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説明員(安嶋彌君) 富士見丘学園問題の経緯についてでございますが、実はこの学園から、この問題の一部始終につきまして文書による
報告は文部省は受け取っておりません。紛争の長い経過の間におきまして、関係者が口頭でいろいろ文部省に
報告をしに参りました。そういったところを取りまとめて、私どもの理解をしておる範囲の経過ということになりますが、それを御
報告申し上げたいと思います。
富士見学園は静岡県の三島市にございまして、富士見丘女子短期大学、沼津北高等学校を設置する学校法人でございます。
昭和四十年四月にこの短期大学を設置いたしましたあと――これは学科といたしましては文学科と家政科でございますが、短期間に学科を増設するなど、急速にそれに対応した施設の整備を行ないましたために債務の金額が累積をいたしまして、教職員に対して給与を支給することができない、あるいは欠配をするというような事情が起こりまして、
昭和四十二年の七月の末に至りまして不渡り手形を振り出し、銀行取引の停止処分を受けたということがございます。その後、債権者会議で学園の再建について検討いたしました結果、小野
理事長が退任をいたしまして、四十二年九月、政岡弥
三郎氏が新
理事長に就任をし、学園の債務整理を行なうことになったということでございます。この
理事長の交代につきまして、小野
理事長側と申しますかが、これをきめた評議員会、
理事会の決議は無効であると主張をいたしまして、静岡地方裁判所に訴訟を提起し、
昭和四十四年の三月に一たんは和解が成立したということでありますが、その後和解の有効性をめぐって新しい訴訟が提起されておりまして、その間の裁判所の結論がまだ出ていないということでございます。
一方、ただいま
先生からもお話がございましたように、こうした事情にございましたので、
昭和四十三年度の学生募集は行なわれず、四十三年度に一年から二年に進学をしたいもののその
段階で中途退学をするとか、あるいは転校をするとかいったような者が続出をいたしまして、四十三年度は二年生だけ、約二十名でございましたが――について授業が行なわれておりましたが、その翌
昭和四十四年度におきましても、学園のこうした紛争が
解決されないために学生募集が行なわれない、したがって現在は学生が皆無という
状態でございます。
それから、この間、
昭和四十四年十二月の十七日までに、校地、校舎の大部分が債権者の申し立てにより競落されたいうことでございます。この競落について小野氏は東京高等裁判所に対して
異議の申し立てを行なっておりましたが、
昭和四十六年五月に却下されまして、現在は最高裁にさらに訴訟が係属をしておるというふうに聞いております。
それからなお、
昭和四十五年の二月二十三日に富士見丘女子短期大学の廃止認可申請書と学校法人の富士見丘学園解散認定申請書が
理事長職務代行者政岡弥
三郎氏から文部大臣に
提出をされておりますが、その後、
昭和四十六年六月十六日、静岡地方裁判所の決定によりまして政岡氏は
理事長の職務代行を解かれまして、望月さんという弁護士が現在職務代行に
選任されておるということでございます。
〔
委員長退席、佐田
一郎君着席〕
文部省は、この紛争の間、大学当局に対しましてはこの再建につきましていろいろ指導、助言を行なっていたわけでございますが、この廃止認可申請書の扱いといたしましては、いろいろな訴訟が重複をいたしておるわけでございますし、またこの職務代行者政岡弥
三郎氏がはたしてこうした法人の解散あるいは学校の廃止の認可申請をなし得る
立場にあるかどうかといったようなことも法律上の
一つの問題であろうかと思いますので、これに関連する法律問題が決着いたしますまでこの扱いは留保したいというふうに考えておる次第でございます。