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植木国務大臣 先般来、法曹三者のお互いの連絡をもっと密にすべきではないか、その点において欠けるところがないかという御指摘がございましたが、この点、私は、でき得る限り三者間の連絡を緊密にして、そうして、一体としてそれぞれの事案について議をまとめていくことが望ましいということは、私も全くそう思うのであります。しかしながら、これについていろいろ
考えてみました。そうしますと、やはり三者の
意見をなるべくまとめてなるべく一緒に同じ
方向に進んでいけるようなことにする上でどういうことが
考えられるかといいますと、なるほど
裁判所当局とそして日本弁護士連合会というのですか、弁護士
関係の方方の御
意見との調整のために、いままで長い歴史で連絡
会議を何回か持っておられる、法務省もそれに参加したらいいのじゃないのかというようなこともなるほどそのとおりに思うのでありますが、その仕組みの問題がこれでなかなかむずかしいのじゃないか、運用がむずかしくなりはせぬかということも、いろいろ
考えてみると思い当たる点があるのでありまして、そういうような
状況でございますから、かりに三者がそれぞれ代表を出して、そして相談をし合うとかあるいは説明をして御理解を仰ぐというようなことは、
裁判所当局からの原案の場合にしても、あるいは法務省当局からの原案の場合にしても、それぞれその最後の結論得るのになかなか骨の折れる問題がある。それだからこそ、連絡協議会というか連絡会と申しますか、そういうものが必要なのだともいえますが、かりに従来ある
裁判所当局と弁護士会当局との間の連絡会に法務省も一緒に参加さしていただくとした場合にどういうようなことになるだろうかと思いますと、非常にそこのところに運用のむずかしいものがある、こう思うのであります。
すべて世の中の
制度というものは、人為的にこしらえるものでありますし、人おのおの立場が違えばおのずからまた変わった
意見が出てまいります。その変わった
意見をどういうふうにして調整していくかということが骨が折れる。だから私は筋としては、従来せっかく二者の協議会、連絡会があるならば、これにわれわれも仲間入りをさせていただいて、そして三者の協議会になるということが望ましいとは思うのであります。しかし、よほど運営の上で気をつけてまいりませんと、たとえば
裁判所当局はそれぞれいろいろな事案、大事な
判決そのものをおきめになる場合も必ず一人でおやりにならぬ。すなわち小
法廷なら小
法廷、数名の方が一緒になって、
裁判長と御一緒に結論を出していかれるのであります。しかし、法務省なんかになりますと、やはりある部局で一つの問題を
扱い、それを
決定するためにはその部局のみならず省議を経て、そしてそれぞれ
大臣、次官一緒になって最後の方針をきめるわけであります。そういう場合でも、やはり役所の仕組みというものあるいは長い間の慣行というものがあります。それによってある程度のところに議をまとめることがまだ
幾らか楽でありますけれ
ども、今度は弁護士会当局のことを
考えますと、これは地方によって小人数の弁護士会もございましょうし、ところによって、たとえば東京、大阪のように非常に膨大な会員を持っておられる弁護士会もある。そういうところでは、議をまとめるといっても、その会合をやろうと思っても、全員集まるというようなことはほとんど望み得ないということすらあります。そういう場合に全員の
意見をまとめられるかといえば、これはなかなかまとめられない。そうすると、そういう場合になりますと、一体どういうふうに仕組みをきめるのかという問題になります。かりに弁護士会を代表してそういう連絡会にお出ましになって、そして自分たちはいいだろうという
考えのもと、あるいはそういう案についてはいずれなお会員諸君の
意見もできるだけまとめるとおっしゃってくださったとしても、第一
書面による回答を求めるなんということは一々全部はできませんでしょうから、だからそういうことになると、いよいよそれを代表して大体賛成を得た場合でも、やはりこれに対して異論をお持ちになる弁護士の方もあるかもしれない。そうすると、その方が非常に強い主張を最後までなさるということになると、結局三者連絡はできてもその結論を得るということについては、ほんとうに三者の議がまとまったという意思がはっきり理解し合えたというところまでいくのには、これはなかなか問題がある。だから事の軽重にもよると思います。事案そのものの軽重にもよって、まあそれならばついていこうやということでやっていただける場合もあろうが、しかし、事と次第によると、どうしても自分はこれには賛成できないという強い
意見の方も必ず大ぜいの中にはあり得る。それがいわゆる
裁判所当局、法務省当局、それから弁護士会当局というものを
考えますと、その間に議をまとめ得ることの難易の問題が非常にあるのじゃないか。だから事案でも三者それぞれほんとうに理解し合えた問題じゃないと、国会に提案するような
法律にまとめるということは、なかなかむずかしい問題とやさしい問題とがあるので、そこがどういうふうにするか。やはりそういう連絡会式のものをこしらえますと、お互いに十分寛容の精神を持って、その事案に対する自分たちの立場あるいは他の二者の立場というものに理解を持って、寛容の精神で、お互いに譲るべきものは小異を捨てて大同につくというような運用がほんとうにうまくなされないと、これをやってもむだだということになってしまいます。
だから、私としては何か試みてみたいと思っているのでありますが、そういうことをいろいろとまだ一人で
考えておりますので、
事務当局の諸君ともよく話し合いをして、
方向としては、三者連絡会があって連絡し合うということは望ましいことだなとしきりに感ずるのですが、さて理屈を言い出して、一方のほうがまとめてもらうことができないとなると、そういう場合には新しい
制度改正とかなんとかがなかなかむずかしくなって、そして必要以上な労力を——近ごろのように定員のやかましい時代に、定員が足りないときに、仕事ばかりふえてしまってそのほうに労力を取られてしまうというのでは、これまた大事な仕事に差しつかえが起こりはせぬかというようなことも
考えられて非常に悩んでおります。だから、
方向としてはぜひそういう
方向に持っていきたい希望を強く持っておりますが、また、その試みをしてみようと思っておりますが、これを実現するのにどんなことを
考えればいいか、初めからどの辺で基準をつくろう、そんな程度のことしか相談をかけてくれないのなら、こんなものが一々新しく入ってきてひっくり回されちゃたまらぬと言う者も出てきましょうし、また参加するのにも参加しにくい。一々こまかいことまで干渉されるのではたまらぬというようなこともある。
世の中は結局はお互いに寛容の精神で、相手の立場を理解し合って、言いかえれば真の民主主義に徹底してお互いが進めていくということになればそれもできるのだろうかなとも思うのであります。ぜひともそういうような
考えで研究をし、そしてなるべく国会に出るときには、
関係のいわゆる法曹三者はみな一致してそれは希望しているのだ、これでよろしい、若干不満の者があってもこれでいくのだというふうになるような、そういう連絡会の運用に賛成をしていただけるとありがたいのだがな、こんなふうに思っております。たいへんくどい言い方でございますが……。