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坂田国務大臣 医師の養成ということは私のところが所管になるわけでございますので、したがいまして、厚生省とはよく相談をしなければならぬ。ただ、
日本列島全体を見回してみまして、一体どれくらいのお医者さんが必要なんだ、そういう長期の見通し、計画、これはやはり厚生省でひとつお出しをいただかなければならない、また現に
一つの案ではございましょうが、出ております。そういうわけでございまして、
文部省と厚生省とはよく連絡をとりつつやっていかなければならないということは、先生のおっしゃるとおりに
考えておるわけでございます。
ただ、先ほどから申し上げますように、
大学紛争そのものも医学部の
あり方、そういうものから始まっておりますから、そしてどういうふうに医師の養成をやるかということは非常にむずかしい問題であります。むずかしい問題でありますけれども、これは解決しなければなりませんし、そうじんぜん日を延ばすわけにはいかない、そういう事情にある。しかし、いよいよことしの正月から、私たちは、本
年度中には具体的に医師養成についての
考え方をまとめたい、こういうことを申し上げておるわけで、どうも
文部大臣は、あるいは総理
大臣は何か夢のような話ばかりしていて国民を惑わしておるというふうに聞こえる御発言でございますけれども、決してそうではないので、やはり
大学制度にしましてもあるいは小・中・高の教育制度にしましても、これは一党一派ででき上がる問題ではない。国民各界各層がやはり大かたのコンセンサスの上に立って制度をつくりませんと、結局あとでまた手直しをしなければならぬということでございますから、制度の改革についてはそう拙速にやるべきものではないというふうに私は
考えて中教審にもお願いをし、われわれ自身も
考える。しかも中教審にしましてもただ最終答申を待つということではなくて、この間
中間報告を何回かやって国民の各界各層に、いまの段階ではこういうふうにまとめましたがどうでありましょうかと、常に皆さん方の御意見を求めながらこうやってきた。これはいままでにない、
文部省としては非常に柔軟なやり方をとってきておるのではないか。これをいままでは、何か自分たちだけできめたことは一切修正は相ならぬというような形で出したがために、いろいろ
失敗した例もあるわけです。そういうやり方がいかぬから、むしろ
中間報告の形で、最終答申の形で出して国民各界各層あるいは各政党の方々の御意見に十分耳を傾けて、そうして慎重の上にも慎重、しかし具体的に夢ではない、実現可能なものをやっていこう、こういうわけでありまして、われわれはこの
考え方にちっともよどみはないわけでございます。どんどん進んでおるということは、ほかならぬ小林さんもひとつ御了解を賜わりたい、こう思うのであります。
それから、医学教育の要請にいたしましても、自治省からこういう話がありましたときに、それはわれわれの学校教育法に基づいた学校であるから、しかも僻地等にはなかなかお医者さんが行かないということであるから、それはけっこうなことであるということで御協力を申し上げておるわけであります。ただ、その際、自治
大臣から
お話がございましたから私は申し上げた。いま自治省
関係で九つの医科
大学をお持ちでございますが、その公立の医科
大学の定員は六十名、八十名というところでございます。これをもう少し充実し、これをくふうされたならば、新しい
大学をおつくりになって、いまから六年後に出てということよりも現実的ではございませんか。また、いままで九つの公立
大学に対して、自治省自身としても
予算をおとりになるという御努力もあったかもしれないけれども、結果としてはそうではない、われわれ自身も、
文部省もこの公立の充実のためにはわずかなお金しか獲得できなかったという、そういう反省はいたしますけれども、何とか自治省と
文部省と話し合いをして、この県立の医科
大学を充実する方向へ進んだらどうでしょうか。その条件整備に国が全体として
考え、大蔵省にもお願いをするというようなことならば、より現実的ではなかろうかということを私は申し上げた。現に福島
大学においては、これは知事さんがお医者さんでもありますから、そういうところはよくおわかりだろうと思うのです。とにかく二十名ふやすということで
予算をお願いしておるわけでありますけれども、そういうことはかなり現実的なことではないか。やはりそういうことも含めて、今後、私たちが
国立の医科
大学をつくるについてもこの公立
大学をどう
考えるか。ところが地方に行ってみますと、その公立の医科
大学は、もう早く国に移管してくれとおっしゃられるわけです。その
原因は何かというならば、十分な
予算措置が国やあるいは自治省
関係でできないというところにあるのではないか、あるいは定員の確保というものが十分でないのではないかというところにあるかと思うのであります。そういうようなことを基本的に政府全体としてやはり
考えなければならぬということは、もう先生御
指摘のとおりでございまして、私自身が文教委員として、
文部大臣をやめましてもこの問題はやはり
文部大臣のときからの問題でございまして、死ぬまでこれは
考えていきたいというふうに
考えておるのです。それはひとつわかっていただきたいと思います。