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国務大臣(
橋本登美三郎君) 数字の問題はあるいは私からこまかく説明するよりも事務当局で説明をさしたいと思いますが、概略の点は私から申し上げます。
中村さんも御
承知のように、現在東京湾に出入の貨物の総量は四十四
年度の計算で三億二千五百万トンであります。そのうちいわゆる流通物資、これが一億二千万トンと推計されます。この
状態をいわゆる
昭和六十六
年度の新全総、これは計算がありますけれ
ども、従来は八億五千万トンといっておりますが、新社会
経済発展計画、これは五カ年計画ですが、それによりますと
昭和五十年で六億二千四百万トンになる。これをそのまま伸ばしてまいりますというと、
昭和六十年には十二億三千万トンという数字になるわけであります。しかし、これは最近における伸び率をそのまま伸ばしていくという計算でありますから、必ずしも十二億三千万トンという数字が妥当かどうかは疑問があるので、一応私たちは試算としては十億トンぐらいに押えていいのではなかろうか、こう考えております。そこで
先ほど申し上げましたように、現在東京湾のいわゆる港湾の能力は三億二千五百万トンでありますからして、その差額の、いわゆる十億トンと計算いたしましても六億七千万トンというものを東京湾で全部引き受けられるかどうかということになりますというと、港をつくるということだけで言うなれば、もちろんこれは全部引き受けられます。しかし、物資の流通というものは海上だけの問題ではありませんで、陸上との
関係において、すなわち総合交通という面から見て、これだけのものを東京湾内で引き受けるということになれば、もう陸上は全然動かなくなることは火を見るよりも明らかであります。したがって、陸上においていわゆる建設省が考えておりまする湾岸道路、あるいはその他まあ八環といっておりますが、その他の道路等を考慮して、そこで東京湾内で受くるべき物資数量というものは、
昭和六十年時点を考えても大体三億ないし四億トンの増、現在の約倍ちょっとぐらいが東京湾内で引き受ける数量ではなかろうか。残りの約二億トンといいましょうか、二億トンというものは東京湾外、すなわち千葉の太平洋岸から茨城の太平洋岸並びに神奈川、静岡の太平洋岸でこれを受けるべきであろう。これが二億トン、あるいは二億五千万トンぐらいを受けるということになると思います。そうなりますというと、現在のいわゆる千葉の太平洋沿岸から茨城沿岸では十分なる港を持っておりません。まあ中村さんは北関東を
中心に御
質問でありますから、その方面の
お話を申し上げますというと、現在茨城の太平洋岸におきましても港らしい港というのは日立港一港だけであります。日立港の計画は現在は、
昭和五十年を目途として大体一万トン級の船の水深を計算して、そこで五百四十万トンというところが現計画であります。それ以外には、大洗がありますが、まだこれは本格的な港の計画ではありませんが、現在の
状態ではこれはわずかに年間四十万トンという計画でありますからして、もし東京湾外で二億トンのものを受けるとなれば、その半分をいわゆる北関東といいますか、千葉県沿岸を含めて一億トンを受けるとなれば、この程度のいわゆる日立港——いま申し上げたような港であっては全然これは問題にならない。そこで、これは
先ほど来、根本設備大臣から話がありましたが、北関東横断道路の問題及び常磐高速道路及び成田の高速道路、これを延長し、東関東自動車道路と言っておりますが、こういう道路とのにらみ合わせ及び関越自動車道路、こういう点等を考えて、そこで北関東から入る物資をどれくらいまでわれわれは拡大できるかというと、どうしても将来首都圏の人口がまあ最低見て三千五百万人、これは全体の人口ですが、しかし、おそらく四千万人を突破するだろう。情報化時代においては当然いわゆる管理センターには人が集まってくるのであります。そういう
意味において、首都圏の人口はおそらく四千万人を突破して、あるいは四千百万人ぐらいを
昭和六十
年度と見てよろしいと思う。そういう観点からしますというと、かなり人口は首都圏全体に広がると見てよろしい。あるいは、形から言うなれば、旧東京都内といいますか、二十三区内は一種のドーナツ現象を呈する、そうして周辺及び以遠の土地にかなり人口が張りつけられる、こう見てよろしいと思います。そういう
意味からいって、横浜、神戸あるいは東京等の港から物資が中に入ってくるのと、北関東の有力なる港から入ってくる数量というものは、かなりパーセンテージからいっても、もちろん東京が多いわけでありますけれ
ども、なおかつ、いわゆる北関東における港の役割りは重要である、こういうことを考えまして、もちろん本格的な計画はこれからするわけでありますけれ
ども、一応私たちが試算的に考えておりますのは、日立港においてはいろいろ背後
関係がありますので、これを拡張いたすにいたしましても千万トン程度以外には拡張はできない。しかし、船は大型化しておりますので、港は少なくとも五万トン級の船が入るようなことを考えなければならぬ。大洗港——大洗・涸沼港と言いますか、涸沼総合開発ということを県のほうでも考えておるようでありまするが、大洗港を本格的に重要港湾に考えていく、こういうことになりますと、これは背後がありますので、この大洗港でやはり五万トンくらいの船は入れる可能——もちろんそれ以上の船の入る港をつくることも可能でございますが、流通港湾というたてまえから言えば大体五万トン、あるいは将来考えれば十万トンの必要がありましょう。一応そういう計算のもとに考えて、ここで二千万トンのものを受ける。でも、これはわずかに合わせて三千万トンほかないのであります。残り七千万トンをどこで受けるんだ、その全部を茨城県の太平洋沿岸で受けることは困難ではありますけれ
ども、少なくとももう一カ所を、いわゆる根本建設大臣が前に茨城振興と言っておりましたが、その重要な大きないわゆる流通港湾が建設されないというと、せっかく北関東自動車横断道路というものはできても、十分な活躍を示すことができない。そこで運輸省としては、将来射爆場が返還されるのであるなれば、ここにひとつ五万トンないし十万トンの大型貨物船の入れる、そうして年間少なくとも四千万もしくは五千万、五千万と言うと、現在の横浜港が流通港湾としては年間五千万でありますからして、相当の時間を要さなければなりませんが、少なくとも将来の終局
目標は四、五千万トンぐらい年間使える、この程度の港を建設しなければならぬ、また建設する余地はあるわけであります。こういうことによって、東京湾内の二億トンのうち、約一億トンというものを、千葉のいわゆる九十九里浜から、そうしていま言った北関東、茨城、太平洋岸に港の設定によって、ここで一億トンのものを消化し得る、こういう考え方でこれを片づけていかなければならぬと思っております。まあそれには、もちろん射爆場返還というものが前提に立つわけでありますが、こういう首都圏の将来の構想から考えましても、思い切った
措置を今日において立てなければ、これは将来に首都圏建設の上においてもあやまるであろう。
話は別でありますけれ
ども、ド・ゴール大統領が就任早々にして、一九五〇年代でありましたが、将来のパリ、二十一世紀のパリはどうあるべきか、こういうことを一九五五年代に彼は諮問をいたしまして、数年かかって、いわゆる構想を固めて、そうしていまから三、四年前にまずパリの改造を始めたのであります。そのド・ゴールは四十年後の先、五十年後の先を考えて、二十一世紀のパリのあり方、交通から都市開発、こういうものをまず構想をつくって、そのもとに、御
承知のようなパリの地下鉄の改造が行なわれつつあります。
私はこの機会にかようなことを申し上げましたが、中村さんも御
承知でありますけれ
ども、水戸から宇都宮、高崎にまいる、ここには現在国道五十号という道路があります。私は先人に敬意を表するゆえんのものは、いまから数十年前に、もちろんその当時は国道ではありませんでしたが、とにかく五十年も前に、いわゆる水戸からして宇都宮、高崎を経て行くという道路を決定したということは、われわれの先人はとにかく大きな構想のもとに仕事を始めておった。にもかかわらず、今日のわれわれは残念ながら、きょうだけを見てあしたを考えない。これはわれわれは政治家として大いに考えを新たにしなければならぬと考えておる次第であります。
以上のような方針として、運輸省としては積極的に首都圏の総合開発、同時に総合交通体系を明らかにしたい、こういうふうに考えて、目下具体的な
検討を進めておる段階であります。