○谷口
委員 問題の所在が非常にはっきりいたしました。農林大臣からいろいろ御説明をいただきましたけれ
ども、一口でいえば、農地法八十条にそういう条件の土地はちゃんと返すことになっているということで、最高裁がその条件を、八十条を条件づけておった政令は正しくないという御判決だと思うのです。私はこの限りにおいて最高裁の判決は正しいと思うのです。しかし同時に最高裁は——ここで最高裁の批判をするのはまずいけれ
ども、根本的にやはり妥当でないあるいは本質をついてない、そういう判決だと思うのです。法によれば確かにそうです。八十条にはそう書いてある。農地として使うために地主から買い上げたものが農地として使わなくなったものはもとへ返す、そう書いてある。従来の政令ではそれを公共用に使えとかなんとかといういろいろ条件をつけておった、そういうのが正しくない、こういうのが判決だと思う。その限りにおいてそうだと思う。しかし、あの八十条それ
自体にやはり根本問題があると私
どもは思うのです。
あの八十条は、当時の農地法を審議しました国会におきまして、やはり倫理的な意味を持っているという点が一点ございます。何しろ二、三年の間に相当の反別、二百七十万町歩ですか、それくらいのものを解放したのでありますから、そこには新しい自作農創設という問題から開懇地な
ども加えておりますから、不当といわないにしても不適当であったものを買い上げるということもあり得た。これは早く返す必要があるだろうということで、農地法の改正の国会では当時の
農林省平川農地
局長はそう言っています。農地法は二十七年にできたのでありますが、そのときに、ことしと来年との間にそういう返さなければならないものを約五万町歩ぐらいは至急に返す予定だということを言っております。同時に、あの八十条は御案内のとおり雑則の中でありまして、附則のようなものなのです。そういう意味からいいまして私
どもはそういう錯誤からきているもの、これを早く是正するためのものであっただろう、そういうふうに考えますから、二十年も三十年もあんなものが残るとはだれも思っていない、こういう意味があったと思うのです。
もう一つは、さっき農林大臣はおまえさんの言うことには、全部にわたって賛成できないとおっしゃったが、そこにあなたと私の意見の相違がある。ここは詳しくやっている時間がありませんから言いませんけれ
ども、つまり農地解放というものの歴史的な意義に対して、これを阻止しようとする当時の日本の支配層があって、そして地主層と妥協している。つまり、農地解放を不徹底にしているというその法的根拠を残したのが八十条だということです。当時から私
どもこれを指摘しました。これは地主層、旧地主と日本の支配層との妥協だ。あるいは民主化のために発展する日本の前途をこの条文によってはばむことになるだろうということを私
どもは言ったのです。
そういう二つの意味が私はあの八十条にあると思うのです。最高裁が、いまの法からいえば、当然なことをなさったと私が言ったのは、この法律を、法律としてある以上はこれを守るのは当然でありますから、ああいう御判決は当然だと思う。しかし、農地解放という歴史的な問題ですね、これは農地法にも書いてございますとおり、不在地主は小作地を持っちゃならぬというのですね。在村地主でも一定限の面積以上は持つちゃならぬというのです。私権の制限なんです。こういう非常な歴史的な改革をやったのでありますから、この立場からいいますと、いわば半封建的な制度への挑戦でありますから、これを否定するのでありますから、だから一般的に憲法二十九条ですか、これの財産権とか私権とかという問題を越えているということを私が言ったのはそこにあるのです。このことを最高裁の先生方ちっとも考えないから、だからああいう判決をしたと思うのです。私が最高裁の裁判長ならあんな判決はしませんぜ。これは農地解放のたてまえからいって、農地法八十条は間違いだ、これをやめてしまえという判決をしただろうと思うのです。ここに私は問題があると思うのです。
そこで、残ったのは、問題は、この八十条を制定することによって農地解放を不徹底なものにしようという意図があった。また、この意図に基づいて、地主層も普通の財産権を主張して、その後に解放された自分の農地に対して、いろんなことで財産権を主張してきている。これは御案内のとおりです。特に自民党政府の、佐藤政府になりましたら、その地主層に応じて不当なことをやっている。この妥協の産物から生まれたこの条文に基づいて不当なことをやっている。いままでにも国有地を解放したでしょう、売ったでしょう、二円五十銭で。同時に、あれは四十二年から四年にかかっておりますが、例の報償金の問題あんなものを払う必要は少しもないのです。いまから見れば、当時坪二円五十銭といいますと、これはいまの金にすればたばこ一本ですよ。だけれ
ども、当時の二円五十銭は反七百五十円です。これは当時の金にしましては正当な時価だった。これは地主の私権を制限するという点では革命的な——まあ革命的というか革新的なことをやったのだから、地主さんだいぶ痛い目にあったと思う。しかし、地主の
勢力をなくすることが目的だったのです。しかし財産的な言い方をすれば、ちょうどその当時の時価に相当するものを払っているのですから、何もそういう意味では私権の制限でもあるいは不当な介入でもないと思うのです。ところが、この革命的なあるいは革新的な意義を前面に出しませんし、踏まえませんから、何か地主さんの財産権とか私権というものに制限を加えたように見て、それが強調されてきて、そしていろんな運動が起こってきている。政府はそれに応じて、国有地を払い下げてやったり、あるいはいま申しましたように報償金を出す。あれは千三百二十億ですか、ばく大な金ですね。それを出してやった。あれは出す必要がないものです。そういうことをやってこの地主
勢力を温存してきている。だから私は比喩的に言ったのですが、私が最高裁の裁判長なら八十条を撤廃せよという判決をしただろうと言ったのは冗談ではないのでありまして、そこに私は問題があると思うのです。
だから政府としてとるべき態度は、いまのようなことをやらないで、この八十条を早い時期に、もはやそういう条件がなくなったという時期に、これを改正するという提起を国会にすべきであったというのが私
どもの考え方です。そして、いま幸いこのことは問題になりましたから、この際に国が農地解放でやむを得ず保有することになっている現在の国有地は、これは当然地方自治体なら地方自治体に渡して、そうして公共用の、たとえば学校を建てるとか、保育所を建てるとか、緑地にするとかという、そういうものに使うというふうに八十条を改正すべきだと私
どもは思っております。それでこそ初めてこの問題が解決する。そうでないと、おそらくこれからも旧地主さんたち、文句を言いますよ。小作人が使っている土地が農地として使うだろうと思って文句を言わぬでおったら、見てみると、これを高く売って、昔の小作人が成金になっているじゃないか、これはわれわれの権利に対して侵害であるから、これを取り返すというような運動が今後も起こってきますよ。これは農地解放のたてまえからいって、根本的な国を危うくする問題だと思うのです。そういう禍根を残さぬために、この際にこそ八十条を撤廃して、これに対するやはり適正な改正をやる、これが私
どもは必要だと思うのでありますが、いかがですか。