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戸叶武君 関連質問。私はきょうは黙って彼我の問答を聞いておったのですが、
国会の審議というものは、具体的データを要求して、それに基づいた論議でなければ価値はないので、そういう
意味において
委員会の請求というものはなされておるのであって、ガバメントのほうでは官吏としてのいろいろな制約ということを考えるでしょうが、それは小乗的な立場です。そうでないとすると、
国会の審議権というものを
無視していくのであって、
国会の権威というものはなくなるのです。この今回の問題に対しては、諸
外国で見ていることであって、白日のもとにおいてこんなばかなできごとが
日本にあるということが
各国で笑い話になっているのです。国民としては笑われている側です。あほうもいいかげんにしろと。
これはあんたも御
承知のように、一九二九年からの
世界経済恐慌、一九三二年からの金融恐慌のときにも、御
承知のように、ただ
通貨の問題だけでなく、あのデトロイトの銀行が二軒つぶれたということが金融恐慌を巻き起こしたきっかけになった。そういうことが絶えず
政府側に去来しているのだと思いますが、あまりに大蔵省あるいは通産省、
日銀と銀行並びに商社との
関係が癒着し過ぎであって、国民の側に向かって
通貨政策なり、金融政策をやっているのか。それとも、為替銀行なり、あるいは
外国に支店を持つ商社が手持ちの
ドルによって打撃を受けないようにということを配慮してやっているのか。この点が国民にきわめて注目されているところでありまして、私はこの十六日の午前十時、
日本の、あの日からの、ずっと
新聞関係、もう詳細に全部データをとっておりますが、大
新聞ですらも、すでに十七日の段階においてもう
政府の動き、大蔵省と
日銀とは、国内の商社、銀行が手持ちの
ドルを損しないように、十七日から配慮した模様であるということが明確に出されております。これは、私も朝日
新聞の記者上がりですが、
日銀なり、大蔵省なりに行っている経済部の記者という者がやはりその動きのデータはとっていると思います。
それから、その次において、やはり大蔵省と
日銀の中において、特に大蔵省いろんな問題があったと思いますが、十七日の臨時閣議で
佐藤首相は、円
平価の維持という従来からの「基本
姿勢を変えない」と言って、そして
佐藤さんも田中通産
大臣も軽井沢のゴルフ場に行っていますが、一方、大蔵省の中では鳩山事務次官、相澤主計
局長及び竹内官房長などは、為替市場は閉鎖したのだから、
日本もこれにならったらどうかという意見を出したが、柏木顧問、細見財務官、稲村国際金融
局長などは、
ドルこそ切り下ぐべきだと、フランスと同じような筋論でこれに対抗した。これはその内部を、私はいまあんたから答弁を求めません。
とにかくこのような、内部にいろんな
議論があってもいいと思うのです。しかし、これがほとんど、一部の専門の
新聞記者は大体その動きをキャッチしているが、それが為替銀行なりあるいは
外国に支社を持つ大商社なりに筒抜けであったとしたならばどうするか。その
ドルかえの動きというものがずっと出ているのです。
新聞自身においても、十六日、十七日、十八日、十九日、二十日あたりまでのヨーロッパの動きが明らかになっている。
新聞の論説はもう全部、ヨーロッパの、立場は違うが、フランスやドイツも立場は違うが、ならうべきであるというのは、経済同友会の人たちもそうだが、全部財界をあげて、私は常識であったと思う。そのときに、ガバメントにおける一番責任あるコントロールをやるところの大蔵省なり、通産省なり、
日銀の動きというものは、きわめて不明朗な印象を国民に与えている。これは私は今
国会において、今後において追及しなければならない。それが私
どもの、渡辺君の言っているように、とにかくあなたたちにはあなたたちのいろんな弁解の立場があるでしょう、われわれはわれわれとして——この見方や
議論は別だ。
そういう足どりの具体的データを大蔵省なり、
日銀なり、あるいは通産省なりが出せないというならば、
政府と
国会との対決です。とにかく、そんなことをやって国民の疑惑を解くことができるかどうか。しかも、そういう形において1私は当時朝日
新聞記者として、あのあらしの中で、
昭和五年に浜口さんが殺され、
昭和七年の二月九日に井上準之助が殺され、団琢磨は殺され、五・一五事件が起きた。単なるファシズムじゃないんです。
政府のやっているでたらめな
財政金融政策に対して、ひとつの、国民が窮乏におちいったときに、農民自身の抵抗力というものに軍部ファッショなり何なりが迎合したわけです。その根底においてああいうテロリズムまで起きているのです。
私は、この一年間は非常にきびしいと思います。もし
政府がそのような怠慢な
説明をするならば、われわれは国民に対して、
国会の機能というものは一体何をやっているか。これは非常にきびしい中に今
国会を迎えなくちゃならないので、堂堂の論陣を張りましょうが、堂々の論陣を張るにあたっては、具体的なデータを
中心としての論争に入りたい。そうでなければ論争の
意味がない。われわれは陳情じゃない。その点において、これは私は渡辺君と民社の人たち——政党政派を抜きにして、野党の人全部が具体的なデータを出してくれと。今日の足どりは、これは苦悩に満ちたものだと思うが、ともに悩み、ともに模索し、そうして国民に対して明快な回答を与えるという
姿勢が
政府並びに
国会にあらねばならぬ。
政府が怠慢ならば
国会がこれを行なうという気魄がなければ、政治への不信というものは失墜するばかりだと思います。
そういう
意味において、出せないということじゃない、努力するという
程度じゃない、出してもらいたい、出すべきだということをわれわれは要求しますから、要求に応じないときには、これに対して両院議員
総会なり何なり開いて、このあらしの中における、きびしい、国際
世界からも見られている監視の中における、こんなでたらめなことはないです。二十六日、二十七日、
日銀総裁と
大蔵大臣とが会った
あとにおける筒抜けなんかは、
世界の——私は恐慌の時代、イギリスにいましたが、イギリスなんかの例では直ちに首です。
大蔵大臣なり、
日銀総裁にそれだけのきびしさがあって初めて
政府の責任というものは問えるので、企業に対して影響があるからとか、官吏の責任においてそういうことをきちんとできないとかいうことよりも、もっと、国の全体の利益を擁護するために官僚は何をすべきか、そのことを考えることのできないような官吏というものは、公吏というものは怠慢です。そういう点において、いま責任なり何なりを追及をするのじゃない。われわれの要求するところの資料請求だけは忠実に守って出してもらいたい。その上で
政府と
国会で論戦をやろうじゃないですか。