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国務大臣(
山中貞則君) まず国民から見ましても、
総理府というのはどういう役所なんだということがどうも、
建設とか、農林とか、運輸とか、厚生とかいうふうな明確でない
感じがあることは私は否定できないと思うのです。もっとも、
内閣官房と一緒におった
時代もございましたし、〇・五
大臣と言われた
時代も経過して今日に至って、いま〇・七、八くらいか知りませんが、要するに国民から見てどういうふうに見られておる役所であるかということを絶えず念頭に置いておるわけです。
そこで、私が所管
大臣になりましてからの姿勢としては、
総理府とは、
各省庁の
行政と別な次元に立って、すなわち、
総理府の長は
内閣総理
大臣たる佐藤榮作ということで、私がその次に並んで
総理府総務長官山中貞則となっておる特別な役所でございます。なぜそうなっておるかといえば、総理
大臣として
内閣法の定めに従って閣議を通じて
各省庁の行なう専管の
行政を指揮するのが総理でございますが、しかし日常の内政の諸般の調整を要する問題を一々閣議で調整するのにはあまりにも複雑多岐でございますので、ここに役所を独立せしめて、総理
大臣を長としての
総理府というものを置くことによって、そこに専任の
総務長官を配置し、この
総理府の打ち出す姿勢は、総理がその
内閣の責任において、国民のために
各省庁を通じて行なうべき姿勢を打ち出すべき役所である、かように
考えまして、私としてはそのつもりで今日までやってまいったつもりでございます。しかし、今日までの惰性もございまして、
各省庁間でどうも話が詰まらないで、かといって、相手の省に譲る気はしない。したがって、
総理府ならば、なまあまあしかたがないから預けようかというものがずいぶんたくさんございます。したがって、
総理府における
審議会の数なんというようなものはたいへん膨大なものでございまして、一体どこまで
総理府がその
審議会について責任が持てるかといえば、庶務から始まって、一切の会合についてその所管
大臣のところに実際は戻っておる。ただ、その所管
大臣のところにおける
審議会ということになると、ほかの
関係ある省が反対をするので、
総理府に置かれておるというようなものもあるわけです。そこで私は、
審議会の大幅整理ということにも検討着手を命じておるわけでありますけれ
ども、少なくとも
公害対策本部等が、
総理府と
関係ない形で、
総理府総務長官の私が副本部長として
公害担当
大臣の立場において
処理してまいりましたような形も、強力に
各省庁の
行政を総理の意思を体して
内閣の姿勢を打ち出していく役所にするということが必要だろうと思います。その場合において臨調の答申、あるいはなくなりました川島さんの構想、あるいは、たしかなくなりました河野さんの提唱でありました、これは行管
長官の立場でありましたけれ
ども、
予算編成権を持たせようという構想、いろいろのものがあったわけでありますが、これらのものはいずれもある
意味においては理想的な案でもありますし、ある
意味において
現実味の若干ない案でもございます。そこらの点から
考えて、やはり
総理府の
あり方というものは、これからももう少し私
ども自身も検討していかなければならない問題を含んでおりますし、そうして国民、
国会から見ても、
総理府という役所はいかにあるべきかという問題をやはり検討し、爼上に乗せていただくべき役所であるというふうに私も
考えておるところでございます。