○山原
委員 あとでこういう点は行き過ぎではないかということを私は申し上げますが、実例をちょっとあげてみたいと思うのです。その前に、いま
大学局長のお話にありましたが、実際
高専へ人学しておる
子供たちは、かなり優秀な
子供が行くわけですよ。家庭の経済問題なども含めまして、相当すぐれた
子供たちが、私の県などでも入学をしております。そういう
子供たちが、ほんとうに人間らしく成長していくということをわれわれは望み、しかもなおかつ技術を身につけるということか必要なわけです。ところが、
高専とはこういうものだという任務意識というものが、非常に強烈に校長を先頭とするところの管理体制の中にありまして、そのワクの中に
子供たちをはめていくということがあるんじゃないかという
意味で例をあげます。
高専の学生は二年生になりますと——四年生からいくとすれば旧制の
高等学校の一年生、そういう
年齢に達しておるわけでありますから、かなり自由にものを考え、また思考する能力を持っておる
子供たちであるということを認識しておらないと、これは誤ったことが行なわれるのも当然だと思うのです。いまあげます例は、いろいろな問題を含んでおりますのでそのまま申し上げたいと思うのです。
これは私のところの高知工専にあったことでありますが、
昭和四十四年の三月の卒業時期にY君という学生が教官
会議では卒業に判定をされておったのですが、ところが突如Y君が民主青年同盟に入っておるということが言われ出して、そして校長さんから、思想の自由はあるが君たちのは誤っており、公共の福祉に反しており、
政府も言っているように法に触れるということで、卒業させないという問題が起こったのです。そしてこのY君に対して、考えを改めることというのが第一条、第二条が民青新聞を学友にすすめたりして法に触れることをしたことを認めることという条項が突きつけられたわけです。Y君はこれを一度拒否しております。そうすると、校長さんのほうから、卒業は延期だということで、これはY君のみならず、M君というのも同じ状態に置かれるわけです。全く卒業まぎわのことでありますが、学生執行部のほうでは、これに対して百五十人の署名をとりまして嘆願書を出しておるわけです。しかし、依然として
学校側は、あやまらなければ卒業させないということで、つまり学生諸君やその他が、卒業まぎわなものですから説得をしまして、校長室で本人と父兄が頭を下げて卒業を決定をした。これは卒業式開始五分前のことなんです。こういう事件が起こっております。そして当日朝、校長名でこの二人に対して、卒業式に登校しないようにという電報が行っておるわけです。これは一例です。
もう
一つの例は、ちょっと形が違いますが、K君の場合の例ですが、これは同じく
昭和四十四年のことでありますけれども、高知市で
教育を守る県民
会議というのが開かれたわけですが、そのときに、ある人物が国立
高専の問題を含めて報告をしております、ところが、その人物の名前が——警察官によってこの人物が写真を写された。その写真が
学校に回ってきたわけです。そうすると、
学校の管理の
人たちが、これはKに間違いないということで探索が始まって、そして卒業延期、そして内定中の就職を断わるという手配をしようとしたわけです。ところが、このK君というのは非常に学究的な学生でありまして、そういう会に行っていなかったのです。しかし、それを証明することができないものですから、とうとうさがし回って、その会場で報告をした人物本人をさがし出しまして、そして自分が出席していないことを
実証せざるを得ない。校長はその際に、君の目を見て信じようということで、この問題はそれで終ったわけですけれども、これも考えてみると、たいへん人権上の問題が含まれているわけです。
さらに、いま申しました前記の民青問題の二人のほかに、六人の学生も、父母も呼び出しを受けまして、そして非常な注意を受けておる。さらにまた、校長の訓示というのがしばしば行なわれておるわけてすか、これは全く——たとえば
昭和四十三年の七月に行なわれた訓示ではこういうふうに言っております。この三月に卒業した者の中に三名の共産党員がいた、わかっていたが卒業させた、このことは私の失敗であって、今後はそうさせないというようなことを平然と言われる。あるいは、高知県の日教組をつぶすために
文部省に頼まれて高知県に来たのだというようなこと、これはしばしばこのような発言が行なわれる。
また、N君の例を見ますと、制服、制帽の着用をしなかった、注意をすると反抗的であったということで、これはつまり退学になっております。喫煙をした学生四名も退学になっておりますが、これはどういう形で調査をなされたかと申しますと、学生寮の中に職員が入りまして、そして全く無断で学生の机の中を調べるわけです。その中にたばこの吸いがらがあったということですね。そして、その机の所有者である某君に対して自供を迫りまして、その中から四名の学生の名前か出てきました。これは退学になっております。
私は、こういう例を申し上げましたけれども、これは一例にすぎないわけでございまして、これでは全く
教育基本法とか、
学校教育法とかいうものは、一体どこに行ったのかという疑問を抱かざるを得ないわけですね。それで、ちょっと
学校の規則を調べてみたわけです。調べてみますと、これはずいぶん問題のある個所が多いわけですけれども、特に学生寮の問題につきましてお尋ねをしたいのです。
まず、封筒の点検、書簡の点検が行なわれるわけですね。それから学生諸君には、かぎが渡されていない。だから、
学校管理者がかってに個室に入って、何でも調査することができるという状態になっております。それから夜の点呼などは全く、私も軍隊におったことがありますけれども、もう内務班のやり方と似ておるのです。気をつけ、第何班何名、事故何名、異状なし、というようなことが行なわれるわけですね。これは国立
学校ですよ。拓大の問題がずいぶん問題になりましたけれども、私はこれを見まして、戦後の
学校の中でこんなことが、しかも国立
学校の中で行なわれているということをちょっと意外に感じたわけです。
それから、さらに問題なのは給食費の問題です。給食費は、九食連続して食べない場合のみ、欠食代の代金の払い戻しが行なわれるということになっております。九食連続というと三日間ですね。そうすると、これは事前に届け出をしてもだめなのかというと、だめだ、三日間ぶっ続けで食べなければ、代金の支払いが行なわれる。これは、夏休み以外にそういうことはないと学生諸君は言っておるわけでありますけれども、しかもその学生諸君に、食べなかった分のお金はもちろん返ってこないわけです。私も、三食とか二食ということならわかりますけれども、三日間連続食べないでなければ代金が返ってこないというようなこと、しかもそのことによってずいぶん、数十万円のお金が余りまして、そうして
学校側は学生に対してその金で自動車を買いたい、そうしてそれを
学校に寄付せよということを要求している、こういうことが行なわれております。
さらに、学寮規則の十条を見ますと、「退寮を願い出るときは、退学願を同時に
提出しなければならない。」こうなっているわけです。寮をいろいろな
事情がありまして出るときには、退学願を出さなければならない。退学というのは、これは
学校をやめるわけですから、 にいなくてもよいことになるわけですが、退寮願を出すときに退学願を同時に
提出しなければならない、などという学寮規則が平然と書かれておるわけであります。
以上、いろいろの例を申し上げましたけれども、この細部については時間の関係で申し上げません。かなりこれは問題があるのです。もう、非常に大きな問題を含んでおると思いますけれども、その寮の問題だけ、いま申し上げたのでありますが、こういう
実態がある。私は高知
高専の例をあげましたけれども、これは校長
先生の単なる個性の問題とか、そういうものではないと思うのです。校長
先生みずからは、先ほど私が申し上げたように、
高専というものの任務を本人としてつかまれて、それを自分なりに決意を持って遂行しようという、その気持の中から出てきておるのではないかと思います。
考え方に、古い、前近代的なものがあることは、これは私も比判として持っておりますけれども、しかし校長個人の個性としての問題でなくして、こういうことを許す
文部省の体制があるのではないかという点を私は
指摘したいんです。だから、例として高知工専の問題をあげましたが、
最初に申し上げましたように、これはもう
方々の国立
高専の場合に同じようなことが出ておりまして、学生諸君の間からこういう項目の要求が出されておるのです。
これは朝日新聞に出ております。
一つは、通信などの検閲制撤廃ということ。二番目は、集会、印刷物配布などの承認制、許可制をやめてもらいたい。三番目は、カリキーラムの改善をしてもらいたい。四番目は、後援会費の全面公表をしてもらいたい。五番目は、研究費の全面公開をしてもらいたい。——これは全く一、二の例を見ますと、通信などの検閲制の撤廃などということが、もう
大学の学生と同じ年配の学生諸君に対して、こういう全く初歩的な要求が出るということは、これはほんとうに私は何とも言えない気持がするわけでございますが、これは
戦前の紡績女工の立場と全く同じだとすら言える中身を含んでいるわけであります。私は、こういう例を上げまして、たとえ国立
高専であっても、特殊な性格と任務を持っておる
学校だとはいっても、少なくとも
教育基本法の前文に書かれておる「個人の尊厳を重んじ」るというこの条項は、断じて生かされなくてはならぬと思うのです。だから、
教育基本法のそのような精神あるいは
学校教育法の立場、そういうものを少なくとも守ってもらうという管理者でなければ、こういう若い力を持った、しかも優秀な学生諸君を真に
教育することは、私は、不可能だと思う。また
文部省が、いま総点検をやると言っておりますけれども、その総点検の立場というものは、この
教育基本法、
学校教育法の立場に立って行なわれるのが至当だと思うのでありますが、その点について見解を伺っておきたいと思います。