○松永忠二君 あなたのおっしゃった、御心配の点というか、そういう
前提の上で心配しているのだろうということの
お話ですが、かつてそういうことがあったし、またいまも続いているという点についての認識については、別に私は間違いがないと思う。私がいま言っているのは、そういう善意に基づいてという、善意というか、あなたの言ったことが
表現をされなければわからぬじゃないか。何も、そう言っている場合に、ただ
法律だけ読んでみたって、それはわからないですよ。だから、あなたの言ったそのことが、それじゃあその場合にきちっと
表現をされて、確保されているということでなければできないだろうと思う。私たちはそういう善意に基づいてやるのでありまして、原則的に、原則というか、条件は出さないという方針で、ただ必要やむを得ない場合に出すのですと、そういうようなことが明確にわからなければ、これだけの
項目をあげてみたってわからないということが
一つ。必要やむを得ないということを強調するけれ
ども、必要やむを得ないということを客観的に判断するものとして何があるのかということを言っているのだが、いや私たちは善意でやっている、そんなことはないんだ、ただそれだけじゃ不十分なんです。ただ
福祉と健康に害がないという
程度のことでは、これはばく然としたものだ。いま言われたようなことをつまり明確にしておく必要があるということを言っているわけです。そのことを明確にするにどうするかということを具体的に聞いているのです。幾ら速記録であなたがそういうことを言ったっても、それが一年二年三年たつうちに、それがそのまま守られていくという、それほど世の中というのはうまいぐあいにいかない。だから、それを明確にしておかなければいけないということを
一つは言っているわけです。
それからまた、こんなたくさんなものでなくて、必要やむを得ないという場合には、かつて
文部省が必要やむを得ないものの
項目としてあげたものがあるでしょう。宿直、日直、入学試験、身体検査、学位論文審査、これはやむを得ない。原則は超勤はやらない。やらないが、これだけはやるといった、宿直、日直、入学試験、身体検査、学位論文審査。出しているのです。そういうものをしぼったらどうだ。しぼるべきじゃないか。こんなことをこのまま出せば、いままでは
勤務時間にやっていたものを、どんどん
勤務時間以外にやれる根拠をむしろつくってしまう。逆ですよ、善意とは。それほど、前から言っているように職場は忙しいし、人の数は足りないし、だから、できるだけそういう方向へ持っていく。これからは文化祭は日曜にやればいいのだ。なにもわざわざ
授業を振りかえたり、そんなややこしいことせんでもいいと、これは。それはけしからん、それはだめだといえるのは、この
法律の中に健康と
福祉に害がある——だれがそんな証明できますか。一日日曜を選んだからといって、健康と
福祉に害があると証明はできない。それよりは、このもの自体の中にそういうものを明確にしていくのか、
範囲を明確にしていくのか、そういうことをやるべきだ。そうしてさっきから、これは
人事院の勧告の中にある、一番しまいに出ている特殊な
勤務をするようなこういう、特殊
勤務手当の問題が出ているわけです。長時間でどうしてもというようなものを、超勤を明確にし、なお長時間であるから手当を出していく。こういう形で押えていくべきものであって、こんなものを出したらたいへんなことになってしまうのじゃないか、率直にいって。私は、これじゃ無定量だといってみなが非難するのはあたりまえになってしまうのじゃないかと思うのです。
いろいろ言いましたけれ
ども、結論は
一つ。一体あなたの言ったそのことを、根拠をどこへ一体するのか。善意でやります、そういうものは命じませんじゃあだめなんで、やむを得ない、みだりにやったかどうかということを判定する根拠をどこに一体求めるのですか、ということが
一つ。かつて
文部省が、必要やむを得ないものとして、やらせないことを原則に守ってきておる中で、どうしてもこれはやらなければできぬと認めたものがこれにあるのに、なぜその
程度にとどめないか。なぜこんなに拡大するか。そういうほうは、
人事院総裁が盛んに言っている
自発性、
創造性に基づいてやってもらえばいいのだ。そんなものを入れてしまうから、これが今度拡大されてくることになる。私の言っているのがよほど現実的だと私は思うんですよ。こんなことに賛成する人はないと私は思いますね、率直に言って。お尋ねしたところを
答えてください。