○山原
委員 たいへん時間がおそくなっておりますので、きわめて簡明に
質問をいたします。
いまこの法案につきましては、私
どもも、いろいろ
意見はありますけれ
ども賛意を表明したいという気持ちを持っておるわけですが、
文化庁、それから
西岡政務次官に対して最後に見解を伺いたい。
私も、話を最初に聞いていただきたいと思うのです。私
どもも、もちろん
文化財の保護あるいは史跡の保護などにつきましては、これは当然尊重すべきものでありますし、また、
文化を推進してきた人を正しく
評価して
功労を表するということにつきましても反対をするものではありません。いま有島
先生のほうから非常に高度な
文化の論争がなされたのでありますけれ
ども、私は
文化と非
文化の関係について
一つの例を申し上げまして、最初に
文化庁に対して
質問をいたしたいのです。
それは姫路城の史跡の
指定地域の問題でございますけれ
ども、すでに御
承知だと思いますが、この姫路城史跡
指定地域内にある県立姫路ろう
学校の立ちのき問題でございます。御
承知かと思いますけれ
ども、私がちょっと最初に
説明したいのです。
この
学校は、幼稚部、
小学校部、
中学校部、高等部の専攻科とありまして、百七十名の
生徒がおる
学校であります。ここに対しまして一九六八年の三月に
地域指定の線引きが行なわれておるわけです。そして、この県立姫路ろう
学校がその線の
地域の中にあるということで、立ちのきの要請がなされておるのでございます。この
学校をちょっと調べてみますと、これは地元の神戸新聞の本年一月二十七日の記事をおかりしまして申し上げてみたいと思うのです。また、いまから申し上げることの中には、この
学校の
先生そして父母の方々の
意見も多少入っておりますが、それを総合しますと大体こういうことでございます。
学校が始まってすでに二十年、この間に四回
学校が転々といたしておりまして、今度立ちのき命令が出ますと五回目ということになるわけです。神戸新聞にはこういうふうに書いてあります。「
教育をゆがめる“流浪の旅”はもうごめん。日陰者扱いにはこれ以上耐えられない。」と父母、
先生が反発をしまして、
文化庁、県や市に対して抗議をしたという記事になっております。どういう形でいままで四回も移転したかと申しますと、
昭和二十三年の六月に
学校が発足をしまして、当時は旧陸軍の兵器庫
あとに
学校が設立をされたわけです。そしてその次には、野砲隊の
あとに移転をいたしております。これはいわゆる自衛隊誘致という国や県の方針のもとで行なわれた移転でありますけれ
ども、そのたびに、ここは
永住の地だというふうにいわれて、しんぼうして移転いたしておるわけであります。その間、当時の隣接校でありますところの姫路東高等
学校あるいは広嶺
中学校、この隣接校はすでに
整備が進められております。ところが一方、ろう
学校につきましては暗い木造兵舎で勉強が行なわれてきた、こういう
実情にあります。そして、その現在の状態を見てみますと、現在も古い兵舎の
あとを使っておるようでありますけれ
ども、ろうの、耳の聞こえない
生徒にとりまして、頼みの綱であるところの光というものが入らない、これは目が悪くなるという状態が出ております。そして、雨漏りで授業にも支障を来たす。それから、ろうあ者にとって一番大切な防音設備も全くないわけです。
一つも教室がありません。そして板仕切りの教室で勉強いたしておりますから、御
承知のように、ろう
学校では大きな口をあけて声を出す場合もあるわけですね、全く筒抜けであるというような状態が現在の状態です。さらに、寄宿舎に六十人の
生徒がおりますけれ
ども、この
生徒たちの状態を見ますと、現在寒い冬の場合、各部屋に
一つのホームこたつがあるだけでございまして、五名、六名の
児童がこの
一つのこたつに足を入れまして、そうして身を寄せ合う小鳥のように眠っていると新聞は書いております。黒板や机も古く、職員室では事務机にベニヤ板を張って使用している。最近では漏電警報機が
理由のわからないまま鳴り出すというような状態で、
昭和四十年の台風被害を受けまして隣接校におきましては
整備がなされましたけれ
ども、しかし、このろう
学校に対しましては、四十六年より五カ年
計画で
整備をするという回答がなされた状態であるわけです。ところが、そこへ
文化財保護法による
指定地域の問題が出てまいりまして、
指定地域になっておるという
理由で現地では校舎新築はむずかしい、こういうのが現在の状態であります。
この中で父兄、そして
先生方の願いというのは、こういうふうな願いであります。
一つは、通学
児童の場合、
小学校の二、三年の
生徒までは父母の送り迎えが必要である。ここは三歳児も入っておりますから、幼い子供たちがおるわけです。さらに卒業生にとりましては、ここはたった
一つの母校でありまして、卒業生の事後指導の面から考えましても、あまり交通不便なところに行くことはできないというのが偽らざる感情であります。
二番目に、隣接の
学校であります城南
小学校、白鷺
中学校、賢明学院、淳心学院、姫路東高等
学校、これは当初は
指定地域の予定の中に入っておったのでありますけれ
ども、この
学校はのけまして、ろう
学校のみを
指定地域の線引きの中に入れておるわけであります。したがって、これは全く差別行政ではないかという声が起こっておるわけです。
一方、別の県の発表しておる構想を見ますと、ここでは兼六公園の六倍の公園地帯をつくるということが発表されておるわけです。そして、姫路城周辺を
日本一の公園にするという発表が行なわれておるわけであります。この私が申し上げました
経過の中から見ますと、
文化財保護あるいは史跡の保存という名前のもとに、言いかえるならば広大な
地域を広げてそして公園地にするということ、もちろんそのこと自体反対するわけではありませんけれ
ども、そういう名のもとに観光行政その他の中から、じゃま者は排除していくという
考え方があるのではないかということを考えるわけです。
そこで、最近起こっております障害者の施設やあるいは
学校というものを、人目につかない不便なところに移していくという
傾向があるように私は思うのです。私自身そのことを経験いたしておりますが、たとえば奈良の盲ろう
学校の場合あるいは大津の近江学園の場合、これは彦根城周辺からこれを排除して遠いところへ持っていっておるわけであります。さらに、施設の面から見ましても、
文部省は、今回非常に心身障害児の
教育を重視するということを言っておるわけで、その点は全く正しいことだと思いますが、しかし、最近施設の火災事故というものもずいぶん起こっておりますし、悲惨な事件が発生しております。また兵庫県と隣合わせておりますところの岡山県では、
昭和三十年に御
承知のように盲
学校の火災がありまして十六名の
児童が死んでいる。こういう
経過を見ました場合に、また地図を私はここへいただいてきておるのでありますけれ
ども、線引きをしておりますこの一角に何でわざわざろう
学校を入れたかとふしぎでしかたがないのです。
私も
文化財保護の幾つかの経験を持っておりますが、たとえばある
一つの国宝の城址のことを申し上げてみたいと思うのですけれ
ども、ここには国宝天守閣を中心としました史跡があるわけですが、その中に県庁のあるところもあります。ずいぶんりっぱな県庁が新しく建設をされておるところもありますし、またわざわざ城を構成しておるお堀を埋め立てておる、そしてそこを自動車の駐車場にしておるということも知っておるわけです。さらにまた、中には城内に料亭がある。これはいま問題になって排除することになっているそうですけれ
ども、まさに国宝のすぐそばに料亭がつくられて、長い間置かれているというふうな状態もあるわけですね。一方ではお堀を埋めて駐車場にするという感覚の
文化行政の中で、一方では非常に大きく
拡大をして、そしてその中で選別的に線引きをするという、こういうことは絶対に許されないことだと私は考えておるのでありますが、もうすでにこの姫路城の問題につきましては
文化庁もよく御
承知のことと思いますので、私がいま申し上げました
経過に基づいてどういうお考えを持っておるか、お伺いをしておきたいのです。