしました。実はいままで道庁やあるいは
農林省やその他から
調査が来る、しかし実際に一番ひどいところは私
どもはあまり見せたくないんです、またあまり見せませんでしたと、こういう話なんですね。びっくりしました。あれだけの
被害を受けたんだから、これだけ
被害を受けたと、むしろ大っぴらに見せてくれるものだと思ったら
実情は逆だったということ。じゃなぜあなたがたはそういうひどいところを見せてくれないのか、そうしなきゃ
対策だって進まないじゃないですか、こう申しましたら、いやあまり騒いでもらうとかえって
北海道の
農業はもうだめだ、米は北限なんだからおまえたち米はやめなさいと言われる可能性がある、そしてもう小さな
農家に離農しなさいと言われる危険性がある、それがこわいから一番ひどいところは実はあまり見せなかった、これがほんとうの私
どもの気持ちですと、こういうふうに言われるのです。私びっくりしました。なるほど
北海道の
農民の皆さんの気持ちというものはそこまできているかという感じです。また一方農協やその他普及所にいたしましてもあまりひどいところを見せると、おまえたち営農
指導員、一体何やっていたんだと責任を追及される危険性もあるというようなことから、そういう機関もあるいはそういうひどいところは見せたくない、こういう気持ちもあったようでありますが、しかし
実情は非常にひどいものだと、こういうことです。特に
農民の何人かの方々から聞きましたけれ
ども、まあ借金がどんどんふえてきてもうおまえたちこれ以上借金なんかさせられないという農協の話で、もうそんな借金ばかりつくっているような
農業はやめてひとつ離農したらどうだろう、こういう話すら出ている。こんなことから
農民の皆さんはたいへん苦しいんだけれ
ども、なおかつほんとうにこの
被害の
状況ですね、ほんとうに出そうとしないという
実情があることを私は知って驚きました。まずこのことを
大臣、その他
関係官庁でもよく知っていただきたい、こういうふうに思うわけであります。
そこで、この
冷害を口実にした離農促進あるいは
稲作転換の強要というようなものが行なわれたら私は重大な問題ではないかと思う。確かに
北海道の場合には
水稲の
条件が必ずしもよくない。しかし、かといって、いま
農民はやっぱり
水稲で何とか生きていこう、それ以外に方法がないのだと思っている
農家を、あえて作付転換をやらせる、こういう押しつけがましい
行政指導であってはいけないのではないか、こういうふうに
考える。
そこで私、
大臣にお聞きしたいのですが、実は
大臣が先ほ
どもおっしゃいましたように、三十九年の
冷害のときに、
北海道に
視察に行かれた。そのときの話をいま
農民がやっぱり覚えております。そしてそのとき
赤城農林大臣は、
北海道に来て、今度の
冷害は構造
改善推進のいい材料だ、と言ったら、あんな
農林大臣けしからぬじゃないか、おれたちを追い出すつもりか、こういう政策を
冷害を口実にして、
冷害を奇貨としてこういう政策を進めようとして来たのだ、というふうに言っております。しかし、もちろん私は、
赤城さんがそういうふうになまのことばでおっしゃったものかどうかわかりません。そこで私、帰って参りまして、当時の資料を
調査してみました。ここに三十九年十年十六日の参議院における
災害対策特別
委員会の議事録がございます。ここでこの
北海道の
冷害の
対策は
質疑討論されたわけであります。これは
災害対策特別
委員会ですが、この中でやっぱり
大臣はこういうことを言っていらっしゃる。ちょっと一部申し上げますが「ことにいま
考えておりますることは、離村の問題も多うございますから、受け入れ態勢を強化するともに、農地管理
事業団というようなものによって経営
規模も拡大していきたい。」、その他ずっとありまして、「なお、
開拓者の問題は、それと関連いたしますが、
開拓者で離農したいと言いながら、そのワクに拘束されたり、あるいはまた資金が十分届きませんので、出るに出られないという者もありますので、こういう者につきましては、
政府資金の面も手当てを早くいたしまして、出たいというならば早く出て、他の業につくようにいたしたいと思います。」、こういうふうにやっぱり言っていらっしゃるわけですね。露骨な形では決して言っておられません。
しかし、やっぱり
冷害でやっていけなければ離農しなさい、そのためには
政府は大いに積極的に施策を行なう、こういうふうに離農という面を言っていらっしゃるわけです。促進するということははっきり言っていないけれ
ども、離農したい人には離農させるようにちゃんと手当てはつけます、こういう離農の面だけが積極的に出て、実際土で生きていく、
農業で生きていこうとされる
農民をやっぱり追い出していくという、そういう方向に
考えがはっきり私は出ているのじゃないかと思うわけであります。しかし、先ほど
赤城さんもおっしゃいましたように、私も
農家の出と、私な
どもやっぱり
農家の出でございますから、
農民の気持ちはよくわかる。また
農民の気持ちをよく知らなければ農政はできないだろう。
農民はやっぱり何とか百姓で生きていきたい、土で生きたい、こういうふうに
考えている。一生懸命にやってきた、特に
条件の悪い
北海道で百姓をやってきた人たちの気持ちというものは、
大臣も知っていらっしゃるのじゃないか。ところが、その離農ということが促進されるようなこういう状態になりますと、これはもう
農民の中では怒りなんというものではなくて、いわば恨みですね。先ほ
ども出ました怨念です。こんなひどいことをおれたちがこれだけやってきて、血と汗でやってきたこの
北海道の
農業、これをいまさら追い出すとは何だ、こういう気持ちが非常に強いということです。
先ほど
大臣は国際競争力に耐える日本
農業の体質
改善を、大
規模農業と盛んに言われる、それはお経の文句でありまして、私はほんとうに、先ほど
鶴園さんでしたか、
質問がありまして、一体何をつくったらいいのかということは一つもはっきりしない。米もだめだ、
酪農をやれ。
酪農やっても十頭
酪農ではとてもだめだから、二十頭、三十頭でやると借金ばかりふえて、結局こういう
冷害なんかきたときにはダウンせざるを得ない。こういう形で追い込めておいて、離農したい人はしなさい。離農したいなんという気持ちの人はほとんどいないんですよ。それは一人や二人いるかもしれない。しかし
農民として土地を離れて都会に出て働くなんということは、ほんとうに
農民としては一番情けないことなんですから、そういう気持ちを持っているはずがない。したがって、こういう状態でありますから、私は
大臣に、
大臣は今度ソ連にいらっしゃる。
大臣は農政のベテランだといわれておりますし、私はものわかりの悪い
大臣だとは思っていない。ソ連に行かれますと、
赤城さんは私の名前は赤い城だと、レッドキャッスルだと、たいへんものわかりのいい柔軟なこともおっしゃっているわけです。だからこの際、この
農民の気持ちをおくみになって、この
冷害を口実にして離農促進をするとか、あるいは
稲作の転換を強制する、こういうことをしないということを、私は、この
委員会でひとつはっきり言明していただきたい、こういうふうに思うわけであります。