○
参考人(北野弘久君) 日本大学の北野でございます。三法案について意見を述べよということでございますが、問題が非常に多岐にわたっておりまして、しかも、与えられた時間がわずか十五分間でございますので、私なりに重要と考えます五つの問題だけに限定しまして所見を述べたいと思います。
まず、第一に、先ほど
細見主税局長からも御説明がございましたように、
所得税につきまして、
基礎控除、
配偶者控除をそれぞれ
現行の十八万円から十九万円に、
扶養控除を
現行の十二万円から十三万円に
引き上げるということが
予定されております。また、
給与所得者につきましては、
給与所得控除の
定額控除を
現行の十万円から十三万円に
引き上げるということが
予定されております。この結果、たとえば、
夫婦と
子供二人のサラリーマンの
課税最低限は、
改正初年分では九十六万三千円、
改正平年分では九十八万四千円に
引き上げられるということになりまして、これは、西ドイツ、イギリスの
課税最低限を上回ることになるということが指摘されております。このほか、
障害者控除、
老年者控除、
寡婦控除及び
勤労学生控除の各
引き上げ、
配偶者控除及び
扶養控除の
適用要件であります
所得限度の
引き上げ、
給与所得者が確定申告を必要としない
所得限度の
引き上げ等の
改正がなされることが注目されるのであります。しかし、
昭和四十六年分の自然増収が総額で実に一兆四千九百六十五億円の巨額にのぼっておるということ、最近の
物価上昇率等を考えますと、今回の
改正規模は決して私どもにとっては十分であるとは言えない、このように考えるのであります。
第二の問題としまして、今回、ただいま申し上げましたように、
給与所得控除の
定額控除の
引き上げが
予定されているのでありますが、そもそも
現行の給与
所得課税の仕組み自体が根本的に検討される必要があるのではないかと、このように考えております。
現行法のもとでは、給与
所得の
必要経費は、すでに
給与所得控除額に含められておりまして、
控除済みであるということになりますので、
所得税法が給与
所得につきまして一般的な
必要経費の概念を導入していなくても、そのことをもって直ちに違憲とすることはできません。しかしながら、ある者の給与
所得の
必要経費額が、法の定める
給与所得控除額を著しく上回る場合におきましても、その超過分を一切
控除しないということになりますと、他の
所得者と比較しまして著しく
負担の不均衡をもたらすことになるのであります。もちろん、法におきまして、そのような超過分を
控除することを否定するだけの十分な合理的な
理由がございますならば、少なくとも憲法上は問題はありませんけれども、実は、そのような合理的な
理由の存在はいかにしても考えられないのであります。超過分の
控除の否定は、結局は、行政の便宜に帰すると言うことができると思います。超過分が僅少である場合には、憲法上はさして問題にする必要はございませんけれども、超過分が著しい場合におきましても、法が定める
給与所得控除額のみの
控除を強制しまして、その超過分を
控除することを
制度的に保障していない
所得税法の
現行方式は、違憲性をはらむものと言わなければならないと考えるのであります。私は、
現行方式の違憲性を
解消するためには、西ドイツのように、実額
控除をすることを
制度的に保障するということが必要であると考えておるのであります。それから次善の
措置といたしましては、次のように考えております。すなわち、
必要経費の額は、一般に、
給与所得者の職務の種類によって違ってくると見られます。かりに、
定額控除を強制するとしましても、
現行法のように、すべての
給与所得者に対して画一的な金額を強制するのではなく、
給与所得者の職務の種類から来る差異を
制度的に考慮する方法が望ましいと考えるのであります。それで、
給与所得者を幾つかに類型化しまして、それぞれの類型の実態に応ずる
給与所得控除額を法定することとするわけであります。
現行方式の違憲性を
解消するためには、このような方式も検討されてよいように思うのであります。もっとも、このような方式によりましても、ときに実際の
必要経費額が法定額より上回る場合が考えられます。しかし、その場合のわずかな差異は、一般に、憲法上容認し得る合理的な差別と見てよいと考えます。
なお、以上とは別の観点の問題としまして、
給与所得控除制度の基礎にある四つのファクターをおのおの独立の
控除項目とするのが立法論的に望ましいと考えております。
従来、
法律学者は、税法事件に対しまして統治行為論を
適用する必要があるとは夢にも思っていなかったのでありまして、この点を指摘する学者は、私の知る限り、いまだに存在いたしておりません。しかしながら、私は、税法学という学問の発達につれまして、
租税立法の持つ多くの違憲性が明らかにされるようになってきますと、やがて最高裁判所は違憲判決の持つ
影響を避けるために、税法事件に対しましても統治行為論を
適用して司法審査を回避するという事態に立ち至るようになるのではないかということをおそれております。私自身は、裁判所は、統治行為論を
適用しまして司法審査を回避すべきではない、つまり、統治行為論なる学説を肯定しない立場に立っておりますけれども、そうなりますと、多く予想される
租税立法に対する違憲判決は、自衛隊法に対するそれよりも、社会的、政治的、経済的に、重大な
影響をもたらすことになります。立案当局は、事の重大さを認識されまして、税法案の立案作業に当たっていただきたいと思います。なお、現在の
租税立法には、学問的は違憲の疑いがある
規定が少なくないということをこの機会に明らかにしておきたいと思います。
第三に、個人の青色
事業特別経費
準備金制度のことでございます。この点に関しまして、周知のように、
中小企業諸団体は、
事業主報酬
控除制度の創設を要望しておりました。
政府としましては、個人
事業者につきまして、青色申告の奨励、老後の保障等をはかる
見地から、
青色事業主特別経費準備金制度を導入することにしたといわれております。
昭和四十六
年度の
税制改正におきまして、
事業主報酬
控除の導入を見なかったとはいえ、ともかくこのような
準備金制度の導入を見たことは、わが国の
税制史上、一つの前進と評価することができると思います。しかしながら、
事業主報酬
控除の思想は、
青色事業主特別経費準備金制度のそれとは異質のものを含んでいることに注意されねばならないと考えます。それは、今回の
準備金制度のような青色申告の奨励とかといったレベルのものではありませんで、もっと本質的な、基本的な視点に立つものであります。私は、青色申告
制度が導入されて以来、すでに二十年以上の歴史を持つ今日の時点におきまして、いまさら青色申告の奨励とかいうレベルの発想が出てくること自体に対して、基本的な疑問を感ずるものであります。
事業主報酬
控除論は、青色申告の奨励という視点からではなく、
法人企業と個人企業との間の
制度上の不均衡を是正しようという観点から展開されているものであります。個人企業を
法人企業と同じように純粋に一つの企業体と見た場合、
事業主が企業体に対し提供しました役務の対価は、企業体のコストを構成するという考え方が成り立ちます。このような考え方からいいますと、
事業主報酬
控除は企業体にとってまさしく経費であるということになるのであります。つまり、
事業主報酬
控除論は、理論的にも十分に成り立つわけであります。
ただ、
事業主報酬
控除は、経済的には、
所得税レベルだけでは、あまりメリットがございません。なぜかと申しますと、
事業主報酬は、
事業所得計算上
必要経費に算入されるかわりに、その分は給与
所得となりまして、
現行法のたてまえからいきますと、結局、総合
課税の
対象になるからであります。もっとも、
給与所得控除分だけは、経済的にはメリットがあるということになります。私は、
事業主報酬
控除論の意義は、そうした経済的メリットの面においてよりも、むしろ個人企業を
法人企業と同じように考えようというそのこと自体、つまり思想的、精神的側面においてこそ存在するのだと考えております。
ただいまも申し上げましたように、
事業主報酬
控除論は、
所得税レベルだけでは経済的にはあまりメリットがございませんが、これを
事業税、住民税にまで波及させますと、経済的にもかなりのメリットが生じます。のみならず、
事業税についてこれを導入いたしますと、従来の
事業所得から勤労性
所得部分を分離させるという効果をもたらすという理論的な意義を持つに至るわけであります。また、
事業主報酬
控除論は、少なくとも理論的には
租税回避の手段としての
法人成りを阻止しょうという立場からもサポートされ得る側面を持っていることにも注目したいと思います。
ともかく、理論的には十分根拠のある議論と考えるのであります。私は、かねてから、企業
課税をめぐるさまざまな問題は、究極的には、わが
税制が
法人とか個人とかという人格の相違によりまして画一的に別個の
制度を
適用している点に由来していると考えておりますけれども、
事業主報酬
控除論はそういった企業
課税の基本的なあり方に深くかかわり合いを持っております。酬
控除論を右から左へのポケット論によって一蹴するのではなくて、そうした企業
課税論の
一環としての視角から本
委員会におきまして慎重に検討されることを要望したいのであります。
第四に、
租税特別措置のことについてであります。今回の
税制改正案におきましても、多くの
特別措置の導入・
拡充が見られます。
政府側の試算によりましても、
昭和四十六
年度の
特別措置による国庫減収は、実に国内税だけで四千三百九十四億円という巨額に達しております。個別の
特別措置につきまして所見を述べる時間がございませんので、この機会にかねてから考えております
特別措置をめぐる問題点を総括的に申し上げさせていただきたいと思います。
第一点、財政議会主義を強調しております日本国憲法は、補助金のような国費の支出についての国会のコントロールは、個別的・具体的であらねばならないということを要請しております。
特別措置は、税
法律の
規定するところであるというそう意味では財政議会主義に反しないのであります。しかし、その実質は隠れた補助金であります。その意味から、この巨額の補助金に対しては実質的には全く国会の民主的コントロールは及んでいないわけであります。つまり、
特別措置は、実質的には憲法の財政議会主義を形骸化せしめているということが指摘されねばならないのであります。
第二点、
特別措置は、
特定の政策目的のために
負担の公平を犠牲にするものであります。
負担公平
原則は、単に財政学のレベルの
租税原則の一つではなく、私は、日本国憲法のもとでは憲法上の
原則であると考えております。したがいまして、
特別措置に対しましては、そのような観点から厳密な憲法的なメスが加えられねばならないと考えているのであります。
第三点、利子
所得、配当
所得の分離
課税等の特例によって容易に理解されますように、
特別措置は総合累進構造を形骸化せしめております。そうして、それは、
租税制度の持つ
所得再配分及びビルトイン・スタビライザーの機能を減殺せしめるのであります。
第四点、大企業、高額資産
所得層等への傾斜的な優遇
措置は、一般の納税者のタックス・モラルを低下せしめるということが指摘できるのであります。
第五点、
特別措置は、一たん採用されますと、その政策効果のいかんにかかわらず、既得権化いたしまして、廃止が困難となっております。政策効果のない
特別措置は、いたずらに
特定の納税者の
租税負担を合法的に
軽減するだけであります。
第六点、一つの
特別措置の承認は、連鎖反応的に類似の幾つかの
特別措置の承認要求をもたらすということであります。
第七点、
特別措置による巨額の減収は、結局、一般大衆に対する
所得税であるとか住民税等の重課、間接税の増微といった大衆
課税を結果することになります。
第八点、
特別措置は
税制を複雑化いたしまして、人々の理解を困難にすることになります。
税制の複雑化は、申告納税
制度の健全な展開を阻害することになります。
第九点、企業会計に関する
特別措置は、多くの場合、企業会計を混乱におとしいれ、その健全な展開を妨げるということになるわけです。
ともかく、
法律学的な立場から申しますと、もろもろの資本主義的な経済政策の遂行は、
租税面においてではなく、できるだけ歳出面において考慮さるべきであるということになることをこの機会に強調しておきたいと思います。
最後に、最近の税務行政のあり方に関連しまして、一つだけ問題を提起させていただきたいと思います。たとえば、
昭和四十三年一月三十一日の東京地方裁判所判決——「判例時報」の五〇七号九ページでありますけれども、それによりますと、納税義務の確定を目的とするはずの税務
調査が、現実には、その目的をこえまして、人々の結社の自由であるとか表現の自由とかといったさまざまな基本的人権を侵害する手段となっているということを明らかにしております。つまり、税務職員の質問検査権に関する法の
規定が、事実において治安立法的に運用されている面があることが指摘されているのであります。
現行法のもとにおきましても、質問検査権の行使には一定の法理的な限界が存在するわけでありますが、この際、行政面での改善とは別に、現実の行政の場におきまして権力の乱用がなされないように、立法において厳格な手続的規制がなされることを要望したいのであります。この問題につきましては、御承知のように、日本税理士会連合会の
税制審議会が昨年十二月三日に答申を取りまとめております。
以上、時間の関係で、はなはだ意に満たない意見の開陳に終わりましたが、これをもって私の意見の開陳を終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。