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議長(
船田中君) 本日
表彰を受けられましたの
諸君の
あいさつにつきましては、これを
会議に掲載することといたします。
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村上勇君の
あいさつ
このたび、永年
在職議員として、御丁重な
表彰を賜わり、まことに
感激の
きわみでございます。身に余る
光栄と、深く
感謝申し上げます。
私
どもが初めて本院に
議席をいただきましたのは、戦後間もない
混乱のさなかであり、国のあらゆる
分野にわたって仮借ない
変革を求められた、
激動の
時代でございました。
かかる国情のうちにあって、
昭和二十一年の
帝国議会におきまして新
憲法が制定され、ここに
国会を
国権の
最高機関と定め、並びに
唯一の
立法府として、
国民の
福祉と
人類の平和を求める
議会制民主政治の
大本が示されたのでありました。
私
どもは、この新たな
議会制の本質にかんがみ、
議員として
国民諸君に負う
責務の重大さを痛感し、当面の主力を国の
再建に傾けたのであります。
いまや、
わが国は、
世界有数の
経済大国に成長し、
国際社会の
一員としての地歩を
確立するに至りましたことは、まことに欣快にたえない次第であり、
往時をしのんで、無量の
感慨に打たれるものでございます。ともあれ、このたびの
栄誉に浴し、
微力ながら国の
繁栄に寄与できましたことは、ひとえに、諸
先輩、
同僚諸賢の御
指導、御
鞭撻の
たまものであり、さらには、
選挙民各位の変わりない御
支援によるもので、
衷心より
感謝申し上げる次第でございます。
それにいたしましても、現在の
わが国の
繁栄は、
後代子孫に伝える上に、幾多の
強化修正を要するものであり、願わくは、これを砂上の楼閣に終わらせませぬよう、この際
覚悟を新たにし、一段の
努力を注ぎ、もって、本日の御殊遇に報いる
覚悟であります。
粗略ながら
所信の一端を述べてご
あいさつにかえ、今後一そうの御推挽を切にお願いいたしたいと存じます。
…………………………………
西村榮一君の
あいさつ
このたび、
院議をもって永年
在職議員として
表彰されましたことは、私の生涯を通ずる
光栄として、まことに
感激にたえません。この
光栄を末代に至るまで伝えたいと存じます。
私は、永年
在職二十五年の
表彰に値する何らの功績も有してはおりません。ただ、
選挙民の御
支援と、
同僚各位の御懇情によって、この
光栄をにない得たものであります。
今後は、
微力ながら
最善を尽くし、もって
国家の
発展と
繁栄のために一身をささげる
決意でおります。
以上、いささかの
所信をまじえて、
表彰に対する謝辞にかえたいと存じます。
…………………………………
水田三喜男君の
あいさつ
このたび、本院の
院議をもって、二十五年の永年
勤続に対し、丁重なる
表彰をかたじけなくいたしましたことは、身に余る
光栄であります。
敗戦から
独立へ、荒廃から復旧へ、
復興から躍進へと、思えばこの二十五年間は、
わが国における歴史的な
一大変動期であったと存じます。
浅学非才をもって
政界にさおさし、四分の一
世紀にもわたるこの長い
激動の波乱をよく今日まで乗り越え得たものと、顧みていささか
感慨なきを得ません。
ひとえに、
先輩、
同僚、
後輩各位の御叱正と、郷党の変わらない御
支援によるものであったことを、しみじみと思わせられます。この上は、さらに一そうの精進をもって、これまでの
世恩に報いなければならないと、
思いを新たにいたす次第であります。
一九七〇年代という
ことばがよく使われますが、ちょうど、二十
世紀が一九〇一年から始まるのと同じように、七〇年代は正確に申して七
一年から始まることを
思いますと、ことしは単なることしではなくて、これからの十年を運命づける大切なことしであることを思わざるを得ません。
この新しい年代の
勢頭において、本院の
表彰を受けるに至りましたことは、まことに意味深いものと存じます。
各位の御
厚情に対し、心から
感謝するものであります。
…………………………………
原健三郎君の
あいさつ
私は、
終戦直後の
昭和二十一年四月、初めて
衆議院に
当選、自来、
選挙を重ねること十一回、はや二十五年になりました。本日ただいま永年
勤続議員として本院から
表彰され、身に余る
光栄で、
感激の
きわみでございます。深く
感謝の意を表し上げます。
その間、
同僚議員各位のなみなみならぬ御
厚情と御交誼とを賜わり、まことにありがたく、この
機会に厚く
御礼申し上げます。
また、
国民各位、わけても
選挙区の
有権者の皆々さまから賜わった不変の御声援に対し、いまあらためて御厚礼申し上げます。
私の
思い出の一つは、
昭和三十六年六月から三十八年十月まで、
清瀬議長のもとで副
議長をやらせていただいたことです。偉大な
議長のもとで、
国会正常化のため、
女房役をつとめ、与野党十分懇談し、意思の疎通をはかることにつとめました。そして、いささか効果をあげました。すなわち、それまであった本
会議場での乱闘は、この当時から
あとを断ちました。まことに御同慶にたえません。
長い
議員生活の
おかげで、
昭和四十三年十一月から四十五年一月まで、
労働大臣に就任いたしました。その間「働く
人々とともにあり、働く
人々のために尽くしたい」という心情を養い得ました。これは、一億総
勤労者ともいうべき
時代に、
保守党議員として、得がたい体験となりました。真に
感謝感激の至りであります。
終わりにあたり、
不徳不敏の私を今日まで育ててくださった
同僚並びに
有権者各位に、重ねて深甚なる
謝意を表し上げます。
…………………………………
戸叶里子君の
あいさつ
ただいま、私が本
院在職二十五年になりましたことに対し、
院議をもって御丁重な
表彰の御
決議を賜わりましたことは、まことに
感謝にたえません。
思えば、
昭和二十一年、
敗戦の中から立ち上がった
日本の最初の
選挙に三十九名の
婦人が
当選し、私もその一人として
議席を与えられてから、今日まで十一回の
選挙で勝たせていただいたことは、ただただ
選挙区の
皆さま方に
感謝をするのみであります。
二十五年の間には、
国際情勢の面でも、国内においても、多くの変化がありました。
戦争直後の食糧難を解決するために苦労した
思い出も、いまから思えば
隔世の感があります。原爆の悲劇の中から立ち上がった
日本民族は、「再び
戦争をしてはならない」との強い
決意から
平和憲法を制定し、単に
日本が
戦争を否認するという一方的行為のみでなく、いつの日かこれが
世界の
支持を受けるであろうことを望んだのであります。
しかし、残念なことに、今日アジアの
一角インド率シナ半島では、なお戦火が飛び、不安な
状態の中に苦しんでいる
国民のいることは、まことに残念で
たまりません。一刻も早く、
世界全体の平和の訪れを祈ってやみません。
一方、
経済の面では、
わが国は
国民総生産が
世界に誇れるところまできたものの、そのひずみははなはだしく、一方では
昭和元禄の退廃の面さえ見られることは、まことに遺憾であります。また、物価の上昇に伴い、
国民生活はなおきびしく、公害問題、
交通事故等々、
国民の不安もまた多いのであります。
国政に参画する者として、これらの諸問題を解決し、
国民生活の
向上、前進をはかることが、目下の急務といわなければなりません。
私は、ひたすら誠実と
努力をモットーに今日までまっしぐらに歩いてまいり博した
政治の道でありますので、今後もこの道を精一ぱい歩み、
国民の負託におこたえしてまいりたいと
思います。
いまここに、
感激の日を迎えることができましたのは、
先輩、
同僚の
皆さま方の御
指導と御
鞭撻の
たまものと深く深く
感謝するとともに、従来に変わらない御
指導を心からお願いする次第であります。
ありがとうございました。
…………………………………
井出一太郎君の
あいさつ
ただいま早
稻田議員が代表して述べられたご
あいさつに一切は尽くされております。
茫々として過ぎ去った二十五カ年を顧みますと、まさに疾風怒濤の連続でございました。戦後、
政治に一緒にスタートした多くの
同僚の中で、本日残り選ばれてこの
栄誉に会いますことは、まことに
感慨無量であります。
終戦直後の
廃墟と
混乱の中に立って、たれかよく今日の
日本の
繁栄と
発展を予想し得たでありましょうか。しかし、いままた同時に、国の
内外にわたって新たな困難に直面しております。
議会制民主主義は、この国の土壌に十分深く根をおろしたとはいえないようであります。
私は、この際、もう一度
初心に立ち返って、当面の諸問題と取り組んでまいりたいと存じます。
ここに、
先輩、
同僚諸賢に深甚な
謝意を表するとともに、長い
間支持を寄せられた
選挙民各位に厚く
御礼を申し上げる次第でございます。
…………………………………
小坂善太郎君の
あいさつ
ただいまは、私が本
院在職二十五年に達したことに対して、丁重な
表彰の御
決議をいただきました。まことに
感謝にたえません。
思えば、私が本院に初めて
議席を得て臨んだのは、
敗戦直後のことでありまして、
国会議事堂と
首相官邸以外は焼け野原で、建物はなく、進駐軍のジープが砂塵をあげて走り回っておりました。国は焦土と化し、
国民生活は窮迫し、これからの
わが国の前途を考えて、まことに暗たんたる
思いであったことを
思い出すのであります。それだけに、今日のごとき
経済大国とまでいわれる国力を持つに至り、その当時と同じこの
議場において私が
表彰を受けることは、
感慨無量なるものがあります。
私は、初
当選後、新しい
日本国憲法の制定や、当時激しかったインフレーションの克服のために、いささかの力をいたしました。やがて、
平和条約の締結を迎えたのでありますが、当時、「
全面講和か多数
講和か」の議論が沸騰し、今日に至るまでその
あとを断たないのは、注意を要するところと
思います。
独立を回復してからの
わが国は、流動する
内外の
情勢に対処しながら、
国民諸君のたいへんな
努力によって奇跡的な
再建をなしとげ、現在では、国際的にも重要な
地位を占めるに至りました。
天皇制護持かいなかで戦われた二十五年前の
選挙、そしていまや新
宮殿もでき上がり、天皇陛下が遠く欧州に旅立たれるという御慶事が実現の運びになりました。また、
昭和二十五年に
予算委員長の際、新
宮殿の造営について、
国民の家が復旧した
あとでよいとの陛下のお気持ちを仄聞したときの
感激もまた忘れることができません。
沖繩の
祖国復帰が目睫の間に迫っております。
往時を思えば、まさに
隔世の愚なきを得ません。
今日の
栄誉は、ひとえに、わが父母、わが妻、わが親族と、さらには
選挙区の
方々のなみなみならぬ御
支援と、
先輩、
同僚諸君の御
鞭撻の
たまものにほかなりません。
この際、私は、
決意を新たにして、国運の進展のため、
議会政治の健全な発達のために、
議会人として、
政党人として、
全力を傾注し続ける所存であります。一そうの御
指導と御協力をお願いする次第であります。
まことにありがとうございました。
…………………………………
坂田道太君の
あいさつ
私は、このたび
院議をもって、ほかの十名の
先生方とともに永年
勤続議員の
表彰を受けました。これは私にとりまして生涯忘れることのできない名誉でありまして、ここに、
先輩同僚各位に対し、心から
御礼申し上げます。
思い起こしますと、私が初めて選ばれて当院にまいりましたのは
昭和二十一年、
敗戦直後の第九十回
帝国議会でありました。まだ二十九歳の若輩でございましたが、それ以来二十五年の年月が流れました。長いようでもあり、短いようでもあり、私も人生の半ばをこの
議場で過ごしたことになるかと
思いますと、ひとしお
感慨無量なるものがあります。
この二十五年の間、
わが国は、
廃墟の中から力強く
復興し、当時私
どもがとうてい想像することさえできなかった
経済の
発展と
国民生活の
向上を遂げました。これは、
国民一人一人の
努力と勤勉、わが
日本民族のすぐれた資質によるものとかたく信ずるものであります。
とは申しながら、昔から、
戦争に破れて失った
物質文明を
復興することは容易であっても、荒廃した
国民精神を回復するには百年を要する、といわれております。私は、この
機会にみずからを省み、あの
廃墟に立って
決意した
初心に立ち返って、
物心両全の
日本の
建設のため、
最善の
努力をいたす
決意であります。
最後に、このような
栄誉に浴し得ましたのも、私ごとき者をひたすら二十五年間も、
国会に送り出していただいた
選挙区の
方々の御
支援があったればこそであります。
ここに、あらためて
衷心よりお礼申し上げ、ご
あいさつといたします。
…………………………………
山口シヅエ君の
あいさつ
日本が受諾した
ポツダム宣言には、「言論、
宗教及思想ノ
自由並二
基本的人権ノ
尊重ハ確立セラルベシ」との項がありました。これによって女性にも男性と同等の権利が与えられ、
昭和二十年十二月十五日、
日本の
婦人は
参政権を得ることができました。
当時、焼け野が原、失うものをひとつも持たない
国民大衆は、
再建を目ざして立ち上がる人、目標を見失い、
虚脱状態におちいった人など、混迷した世相の中で二十一年四月、
初回民主主義選挙が行なわれ、三十九名の
婦人議員が誕生いたしました。
食糧の窮乏に母の乳もかれてやせ細る
乳児たちのため、
マッカーサー元帥に直接交渉の結果、
乳児用ミルクを確保することができました。あまりの
喜びに、あの大きな手に、両手ですがるように握手をした私
たち婦人議員の姿が、いまは夢のように回想されます。
昭和二十一年、第九十回
帝国議会で成立した
平和憲法によって
日本の進路が明らかになり、
議会制民主主義のもとに、新
日本建設を目ざして
全力をあげることになりました。この崇高な理想と目的の達成に情熱をたぎらせながら、初めて
政治に参与する
微力な自身を省みて、その
責務の重大さに身のふるえる
思いがいたしました。帰路夕暮れにそびえ立つ
国会議事堂を振り返り、当時の心境を詠んだものです。
暮れ残る白亜の塔をかえり見つ
吾が
責め重きを身に泌み思う
それから二十五年、
日本人の底知れないエネルギーは、多難な道を切り開きつつ邁進を続け、
高度経済成長の悲願を達成し、
自由世界第二位の
経済大国として
国際社会における確固たる
地位を築いたのであります。まことに
感慨無量であります。
しかるに、いまや七〇年代は、
内外ともきびしい現況の中で、真の
大国の
価値観は変貌してまいりました。内にあっては
人間尊重の高
福祉社会を、外に対しては平和に徹した
世界経済社会の
発展のために、より効果的に貢献することであります。このような
歴史的変革期に、奇しくもはえある
当選十一回、二十五年の永年を
表彰していただきましたことは、この上ない
感激であり、意義あることと
思います。
これはひとえに
先輩の
皆さま、
同僚の
皆さま、並びにあたたかく見守り続けてくださいました
選挙民の
皆さまの
おかげと心から
感謝申し上げます。
初心をことによみがえらせて、
内外の新たな
試練にうちかちつつ、真の
文化国家を実現するため、
生活優先の
高密度社会を築き、
世界の平和と
繁栄のために献身いたしたいと
思います。
何とぞ
従前に変わらぬ御
支援を賜わりますようお願い申し上げて、お礼の
ことばといたします。
…………………………………
池田正之輔君の
あいさつ
ただいま、私が本院において二十五年余
在職したことに対し、
院議をもって丁重なる
表彰決議を賜わり、まことに
感謝にたえません。
顧みますと、
昭和十七年四月、
東條内閣当時、いわゆる
翼賛選挙に際し、不肖私は、非推薦の立場で立候補し、幸いに
当選し、初めて
議席を得、
国政に参画することになったのであります。
その後、
敗戦、占領といろ大きな民族的、
国家的試練を受けました。私も一時、
政界への道を断たれておりましたが、
昭和二十四年一月、再び本院に
議席を得まして、
民主政治の
確立に参加し得ましたことは、この上ない
喜びであります。
その間、
微力にして、
国家、
社会に貢献するところ少なきにもかかわらず、本日、
国権の
最高機関である本院からこのような
栄誉を受けましたことは、ひとえに
先輩、
同僚諸君、特に
選挙民各位の御
厚情、御
支援の
たまものであり、まことに
感激を覚えるとともに、責任の重大さを痛感するものであります。
いまや、
わが国は、
一見繁栄の中にも多分に不安定の要素を包蔵し、国際的にはきわめて憂うべき様相がますますその度を加えつつある現状にかんがみ、この時にこそ、民生の安定と真の
世界平和の
確立に
政治生命をかけたいと念願するものであります。
これこそが、
政治に全生涯をかけ、
政党政治家として貫いてまいりました私の
わが国と
国民に対する最大の
責務であると確信し、
微力を傾倒する
決意であります。
今後とも、変わらず御
指導、御
鞭撻くださることをお願い申し上げます。
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日程第一
裁判所職員定員法の一部を改正す
る
法律案(
内閣提出)