○岩間正男君 まあそうだ
ろうと思うのですね。それで、もう五十四年までにはこれは百兆をこえるわけですからね。そうして世界第二位、その何分の一なんだ、いまの
養護学校を建てるというのは。その辺でやっぱり問題を明確にしないと、われわれは関連でやっているわけにはいかないのだ。やはり具体的にあなた
たちの努力をするという、そういう問題は裏づけがなくちゃならぬのです。私はまあ長い間、これは
教育問題にタッチしてまいりましたが、そういうような中で、何よりも欠けているのはここだ。そこで、あなた
たち障害児なんですよ、予算的には。足がないのだ。具体的にこういう
財政の問題でどこでやり合うのです、一体。何だかさっき第二
課長かなんか来ているけれ
ども、ここのところのワク内のところだけでこちゃこちゃとやっているから予算がとれない。私は終戦後のこの
教育の破壊の中で
教育を守るために戦ってきたが、戦前の
教育、こういうものは何か。全くこれは観念論だ、そうして国家主義を押しつける。そうして実際は一学級の児童数が七十人くらいのところもあった。大量生産の
教育をやってきた。それで実際は科学的な知識だとか、それから社会的な当然の
精神とか、そういうようなものは没却されてきた。そこにもあの戦争の根源があったのですからね。だから変えなければならない。
教育の問題というのは、大きくこの予算の面で、実際は具体的な民主
教育を守るなら、民主
教育のはっきり裏づけとしての予算の、これはささえがなければならないわけです。予算だけですべてを解決するなんということは私は言っておりません。しかし、文部行政の最大の欠点というのはそこなんです。そこにあった、そうでしょう、修身科というのは非常にぐあいがいいのです。そうでしょう。
一つの学級に百人入れたっていいんです。金はかからない、一人の
先生が、木口小平は死んでも口からラッパを離しませんでした。さあ皆さん天皇の御ためには何とかかんとか、これで
教育が成り立ったのです。これが帝国主義軍隊をつくった
日本の
教育なんです。こういうものを根本からかえるためには、どうしてもこれに対して予算の裏づけがなくちゃならないのであります。だから、われわれは終戦後の
教育の戦いの中で、一学級の児童数をまず問題にしたのですね。そうして教員がほんとうに力を合わして教員組合をつくって、一番最初に戦いとったのは何か。それは東京における一学級の児童数の問題だ。千三百人の首切り問題があった。その首切りは具体的に一学級が六十人とか五十五人とか、そういう形、そこにははっきり戦争中の根源がある、はっきり。これをやめなきゃならぬ。真に民主的な
教育をやるためにはどうしても一学級の児童数を少なくしなきゃならぬ。そうしてもっと一人一人のほんとうの能力を生かす。そうしてそれらの能力を育てる。民主的に育て、自主的に育てて、そういう方向の
教育をとらなければ何ともならぬ。それが私
たちの主張だった。私はまあそういう
教育の一方では、一学級で、もう何といいますか、ものすごい大量生産の
教育、そういうものをいなかで経験してきた、昭和恐慌期に。同時に、これは成城学園に参いりましたが、成城学園で私はまあ三十人くらいの
教育というものを経験してきた。その二つをこう対照して
考えるときに、終戦後の
教育の戦いの方向が明確になってきた。その一還だ。その一還の中でこの
障害児の問題ははっきりあるのですよ。
日本の民主
教育をどうするかという
教育の体系の中にはっきり組まれているのです。そこのところが明確にならなければなりません。ところが
教育予算は年々総体的に削られておる。本年度の防衛費との対比をあげるまでもないと思う。ことしは一千億から防衛費はふえています。そういう中で、一体三千万以上のこれは小中
学校、こういう生徒
たちを扱う一体
教育予算はどうなっておるか、そういう中でこういう
障害児教育というのは、全く谷間に落とされておるというのが
日本の現実であります。そういうことがどうもいま二、三の問題をお聞きする間に、私ははしなくも出てきたというような感じがするのですよね。だから国家
財政そのものにもう少しやはり目を向けてくださいよ。そうでなければ、
文部省の主張する論点がはっきりしない。これはまあ
局長さんにこのことを申し上げても無理な面があるかもしれません。しかし、
局長とか官房長という
方々は、これは少なくとも
大臣を補佐しなければならないのでありますからね。そうすれば、そういう点ではっきり皆さんの
意見というものが集中されて、それで
大臣を突き上げたらいいんだ、もう少し
大蔵省とここで論戦させたらいい。国家
財政の中にはっきり
教育財政を打ち込むこの努力が必要なんだ、それで具体的にはいまこの
教育の谷間、最もひどいところに落ち込んでいるこの
障害児の予算の問題というかっこうでこれは出てきておる。それがないために、
法律が足かけ二十五年間も無視されていいのですか。私はこういう実態がはっきりこの
障害児の
教育の中に出ていると思うのです。どうお
考えになりますか。きょうはほんとうは、坂田
大臣、出てくればいいんだ、私のいた成城学園に彼は高校生でいた、東大の加藤一郎君もそうだ。だから、あれは私の教え子だ。坂田がいればよかった、坂田はいない。残念ながらいなかった。それで秋田さんにお聞きしているわけですが、どうなんです。この
障害児の問題というのは切り離して「特殊」だなどということで論じられる問題でない。
教育の体系、民主
教育をどうするか、この終戦後の重大な課題、憲法を
教育の中でどう生かすかというこの問題とはっきり密着した問題です。大事な問題です。この点どうなんですか。
大臣の御所見を伺いたい。