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和田静夫君 いわゆる
共済病院あるいは
職域病院に
厚生省が余分なことまで言ってもらっては困る。したがって、その
運営に対しては自主性を持ってもらわなければならぬが、いま言った原則的なものについては、厚生一省としてはいま最終的に答弁された結語をもっと大切にするという姿勢をとってもらわなければ困るんじゃないかと思う。いろいろないきさつがございますけれ
ども、実は
地域において
逓信病院なり
鉄道病院を開放すると、日本
医師会から何か言われる。
医師会の圧力に屈して、これらの
病院が開放されないという事態が現実には存在をしているでしょう。あなた方の答弁すっきりしないから、言わなかっただけですがね。したがって、税を納めているところの
国民がその金の運用を通じながらつくられたところのりっぱな
病院を横に見ながら、旧態依然たる
診療の中でがまんをしなければならないという事態が、
過疎地帯を回ってみなさいよ、いま過密の問題であれしておりますけれ
ども、
過疎地帯はあした病係に入らなければとにかく生きていけない人だって結果的には締め出されているんですよ。先ほど、大臣なり
総裁なりが、全部閉め出されているのではないと言われた。確かに全部が閉め出されているんじゃない。
紹介があればいい。しかし、
紹介を受ける人は社会的にどんな人かということを考えてみる必要がある。むしろ
紹介を受けられた一部の人が行けるというところに逆の
意味では問題があるんじゃございませんか。
紹介を受けた
人たちだけが行けるという
状態があるのならば、
紹介を受けない人が堂々と
国民健康保険証を持っていって見てもらえるということがあたりまえじゃございませんか。
厚生省の側はすっきりしたことを言われませんがね、いわゆる保険行政一元化というような問題、将来もこの医療体系全体の改変の問題とからむでしょうがね、そういうものとのかね合いでもそうでしょう。特定の
共済組合の保険にいる人はどこどこで見てもらえるでしょうけれ
ども、
一般的な
国民健康保険の患者は見てもらえない。旧態依然としてその保険患者というのは施療患者である。
紹介を受けてきた、そして余分にお礼も払うことができるこういう人は見てもらうことはできるけれ
ども、保険それだけで治療を受けようと思う者は見てもらうことができない。不合理でしかたがないでしょう。大臣、
総裁は、この辺を十分考えてもらって、運用について検討されるということでありますから、ひとつ、いま言ったような
観点に立っての検討を約束をしてもらいたいと思いますが、よろしいですか。