○森元治郎君 ですから、この委員会の
審議のみならず、何らかの
機会に、外務省の専属の記者団もおることですから、そういうようなときに、少しまとまった形式をとった大臣の声明のような形も、これは
一つの、主張する場合に世界の評価が高くなると思うのですね。
質問に応じて、そのとおり、それ以上にやっているんだということよりは、たまにはそういう声を大にしておやりになったほうが外に向かっての効果はずっと大きいと思うのです。これは十分大臣に考えてもらいたいと思う。
そこで、私こういう
質問をしたのはどういうことかというと、日米安保
条約は、これ相互援助
条約ではありませんから、アメリカがどういう作戦をしようとも、
日本に教える義務もないし、相談する義務はない。
日本はそれを聞く権利も権利としては持ってないということですね。いまニクソン・ドクトリンによって、アジアの国々がそれぞれ自分のことは自分でしなさい、われわれは遠くのほうにいて、そして事あるときにはこれを応援する。自分のことは自分でやれというのが一番やさしい、世間的ことばで言うニクソン・ドクトリンだと思う。しかしながら、事を起こすのは、力もあり援助をする立場にあるアメリカが事を起こす。起こした結果は、自分はいや応なしにこれに引きずり込まれる。そうしちゃ、これは例ですけれども、十七度線をかりに越えたとか、あるいはもっとほかのところに戦線を広げていったとか、まあ困ったなと思っても、若干の抗議めいた注意は与えられるかもしれぬが、それ以上のことはできない。押え切れない。しかし、結果は極東の平和と安全、
日本の安全にも響いてくる。非常に
日本にとっては不利な
条件。アメリカに言わせれば、それが不利ならば、おれがあぶないときはおまえ援助しろ、NEATO
条約のようなものにしたらいいじゃないかと言われるかもしれぬ。しかし、
日本はそれはやれ互い立場です。ここに、アメリカが事を起こした結果だけをこっちが受け取って、まさかアメリカがやったことがかりに多少間違っておっても
——大きく間違えば別ですよ
——多少間違っておっても、これをがまんしてこれと協力し、支援しなければならぬということは、非常に
日本にとってもアジアの国々にとってもまずいことであろうと思うのです。そこで、私は、相互援助
条約のような形式にせよと言って御
質問しているのではなくて、たまたま例の事前協議のようなものがあります。相互援助のような例とか、事前協議のような例がありますが、何かアメリカが事をするときには、やはり
日本に相談をする。安保
条約にはもちろん「随時に協議する」ということはあります。ありますが、これが、随時であるような、してもいいような、しないでもいいような、少し弱い。だから、今後は
日本によく相談をしてやるというような、何かの大きな取りきめといいますか、約束、紳士的約束、そんなようなものでもないと、私は非常に不安でならないと思うのです。朝起きてみたら、アメリカ軍が、ことにペンタゴンの兵隊さんたちが前線で事を起こし、これに
政府が引きずられる。引きずられなければよござんすが、引きずられた場合、みすみすこちらもそれに一緒に引っぱっていかれるということは、極東の平和と安全にとって、
日本のためにもならないので、いまあるようなああいう事前協議、交換公文形式は別としても、これからは極東の
日本に
日本の安全はまかせると言った以上、何か新しい手を打つようなときにはもう十分相談をするのだということがないと、事が起きてからただ引きずられるだけ、友好国がやるのだから友好国に協力しなければならぬというのでは、非常に
日本の平和と安全にも大きな影響がある。そういうふうなステップを、この
沖繩返還が実現することを
機会に、ひとつ話し合いをすべきではないかという感じを強く持つのですが、いかがでしょうか。