○二宮
文造君 もう少し下々の事情にも通じていただきたいと思うんです、よろしいですか。
切手帳あるいはいろいろな本があります。愛好家の方々がたくさん本を出しておられます。それで私、全部調べてみました。あまり繁雑なので、
昭和三十五年以前にはさかのぼりませんでした。しかし、概括的に言いますと、――その地元の団体から要望があって、そういうことで発行するという総括的な御
意見ですが、どうも郵政省の切手の発行のしかたがもう首尾一貫しない。たとえば文化人シリーズというのがあります。これは
昭和二十四年十一月三日から二十七年十一月三日、約三年間で終わっておりますが、十八選です。十八種類、十八人出ております。それから観光地百選というシリースが
昭和二十六年二月十五日から始まりましたけれ
ども、これは二十八年の、五月三日で取り、やめになっています。観光地百選と言いながら、十選で終わっている。それから
昭和三十五年三月十五日から十一月十五日にかけて
日本三景切手、これは三つ出ております。それから花のシリーズが三十六年の一月三十日から十二月一日まで、これは十二選出ております。これは大体一年間、その月に合わして十二選出たと、これは大体納得できるんです。それからその次ですね、年中行事、ひな祭りだとか、何だとかいう年中行事のシリーズは、三十七年の三月三日から三十八年の二月の三日にかけて四つしか出ていない。これもどうもしり切れトンボ。それから鳥シリーズが三十八年六月十日から三十九年五月一日、一年間で六選出て終わっています。それからお祭りシリーズが、これは一体どういうわけでこうなったのかあとで申し上げますが、三十九年四月十五日から四十年十二月三日までの間に四つ出たきりで、しり切れトンボです。それから名園切手が、公園でしょう、これが四十一年二月二十五日から四十二年一月二十五日までの間に三つしか出ていない。
日本の国に名園は三つしかないのか、これもしり切れトンボ。それからまたお魚シリーズ、これが四十一年一月三十一日から四十二年七月二十五日、この一年半何がしの間に十二出ております。一ダースだから、これは数がそろったと見るべきでしょうか。国宝シリーズ、四十二年十一月一日から四十四年九月二十五日、これまたそれから続くのかどうか知りませんが、その間に二十一選。どの分野を見ても、思いつきばったりでやっているんではないか、こう私は思えてしかたがないわけです。
そこで今度は非常に作業がめんどうだったんですが、歴代の郵政大臣の任期中、その出身地ないしは選挙区に
関係のある、
関係の深い図柄、あるいはそういうものが発行されたかどうか調べました。これ以外にもたくさんございます。任期後一年以内に発行されているものもあります。おそらくこれは任期中に決議されたであろうとは想像できますけれ
ども、一年の期間があいておりますのは省きました。そういう趣旨で整理をしてみますと、これは
資料を差し上げれば一目りょう然なんですが、私もうんと苦労したんですからここで読ましてくださいよ。
まず、衆議院、岩手一区から出ていられる鈴木善幸さん、この方の大臣就任は三十五年七月十九日、その年に三十六年度年賀用の切手が出ました。それがこの岩手の「金のべっこっこ」という郷土人形の図柄を使っております。これはうし年です。三十五年十二月二十日に発行されております。続いて
昭和三十五年十二月八日、就任、神奈川三区から衆議院に出られた小金義照さん。この方の就任中に三十六年十月八日に一九六一年国際文通週間(東海道五十三次のうち箱根)、選挙区です。それから同じく三十七年一月十六日、富士箱根、伊豆国立公園の切手が出ております。同じ年度に二つも箱根の
関係の切手が出る、私不審でしかたがない。さらにその次の大臣、三十六年七月十八日に就任した鹿児島出身、参議院、全国区の迫水久常さん。この方の就任中、三十七年四月三十日、錦江湾国定公園、これの図柄が採用されております。次の大臣、三十七年七月十八日に就任された手島栄さん。なくなった方です。出身が鳥取、参議院、三十八年十二月十六日、この方は半年しか就任されておりませんので、ちょっと就任からおくれますが、三十八年十二月十六日に三十九年度年賀はがき、鳥取県の「岩井挽物人形の辰」です。辰年にちなんで辰の郷土玩具の図柄が採用されております。ただ一人の例外が三十八年一月八日就任されました千葉の小沢久太郎さん。この方はどうしても見当りません。もっともそうでしょう、たった半年しか大臣でいなかったですから。次は、三十八年七月十八日就任の岐阜出身の参議院議員古池信三さん。この方が三十九年四月十五日、お祭り切手というのを始めまして、高山まつりを一番に使っております。しかも、このお祭り切手は
先ほど指摘をしましたように、それに続いては祇園まつり、相馬野馬追、秩父まつりとこの四つだけでもうぶち切れております。要するに、これは高山まつりを先用せんがためのプランではなかったかと推測をいたします。同じく三十九年七月十八日に大臣に就任された鳥取出身の衆議院、徳安實藏さん、この方の時代には四十年一月二十日、大山隠岐国立公園の切手が出ております。同じくさらに続いて四十年六月三日、就任の東京出身、茨城の選挙区から出られた郡裕一さん、参議院、この方の就任中、四十一年二月二十五日、
先ほど指摘しました名園切手というのがこの時代に発行されました。水戸の偕楽園が一番に登場しております。しかも、この名園切手は後楽園、兼六園と続いて、三つで切れてしまっております。さらに四十年の九月二十一日、これはちょっと就任後間もなくですから、あえて
関係がないと言えば、そうですが、しかし、まだこれくらいのことはできるかもわかりません。第九回国際原子力機関(東海村原子力発電所)、この切手が出ております。その次の分の「関屋の里」は、また別の
関係になりますから、ここでは申しません。さらに四十一年八月一日、就任のその次の大臣、新谷寅三郎さん、奈良出身、奈良選出、参議院、この方の就任中四十一年十二月十日、四十二年度年賀用の切手として奈良の「一刀彫りの羊」が用いられております。さらにその次、非常に勇ましい方です、
小林武治さん、長野出身、静岡選出、参議院、四十二年十一月二十七日、秩父多摩国立公園の切手が出ております。これは東京、山梨、長野だったと思います、国立公園の範囲は。それから同じく四十二年七月十日、南アルプス国立公園、これは長野、静岡が入っているはずです。あとでまた詳しく申し上げます。さらに、四十三年三月二十一日、八ケ岳雪中信高原国定公園、これはちょっと私も固有名詞の呼び方が違うかもわかりませんが、この点はひとつ御理解願いたい。さらに引き続いての大臣、四十三年十一月三十日就任の兵庫出身、兵庫四区から選出をされました河本
敏夫さん、衆議院、四十四年八月二十日、氷ノ山後山那岐山国定公園の切手が出ております。同じく四十四年七月二十一日、兵庫県姫路城の国宝シリーズ桃山時代の切手が出ております。これも選挙区です。さらに現職、四十五年一月十四日、郵政大臣に就任した
井出一太郎さん、長野出身、長野二区選出、衆議院、四十五年九月十一日、妙義荒船佐久高原国定公園、こういうふうに、あとから振り返ってみて私はあれしたのですが、大体が切手の発行に確たる方針がない。そうして現職大臣の出身地、ないしは選挙区のこういう切手が出る。あたりまえだと言えば言えるかもしれませんが、私はやはりこれは役職、地位利用であり、独占事業としての郵政事業ではうまくないんじゃないか、こう思うのですが、どうです。