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1971-04-20 第65回国会 参議院 文教委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年四月二十日(火曜日)    午前十時十五分開会     —————————————    委員異動  三月二十五日     辞任         補欠選任      永野 鎮雄君     村上 春藏君  四月十二日     辞任         補欠選任      村上 春藏君     永野 鎮雄君  四月二十日     辞任         補欠選任      楠  正俊君     初村滝一郎君      植竹 春彦君     矢野  登君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         高橋文五郎君     理 事                 大松 博文君                 二木 謙吾君                 安永 英雄君     委 員                 永野 鎮雄君                 初村滝一郎君                 宮崎 正雄君                 矢野  登君                 内田 善利君                 柏原 ヤス君    国務大臣        文 部 大 臣  坂田 道太君    政府委員        文部大臣官房長  安嶋  彌君        文化庁次長    安達 健二君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○文化功労者年金法の一部を改正する法律案(内  閣提出、衆議院送付)     —————————————
  2. 高橋文五郎

    委員長高橋文五郎君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員異動について報告いたします。  本日、楠正俊君、植竹春彦君が委員辞任され、その補欠として初村瀧一郎君、矢野登君が選任されました。     —————————————
  3. 高橋文五郎

    委員長高橋文五郎君) 文化功労者年金法の一部を改正する法律案(閣法第二六号)(衆議院送付)を議題といたします。  本法律案に対し質疑のある方は、順次御発言を願います。
  4. 安永英雄

    安永英雄君 本法案のこの内容につきましては、まあ年金百万を百五十万に引き上げるというきわめて簡単な法案でありますけれども、しかし文化功労者年金制度が国の文化政策として行なわれております限り、その他の諸制度関連をして多少質問を申し上げてみたいと思います。  そこで、昭和二十六年に文化功労者年金法が制定されてから文化功労者決定された方は二百二十八人にのぼるというふうに、提案理由の中に入っておりますけれども現存の方は現在何人いらっしゃいますか。それから昭和四十六年度予算の中ではどのように予算が組まれておるか、この点について質問いたします。
  5. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) ただいまお話がございましたように、文化功労者として決定されました方は二百二十八名でございますが、四月十九日現在の現存者は百八名でございます。他の方々はすでになくなられておるわけでございます。それから四十六年度予算積算でございますが、百二十人、一人百五十万円でございまして、計一億八千万円が年金予算として計上されております。予算概算要求をいたします際の現存者が百十名でございまして、例年の例に従いまして十人新たに四十六年度におきまして文化功労者決定をするという予定のもとに、合計百二十名の要求をし、それが積算されておるわけでございますが、積算後になくなられた方が二人ございまして、一人は喜多六平太さん、一人は市川壽海さんというこのお二人でございまして、その方がなくなられたために現存者が百八名ということに相なったわけでございます。
  6. 安永英雄

    安永英雄君 小さいことですけれどもあとでこの選考基準等でもお聞きしたいと思うのですが、予算を上げられる場合に十名という、これは大体不文律になっているのですか。
  7. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 仰せのとおりでございまして、例年十名を上積みをするという形をとっております。
  8. 安永英雄

    安永英雄君 そこでこの十名というこれを不文律ということですけれどもね、この数なり人選考については、どんなような選考委員会のメンバーで、どういう基準で大体選ばれるのか、それについて御説明願いたいと思います。
  9. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化功労者選考につきましては、法律に基づきまして文化功労者選考審査会というものがございます。この委員会は全体で十名でございまして、学術関係が五人、芸術その他一般文化関係が五人というような、これは内規でございますが、そういう割り振りをいたしまして、文学でございますとか、あるいは法律、経済でございますとか、あるいは理学、工学、医学、農学、それから芸術文化関係といたしましては美術、文芸、芸能、文化一般といったような範囲に分かちまして、特定の分野に片寄ることがないようにそれぞれの分野につきまして一名の選考委員を選任するというのが従来の私ども内規でもございますし、また従来の大体のやり方でございます。そうした委員でもって文化功労者選考審査会が開催されまして、そこにおきまして委員の御識見によりまして功労者選考されておるということでございます。特に選考基準といったようなものはございません。
  10. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると、選考基準というのはなくて委員の各自の識見で、しかも各分野から出ているから漏れなくそこらあたりから選考基準——基準というものはないけれども、おのずから公平な選考が行なわれるだろうという言い方ですけれども、私は全部を、功労者全部について一々点検したわけではないんですが、私は基準がないということについて、ないのはないとしても、私はやっぱりこの法律ができたときの、何と言いますか、審議の内容等が大きな基準になりはしないか、大まかな基準になりはしないかというふうに考えるんですが、というのは、私が申し上げたいのは、教育関係あたりでは教育者としてという形で今日まで選考された中に何人入っていますか。教育というふうな貢献、それを通じて文化発展に寄与したというふうな人、どういうふうに入っていますか。
  11. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 私ども文化功労者と申します場合の文化には、これは当然教育が含まれるというふうに考えております。特に大臣の御指示もございまして、適当な教育者文化功労者に含まれますように、昨年の功労者審査会におきましても事務次官から特にその点に言及をいたしまして、文化功労者には教育関係功労者も含まれるんだ、そういう前提で御選考を願いたいということを特に申し上げておる次第でございますが、その結果、というわけでもございませんが、従来の選考の例から申しますと、小泉信三先生天野貞祐先生高橋誠一郎先生麻生磯次先生、これは四十五年、昨年度でございます。それから渡辺寧先生、これも昨年、四十五年度でございますが、昨年度は麻生先生渡辺先生のお二人が選考されておりまして、この方々はいずれも学者としても著名な方でございますが、選考の際の要素といたしまして、教育者としての功労も十分評価され、それに含まれておるということが審査会委員の一致した考え方でございまして、そういう形で教育者というものが文化功労者の中に選考され、含まれておるというふうに私ども理解をいたしております。
  12. 安永英雄

    安永英雄君 私は、前段におっしゃったことが多少おそきに失したんではないか。と申しますのは、文部大臣のほうからやはり教育のほうも力を入れてやってくれ、こちらのほうも出るように次官を通じて云々ということあたりが、それによってかどうかということばではありましたけれども、私はやっぱりそういった基準というのは要るんじゃないか。そうすると、ちょうど坂田文部大臣が気がつかれて、そこのところをもう少し強調したらどうかと、選考の中に入れたらどうかというふうな、そのつど、そのつど式のあれではいけないんじゃないかという私も気がするわけです。例はたくさんありますが、私はいずれにしてもこの分は選考委員会に再度確認していただく必要があるんではないか思うのは、この法律ができた二十六年の三月二十九日、本院において政府提案修正してあるんですね。その修正趣旨を、山本勇造さんがこれについて提案をされて、これが満場一致で可決をしてみな賛成だというふうになった中でこういうことがあるわけです。「文化という言葉は非常に範囲の広い言葉でありますから、「学術芸術その他」といつて文化を指しますと、どの文化を指すことになるかわからなくなりますから、むしろその言葉を取つてしまつて文化という言葉にしたほうが非常にすつきりすると思うのであります。それから又文化意味にも先ほどの狭いほうの意味文化と解釈するとしましても、その狭い意味文化をできるだけ広く解釈したいと、こういうふうに思いまして、発達だけであるというと、何か学術の特に顕著な発明のようなものに限られる虞れがあると思いますので、「向上」というような字を入れて置きますると、宗教とか、教育とか、言論とか、思想とかいうふうにも非常に拡がつて考えて行けると思いますので、「文化向上発達」というふうに改めたいと思うのであります。」というふうに示してあるわけです。この趣旨を了解して、これは全員で修正を加えたといういきさつがあるわけです。したがって私は、いまも選考委員選考といいますか、そういった中でも学術関係芸術関係と大まかに分けてここに主力を置いてやるような気がします。したがってこの法律案ができたときの制定の過程から見ましても、いわゆる文化と、わざわざ学術芸術、これを入れてあったのをとってしまって、そして文化という形に修正をした。というのは、やはりもう少し広い宗教とか教育とか言論とか思想とか、こういった関係方々もこの選考の中に当然入ってくるようなやっぱり大まかな基準というものが出発のときにできていると思う。これについての私は、現在たまたま文部大臣がお気づきになって、総体的に言えば、総数の上からいえばいま官房長がおっしゃったのでは数が少ないと思う。教育の問題としては非常に少ない。そういったたとえば宗教関係の人からどう出ているか、いろいろ考えてみますと、やっぱりどうしても学術芸術、先で申しますけれども学士院とか芸術院とか、とにかく中央でそういった何かワクの中にはまっているような人の中から常に選考が行なわれているような気もする。そこで私は特に地方文化あたりで非常に貢献をされておる、教育の場で言えば僻地、離島で一生涯暮らしながらその僻地の子供の教育を、私の聞いたところでは二代にわたってやっておられるというような方もいらっしゃる。私はこういう方が小泉信三先生が云云ということではないんですけれども、私はそういった広い視野からでのやはり選考できるような一つの、たまたま大臣がおっしゃるというようなことでなくて、この基礎はここの二十九年にあるわけですから、これをもう少し、あまり細分化するとまた私は弊害もあると思いますけれども、ここらあたりでやはり基準、こういったものをきめておかれることが必要ではなかろうかという気がするのですけれどもどうでしょう。
  13. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 私どもは、いま安永先生がおっしゃいましたような御趣旨に従ってこの制度運用をいたしておるつもりでございまして、狭い意味学術芸術だけではなくて、たとえば従来の文化功労者選考された方々を見ましても、演劇事業におきまする大谷竹次郎さんでございますとか、体育におきまする平沼亮三さん、それから放送事業におきまする小森さん、それから体育スポーツ関係といたしましては、登山の槇有恒さん、それから柔道の三船さん、それから言論界といたしましては高石真五郎さん、そういった方が文化功労者としてすでに選考されておるわけでございまして、ただいま先生がおっしゃいましたまさにそのとおり、狭い意味学術芸術ということではなくて、このような広い範囲につきまして選考を行なっておるということが従来の実績でございます。  それからまあ文化教育が含まれるということは私どもそのとおりだと思いますが、坂田大臣からは特に念のためそういう御指摘があったものですから特に申し上げたということであって、従来入ってなかったものが新たに入ったというふうには私ども考えておりません。  それからもう一つ宗教関係のことについてお尋ねがあったわけでございますが、まあ宗教家自体文化功労者として国が表彰をするということは、やはり憲法の、宗教に国が関与しないという、そういう大原則からしてこれはやはり適当ではないというふうな判断をいたしておるわけでございますが、ただ、鈴木大拙さんであるとか、それから宇井伯寿さんであるとか、そういった仏教関係学者としてすぐれた業績をあげられたという方は、その点に着目をいたしまして文化功労者として選考したということはございますが、宗教家自体としてはやはりこれは対象にしないほうがよかろうというふうな判断でやっておるわけでございます。
  14. 安永英雄

    安永英雄君 これは私、先でもう少しお聞きしたいと思うんです。私はやっぱり、そういう名前を点々とあげられますけれども現存者で百八名ですか、そういった中のごく少数だと思うんです。これは先で申し上げます。やはり私は基準と、こういったものはある程度つくらなければならぬのじゃなかろうかというふうに考えますが、あとでまた——お答えなかったですから、さらにあとでお聞きをいたします。  文化勲章の問題についてお聞きをいたしたいと思うんですが、この受章者は現在何人でございましょうか、それから現存者何人でしょうか。
  15. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化勲章受章者は百五十五名でございまして、現存者は六十八名でございます。
  16. 安永英雄

    安永英雄君 ここで、六十八名の中に例のアポロの三人、入ってるわけですか。
  17. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 三人、含まれております。
  18. 安永英雄

    安永英雄君 外国人に出したというのはこれ以外にありますか。
  19. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) これ以外にございません。
  20. 安永英雄

    安永英雄君 今後もあり得ることですか。
  21. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) あり得ることかと思いますが、しかしそれはおそらく希有なことであろうと思います。
  22. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると、今度のアポロ宇宙飛行士三名については希有なことというとこですが、私はどうも、これは悪いとかいいとかいうことじゃありません。どうして文化勲章という形を外国人——この文化勲章のところ、この勲章を選んで上げたといういきさつについて、わかっておるならばひとつお知らせ願いたいと思うんです。私は外国のこういった関係の人に渡すとすればほかに適当な勲章があるんじゃなかろうかという気がするんですが、わざわざ文化勲章を与えられたというのは——法律の中には外国人だってだれだってやってよろしいということに解釈できるんですね。
  23. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化勲章外国人授与できないというような禁止規定はございませんし、また一般勲章にいたしましてもこれは数多く外国人授与されておるわけでございますから、文化勲章一般勲章を含めまして、国の栄典外国人に及ばないというような原則はないものと考えております。したがってアポロの三人の飛行士文化勲章授与したわけでございますが、その経過ということでございますが、これはやはりアポロ十一号が初めて月に到着したということは当時のマスコミ等でも盛んにたたえられましたように、コロンブスのアメリカ発見以上の人類の大偉業である、こういうことはめったに起こらないすばらしい業績であるということに着目をいたしまして、アポロ飛行士がわが国を訪問した際に文化勲章授与して、その功績を表彰したということでございます。
  24. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると、これは文部大臣なり総理大臣のほうで選考委員会にはかられてという、例の、他の文化勲章授与する場合の手続と同じような手続ですか。
  25. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化勲章受章者につきましては、文化勲章受章者選考委員会というのがございますが、これは昭和二十四年以来事実上設置いたしておりまする委員会でございまして、法律上、法令上の正規の委員会ではございません。つまり、文化勲章受章者法令上この審査会にはからなければならないという制約はないわけでございまして、ただ実際上の扱いといたしまして二十四年以来選考委員会にはかっておると、二十六年に至りまして文化功労者年金法が制定され、それに基づいて文化功労者選考審査会が設けられた、その時点におきまして二十四年にありました文化勲章受章者選考委員会と、文化功労者選考審査会を事実上一体のものとしてその後運営しておるわけでございます。が、筋道を申しますならば、文化勲章受章者につきましては、法令上そうした委員会にはかる必要がないということでございます。したがいまして、経過といたしましては私ども文化勲章受章者については法令選考委員会にはからなければならないという制約はないけれども、しかし、過去多年にわたってこの文化勲章受章者選考委員会におはかりをして、候補者決定しておるわけでございますから、非公式にこの文化功労者選考委員会におはかりをし、その結果何ら反対意見もなく、特別なケースとして処理することが政府に一任をされた、こういうような事実経過がございます。そういう形におきまして通常の文化勲章受章者とほぼ同様の手続を踏んでアポロの三飛行士受章がまあ内々の御承認を得たと、こういう経過になっております。
  26. 安永英雄

    安永英雄君 確かに私は選考のなにが非常にあいまいだと思いますがね。希有な場合に限りとこうおっしゃったけれども、やはり現在の科学発達その他で、取り上げようでは希有か希有でないかという問題については、これは私はやはり非常に判断する人によって違うだろうと思うのです。月に到着をしたと、これは人類初めてのことだし、希有なことだと、私も希有なことだと思います。決してこれは私文化勲章に当たるとか当たらぬとか、そういうことを言っているのではないのです。そういうことになれば外国人に対しての勲章授与という問題が、希有とはいえ、いまから先あり得ることなんですね。たとえば、現在でも何か宇宙船打ち上げをソビエトはやっている、これはどういうことになるか知りませんが、そのこと時点でとらえても、希有だというふうにとらえる方も科学者の中におるようです。あるいはこれも火星に行くとか、とにかくいろんな発明発見という場合の希有のとらえ方というのは非常に微妙になってきている。そしてしかも選考委員会にかけてもいいがかけぬでもいいというふうな形になってくると、非常に片寄ったある種の人がこの希有か希有でないかということを判断していきますと、将来やはり外国人に対する文化勲章授与ということがあり得るんだと、そんな気もします。そこで、やはり私はこの選考という問題については、選考委員会も確かにあるんですから、きちんとそこにかけてやはり通していくという制度上のけじめというのをやはりつけておく必要がありはしないかというふうに、これは私の要望ですけれども、そんな気がします。これはほんとうにどの時点で希有ととられるか、大体常識的にはこれ国内ですよね。国内の、日本のこの文化、これを向上させていくという意味のやはり文化勲章なんです。確かに主体はそこにあると思う、どう解釈しましても。そういった意味で、外国の人に対してこの勲章を与えるなとは私は言いませんけれども、そういった時期に入ったとするならば、やはり選考のこの委員会あたりの機関の確立と、それから基準あたりも今後明確にしていく必要がありはしないかというふうに思いましたので、要望として御検討を願いたいというふうに考えます。  そこで、文化勲章受章者というのが自動的に文化功労者にほとんど例外なしに入っていっております。この文化勲章制度とそれから文化功労者年金制度との関連というものはどういうふうになっているのか。この点、私確かに別個性格を持っているものだと思うのです。といって、運用のしかたとしては、文化勲章受章者がそのまま自動的に功労者年金受けておるというのはどうも割り切れないような気持ちがするのですけれども、すっきりそこのところ性格上の問題として、これは憲法関係もありますから、明確にさしていただきたい。
  27. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 基本的にはただいま安永先生がおっしゃったとおりでございまして、憲法の第七条には「天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に閲する行爲を行なふ。」ということで、まあ栄典授与に関することということがあるわけでございます。文化勲章授与はこの憲法第七条の規定に基づいて行なわれておるわけでございますが、一方憲法の十四条におきまして、「榮誉勲章その他の榮典の授與は、いかなる特権も伴はない。」という規定がございます。そこで、昭和二十六年に文化功労者年金法が制定されました当時の政府提案理由説明を見ましても、これは憲法のこのたてまえから申しまして全く別個制度である勲章自体年金を付するということ、これはまあ考え方としてはあり得るかと思いますが、憲法十四条の第三項のこの前段趣旨から考えましてやはり疑義がある、ないしは適当でないという判断のもとに勲章自体年金をつけるという制度をとらないで、別個制度として文化功労者に対して年金授与するという制度をとったわけでございまして、その点はただいま安永先生おっしゃるとおりたてまえは全く別個でございます。  それからこの文化勲章という制度は、これは昭和十二年から始まっておるわけでございますが、昭和二十六年に功労者制度が始まりました当時は、その当時における文化勲章受章者の中からまあ文化功労者選考されるというようなことで始まったわけでございますが、勲章受章者のすべての方が文化功労者に指定されました昨今におきましては、むしろ文化勲章受章者よりもより広い範囲にわたって文化功労者選考されておるというような実情でございます。ただいま先生お話の中に、自動的というお話があったわけでございますが、これはただいま申し上げましたように、たてまえが別でございますから、実質的、実際的には文化勲章をお受けになる方はすべて文化功労者というふうに、別途の決定をもってそういう扱いをいたしているわけでございますが、文化勲章をお受けになれば自動的に功労者になるということではございません。そこには別の行為があって、文化功労者として別途選ばれるということでございます。くどいようでございますが、二つ制度は、制度といたしましては全く別なものであるというふうに考えます。
  28. 安永英雄

    安永英雄君 別の意味を含めてあらためて選考して、結果として例外ありましたか。
  29. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 例外はございません。
  30. 安永英雄

    安永英雄君 そうするとまあ自動的と言ってもあまり変わらないように私思うのですが、こういう点もう少しこの際明確にしておきたいと思うのですが、文化功労者というのは「文化向上発達に関し特に功績顕著な者」というふうに定義づけられておりますし、文化勲章受章者というのは「文化発達二関シ勲績卓絶ナル者」ということばを使ってあるのですが、この二つの文言で、広いとか狭いとか上下とかいう関係がどこから出てきますか。
  31. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) ちょっと先ほどの答弁を補足さしていただきますと、文化勲章受章者文化功労者にならなかった者は、アポロ飛行士三人という例外がございます。ちょっと補足をして申し上げておきます。  それから文化勲章受章者文化功労者選考基準と申しますか、定義が実質的にどう違うかということでございますが、文化勲章の場合はただいまお話がございましたように「文化発達ニ関シ勲績卓絶ナル者」ということでございまして、私どもはこの意味を、まあ文化発達につきまして独創的、画期的な業績をあげて、文化の創造的な発展貢献のあった者というふうに理解をいたしております。これに比べまして文化功労者のほうはこれを含みますけれども、これよりもさらに広い範囲におきまして、特に顕著な独創的画期的な業績がない場合におきましても、多年後進の育成に貢献をしたとか、あるいは斯道の発展貢献があったとか、あるいはいわゆるまあ大御所的な存在として学界、芸術界その他の発展にも貢献されたというような要素、もちろんそれだけではございませんが、そういう要素をもあわせ考えて、文化功労者の場合はこれを選考していくということでございます。字句自体からはその区別がどこからどう出てくるのかというお話でございますが、まあ勲章の場合の勲績卓絶というのは、私どもはやはりいま申し上げたような意味文化功労者の場合よりは、ややさらに一歩抜きん出た独創的画期的な業績があるという意味であるというふうに理解をし、そのように運用をいたしております。
  32. 安永英雄

    安永英雄君 勲績卓絶の中から独創的画期的な芸術学術上の功績、これは出てこないのですわ。幾ら言ったってこれは説明で、全く私は関連がないと思うので、私はこれも要望しておきますがね、これはもう非常に混乱をするところなんですから、私はいまあなたがおっしゃった字句をそのまま入れたらいいと思う。私はこれは変えなければならぬ時期がきていると思いますよ。文化勲章受章者というのはこういう人なんだ、文化功労者は、年金受ける人はこういう人なんだというものはもう変えていい時期です。文言変えなければおかしいと私は思います。あなたいまおっしゃったような形の方が、いわゆる独創的な画期的な芸術上、学術上に功績のあった人、というふうなずばりそのものを書かないと、勲績卓絶と、それから文化向上発達、こういうふうなものの中から広い、狭い、上下という関係は出てこない。私はここは明確にすべき時期だと思いますから、これも先ほど申しましたようにひとつ研究をしていただいたらどうかというふうに要望しておきたいと思います。はっきりしておかないと私はあくまでもこれはやっぱり、ここがルーズになっておると、先ほど私が申しましたように自動的とかそういうことばが出てくると思うんです。事実上そうなってもやっぱりはっきりすべきだ、私は文言の上でもしておかなければならぬ時期だと思います。  次に、この文化功労者年金制度とは別に、学術芸術の上で功積顕著な人に対して優遇する機関として日本学士院、日本芸術院がありますが、この機関は戦前からあったと思いますけれども、いつごろ創設されたのか、また現在はどのような法令で目的、任務、定員、それから優遇方法は定められておるのか、これについてお聞きをしたいと思います。
  33. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 最初に日本学士院でございますが、明治十二年に東京学士院として創設されまして、同三十九年に帝国学士院と改称されました。それから昭和二十二年に日本学士院と改称されましたが、当時、日本学術会議法に基づく機関といたしまして戦後吸収されたわけでございますが、昭和三十一年に至りまして日本学術会議法から、別個の日本学士院法という法律が制定されまして、現在その日本学士院法に基づきまして学士院の目的、性格、会員の選任方法、それから年金授与その他の規定が定められておるのでございます。それから日本芸術院につきましては、明治四十年に美術審査委員会官制というものが公布されておりまして、それが大正八年に帝国美術院規程というものに変わりました。さらに昭和十年におきましては帝国美術院官制という形になりまして、昭和十二年には帝国芸術院官制というふうにさらに改められております。昭和二十二年におきましては、これが日本芸術院というふうに名称が変更されまして、昭和二十四年におきましては、文部省設置法の中に根拠を置きましてさらに日本芸術院令という政令が制定されて今日に至っております。したがいまして、今日の段階におきまして日本芸術院は、文部省設置法並びに日本芸術院令に根拠を置く機関といたしまして活動をいたしておるわけでございます。
  34. 安永英雄

    安永英雄君 日本学士院と日本芸術院の定員はどうなっていますか。それから、その定員の中で文化功労者になっている人はそれぞれ何人ずつおりますか。それからあわせて年金、どんなふうに金額はなっておりますか、予算上。
  35. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 学士院の定員は百五十名でございます。それから芸術院の会員定員は百二十名でございます。その中で、ただいまお尋ねの文化功労者であるところの数でございますが、学士院会員の中で文化功労者である者は五十人でございます。それから芸術院会員の中で文化功労者である者は三十八人でございます。なお、日本学士院の会員につきましては年金が支給されておりますが、院長につきましては百十五万円、幹事につきましては百五万円、部長につきましては九十五万円、一般会員につきましては八十五万円の年金が支給されております。それから日本芸術院につきましては、院長につきましては百五万円の手当、それから部長につきましては九十五万円の年金一般会員につきましては八十五万円の年金が支給されております。
  36. 安永英雄

    安永英雄君 これはことしの予算、去年の予算からアップしたものをいまおっしゃったわけですか。
  37. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) そうです。
  38. 安永英雄

    安永英雄君 幾らかアップになっているわけですね。そうしますと、この年金性格というのと文化功労者年金性格というのはこれは大体同じような性格ですか。使い分けてありますか。
  39. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 大体同じにお考えいただいていいかと思いますが、ただ学士院の場合は会員の身分は特別職の国家公務員でございまして、毎月の定例会を開いて学術研究、論文の発表をし、あるいは審査をする、年々の事業といたしましては恩賜賞、学士院賞の選考をするといったような事業がございます。それから芸術院につきましてもこれは会員は一般職の国家公務員でございます、もちろん非常勤でございますが。でございまして、年数回の総会を開き、会員の選考を行ない、恩賜賞、芸術院賞の選考を行なうといったような各種の事業を行なっておるわけでございます。つまり、学士院芸術院につきましては特別職あるいは非常勤の一般職としての公務員としての身分があるわけでございますし、またその院の事業といたしましては、いま申し上げましたような各種の仕事があるわけでございます。したがいましてこの支給されまする年金性格はこれはまあ会員を優遇するための賞金としての性格が主でございますが、いま申し上げましたような身分と若干の職務があるわけでございますので、そういう点に着目すれば給与的ないしは報酬的な性格も多少は入っておるということが申し得るかと思いますが、これに対しまして文化功労者の場合は何らの身分も与えられておりませんし、何らの義務もないわけでございまして、純粋に賞金というふうに考えていいかと思います。
  40. 安永英雄

    安永英雄君 わかりました。いま学士院芸術院の沿革を多少お聞きしましたからわからぬこともないようでありますけれども、いまさらに説明をいただきますというと、どちらも特別職、一般公務員ということでよく似ておる、仕事の内容もよく似ている、そういうところであるにかかわらず学士院はいまおっしゃったように学士院法という法律でこまかいところまで取りきめがされておる、ところが芸術院はこまかいことが政令事項で定められておる、これはほとんど同じような性格のものだけれども、そこに違いがあるというのは厳格にいえばどこから違いがそういうふうに生まれてきたのか、説明していただきたいと思います。
  41. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) これはもう沿革的な理由と申し上げるよりほかに申し上げようがないかと思います。学士院につきましては、先ほど申し上げましたように、戦後日本学術会議法の中に規定されたわけでございますが、当時の山田学士院院長ほか学士院会員の非常な熱心な御希望等の結果、日本学術会議法から学士院を抜き出しまして日本学士院法という単法の法律をつくったということでございます。まあ理論的に申しますならば、その際文部省設置法の中に規定を設けて、それを設置の根拠規定にするということももちろんあり得たわけでございますが、当時の諸般の事情からいたしまして、ぜひ単行法でつくってもらいたいという強い御要望がございまして、そういう扱いにしたという、まあ沿革的な理由を申し上げるよりほかちょっと御説明のしようがありません。
  42. 安永英雄

    安永英雄君 いろいろ歴史もあるし、沿革的に考えればそうでありましょうけれども、私は当然やはり芸術院のほうもきちんとやっぱり単独法で出されて整理される時期じゃないかと思います。沿革も確かにあります。私がお聞きしておきたいのは、たとえばこういうこともそこから起こっておるのじゃないかと思いますけれども芸術院の院長は、高橋さんとおっしゃる方は会員じゃないですね。その人が院長になっておるわけです。こういうのはそこらから出てきてんじゃないですか。どこからこういうふうになる。会員でもない人が院長になるという、高橋さん個人を云々ということじゃございませんけれども、どうしてそんなふうに出てくるんでしょう。そこをちょっと説明願いたいと思う。会員でもない人が片一方のほうで出てくるんですよね。
  43. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 先ほどお話出ました日本芸術院令、この政令の第二条に「日本芸術院は、院長一人及び会員百二十人以内で組織する。」ということで、院長は会員でなくてもよいというたてまえになっておるわけでございます。もちろん会員の方が院長になられることを妨げるものではございませんが、院長は別個に、会員とは別に設けるということも可能なような規定になっておるわけでございまして、これはこの四年以前におきましても会員でない方が院長をしておったというような実績と申しますか、経過もあったと思いますが、現在のところもちろんその院長は会員が選ぶわけでございますので、その意味におきましては会員との意思は十分疎通できるようになっておると、かように考えておるところでございます。
  44. 安永英雄

    安永英雄君 これ以上私はその点については触れませんけれどもね。同じような任務を持ち、同じように年金をつけてやっているような性格二つのものを、一つ法律できちんとする、片方は政令でこまかいことはきめていくというふうなことで、いまみたいな院長の選任等も、これは文化庁の担当からいえば、歴史を考えていけば当然なことだというふうにおっしゃるけれども、いまのこういった文化政策全般から考えていけば、これは当然法律で明確にする時期が来たんじゃないかと私は思います。特に芸術院のあり方については、若手あたりから相当なやっぱり反撃、不満もあるようですよ、私の聞いたところでは。こういったところは法律できちんとやるべきだと私は思いますので、要望ばかりですけれども、この点も検討していただきたいというふうに考えます。特に、私は芸術院のあり方等についてはすきのないように、私はいままでの伝統とか、沿革とか、こういったものは、これはすぐに断ち切れないと思いますけれども、特に芸術関係の現在の芸術界の何といいますか、脱皮していく、その過程で相当古くさいというふうな批判もあるし、この運動はへたすると、やっぱり大学問題みたいにあらわれんとも限りませんよ。私はこれはあらかじめ注意を申し上げておきますけれども、古いものを直ちに断ち切ることはできないと思うけれども、ここら辺でやっぱりすっきりする必要があると思いましたので、特に注文をつけたわけです。  そこで、先ほど官房長のほうからおっしゃいましたけれども学士院芸術院の中から文化功労者が出ておりますのが合計八十八名なんですね。現存者で百八名ですか、そうしますと、やっぱり八〇%以上がここの学士院それから芸術院に所属されておる人から選ばれてきている。このことは、私は先ほどの話に戻りますけれども、やっぱりあなたおっしゃったように、教育の問題とか、その他の問題を文化という範囲で考えた場合には入れているというふうにおっしゃるけれども、どうしても芸術院、あるいは学士院、こういう系統からやっぱり特に入ってきているということは、今後注意すべきであって、さらに私はやっぱり、大臣が気がつかれたので注意されたような気持ちで、最後までは必要ないと思いますけれども、ある大まかなやっぱり基準というものは考えてほしいというふうに思います。どうでしょうかね、官房長
  45. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 先生お話はまことにそのとおりだと私は考えますけれども、しかし、文化功労者と申します場合の主体が、学芸、芸術に功績のあった者になるということは、これは制度趣旨からいたしまして、ごく自然なことではないかと思います。ただ、そのために先ほど来お話がございましたような教育者でございますとか、あるいは出版関係の者でございますとか、体育関係の者でございますとか、そういった者が除外されるということであれば、これはまさしく問題だと思います。先ほど申し上げましたように、そういう方々もある程度の数、功労者としてすでに選考されておるわけでございまして、全体のバランスから申しまして、私は必ずしも不均衡になっているというふうには考えないわけでございます。しかし、まあ今後の留意すべき点といたしましては、教育者、その他の方々にも十分配意をいたしまして、運営すべきであるというふうに考えます。
  46. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) ただいま官房長からお答えを申し上げましたことで尽きるとは思いますが、しかし、安永さんが先ほどから御質問になっておられる趣旨というものも、実は私も同感なんでございます。同感するところが多いわけでございまして、確かに主体といたしましては学芸、芸術文化ということでございます。そうして教育者であるとか、言論界の人であるとか、スポーツ関係であるとか、その他の文化的な業績をあげられた人たちを決して除外しているわけではございませんけれども、ともいたしますると、やはり学術及び芸術というものの功労のあった方はわりあいに業績が客観的に認められやすいといいますか、基準が定めやすいという、そういう運用の面から、ともいたしますると、そちらのほうへ重点が置かれて、あるいは言論思想、あるいはまたその他の文化をになう、そうしてその人たちが相当に日本の文化、あるいは世界の文化貢献している人があるにかかわらず実際上は出てこないといううらみがないとも言いがたいという心配があるということは、やはり安永さんおっしゃるところの趣旨も私はわかるような気がいたすのでございます。したがいまして、従来からもそういう考え方ではきておったのかもしれないけれども、特に私昨年でございましたか、教育者というもの、特に大学紛争の問題や、あるいは教育の大切さというものが非常に問題になっておりました時期であるだけに、そういうようなことに留意をして選考していただきたいということを申し上げたわけでございます。で、この辺ももう少し私たちいままで出しましたものがそういうような片寄りはないつもりではおりますけれども、しかし客観的にみて片寄りがあるのかないのかということも含めて、一ぺん検討してみる必要があるんじゃないか。たとえば学士院会員というようなことは、これはどうなっているのでございますか、別にあれでございましょうね。国立大学の先生だけが対象ということでないともちろん思います。でございますけれども、私立大学等においてすばらしい研究をしておるような人たちが見落されるようなおそれはないのかという心配もないわけではないのじゃないかという気もいたしますし、その辺やはり、あるいはまた教育者にいたしましても何か国立、公立といったようなところにおられる教育者というものだけが対象になって、あるいは私立等においてやっておられる教育者というものがもちろん含まれておるわけでございましょうけれども、そういうところをやはり留意しないとなかなか運営上片寄ってくるおそれもあるんじゃなかろうかというような気もいたします。この辺のところについては、私どもも謙虚に先生の御趣旨を体しまして、万々遺漏はないとは思いますけれども、このあたりで一ぺん実績等を再評価してみるということは、私どもといたしまして当然やらなきゃならぬ責任ではないかというふうに思います。十分ひとつ考えさせていただきたいというふうに思います。
  47. 安永英雄

    安永英雄君 次に、この提案をされております百万円から百五十万円に年金を引き上げるという、百五十万円という金額ではたしてよろしいかどうか。私はもちろん提案には賛成なんですけれども、もっともっと上げる必要があるのではないかというふうに考えます。結局制度ができたときの二十六年、ここらあたりの経済的な非常な不安定な状態の中で受賞者あるいはそれに右ならえするような、また将来受賞されるであろうというような人々、その人たちが非常に経済的に困っておられる。いわゆる経済的な能力が非常に逆に低いということで、あの戦後のインフレの苦しい中で何とかしてあげなきゃならぬというのが大体これはこの法律の発足の意味だったと思うわけです。その当時の金額というのは、税込みで五十万円、手取りの三十万円、これはその当時の質問等を議事録で見てみますと、本省の局長クラスの最高額というふうな答えが出ているようでありますし、それから三十九年の改定のときには手取り百万円、現行法になっておるわけでありますが、この額も答弁によりますと、局長クラスの最高額であるというふうに、この金額の意味を説明されておるのであります。そうしますと、今回の改定額百五十万の根拠というのはやはりここらに置かれておるのか、そうするとどうもこれはふに落ちないような局長の最高額、こういった形になってくると、この金額は過去二回の三十万あるいは五十万、百万のときの局長の最高額というのと、今度の百五十万は局長の最高額になりますか、この根拠をちょっとお示しいただきたい。
  48. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化功労者年金の額がどれだけが適当であるかということはなかなかむずかしい問題で、一義的にこの数字が適当なんだということはなかなか申しにくいかと思いますが、私どもが百五十万円というふうにお願いをいたしました理由の一つは、やはり日本芸術院なり学士院なりとの均衡を考えてということが一つございます。先ほども申し上げましたように、四十六年度の学士院年金芸術院一般会員の年金は八十五万円でございますが、三十九年当時の学士院芸術院の会員の年金は五十万円でございます。五十万円が八十五万円になっておるわけでございますから、約七〇%程度の増額ということに相なるわけでございます。それから当時の消費者物価指数を、三十九年と四十四年でございますが、これを比較いたしてみますと、約五三%ぐらいふえておる、あるいは東京都の区部における消費者物価指数、これは三十九年と四十五年を比較いたしてみますと、約四〇%ふえておる。こういった事柄を勘案をいたしまして、百万円を百五十万円に引き上げたいということでございます。なお、ただいま制定当初の金額の算定は、当時の局長の最高号俸ではなかったかというお話でございます。確かに制定当初は、そういうような考え方が、決定的な基礎ということではないと思いますが、一つのめどとしてあったのでございますが、昭和二十六年における局長の最高号俸は、当時の俸給表によりますると、十四級六号ということでございます。これが三十九年におきましては、行(一)俸給表におきましては、二等級の十三号というふうに切りかえられまして、その金額が約百二十万円というふうに定められておったわけでございますが、実はその二十六年の十四級六号を切りかえます、その切りかえのしかたといたしましては二とおりございまして、ただいま申し上げましたように、二等級の十三号に切りかえたという線と、それから全く機械的に二等級の六号に切りかえたという線と二つございます。十三号に切りかえたこの線のほうは、やはり局長という仕事の職務の内容あるいは責任の重大性、そういうことにかんがみて、特にここで大幅なアップが行なわれたということでございまして、二とおりの切りかえが行なわれておるのでございます。行(一)の二等級の六号というこの切りかえの線でまいりますと、三十九年が百二万、それが四十五年度におきましては、約百七十万円という線になっておるわけでございますが、三十九年の二等級の十三号というこの切りかえの線でまいりますと、現在局長の給与は指定職の俸給表甲二号でございますので、これは約三百六十万円ということでございます。現在の局長の指定甲二号の三百六十万円に比べますと、御指摘のとおり、この文化功労者年金の百五十万円というのは、その半分程度だということになるわけでありますが、もう一つの機械的に切りかえていった線から申しますと、約百七十万円、ほぼ現在お願いいたしておりまする百五十万円の線に近い、こういうことでございます。局長の最高号俸をめどにしたということ、これはさっき申し上げましたように、一つのめどでありまして、将来ともそういうことで、この年金の額が決定されていくというふうな原則にそこで確認されておったわけではないというふうに私ども考えまして、諸般の要素を勘案をいたしまして、百万円を百五十万円にするということで、お願いをいたしたわけであります。もちろんこの額が十分であるとか、これ以外に額がないとかいうふうに考えておるわけではございませんし、さしあたりはこういう額でお願いをいたしたいということでございます。
  49. 安永英雄

    安永英雄君 発足当時、あるいは三十九年の改定時では一応根拠として局長の最高俸給の支給と見合うようにするという答弁でおられますけれども、私はこの行き方は当然行き詰まる、その根拠のとり方は行き詰まるというふうに感じるわけですけれども、諸般の事情というふうに今度はおっしゃるわけですけれども、私はやはりこういうところからお考えになっているんじゃないですか、芸術院とか学士院。この中から文化功労者年金受ける人の約八〇%、ほとんど全部がそこからきている。そうなってくると、これは併給でしょう、そちらのほうの年金をもらい功労者年金をもらう、二つダブっているから、その約八〇%の人間を考えた場合には、学士院なり芸術院でもらう年金と、それから今度功労者年金とあわせてみて考えているのがこれは人情じゃないかと思うのですよ。私はこの併給をするというところから問題が起こってきているんじゃないか、金額の決定も合算して考えるから、一人に入ってくると、それじゃこの二つを合わせると相当な金額になるのじゃないかというあさましい考え方に金を出すほうはえてしてなると思うのです。私はこの際、やっぱりはっきり併給というのをやめたらどうかと思うのですが、学士院の中に入っておられる方も、この文化功労者年金をもらう人はこの学士院のほうの一方はもらわない、一本一本でいく。そのかわり一つ年金、どちらの年金も手厚くとにかく上に金額を上げていく、これのほうがすっきりしていいと思います。これはもう私どものひがみかもしれませんけれども、何といいますか保険制度あたりを考えてみますと、生活保護を受けている人、こういう人たちがすぐにやられるのは、こっちの収入があるからして両方が併給になるからというのでずいぶん保障を打ち切られるというふうなことを、きびしく厚生省その他がやるわけですね。ひがむわけじゃありませんけれども、ここらあたりが両方とも別にして二つ一緒にもらわないで、学士院芸術院の資格の人はそれに相当する相当な年金を与え、その中に含まっている人は功労者年金をもらわない。さっきの官房長の説明では位が一番高いんですよ、広い範囲で一番最高のものですよ。文化功労者年金受ける人は文化勲章受ける人よりも上なんです。まして芸術院学士院年金よりもずっと上なんだから一番最高のものだというふうなものを手厚くして出されていい。相当一ぱい一ぱいの年金を与えていくというふうにして、併給を取りやめる考え方はございませんか。私はそうでないといかぬような気がするのです。
  50. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化功労者年金を百五十万円に決定をした際に併給ということを念頭に置いたのではないかというお話でございますが、そういう見方も私は可能かと思いますが、私ども文部省といたしましてはさようなことを考えて百五十万円という金額をお願いをしておるわけではございません。  それから併給のお話でございますが、確かに安永先生おっしゃるような問題点もあろうかと思いますが、ただ、先ほど私ちょっと申し上げましたように、学士院会員あるいは芸術院会員というものは、特別職であれ一般職であれ、公務員の身分を有しておるということと、それから一定の院の事業というものがございまして、それに会員として参画をするというような職務が負荷されておるわけでございます。そういう点から申しまして、やはり文化功労者年金は純粋に賞金的なものと考えておる。それから学士院芸術院年金は、大体は賞金的な性格ではあるけれども、給与ないしは報酬としての性格もあわせて持っているのだということを申し上げたわけでございます。その性格の違う二つの給付をあわせるということにつきましては、私はやはり多少問題が残るのではないか、確かに一つのお考えかとは思いますけれども、その辺のところはもう少し検討をしてみる必要があるのではないかというように考えます。
  51. 安永英雄

    安永英雄君 これはまあ御検討願いたいと思います。  次に、重要無形文化財保持者という人がおりますが、現在までにこの指定をした数はどれくらいありますか。
  52. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 現在この重要無形文化財の保持者として認定されている方は六十一名でございます。
  53. 安永英雄

    安永英雄君 この六十一名の方々が現在まで指定されているわけですが、指定の手順といいますか、指定のしかた、基準、具体的な指定の現状といったものについて、概略御説明願いたい。
  54. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 文化財保護法に、無形文化財の保護に関する制度がございまして、その無形文化財の保護の一つといたしまして、重要な無形文化財を指定するというと同時に、その重要無形文化財を保持する保持者を認定する、こういう内容になっておるわけでございます。無形文化財と申しますものは、いわば無形のわざでございまして、無形のつまり芸能なり、あるいは工芸技術なりは、わざそのものでございますけれども、そういうものは、同時にそれをささえる人がなくては、その伝えるすべがないということで、無形文化財のうち重要なものを指定すると同時に、その保持者を認定するということになっておるわけでございまして、その基準といたしましては、重要無形文化財の指定及び保持者の認定基準というものが定められておりまして、それによりまして芸能関係、工芸技術関係というふうに分けまして、それぞれ重要な基準と、また保持者を認定する場合の基準というものがきめられておりまして、これによりまして重要無形文化財というものを指定し、そしてその保持者を認定するということになっておるわけでございまして、現在重要無形文化財に指定されておりますものは、芸能関係で二十四件、それから工芸関係で三十五件ということでございまして、保持者は先ほど申し上げましたように六十一名ということになっておるわけでございます。  なお、この重要無形文化財のうちで、個人のわざに着目いたしましたものと、そのわざが総合的なもの、その場合には個人ではなくて、それらをささえる保持者の団体と申しますか、そういうものを指定いたしましたものがございます。それを、まあ前者の個人に着目するものを各個指定というものにいたしまして、団体のものは総合指定というふうにいたしておるわけでございます。
  55. 安永英雄

    安永英雄君 そうしますと特別助成金の制度がこれにあるわけですね。これについて概略説明してもらいたいとともに、ことしの予算について説明してもらいたい。
  56. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 先ほど申し上げました国が指定いたしました重要無形文化財のうちで、その保持者が個人にかかわるものに対しましては、伝承者の養成、つまり後継者の養成と本人のわざの練摩というために経費がかかるであろう、そういうことでその経費の一助といたしまして特別助成金というのを個々の方に差し上げておるわけでございます。その予算といたしましては二千六百五十万円を計上しておるところでございます。
  57. 安永英雄

    安永英雄君 いつも私久留米の、久留米がすりの指定のところによく行くんですけれども、いまおっしゃったように、わざというのと伝承というのに助成をするんだということで、本人、人間個人についての褒賞的な意味は全くない、こういうふうになっているのですか。まあもう少し、時間がありませんから一緒に尋ねますけれども、いまの予算の二千六百五十万という金額は、末端の本人にどういう形で金がいって、その金はどういうふうに使われていますか、具体的に。
  58. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 無形文化財の補助金といたしましては、個々の個人に差し上げますところの重要無形文化財保存特別助成金の二千六百万円を含めまして、その他のものを入れまして四千四百五十六万四千円ほどございます。お尋ねの久留米がすりにつきましては、これはいわば団体指定、先ほど申しました団体指定でございまして、そしてその久留米がすりの保持者として認定いたしております方はいわばその代表者ということでございまして、その人個人というよりは、それをささえておる数十名の方々のいわば代表者であるということで、そのためには個々の人に差し上げないで、久留米がすりの技術伝承者養成のための補助金を百六十万円出しておるわけでございます。これは個々の人に差し上げるのではなくて、久留米がすりの技術が後世にまで残っていくようにということで、年間その無形文化財に即応した久留米がすりを、まあ二百反程度のものを織る、そのためには織ったものはなかなか売れないということで、その一反当たりの製作費が実際かかりますのは二万円ぐらいかかる。しかも売れるのは六千円ぐらいでしか売れないということで、その差額の一万三千円と申しますか、一万四千円と申しますか、そういうものを補助するということによってこれらの人のわざが伝わるようにしたいと、こういうことでございます。したがいまして、個人に対して差し上げるものと団体指定の場合とは違った取り扱いになっておるということでございます。
  59. 安永英雄

    安永英雄君 私のいま聞いたのは一般的なあれですけれども、それじゃ個人の場合にはどういう金額をどういう形で使っていますか。
  60. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 個人の場合に芸能関係、工芸関係でございますが、主として芸能関係は三十五万円、工芸関係は一人五十万円というような積算をいたしておるわけでございます。これはこの技術の練摩とか、あるいは後継者の養成に金がかかる。その経費の一助ということでございますので、したがって工芸関係は材料その他で費用がかかるであろうということで、これは個人にそれぞれ三十五万円、五十万円を差し上げておると、こういうことでございまして、これにつきましては一応個人に差し上げまして、その使途につきましてやかましく言及することなく、このわざの練摩と後継者の養成にひとつお使いくださいということで差し上げているわけでございます。
  61. 安永英雄

    安永英雄君 そうすると今度の予算で、本法案でも百万円を百五十万円に、あるいは学士院芸術院でもそれぞれ年金がアップしている。今度のこの助成の金額、予算については、私の知る限りでは昨年どおり据え置きと、こうなっているんですが、私の言いたいところは、ここらあたりに相当力点を文化政策として入れないと……、これは時間があればお聞きしたいんですけれども文化功労者方々年金をつけるという当初のもくろみとしては、あの当時のインフレ、特に経済的な能力を持たれない方が逆に多いということで非常に生活が苦しい。それに対して援助をしようという気持ちが多分にあって年金制度ができた。ところが、まあいまの時代になってくると、そういった方々のたとえば作品とか、いろいろなものは相当の価値が出てくるわけですから、生活上、私は現在文化功労者年金受けている方で、年金を百五十万もらおうともらうまいと、大体生活が苦しい方はあまりいないんじゃないかと思います。あればひとつおっしゃっていただきたいと思います。ないと思う。いわゆる年金制度を発足さした当時といまの状態とはずいぶん違う。先ほど諸般の事情、こうおっしゃったけれども、局長の最高給を差し上げるというのも、これを百五十万に押えるというのも、私はそこらあたりにも勘案がされているのではなかろうかというふうにも考えるわけです。これは限度がない。しかし、私は身銭を切ってそうして日本伝来の文化というもののわざをみがき、伝承者をつくっていくという地道な努力をしておる人々にとっての、私は年金あとで申しますけれども年金をやらなきゃならぬと思う、その人たちには。しかし、いまのところの補助制度、こういったものの金額は、ことしの予算の中で全然アップしていないというのは私は片手落ちではないか、こう思いますよ。ほとんど身銭切っているでしょう。三十何万もらって伝承し、弟子をつくれ、自分はわざをみがけなんといって金額をやっても、その指定をされただけで生活やっていけないのです。私はたくさんいまから言いますが、そういったところで、なぜ私は文化庁の予算の中でこの予算がアップしなかったのか、また、アップするような意向は文化庁にはなかったのか、この点についてお尋ねします。
  62. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 最初にちょっと弁解がましいことを申し上げて恐縮でございますが、実は芸術院会員の会員年金の引き上げと、この助成金の引き上げとは、大体従来のしきたりでいきますと、一年ごとにやっておりまして、芸術院のほうは四十四年が七十万円で四十六年が八十五万円になっている。それから芸能無形文化財のほうは四十五年に前の二十五万が三十五万に、四十万が五十万に上がったということで、ちょっと恐縮な言い方ですけれども、これは芸術院会員とのあれで一年おきにやっておるという、そういう全くこれは予算的なあれでございますが、そういう事情もございますし、ただ、増加率から見ますと、三十九年が二十万と三十五万でございました。それが現在三十五万、五十万でございますので、芸術院会員との比較からいいますと、アップ率という面からは同じになっておる。こういうことでございます。これはただ弁解でございますが、そういう経過ということで、本年ももちろん私どもとしてはこの増額を要求いたしましたが、いま申し上げましたような従来のしきたりのような点から増額ができなかったことをはなはだ残念に存じておるわけでございまして、御指摘のように、無形文化財の保存ということは非常に大事なことでございますので、この経費の一部、わざの練摩とか、後継者の養成のための経費、これを十分見るということはたいへん大事なことであると思うわけでございますので、この点については御指摘の点を十分心にとめまして、来年度以降の増額については大いに努力をいたしてまいりたいと、かように考えておるところでございます。
  63. 安永英雄

    安永英雄君 いま、次長のほうから久留米がすりの問題、話がちょっと出ましたけれども、確かに百六十万金額が来ています。来ていますが、これの中で、いまおっしゃったように四名の方が代表になられて、そしてそれぞれ手繰りによるかすり糸を使用していくという研究、あるいは純正天然アイで染めるという技術、それから座繰りの手織りの機械で織るというこの三つの無形文化財に対して、この伝承者をつくり、みずからの技術を練摩するということで指定を受けた。ところがもう十年くらいになりますか、たしか久保山という人だったと思いますが、もう食っていけないようになって奥さんが自殺した事件がある。それからごく最近も矢加部アキさんという方が死亡されました。ところがこのあとむすこさんが伝承しながらやっておられましたけれども、この人もなくなられました。この親子の晩年なんていうのは、指定をされたということでその機織りをとにかくやるということで、収入はほとんど入ってこない。非常に不遇な中でなくなって、そしてこれはなくなられたからとうとう伝承者も切れてしまって、この指定からはずされておる。あの世へ行ってほっとされたという感じが、私はしょっちゅう接しておるからするのですよ。いま言ったように、久留米がすりの一匹というのは裏表ですから二反になります、一緒に織っていくから。これが天候の加減、その他から勘案すると、四十日から五十日かかる、手織りになりますと、染めからずっとやりますと。そしてこれをあなたがいま説明されましたように、この百六十万のうちから二方で買い取る。そして八千円で卸屋に。教育委員会がこの任務をしていますが、それを八千円で市場に、問屋に卸すわけです。ですから結局この中から一反について一万二千円が出されておるわけです。しかし考えてみますと、四十日かかって二反ですから四万ですよ。四十日で四万です。そしてそれを一生懸命やることによって、農作も少しやっておられますけれども、とてもそこまで手が回らない。これは委員会のほうから百六十万の割り当てでその一軒一軒に発注するのですよ。何匹つくれと発注するからそれはつくらなければならないのです。それでほかのほうは仕事ができない。だから一カ月織ったとしまして大体これは四万ぐらいの収入になる。しかしこれは原料から何から入ってですよ。これじゃ食っていけないので、指定を受けたばかりにという考えが非常に強い。しかし名誉と思っておられるから、お上のほうから言われて名誉である、指定を受けたからというので伝承していかなければならないということで熱心にされておる。ところが久留米市を中心にしてその周辺の郡市一帯に久留米がすりを量産する工場が立ち並んでおる。そこからどんどん量産していきますから、一反が大体二千円から高いので四千円、二千円から四千円です、久留米がすりは。片一方のほうは二方ですけれども、市場へは八千円でいきますけれども、東京に来るとこれは二万になるそうです。八千円のが二万になるそうです。二万で買い取って八千円で卸屋に来る。東京まで出てくると手織りは二万円になるそうです。そういうところですからとても比較にならない。それから他の漆器とかそのほかのことと違いまして、久留米がすりというのは大体実用向きなんです。昔から実用向きで、芸術的なというふうなことは、他のあれと違いまして、強いところが久留米がすりのいいところです。それからかすり模様が出てくるということ。これが一つの無形文化財としての価値のあるところです。したがってこれを市販するときには——量産をやります工場の二千円ないし四千円というのを買ってもかすりは出てくるし、やはり非常に強いのです。だからこれの使用目的からするとあまり差はないのです。大島つむぎとか何とかいうのはぐっと違いますから、手織りということで非常に価値があるのです。久留米がすりの手織りのものと工場でつくった量産というのは買う人にとっては、しろうとから見ればちょっとわからないのですね。よく見ると、これは手織りなんだ、それから工場でつくった製品なんだということはわかるけれども、実際家庭でそれを使用するといったものについては、そうまで、その手織りの二万円もするのを買わないで四千円で買う人が多いということで、販売の関係も非常におくれているということで、非常に収入の面でも苦しい。よくよく聞いてみますと、ようやくこの四人に対して一年間で、世話人ですから世話人料として一万円が渡されていますね。一万円です。一年間に一万円ですよ。それから伝承ということで、たとえば輪島塗りとか何とかの共同研究所をつくってやれば一般の若い青年もどんどん来ています。ところが久留米がすりになってきますと、もう他のほうの若い人に伝承させようといったって来ません。もうこれは家庭の中で親子代々でいかないと、他から来ません。だから一家総出ですよ。だからむすこさんが工場へ出て働いて収入を幾分か持ってくるなんということはできません。伝承者はその家庭全部、それ以外からは来ません。そういう形になっていませんから、私はまず第一番にこれについての補助金というものを大幅にやはり渡す必要があるし、やはり地方文化をになっておる人なんですから、私はこれについては金額は別としても本人に渡る年金というものはやはり制度をつくってやるべきだと私は思うのです。この点について大臣からひとつ御答弁願いたいと思うのです。
  64. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 先に私から事務的な答弁を申し上げさせていただきたいと思います。  久留米がすりの保存につきましてはいま御指摘のようないろいろな問題がございます。特に後継者をいかにして獲得するかという問題で、あるいは後継者を養成するための施設をつくったらどうかというようなお話も出たことはございます。しかしはたして、つくったけれども生徒が入ってくるかどうか、こういうような問題もございまして、ひとつこの点も検討をしようというようなことでなお将来の課題になっておるわけでございます。それにいたしましても、現在の形においての予算の増額とか、あるいはその代表者になっておられる方々に対する報いというふうな点につきましては、御指摘のところもまことにごもっともと思いますので、この点についてはなお制度的な面の検討と同時に、予算の増額についても今後努力してまいりたいと、かように考えておるところでございます。
  65. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) 無形文化財にもいろいろあるわけと思います。したがいましてただいま御指摘のございました久留米がすり等におきましては、承りますと、まことに気の毒な関係のように思われるわけでございまして、もう一ぺんこの点につきましては制度自身も考えてみたいと思っております。
  66. 安永英雄

    安永英雄君 これは文化庁のほうもずいぶん気を使って、そうして漆器あたりのように共同研究所を久留米でつくったら、尽力してみようじゃないかという話もあるそうですけれども、これはもうあまり意味ないですね。それぞれの家庭で織るのですから、他のほうから来ないのですから、これからどこかに共同研究所をつくっていこうなんということは、そういうことは意味ないのです。それぞれの家でそれぞれやるのですから、あまり意味ない。私はそれよりも、世話人料ですか、こういったあたりは、出せるものなら、とりあえず年金制度ができなければ、一人当たり直接行く金額ですね、個人ならば行きましょう、金が。個人ならば直接行って——グループだからそういう形でやっているということですから、そこらあたり増額して何とか個人に行くような手だてを準用していくような措置を私は早急にとっていただきたいといういうふうに思います。  それから、時間がありませんので、次に、国宝の建造物、これあたりの修理技術者、あるいは宮大工、あるいは埋蔵物文化財の発掘調査員の人たちがわりとこの日本文化の末端における、いまさっきの無形文化財の伝承者を養成するというような方法と同じように、文部省なり文化庁として日本の文化の政策を進めていく場合には、地方におけるこういった宮大工とか修理工——国宝の修理をする人たちは、これは私は実情をずっと調べてみますと、実に気の毒で、日雇いですよ、実際言うと。職を求めながら生きておる、技術は非常に持っておる。ところが統制をする人がない、組織もない、こういった方々をもう少し優遇してあげるとか、あるいは機能的にこの人たちが働けるように組織化をしてやるとかなんとかをしないと、この人たちはみな離れてしまいます。私はそんな気がするわけです。特に埋蔵文化財を発掘したり調査をしたりするという調査員のごときは各県にどれだけおりますか。これあたりはもうほとんどしろうとで、こわしていっておる。あるいはひどいところでは、私は、文部大臣ちょっと気をつけていただかなければならぬのは、現在ブルドーザーでどんどん埋蔵物をこわしていっておる。よくよく調べてみると、これは建設省関係で、そこで建設省関係ちょっと待ったと言って、そこに重要な埋蔵物があるので調査をする、こう言うと、それに派遣できる人員はいない。ところがやっぱり来ている。来ているのはどこからというと、結局文部省あるいは教育委員会じゃなくて、建設省のほうの予算の中で建設省の予算をもらって大学の先生あたりが来て調査する。これでは雇われた方がこわすほうから雇われて金をもらってやっているのですから、これ残せなんということはあまり言わないのです。これは写真をとっておけばよろしいとか、原形をとっておけばよろしいとか、そういう形の結論しか出せないのです。純粋に日本の文化の観点からいって、これは残さなければならぬというような考え方じゃなくて、いわゆるこわすほうから頼まれて、調査を依頼されておるわけですから、そちらのほうに傾いた調査の結論を出している。これではいけないのです。やっぱり文部省なり教育委員会、こういったところの本筋からやっぱり文化という問題を見詰めながら調査をしていく、そして技術を持っている人というものを早く整備しないと私はいけないような気がする。これは時間がありませんから、次の機会にでもやりたいと思いますが、この点について私は、時間がありませんから、最後に大臣文化財政策の問題についてお聞きをしたいのですけれども文化財保護という観点と、日本の将来の文化発展、切り開いていくということについて、これは一体のものだと私は思います。だからこそこの文化財保護の価値もあるし、またこれは相反するものだとかなんとかいう問題ではありません。ところが最近の急激な科学技術の発展に伴って文化財に大きな影響をこれが与えておる。特に、何といいますか、埋蔵とか、いわゆる土地にひっついた、いわゆる土地開発というものとの関連するこの文化財、たとえば貝塚、古墳あるいは史跡、こういったものが一挙に破壊をされていく。そして現在ではこれが守るに非常にむずかしい、気がついたときには一挙になくなってしまっておる。こういう状態で、私は日本の将来、特にいまの発展していく中で懐古ということじゃありませんけれども、昔のやっぱり祖先が築いてきた文化財、こういったものについては、これを大事にしながら、やはり日本人の心の中にこれが入っていかなければならぬというふうなことが近代社会で一番要請されるところだと思う。ところが先ほどちょっと言いましたように、建設省あるいは農林省、こういった場合も目的の違う行政機関ですから、こわしたってあまりぴんとこない。野鳥の大事なものがおるといっても、農薬を散布してしまう。こういった観点から、やはりここでは文部行政の最高責任者である文部大臣が、今後の何といいますか工業化、近代化の発展に伴う問題とこの文化財を保護していくという問題とは私は決して相反するものじゃないと思う。何か、何といいますか、文化財のほうからいけば、そういった発掘ができたなんということをいってやる人もおりますけれども、それはまた度合いにもよると思うのですけれども、ここらあたりの問題についての大臣の今後の日本の文化を守り発展さしていくという基本的な考え方についてお伺いをして終わりたいと思います。
  67. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) 日本の民族というものが今日まで積み上げてまいりました貴重な文化財を守っていくということは非常に大事なことであるし、守っていくということそれ自体が、同時に新しい文化を形成していくということにつながっていくというふうに思うわけでございます。一方、しかしながら、この日本民族の発展あるいはお互い国民の福祉向上、生活の向上というような面からいろいろの開発が行なわれていくということもこれは自然の流れであろうかと思いますが、その開発と文化を守っていくということをどうやって調和していくかということが、われわれとして一番大事な点だと思うのでございます。そういう意味から、飛鳥の藤原京を中心として文化財を守っていくという方向が、これは官民一体となって進められるようになったわけでございますが、やはりそういうような趣旨からであるわけでございます。われわれといたしましては、日本はかなり古い国でございますから、いろいろの重要文化財あるいは埋蔵文化あるいは史跡等が非常に多いわけでございまして、そのどういうものを守り、あるいはどういうものを保存していくかということが、やはりこの段階としては非常に大事なことでございまして、ただいまその調査等も行なっておるわけでございます。また、同じ文化財保護をいたすにしましても、その保護する、あるいは保存するしかたがいろいろあろうかと思うわけでございまして、この文化財だけはどうしてもこれは原形のままとどめて残さなきゃならぬというものもございましょうし、あるいはある文化史跡等につきましては一応これを掘り起こし調査をし、そうして資料等も出し、そうしてまた写真等もとって保存するが、しかしながらこの程度のものはこれはもう、一ぺんそれだけの調査をしたならばよろしいというようなものもあろうかと思います。そういうようなことについての仕分け等も今後考えていかなければならぬというわけでございますが、とにもかくにもわれわれ文化財を保護する責任のある文部省としましては、今後相当思い切った予算措置をいたしまして、どうしても民族として残しておかなければならない文化財あるいは史跡あるいは資料等につきましては、十分それが行なえるようにというように進めていかなければならぬというふうに考えておるような次第でございます。
  68. 大松博文

    ○大松博文君 いま安永議員からいろいろ質問されておりましたが、この文化功労者年金と重複するところがあるかもわかりませんが、もう一つお願いしたいのは、文化功労者年金の持つ意味と、そしてまた年金の用途は指定するということはできない、しかしこれは文部省ではどういうようにこの年金を使われることが望ましいかということを先にお聞きしたい。
  69. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化功労者年金を支給する趣旨でございますが、手元に昭和二十六年三月、政府から提案をいたしましたときの提案理由がございますのでちょっとそれを引用さしていただきたいと思いますが、「日本が真に文化国家として世界の諸国に伍して行くにあたりましては、国民の全部が文化国家であるという自覚を持って進むことが必要でありまして、政府といたしましても、種々の方策を講じているのでありますが、その一つとして、文化発達に関し特に功績顕著な者に対して、これを顕彰する方途を講ずることも、きわめて重要」である、このように申しておるわけであります。これは文化勲章制度というものが別途あるわけでありますが、これはいわば精神的な優遇とでも申すべきものでありまして、憲法のたてまえ等からいたしまして、勲章年金を支給する等の物質的な優遇措置を一体として密着させていくことは疑義がございますので、それとは別個制度といたしまして、文化功労者年金を支給し、日本の文化国家としての将来の発達を大いに期待してまいりたいということが制度趣旨であろうかと思います。  なお、この年金の使い方について文部省はどういうふうに考えておるかということでございますが、これは全くその使い方につきましては、私ども制限をしたり、あるいは御注文を申し上げるということはないわけでございまして、生活費になることもございましょうし、あるいは学問、芸術の研さんのためにさらにこれをお使いになるということもありましょうし、いろいろな場合があろうかと思います。特に使途につきましては制限というものはいたしておりません。
  70. 大松博文

    ○大松博文君 さきもお聞きしますと、年金の「性格的に申しますと、文化功労者年金は賞金的な性格を持っているものと考えております。」そしてまた「それに対して芸術院会員あるいは学士院会員に対して支給されます年金は、優遇措置ではございますが、賞金というよりは、その方々の生活をより豊かにして、長年の功績に報ゆるという意味合のものでございまして、優遇措置であることにつきましては共通でありますが、年金という性格はある程度異なるものと考えているわけでございます。」ということを言われておりました。前にもこういう答弁をされております。  私、文化功労者年金というものをいろいろ賞金ということからしますと、私スポーツをやっておりましたので、いままで表彰をされた方々が三人でございますか、平沼さんと、それから柔道の三船さん、それから登山の槇さんですか、しかしいままでに二百二十八人、二十六年からございます。そしてスポーツがあまりにも少ないということをいろいろ考え合わしたときに、この前私がアマチュアスポーツ規程というものをどういう見解を持っておられるかということをお聞きしたときに、その返答がそのときなかったのでございますが、いまのアマチュア規程からいいますと賞金なんかもらっちゃいけないということを言われております。これはいろいろなアマチュア規程ございまして、金銭的なもの、報酬を受けちゃいけない。また入場料で生活をしちゃいけないとか、いろいろなことをいっておる。私はこんなものはどちらでもいいので、要は精神的なものであろうと思います。そうすると、いままでの選考委員会なんかでスポーツというものの方々があまりにも少ない。私はいままでですと十五人や二十人くらいあってもいいのではなかろうか。ドイツや、ソ連、ああいういろいろな欧州圏に行きますと、名誉スポーツマスター、一般スポーツマスター、という制度がございます。そういうことをいろいろ考え合わせましたときに、賞金というような性格があるという答弁をされますと、日本人というのは、何か賞金というのは非常に浮薄であって、そしてまた、こういうものについては日本人のセンスとしては何かひっかかるし、いさぎよしとしないということがあるのじゃないかと思いますし、現在のいままで年金受けられた方が、こういうスポーツを現在やっている連中ならばもらえない。しかし、年齢に制限があるならば、もうやめてしまって七十以上になって、文化功労者文化勲章のようなものをもらえるような方でしたらあまりどうこう言われないだろうが、現在やっているとか、まだ三十そこらとか四十になるかならずの連中がもらえば、日本ではそれはいけないと私は言われるだろうと思うのです。しかし、日本のスポーツだって、日本の社会分野の中では非常に大きなウエイトを占めております。だから、私にして言えば、古橋広之進だって私はもらえる人だろうと思います。あの戦後のああいう廃退した時代に、日本人ここにありと言って、やって、世界にそれを雄飛させていって、日本人を奮起さしていった。私は東京オリンピックのときの河西だってそうだろうと思うのです。あの時代にああいうことをやって、そしてあれだけに日本人の女性を奮起させていって、現在あれがもとになって日本で婦人バレーが盛んになっておるということを考え合わせますと、こういう連中だって私は文化功労者年金を与えるべきじゃなかろうかと思います。しかし、選考委員会あたりで一体こういうものが選考一つに出たのか、出ないのかということもお聞きしたい。
  71. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化功労者として表彰された者の中で体育関係者、スポーツ関係者の数が少な過ぎるかどうかという点につきましては、これは確かにひとつ問題であろうかと思いますが、私どもはスポーツ関係者が当然選考の対象の中に入るということは、これは先ほど来申し上げておりますように、いろいろな機会に申しておりますが、具体的な選考につきまして、今年はぜひスポーツ関係者を入れてもらいたいとか、あるいはだれそれを入れてもらいたいとかいったようなことはこれは一切申し上げない。すべてはこの選考審査会委員の御判断、御見識にまつということでございます。  いままでそういう名前があがったかどうかという点のお尋ねでございますが、その点につきましては、私手元に資料もございませんし、記憶もございませんので、ちょっとお答え申し上げかねますが、ただいま大松先生から御指摘のあった方々功労者選考されるということはこれはあり得ないことではないと思いますが、しかし、それはすべてこの審査会の諸先生の御判断なり御識見にまつということでございます。  それから年金性格でございますが、これは賞金というふうに申し上げておるわけでありますが、スポーツ関係の場合、詳しく私存じておるわけではございませんが、特定の競技なり特定の記録について賞金が出るということがアマチュアスポーツの場合には非常に問題であろうかと思いますが、文化功労者年金が賞金だと申します場合は、その方の学術的、芸術的その他の功績の全体を総合評価いたしまして、これに対して賞金としての年金を支給しておるということでございまして、個々の業績をつかまえてこれに対して賞を、年金を差し上げるというようなことはいたしておらないのでございます。  なお、賞金というと何か多少うしろめたいことがあるやのお話でございますが、賞金と申しましてもいろいろあるわけでございまして、恩賜賞、ノーベル賞から始まりまして、学士院賞、芸術院賞、その他藤原科学財団から交付されております藤原賞だとか、あるいは本多光太郎記念会から交付されております本多記念賞とか、いろいろな学術上、芸術上の賞金がほかにもたくさんあるわけでございますが、これをお受けになる場合は、私どもの拝見いたしますところでは皆さん何らのこだわりなく非常に名誉なこととして受賞者の方はお受け取りになっているように思います。
  72. 大松博文

    ○大松博文君 私がいま言った意味がちょっとはき違えられているようにも私思うんです。何も記録を出したから、優勝したからということを私は言っているんじゃない。その奥にあることを私は言っている。それは人がやらないような努力をして、そして創意くふうを積み重ねて新しいものを考え出して、その上にその上にと積み重ねていった、その努力と、そういう技術と新しいものをまあいわば発明した、発見した、そしてそういうものを広めていっています。そういう意味のことを私は言っているんであって、何も一位になったから、記録出したからということを私は決して言っているわけじゃないんです。だから、この文化功労者年金だってそういうものだろうというふうに、私受け取り方をしているんですが、そうじゃないんでしょうか。
  73. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 私どもはさっき申し上げましたように、個々の学者芸術家の場合でございましても、個々の著作とかあるいは個々の作品について差し上げるということではなくてその学術の活動、芸術の活動全体を総合的に評価をいたしまして、これに対して差し上げるということでございます。ですから、いま大松先生がおっしゃいましたスポーツの場合の例もそれと同様に考えて私は差しつかえないかと思います。ただ、ひとつ、特定の記録を出したということだけではなくて、その方の、まあ全生涯と申しますか、全体の活動が三船先生であるとか損先生のような、そういうような程度に及ぶならば、それは選考の対象になり得ると思いますが、ただ、はたして最終的にそうなるかどうかは、選考審査会の諸先生判断なり御見識に待つと、こういうことでございます。
  74. 大松博文

    ○大松博文君 そうしますと、アマチュア規定から言いますと、政府のほうで賞金という性格はあるんだということを言われますと、これもらうことができなくなります。そういうことをいろいろ考えましたときにまた別な面で私、一応文化功労者年金の中にはスポーツに関係して、そしてそういう意味功労があった方には年金を与えるということも含まれているということからしますと、賞金という性格があるんだということを言われてみますと、何かこれは、このこととは別でございますが、よその国のように名誉スポーツマスター、また一般スポーツマスターという、こういう何か制度をつくっていただけるお考えがあるのかないのか、それをお聞きしたいのと、私はこれはほんとうを言うならば労をねぎらうのとともに今後それをもとにして、なおかつその上に進歩発展向上をはかってもらいたいという意味の優遇措置だろうと私は思うんです。だからして賞金ということを言われますと、私スポーツとしてのこういう面から、ということからまた日本人のセンスからいう意味からしましても、何か引っかかるような気がするんでございますけれども、その点どうでございましょうか。
  75. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) この年金の目的でございますが、さっき申し上げましたように、特定の限定はもちろんないわけでございますが、その方がその後の研さん、精進のためにそれをお使いになるということであれば、それはたいへんけっこうなことだと思います。賞金ということばにつきましては、私どもはそうかた苦しく考えないで、功績に対して国家としてその功績をたたえ、これをねぎらう意味において、顕賞する意味においてこれを支給するお金というふうにお考えいただいていいと思いますし、まさしくそういうものであろうというふうに考えております。
  76. 大松博文

    ○大松博文君 いま安永委員もいろいろ言われておりましたが、この年金の額、これが妥当であるかないかということも言われておりましたが、この年金で現在いろいろやられている方は相当裕福な方が大部分じゃなかろうかというふうなことを言われておりましたが、局長がいま三百万円ぐらい、これが百五十万円だ、こういうところにもってこられたことも言われておりました。しかし、私が思いますのに、いろいろこういう無形文化財のほうでもございますが、こちらが非常に少ない、困られておる、まあわしはいいから、それならこっちのほうへ回してくれと、お断わりになった方があるかどうか、そこをお聞きしたいんです。ございませんか。
  77. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 辞退された方はございません。
  78. 大松博文

    ○大松博文君 私さっきもいろいろお聞きしておりましたが、私がさっき言ったのも、こういうところから出てくるのじゃないかと思いますのは、いままでもらっている方が八〇%ぐらいです。これは二百二十八名のうちの、さっきも言っておりましたが、学士院会員が九十名、芸術院会員が八十一名、両院会員が三名、計百七十四名だという。そして有名な大学の教授とか作家とか画家が多い。しかし、こういう方も十分価値があるから与えられているのでございます。しかし、これ以外の大衆芸能とかスポーツとか、こういうものに関してはほとんど私はないと思います。しかし、これだって日本の文化としては非常な価値があり、そうしてまた日本人の、将来における日本民族の誇りでもあり、また若い青少年がそれによって夢と希望を持ってやっていく、こういうことから考えますと、一般大衆芸能という、たとえば一つの例をあげると、エノケンなんかも私は大いにあるだろうと思います。ああいう方によって毎日の生活をいかに明るくされたか、そうしてああいうことをあの方だって努力されてやってこられた方だ、貢献もしているということから言えば、そういう方だって私は当然してあげていいのじゃないかと思います。しかし、そういうものがあまりにも少い、ほとんどないというようなことを考えますと、選考のこの十名の委員の中に、これ一つ問題があるのじゃなかろうかと思う。そうして、このメンバーを私いろいろ見てみました。そうしますと、十名というのも大体私は少いだろうと思います。やはり出てきている分野の方ですと、自分の分野の人のほうに身びいきするというのが人間の本性でございますから、やはり自分のほうにという気持になりがちであると思います。そうすると、いろいろな分野の方をこう出していくと、もっともっとこの方を出してつくってもいいのじゃないかと思うと共に、もう一つ、これが二十六年から見ましても、大体十名ぐらいずつで、そうしてこの中ではほとんどが東京在住の方になっております。二十六年が奈良が一人、二十七年は京都と名古屋が一人ずつ、二十八年は京都が一人、二十九年は大阪が一人、三十一年が京都が一人、それから三十五年が東北が一人、三十六年は倉敷とそれから大阪と京都、三十七年がなくて、三十八年が京都が一人、三十九年は京都、大阪、四十年が北海道、四十一年が京都一人、四十二年が京都、神奈川、四十三年が東北、四十四年が京都と大阪一人ずつ、四十五年は静岡と、もう一人はこれは京都でございますか、こういうようにほとんどがもう東京の方ばかりで、中央にこういう選考委員の方がおられる。そうしますと、やはり、こういう文化というものに関しましても、地方なんかでもいろいろ私はあるだろうと思います。そうすると、一つは関西ブロック、一つは九州ブロックというふうにしまして、そういうところのひとつ、教育だって私は大いに文化功労者年金を与えていい方だってあるだろうと思います。そうすると、そういうブロックからだって、たとえば教育委員長なり教育長でもいいです。また、そういう関係の何か選出された知事なら知事でもいい、そういう方も入れてもっとふやして、そうしていろいろな分野からそういうものを検討して出していくと、私もっともっと片寄らないものが出てくるんじゃなかろうかという気がするのです。そして私一つスポーツのことを盛んに言っておりました。私はスポーツをやってきた者だから言いたくなるのですが、全然ないもんだから、スポーツからだって私、この際一人ぐらいはこの中に入れてもらって、そしてそういうものをいろいろ選考して出してもらいたいという気がするのです。これはあまりにもこういう学者とか、作家とか、画家とか、これに片寄り過ぎて、日本の文化というのは、何もそれだけで日本のこういう発展を来たしているのじゃないと思うんです。それから、これからというものは情報化社会になってまいります。そうすると、いままでのようなほうだけじゃない、ほかの分野が新しくたくさんできてまいります。そうすると、そういうものだって入れていくべきだ。このほうだけだと、自分がそういう分野でございませんから、そういう頭が向きません、働きをしなくなります。そしてさっき言ったように自分の身びいき、自分のほうばかり、自分のほうばかりというのは人間だれでもそういうふうになりがちです。だから、私これを見まして、そういう傾向にあるんじゃなかろうかと思いますが、ひとつその点の御説明をお願いしたいと思います。
  79. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) いろいろおっしゃったわけでございますが、最初にスポーツとの関連におきまして、榎本健一さんのお話をお出しになったわけでございますが、榎本健一さんは昭和三十五年に紫綬褒章をお受けになっておりますが、そのような方といたしましては、たとえば柳家金語楼さんは昭和四十二年に、これも同様紫綬褒章、春風亭柳橋さんも同じく昭和四十二年に紫綬褒章を受けていらっしゃいます。そういった方々に対する国としての表彰は紫綬褒章でございますとか、あるいは相当年齢に達せられました場合には一般勲章、そういった形での表彰を行なっておるわけであります。柳家金語桜さんとか、榎本健一さんをなぜ文化功労者にしなかったかという点でございますが、これは先ほど来申し上げておりますように、選考審査会の諸先生の御見識なり御判断にまったということでありまして、私どもがこういった方々はその賞の対象にならないんだというようなことを申し上げておったためにそういうふうになったということではございません。あげてその選考審査会委員の皆さんの御判断と御見識にまつということでございます。  それから次に、選考審査会委員の数でございますが、十名というのは、これは確かに少ないというお感じもお持ちかと思いますが、これは文化功労者年金法という法律で定まっておりますので、これをにわかにふやすということもいかがかと思います。  それから地域的な分布でございますが、確かにおっしゃるようなことになっておるかと思いますが、学術関係芸術関係方々は実際問題といたしまして東京ないしはその近辺に住んでいらっしゃる方が多いのでございまして、まあそういう点からいたしましてこれはまあやむを得ないことかと思いますが、ただ実際上のこの委員選考の際におきましてはたとえば大学の教授でございますと、たとえば東京大学ばかりが出るようなことがないように、京都大学からも東北大学からも九州大学からも毎年入れかわって出るようにというような配慮でございますとか、あるいはまあ私立大学の関係者も加われるとか、そういった配慮は毎年いたしておるつもりでございます。  それから、スポーツ関係者が選考委員に入っていないということはそのとおりでございますが、まあ学術芸術の狭い分野功労者が限定されませんように、たとえば四十五年、昨年の例でございますと、評論家で荒垣秀雄さんを、特定の分野を代表しない学識経験者としてこの審査会委員にお加わりをいただいておるわけでございまして、そういった方々から広い見地に立った候補者の推薦をお願いする、こういうような考え方をとっておりまして、毎年一名程度はただいま申し上げましたような広い立場で多くの領域の方々を、知っていらっしゃるような方を委員の中には含めるように、これまた運営上の問題といたしましては配慮をいたしておる次第でございます。
  80. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) まあ大松さんのこの御質問、それから、また先ほどの安永先生の御質問とも関連すると思うのですが、少しわれわれのほうの答弁は現状維持といいますか、現在の一つのワク内でお答えをしておるというふうに思うわけでございます。しかしながら、文化功労年金というもののあるべき姿あるいは文化勲章のあるべき姿というようなことを将来を見通して、あるいは現在の日本の社会一般を考えるとですね、やはりこれについては私どもも少しこの考えを新たにする必要があるというふうに私は考えておるわけでございまして、やはりもう少し、スポーツであれ、あるいは教育者であれ、そういう、あるいは同じ芸術分野、あるいは同じ歌を歌うという分野におきましても、歌謡等についても、あるいは庶民文化一般についてももう少しこのウエートあるいは価値を考える必要があるのじゃないかというふうには一般的に私は考えておるわけでございます。この法案が衆議院におきまして審議をされました段階におきまして、たしか有島委員だったと思いますが、これだけ歌謡曲が盛んになってきておるのだけれども、一体歌謡曲を歌うような人で非常にすばらしい人があった場合にはこの対象にされるのですかという質問があったのです。こういうものは全然問題にならないのですかというお話でございました。私はそれに対しましてそうは考えておりませんと、ほんとうにこの現在の文化功労者に値する方があったらやはりその範疇に入れるべきだというまあお答えを申し上げたのです。で、その前に、またたとえばスポーツについても同じような議論が他の議員からございまして、そのときにも三船さんは柔道なんだけれども、それじゃ剣道についてはどうなんだという話がございまして、確かに私は剣道につきましても三船さんと同じような、だれから見てもあの人ならばと思われるような方があるとするならばその方に差し上げるのもこれは当然なことじゃないかというまあお答えをした。その一つの例といたしまして、これはまあ歌謡曲についてなのでございますけれども、どうも日本人はシャンソンの歌い手だと何か芸術性があるとか、あるいはカンツォーネを歌う人は非常にいいとか、外国の場合だったら非常にそういうものはいいと思うのだけれども、日本の歌謡曲だとか、あるはい民謡だとか、あるいは浄瑠璃その他のようなものについては何だか文化が低いようなものだというふうに考えがちであると、それはいかがかと私は思う。たとえばビートルズを見てごらんなさい。これはリバプールから生まれて、そうして非常に独創的な、しかもリバプールの庶民性を持ったものであって、それが非常に全世界を実は風靡した。で、単にこれは外貨をかぜいだぜいではないと思う。私の記憶に間違いなければ、たしかクイーンが表彰を、勲章をやったと、最近になって、これは、私の子供に聞いてみましたところ、三人がうまくいかなくなっちゃったんでそれやめになって、また辞退をしたとかなんとかというようなことを言っております。その真偽のほどは知りませんけれども、たしか一回クイーンが表彰したというようなことを聞いておるわけでございますが、やはりそういうようなことも考える必要があるんじゃないかということで、私は庶民文化というものがやはり日本民族の発展のために果たしておる役割りというものは非常に大きい。御指摘のエノケンさんにしてもそうだと私は思っている。そういうようなものをことさらに除外して、単に芸術といったら芸術院会員あるいは学術といったら学士院会員というものだけを中心にして文化全体を考えるということは、私は少し片寄った考え方じゃなかろうかというふうにも思っておるわけでございまして、もう少し広く考える必要がある。ただ、いま申し上げますような庶民文化の中においても、そのすぐれたものと、すぐれないものとの区別はあるはずです。そのどれがすぐれているか、どれがすぐれていないか、あるいはどれが独創的であり、どれがほんとに民族の将来のために影響を与えたというようなものであるか、そういうことを判定するというのは非常にむずかしい仕事ではあるけれども、だれかがやらなければならないことじゃなかろうかというふうに思います。そういうようなやはり観点から、たとえば選考委員の選定についても、これは私たちの責任でもございますから、やはり一ぺんこの辺で見直してみる、あるいは考え直してみるということは必要であるし、あるいはそういうような時期にきておるんじゃなかろうかということで、去年くらいから寄り寄り私どものほうで相談をいたしておるわけでございます。ただいまは、いま官房長からお答えを申し上げたとおりでございますけれども、しかしながらこのあたりでもう一ぺんそういうようなお二人の先生のこの御指摘あるいは衆議院の文教委員会においての御指摘等もやはり十分踏まえて考え直してみるということは、この段階で必要だというふうに私は考えておるわけでございまして、きょうの大松さんといい、また安永先生といい、非常に貴重な御意見を承りまして、十分これを参考にいたしまして検討をいたしたい、かように考えておる次第でございます。  特にまたスポーツにつきましては、あるいはこれはこれといたしまして、スポーツ関係者としてほんとに文化功労に値するお人を選び出すということも一つの方法でございますが、別にあるいはスポーツ賞というようなものにするか、あるいはどういうことになりますか、顕彰の方法等も込めてこれは考えてみる必要があるんじゃないかというように思います。たとえば芸術関係になりますと、叙勲もございますし紫綬褒章もございます、藍綬褒章もあります、芸術祭優秀賞もありましょう。芸術祭優秀賞あるいは芸術選奨等につきましてはこの間文部大臣賞にフランク永井さんを、あるいは文部大臣新人賞にはレビューの振りつけの藤代暁子さんを選奨いたしまして、芸術祭優秀賞には講談の馬琴さん、三遊亭金馬さん、それから歌手の眞帆志ぶきさん、あるいはジャズバンドの東京キューバンボーイズ、こういうようなかなり範囲を広げましてやっておるわけでございますが、これは実際やってみまして、非常にいいことだというふうにいわれておるわけでございますが、そういうことを考え合わせました場合に、スポーツについて何か特別の表彰の方法という意味を含めてこれは考えてみる価値のあることである、というふうに私は考えております。
  81. 大松博文

    ○大松博文君 問題点を非常に懇切丁寧に御説明いただきまして、また非常に思いやりのあるお答えをいただきまして、時間が過ぎてしまいまして、ありがとうございましたが、もう一つだけお願いしたいのは、社会というものは非常に大きい変動を来たしておりますので歴史的に見ましても、来年は当然これに対処するという文部省の方針でなければいけない。また、ともにこういうことは皆さまの励みにもなっていくだろうと思います。だから、そういう意味において今後やっていっていただきたいとともに、現在大体十名くらいということになっておりますが、これは制限は私はないのだろうと思うのです。これは不文律で十名から十二名ということになっておりますが、できるだけ多くしていろいろな方にそういう励みを持たして、そうしてこういうこれからの将来に対処していっていただきたいとともに、もう一つ文部大臣に特にスポーツのことを、安永さんも言っておりましたが、こういう方面ももっと取り上げていっていただきたい。いまどこへ参りましても体育が必要だということがよく言われます。しかしママさんにしたって必要なことがわかっていてやらさぬで、勉強しなければ上級学校通らぬと言って勉強ばかりさすだけだ。どこへ行っても体育は大事だからスポーツをやらせなければいけないと言って、いざとなったらやらない。政治家の中だってそういう人がほとんどです。やることは当然だ、やらなければいけない、あるいはいいことだと言ってそのときになると何かうしろに下がるというような人もある。こういう世の中で必要なことは、知育、徳育、体育の中で一番先にやらなければならぬものは体育だ、こういう点からもひとつその点を大臣によろしくお願いしたいと思います。これで私の質問を終わりたいと思います。
  82. 内田善利

    ○内田善利君 この法案につきましては相当もう話題も出尽くした感じでございますので、重複する面もあるかと思いますが、避けて質問を二、三したいと思います。  非常にいま文部大臣文化ということについて広い意味文化をさしているのだと、こういうことであったように受けとめたわけですが、先ほども安永委員から質問がありましたが、昭和二十六年にこの法律が制定されたときには、最初は学術芸術その他の文化向上発達という内容であったものが、それでは学術芸術に片寄り過ぎるということで広く文化を定義したといういきさつお話もあったわけですけれども、また、いま文部大臣からもそういうことについて広く取り上げていきたい、そういうお話がありましたが、この法律文化ということについて、もう一度明確に大臣からお聞きしたいと思うのですけれども……。
  83. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) この文化という概念は非常にむずかしいと思いますけれども、私は広い意味で解釈いたしますと、自然に対しまして文化、自然に働きかけて、あるいは自然を素材にしてそして人間の創意くふうによってでき上がった精神的及び物質的な所産、そういうものを総称して文化というのじゃないかというふうに考えておるわけでございます。あるいはその中には芸術もございましょうし、あるいは学術もございましょう。あるいは法律、そういうようなものもございましょう。それからまた生活様式そういうものもございましょう。そういうふうに思いますが、しかしまた同時に、現在御審議をわずらわしておる文化功労者年金のこの法律における法律的な文化というものの概念は、主として学術芸術及びその他の文化ということである程度限定的に考えておるというふうに理解をいただきたいと思います。
  84. 内田善利

    ○内田善利君 その限定的に学術芸術のほうに重点を置かれた結果が、先ほどから説明がありますように百八名の文化功労者年金受けている方の中で八十八名も学士院芸術院関係者がおられる、こういうことで、先ほどからもお話があったように、スポーツ関係その他庶民芸能関係等はほとんど皆無というような状況にあるわけですが、この辺で考えるべき時期が来ておるのではないかということでございますが、この点ひとつ、大松委員からもありましたように、ぜひこの点考えていただきたいと思いますと同時に、この選考委員会委員十名ということも先ほど質問がありましたが、これをひとつ、広く文化という面から考えれば当然増加すべきであると、このように思いますが、これは増加されるかどうか、お聞きしたいと思います。
  85. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 先ほど申し上げましたとおり、定数は法律できまっておりますので、法律を改正しない以上は増加することは不可能でございます。
  86. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) 先ほどから申し上げておりますように、一応はただいま官房長からお答えを申し上げたわけでございますが、しかし私どもといたしましては、基本的に今日の社会の変動に対して現在の法律がふさわしいかどうかということも含めまして、もう少し視野を広くして、そして文化という概念ももう少し広げて考え直してみる、場合によっては、あるいは法律改正いたしましてその選考委員を広げるということも含めて、ひとつ検討させていただきたいと思います。
  87. 内田善利

    ○内田善利君 広く文化ということが広い文化という考え方にいまきておるようですけれども、しかしながら学術芸術に限定されてきているように思うということでしたが、そういったことになりますと、どうしてもやはり文化を広くという以上、そういうふうにひとつ前向きに考えていただきたいと思いますが、その中で、先ほどもことばに出てまいりましたけれども、庶民文化といいますか、大衆文化芸術というようなものはどのように考えられておるのか、また、そういった大衆文化、庶民の中に芸術あるいは文化が埋もれておる、そのように思うわけですけれども選考委員の中にもそういった分野の人はもう全然見られないし、民謡とか、民謡舞踊とか、あるいはその評論家といったいろいろな大衆文化芸術をやはりこの文化の中に入れて、文化功労者として表彰していくというふうにしていただきたいと思いますが、この庶民文化といいますか、大衆文化をどのように考えられておるのか、その点お聞きしたいと思います。
  88. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) 先ほどの内田先生お話で、私がこの法律における文化というものをただ単に学術芸術だけに文化を限ったというのは、そうじゃなくて、その他文化一般ということも含めて考えておるわけでございまして、その他の文化についての内容あるいは幅等について、私は十分これから、いまお説の大衆芸能等も含めて考えていく必要があるんじゃなかろうかというふうに思っております。それからまた、先ほどもお答えをいたしましたように、そういう純粋——まあ一つの大衆芸能と申します場合に、一方においては、この芸術と言った場合には非常に高い純粋な芸術というふうに限定しておるわけでございますが、しかし、その他のこの一般庶民の芸術にもやはり高いすぐれたものがあるわけでございまして、こういうようなことについては、たとえば叙勲であるとか、紫綬褒章であるとか、藍綬褒章であるとか、あるいは芸術祭や芸術選奨というようなことで、特に大衆芸能の部門を設けまして、すぐれた業績をあげた人々等に対しまして芸術祭賞だとか、あるいは芸術祭優秀賞であるとか、あるいは芸術選奨文部大臣賞であるとか、あるいは芸術選奨新人賞であるとかというものを贈りまして顕彰しておる。そのことでかなり活発になってまいっておりますし、その価値が認められてきておるということで奮起をしておられるという実態があるわけでございます。そういうことを申し添えておきたいと思います。
  89. 内田善利

    ○内田善利君 ちょっと関連になりますけれども、国立劇場設置法のときに、国立劇場という性格上近代大衆芸能のためにも機会を与えるべきだという質疑がなされておるわけですが、現在、目的は伝統芸能の保存と振興をはかるということですが、したがいまして古典が非常に多い、古典ばかりの状況なんですが、大衆芸能といいますか、大衆文化あるいは青少年文化等のために第二国立劇場を設置する考えはおありかどうか。
  90. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) 実は国立劇場設置法をつくるときに、一つは伝統芸能保存という意味合いにおきましてそういう機能を果たす劇場と、それから同時に新しい近代的なオペラ等も含めたそういう劇場とをつくるべきである、そしてその劇場の構造というものはおのずと違うわけなんだから、これはやはり二つつくらなければいけないんだと、こういうことでございましたけれども、場所とそれからお金との関係で、まずこの伝統芸能を先にしようということで、現在の国立劇場が設置されたということでございますが、ようやく私どもにおきましても、この昭和四十六年度の予算におきまして、現代芸能のための第二国立劇場に関する調査費を計上いたすことになりました。で、その対象といたします現代芸能の範囲その他につきましては、十分ひとつこれから検討してまいりたいというふうに考えております。
  91. 内田善利

    ○内田善利君 年金のことについてお聞きしたいと思いますが、先ほどからいろいろ質疑がなされたわけですけれども、この学士院芸術院の場合ですけれども、特別職の国家公務員であり、また一般職国家公務員であるわけですが、公務員としての給与は支給されておるわけですか。
  92. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 先ほど来申し上げております年金のほかは支給されておりません。
  93. 内田善利

    ○内田善利君 もう一つは、この年金額についてですけれども、いろいろ先ほどから話題になっているわけですが、非常に一貫性がないというふうに感じたわけですが、将来もこのような一貫性のない方法をとっていかれるのか、将来は計画的に基準をきめる等して行なわれる計画があるかどうか。
  94. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 年金の額がどういう程度のものが適当であるかという判定は非常に困難かと思いますが、先ほど申し上げましたように、一般公務員の給与水準あるいは国民所得の水準、消費物価の水準、芸術院学士院会員の年金の水準、その他の各般の要素を勘案をいたしまして、適当な年金額を今後とも検討してまいりたいというふうに考えます。一定の方程式のようなものをつくりまして、何がどうなった場合にはどうするというような、そういう何と申しますか、基準といったようなものを策定する考えは現在のところございません。提案理由説明にもございますように、経済、社会情勢全般の変動を見ながら今後さらに適当な機会に適当な金額に改定するように努力をしてまいりたいというふうに考えております。
  95. 内田善利

    ○内田善利君 功労者名簿を見ますと、いわゆる功成り名なし遂げた方々が非常に多いように思うのですが、いま非常に文化功労しておられる、苦しい生活の中で文化活動に従事しておられる、こういった方々がたくさん世に埋もれておられるわけですが、そういった中途にあるというんですか、将来この文化功労者として年金を支給されるような方ならばいいと思いますけれども文化的に非常に苦しい生活の中から努力をしておられるという方々に対する国に助成はどういう方法でなされておりますか。
  96. 安嶋彌

    政府委員安嶋彌君) 文化功労者に選ばれた方が功なり名遂げられた方が大部分だというお話でございます。全体といたしましてはそういう感じかと思いますが、ただ非常に若くして業績をあげられ文化功労者に選定されたという方も中にあるわけでございまして、昭和三十二年に小平邦彦さん、これは数学の学者でございますが、四十二歳で功労者決定されたというような事例もございまして、すべてが功なり名遂げた方ばかりだというわけではございません。なお、こうした中堅的な、あるいは若い学者に対する助成についてどういう措置があるかということでございますが、国立学校の教官でございますと、これに対しましては教官当たり積算校費と言ったようなものが予算積算されておりまして、これは主としてその教官、あるいは講座の研究費に充当されるということでございます。年々その増額をはかっておるわけでございます。まだまだ不十分でございますので、今後ともさらにその増額をはかっていきたいというふうに考えます。そうしたその学校の予算に計上されておりまする研究費のほかには、御承知の科学研究費というものがございます。これは学術審議会におきまして個々の学者の研究のテーマなり、あるいは実績なりその他を勘案をいたしまして個別に科学研究費交付金の額を決定しこれを交付しているということでございます。そうした一般的な制度あるいは助成でもって中堅あるいは若手の学者の育成をはかっていきたいというふうに考えております。
  97. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 芸術文化関係の有名でない芸術家と申しますか、新進中堅の芸術家に対しますところの現在やっておりまする施策について若干補足さしていただきたいと思います。  一つは、新進気鋭の芸術家を選んで国費で一年間海外で研修させるという制度もやっておりまして、現在までに十八名で、本年度から八名の若い芸術家を派遣しておりまして、その帰ってきました結果が、非常に新しい風が加わりましてこの効果が大きいというように評価されているところでございます。  それから新人、中堅作家のすぐれた美術作品を買い上げるということ、それから先ほど大臣からもお話ございましたけれども、年間において芸術の各分野において、先ほどございましたように大衆芸能等も含めまして、それぞれの分野におきましてすぐれた業績をあげた方に対しまして文部大臣賞、しかもそのほかにもう一つ新人賞ということで、まだ二十歳ぐらいの人でもすぐれた業績をあげた場合には文部大臣新人賞を与えるということにいたしておりますし、また毎年一回行ないますところの芸術祭におきまして、優秀なものにつきまして、特に優秀なものには芸術祭大賞、一般に優秀な方には芸術祭優秀賞というものを出してそれらの顕彰をいたしておるわけでございまして、これらの顕彰は各方面におきまして広く評価をされておるわけでございます。また芸術団体に対する助成金をいたしまして、国際音楽コンクールに参加するとか、あるいは国際美術展に参加するとか、そういうような経費を助成するというようなことで、いろんな方法によりましてその功績をたたえ、また将来の進歩を促すというような施策を講じているところでございます。
  98. 内田善利

    ○内田善利君 これと少し関連があるかと思いますが、いわゆる文化財の保護の関係、たとえば建造物あるいは美術品あるいは埋蔵文化財、こういったものの保護の技術者、大体全国で専業しておる人は何人ぐらいおられますか。
  99. 安達健二

    政府委員(安達健二君) いまおあげになりました文化関係の後継者の養成ということは、先ほど安永先生等からも御指摘があったところで非常に大事でございますので、一つは無形文化財の伝承者の養成の問題、これは先ほど申し上げましたように、重要無形文化財の指定あるいは保持者の認定などをやっておるわけでございますが、建造物関係の修理技術者でございますが、これが現在百名ほどあるわけでございますが、これらの技術者は、建造物、国宝等の建物が修復される場合に、その際にはその現場で、お寺なり社の建築の仕事をするということで、その寺の仕事をしまして、それが終わりますとまたほかのところへ行くということで全国を流転しなければならないということで、身分は不安定である。そのためにまたりっぱな後継者を得られない、こういうことがございますので、実は昭和四十六年度に建造物保存技術者養成補助金というものを五百万円計上いたしまして、その補助金の使用につきましては、新しく財団法人文化財建造物保存技術協会というものを設立いたしまして、この修理技術者はその財団法人の職員として身分を安定する、そしてその財団法人が後継者養成の仕事をするというようなことで、計画的な後継者の養成と、それからまたこれらの修理技術者が身分の安定をしてその職務に専念できるようにするようにいたしたいと思うわけでございます。  それから御指摘のございました埋蔵文化財の発掘技術者でございますが、これは現在都道府県に置かれております者約百二十名でございます。これは先ほど安永先生からも御指摘ございましたように、この埋蔵文化財の関係の保護と抵触するような土木工事等がたくさんございますので、そういう場合の必要から見ますとなお、はなはだ不十分でございまして、これにつきましてはいろいろな面で講習会をやる等をいたしまして、この後継者の養成なり技術の向上をはかっておるわけでございますが、この点につきましては、なお今後十分努力をいたさなければならないと思っておるわけでございます。なお、この発掘調査の補助金といたしまして、約一億円ほど計上いたしておるわけでございますが、特に発掘技術者の不足ということが現下の非常な悩みのところでございますので、この点につきましてさらに対策を検討してまいりたいと、かように考えておるわけでございます。  それから美術工芸関係の修理技術者というのは約百名ございまして、これは京都に美術院というのがございまして、財団法人でございまして、これがその修理を行なっておるという状況でございます。
  100. 内田善利

    ○内田善利君 いま埋蔵文化財の技術者のことについてお話があったわけですが、太宰府の場合ですね、いまの技術者でやっていきますと五十年ぐらいかかる予定だそうですが、非常に事態は深刻で、私も太宰府に行きましたときにはわずか三名でやっておりますということです。そして寝泊りされるところも非常に何といいますか、あばら家でかやもないようなところにやすみながら、また発掘した発掘財は警備もしなければならないというようなことで、非常に苦心惨たんしておられるわけですが、またその報告書等も五月までにはつくらなければならないというようなこと等で、非常に人員の不足をいまおっしゃったように感ずるわけですが、この不足の理由は何でしょうか。
  101. 安達健二

    政府委員(安達健二君) 現在、埋蔵文化財と申しますか、考古関係学者が約五百人ほどおられるわけでございます。この五百人のうちでいま県等で担当しておられる方が百二十名ということになるわけでございます。どうして足らないかということは、なかなか考古の関係の後継者と申しますか、新しい人がそう急には養成されないということが一つと、先ほど安永先生からも御指摘ございましたように、開発が非常な速度で進んでまいるわけでございますので、その開発をするところに埋蔵文化財とか遺跡があるということで、開発のほうが非常な速度で進むのに対してこの養成なりその確保がそれに追いついていかれないというところが基本的な原因だろうと思います。
  102. 内田善利

    ○内田善利君 この技術者はひとつ何とかして増員しなければ、開発か保護かという、開発が非常に進んでおるということですけれども、やはりそれなりに保護の関係も開発におくれないように早急に文化財保護のために人員増をすべきでないかと、そのように思うわけですが、この点ひとつよろしくお願いしたいと思います。まあ開発か保護か、どこに行っても、自然公園に行っても、破壊か保存かというようなことが、その調和が非常にむずかしい問題でございますが、ひとつこの点はよろしくお願いしたいと思います。  なお、最後に文化保護という立場から、たとえばいままでの教育は日本における文化遺産の保護という点についてはまだまだ不十分なところが多いように思うわけです。山に入っていい花が咲いておればすぐつみ切るというような、あるいは昆虫類がおればすぐとってくるというような教育でなしに、公害問題等も、考えてみますと、やはり教育の面においても、文化保護という面において考えなければならないのじゃないか、山に入って山で美しい自然を見、あるいはまた文化を保護していくというような教育が、今後大事になってくるのじゃないかと、このように思うわけですが、文化教育について、最後に大臣にお伺いしたいと思います。
  103. 坂田道太

    ○国務大臣坂田道太君) もうおっしゃるとおりでございまして、今日われわれ人間が、非常にいろいろな文明を築き、文化を築いてきたわけでございますが、しかしまた人間がつくり出しました知恵あるいは科学技術の進歩によって、逆に私たちを取り巻いておりますあるいは生存に不可欠な自然を破壊してしまうということは、これはやはり人間生存の危機でもあるわけでございまして、こういうような自然を保護していくということが、われわれ人間社会を発展させていくために必要であるということを十分小さい段階から身につけさせるということは、きわめて大事なことだろうと思います。そういうような教育のしかたが、当然公害という問題についての認識を深めることになろうかと思いますし、また人間がつくり出しました、きわめて貴重な文化財というものを保護し、単にわれわれの世代においてそれを鑑賞し、あるいはその文化の余慶を受けるということでなくて、われわれの次の世代にも、この文化財というものの恵みを受けさせるというために、われわれがその文化財を保護し、あるいは保存していくということに力をいたさなければならぬ、こういうようなことも、やはり小学校、中学校、高等学校の段階に教育上重要なものとして取り上げていくという態度が必要であるというふうに考えておる次第でございます。
  104. 高橋文五郎

    委員長高橋文五郎君) 速記とめて。   〔速記中止〕
  105. 高橋文五郎

    委員長高橋文五郎君) 速記つけて。  ほかに御発言がなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  106. 高橋文五郎

    委員長高橋文五郎君) 御異議ないと認めます。  別に御発言がなければ、本日はこれにて散会いたします。    午後一時五分散会      —————・—————