○宮澤国務大臣 去る一月二十九日、当
委員会において
石橋委員が取り上げられました石原産業株式会社四日市工場の酸化チタン工場増設問題につきましては、名古屋通産局に命じまして当時の事情を調査させますとともに、本省におきましても鋭意実情調査につとめてまいりました。その結果、以下申し上げますような不行き届きを発見いたしまして、まことに恐縮に存じております。
最初に、このたびの問題の背景になっております工場排水等の規制に関する法律のたてまえにつきまして、簡単に申し上げます。
一般に工場の建設は原則として自由でございまして、工場排水規制法におきましても、許認可制ではなく、届け出制をとっております。すなわち、公害
関係の特定
施設の設置は届け出を要し、六十日間は着工、操業をしてはならないことになっております。
政府は、この間に、公害規制の違反となるような
計画につきましては、法律に基づき変更命令を出しまして改めさせることができるのであります。
御
質問の石原産業の場合、増設に伴うPHの悪化が問題でございますが、当時は四日市海域につきましてはPHの規制がございませんでしたため、通産局として法律上の変更命令を出すことができなかったわけでございまして、いわゆる行政指導によりまして排水
処理計画を改めさせる方法がとられたのであります。しかし、行政指導には強制力がございませんため、一たん届け出を受理いたしますと、六十日経過後には自動的に着工が可能となる状態でございました。
次に、調査の概要でございますが、当時の担当課長でありました鷲見裕彦、同課の課長補佐でありました森和男及び担当係員の杉本仁彦のほか、当時の
関係職員から事情を聴取いたしますとともに、局内の文書、帳簿類及び工場からの提出文書などに基づきまして厳重な調査を行ないました。また、当時の名古屋通産局の
局長、部長、総務課長につきましても調査をいたしました。
なお、一月二十九日、
石橋委員がお読み上げになりました報告書、いわゆるメモにつきましては、工場に対し調査いたしましたところ、これは当時四日市工場の総務課長でありました後藤速雄氏が社内報告として
作成したものであることは明らかになりましたが、その写しを入手することができませんでした。
以上の調査の結果、現在までに判明いたしました事情は次のとおりでございます。
第一に、酸化チタン製造設備の増設の経緯。名古屋通産局が四日市工場について調査いたしました結果、同工場の酸化チタン製造設備増設工事は、
昭和四十二年十一月二十一日起工され、翌四十三年六月二十日に火入れ式を行なっております。このうち工場排水規制法の規制対象であります特定
施設は加水分解
施設及び洗浄
施設でございますが、これらの特定
施設は四十三年二月二十日から四月一日までの間に逐次着工されております。
第二に、届け出書の受理及び指導の経緯でございます。通産局に保存されております届け出書によりますと、四日市工場長から通産
局長あてに、
昭和四十三年六月十五日付で、工場排水規制法の第四条に基づく特定
施設設置の届け出書が提出されております。同届け出書には、六月十五日付で通産局がこれを接受したことを示す印が押されております。また、通産局の総務部総務課の文書受付簿には、六月十五日付でこの届け出書を接受した旨の記載がございますが、この記載は後日行なわれたものであると判断されます。工場排水規制法施行規則第六条によれば、特定
施設の設置届けを受理したときは、受理書を交付することになっておりますが、本件に関する受理書は、九月三日付で通産
局長から工場長あてに、
昭和四十三年六月十五日に受理した旨記載の上、送付されたことが、通産局の記録に残っております。
この間の経緯は、通産局の当時の
関係者からの事情調査の結果及び記録等によりますと、次のとおりであると思われます。
昭和四十三年六月中旬に、三重県から四日市港周辺に赤い排水がある旨の通報がございましたので、当時四日市工場の総務課長であった後藤速雄氏の来局を求め、担当者である杉本仁彦が事情を聴取しております。その際、同社に酸化チタンの増設
計画があることを聞きましたので、工場排水規制法に基づく所定の
手続を説明をいたしまして、届け出をするように指示いたしました。
その結果、その翌日かあるいは翌々日、この点はどちらでございましたか、
本人の記憶がはっきりいたしません。折り返し四日市工場から、完成予定を九月十五日とする増設
計画が提出されました。
この
計画の
内容は、法律上は水質基準に適合するものでございましたが、増設に伴いまして排水の水量が倍増いたしますので、汚濁負荷量の減少をはかるとともに、赤い排水の原因となっている硫酸鉄の
処理計画、PHの改善等が必要と
考え、これに沿って
計画を修正するよう行政指導をいたしたのであります。
その後、この行政指導につきまして、何度か折衝が行なわれました。この点はもう
石橋委員よく御
承知のように、PHの改善をいたしますと、逆にSSのほうが悪くなるわけでございますから、酸が減りますと浮遊物が増加するという
関係になっておりますことは御
承知のとおりでございますので、PHも改善しながらSSも押えるという、そういう装置が必要になるわけでございまして、この点が非常に技術的にむずかしいということと、かつ巨額の費用が必要であるということをめぐりまして、両者間にそういう折衝があったように聞いております。
なお、この間杉本は、杉本と申しますのは通産局の担当の者でございます。会社から提出された当初の
計画内容及び行政指導の
内容を、上司であります係長及び課長に説明いたしました上、もし行政指導に従った
計画改善が行なわれるならば、六月十五日に届け出書を受理したものとして扱うということについて了解を得ております。
昭和四十三年八月中旬ごろに、会社から修正をいたしました書類が提出されましたので、八月二十一日、通産局内の
手続を始めまして、
昭和四十三年六月十五日、届け出を受理した旨の受理書を、九月三日付をもって四日市工場あてに送付いたしますとともに、その写しを三重県に送付いたしました。
この間におきまして、通産局の
関係者は、四日市工場がすでに特定
施設の設置に着手していたことについては、会社側からも説明を受けておらず、着工の事実を知った上で会社側と届け出時点の調整を相談した事実はないように思われます。
また、通産局の記録によりますと、
昭和四十二年一月から四十三年九月までの間におきまして、産業立地課の職員がこの四日市の石原産業の工場に出張いたしましたのは、四十三年二月七日、当時の総括係長畠山胖及び係員杉本仁彦の両名が水質の立ち入り検査を行なったときのみでございます。
以上が私
どもが調査して得ました事情の概要でございますが、私
どもの調査の能力にはおのずから限界がございます。石原産業は港則法違反の疑いをもって、すでに
昭和四十四年十二月、海上保安庁四日市海上保安部の捜査を受け、目下津地検四日市支部で取り調べ中でございますので、ただいまここで御報告いたしましたてんまつにつきましては、すでに法務当局に連絡をいたしてございますが、なお検察当局にも通報をいたします。取り調べによりまして、事情の全貌が明らかになると存じますので、
関係者及び会社に対する措置など残されました問題は、その結論を待って法に従い厳正に決定いたします。
公害に対する認識が高まりました今日、振り返って
考えますと、産業行政に携わってきた私
どもの従来の
姿勢には幾多改めるべきものがあり、この点深く反省いたしております。