○
池田参考人 ただいま
委員長から
意見を述べよということでございます。私は、
毎日新聞社の
経理局長をつとめております
池田でございます。よろしく。
わが社の
値上げにおきまして、先般
社告をいたしました要点は四点ございます。それからまずお話し申し上げたいと思います。
一つは、
取材、
整理、
工程関係、つまり
新聞製作に関するところの
知的生産としての
経費が非常に
増大しておるということが第一点であります。第二点は、
原料費が
値上がりになったということであります。第三点は、
配送費あるいは配送のための梱包諸資材、これが非常に
値上がりを生じてきておるということです。第四点は、
販売店の
経営並びに
経営費が非常にかかるということから、
販売店手数料をやむを得ず
値上げせざるを得ない。そういうことがおもな
理由になっております。
そこで私は、これらの
各論に入る前に、
新聞の相対的な
立場というものを一、二点とらえて述べてみたいと思うわけです。それから、
先ほど申し上げた四点についての
各論を、
毎日新聞社の
立場におきまして御説明申し上げたい、こういうふうに思います。
新聞の相対的な
立場と申しますと、どういうことか。御
承知のように、
新聞は言論の自由と
報道の機関という
社会的使命を持っております。それが最も重要なことでございますけれども、しかしながら、言論の自由と
報道という大きな任務を持つためには、
企業体として、あるいは
組織体としてどういう形態がよろしいか、こういうふうな
考え方を持ちますと、どの社も同じではございますが、わが社も
株式会社形態を持っておるわけです。したがって、
株式会社形態というものは、法的に許されております
営利企業でございますから、
営利を追求して差しつかえないということになってくるわけです。ですが、
営利をのみ専念して追求することが
新聞社として正しいかという壁に、私なんかも、入社してすぐ考えざるを得なかった。ということは、その大きな
社会的使命を十分その日その日に果たしていかなければいけないという相反する、ということは言いませんけれども、非常に変わった二つの
内容を持ち合わしておるということがいえると思います。
そこで、
毎日新聞社の場合は、重点を
社会的使命の達成ということに置きまして、時々刻々、昨今のように
情報化時代といわれる爆発的な
情報をいろいろ
整理、整とんいたしまして、価値あるものを読者の
皆さんへ流していっておって、それによって
使命を達成して今日までやってきた。しかし反面、
営利企業としては健全な
経営を進めていかざるを得ない。
使命を達成するためには、健全な
経営下でなければ
使命が達成できない。こういうことは、私はどなたもおわかり願えると思います。そういうことで今日まで歩いてわけです。
先ほども申し上げましたように、昨今の
情報化時代というものは、紙面をごらんになっていただきますとおわかりのように、爆発的な事件、
情報というものが、世界の各国あるいは国内においてもたくさん起こっております。それを十分公正な
立場で正しくキャッチいたしまして、そしてこれを
報道しなければならない。そのためには
取材の面に当たる、いうところの
新聞記者というものは、よほど専門的な方も必要でございますし、それから人間的に幅のある記者も必要でございます。そういう
知的水準の非常に高いりっぱな優秀な社員というものを、われわれは雇っていかなければならない。ところが、今日までの過程におきまして、わが社は、そういった
人手をかりなければならない仕事、
知的生産と称するもの、これをやっていく上におきましても、社内的には、
合理化をはからなければ
経営の安定というものは求めることはできないではないかということで、いろいろ
合理化をはかったわけではございますけれども、何せ
取材という、人間が動かなければ、
知的水準の高い人が
知的生産にタッチするのでなければ、十分な
取材をなすことはできない、と同時に、
判断力のある人がりっぱな判断をなさなければ、りっぱな
報道をすることはできないということで、どうしても
人手をかかえざるを得ないということになってくるわけでございます。
そういうわけで、
新聞経営というのは非常に
一つの
問題点をとらえておるということは御
承知願えると思いますが、そこで
角度を変えまして、では、
営利企業としての
経営体としてはどのようなスタイルになっておるかということを、これから申し上げたいと思います。
全
産業の総
資本利益率、これを見ていただきますと、全
産業と
毎日新聞社を比較いたしますと、四十五年度における全
産業の総
資本利益率に対しまして、わが社の場合は十分の一になっております。十分の一ということは、全
産業の平均が三・二二%ということになりますと、
一般産業におきまして最も低廉な、
利益性の乏しい
企業であるということがいえると思います。
そこで、その
角度からもう一度見ますと、
本社の
営業収入というものを指数でとらえてみますと、全
産業におきましては二一二・二%ということになっておりますが、わが社の場合はそれを下回って一七九・二%というのが、四十五年の時代の
営業収入ということになっております。したがって、こういう調子でございますから、
新聞の
利益性が非常に乏しいということは、これで十分おわかり願えると思います。
新聞の
利益性が乏しいのは
新聞社の
経営の
あり方によるのではないかという節もあるかと思いますけれども、なぜ
利益性の乏しい
新聞経営で今日まで歩いたかということは、
先ほど申し上げました
社会的使命を達成するということが第一点と、
新聞そのものが、終戦後もよくいわれたのですけれども、ある
意味において
生活必需品、商品として見るならば非常に
生活必需品的な色合いを持っておるというふうに解釈されております。私自身もそのように考えてはおります。したがって、この
購読料というものをそうのべつまくなしに値段を高くするわけにいかないであろう、そういうことはわれわれも考えておるわけです。したがって、この過去において非常に低かった
購読料、それを補う面をどのような
角度からとらえたのかということがやはり問題になってくるのではないかと思います。
私どもの
考え方では、大体三十八年ごろにおきまして、
新聞購読料と
広告収入の
ウエートが逆転してきた、こういうふうに考えております。実態はそのようになっております。ということは、私も
経理にタッチしておりますが、
昭和二十七年ごろに、まだわが社の場合は、
購読料のほうが約五五、六%、それから
広告料、
広告収入、この面が四〇数%、それから
あとは
本紙外、つまり
出版関係、そういったものが若干、こういうふうな構成をもって歩いておったわけでございます。ところが、
日本経済はどんどん
高度成長していく。
高度成長していく段階において
新聞社側として考えなければいけないのは――
高度成長に伴って
購読料がどんどん上げられたら、それはけっこうであります。しかしながら、そうもいかない。そこで、できるだけ
購読料を上げないで
経営の安定をはかっていくということになりますと、勢い
広告という面に、頭、目がみな向いてくるわけでございます。したがって、
広告収入ということをとらえまして、これによって
社会的使命を達成するためのもろもろの作業、仕事というものをやって、読者の
皆さん、あるいは国民の皆さまへこたえなければいけない、こういうことで歩いてきたわけです。ところが、
高度成長のおかげもございまして、三十八年ごろに至りましては、その
ウエートは逆転いたして今日にまいっております。
ところが、
広告収入という
一つの
あり方をとらえて見てみますと、GNPの
実質成長率、これと大体見合って今日まで流れてきております。今日といいますよりも四十五年の十一月時点までは、そのような平行といいますか比例的な
歩き方で流れております。
よくいわれるわけですけれども、そうやって
新聞社が
広告収入に目を向けるということは、
広告の
スペースが
記事スペースよりも多いのではないかとおっしゃる向きもあるわけでございますけれども、今日まで統計をとりましても、大体四四%が
広告スペースです。
あとが
記事スペースというふうになっておるわけです。事実これが逆転いたしますと、
商品価値が
内容的に変わってくるので、これはいけない。したがって、わが社の場合は、五〇%を絶対にオーバーしないというたてまえで今日まで歩いてきておるわけです。そういうことがいえてくるわけです。
そこで、
先ほど申し上げましたように、
各論に入らしていただきたいと思います。
まず
取材、
整理、
工程関係の状況におきまして非常に
経費がかかるという
意味合いと、それから
知的生産につきましては、
人手を多く使わなければ
使命を達成することはできないのだということは、概論的におわかり願えたと思います。しかし反面、
合理化をやっておらないのかということがいえてくると思うのですけれども、わが社におきましては、十分その
合理化を尽くしたつもりでございます。現在でもコンピューターだとかいろいろ使ってはおります。
漢テレ、それから製作面におきましてはモノタイプだとか、いろいろな
機械を導入してはございます。しかし、人が、記者が頭脳で判断し、足でかけずり回り、そして手でもって筆でもって書いていくという、その書いていかれた
内容の価値というものについては、これはいかなる
機械をもっても表現することができないわけです。したがって、国内におきましてもあるいは国外におきましても、重要な地域には、それぞれの重要な編集スタッフというものをそろえて配備しておかなければ、この膨大な
情報をうまく
整理して、価値ある
内容のものを
皆さんへ提供することができないというふうになっておるわけです。しかしながら、一方、
機械で操作できるもの、処理できるもの、これは絶対にやらなければいけないということで、私どもは今日まで動いておりますが、その実態を申し上げますと、人数で申し上げますと、いまのまま、
機械による
合理化をはからなければ、概略何人の人間をたくさん持たなければいけないかということに集約できるのではなかろうかと思います。
現在わが社の実働
人員は七千七百人でございます。ところが、編集、印刷、写真、それから発送あるいは事務部門、そういった大きな柱でとらえますと、
機械を導入することによって
企業合理化をはかった。金額ではございませんが、結論を申しますと、人数でいえば千六十四人、もし
昭和三十年ころから思い切った
合理化を今日まではかってこなければ一千六十四人というわけにはまいらないと思うのです。七千七百人が一万人あっても足りないのではないか、私は正直にそう思っております。それをいろいろな
機械を導入し、人力を省くということによって千六十四人というものを多く雇わなくても済むし、逆に
合理化によって少なく
維持することができた。したがって、七千七百人の現状で動いていっている。私どものたてまえは、卒業者、定年ですけれども、卒業者ができますと、できるだけその補充を最小限に押えていくという行き方をもってとらえておるわけです。こういうことによって人件費の高騰、そういったものを
合理化していきたい、こういうふうに考えておるわけです。これはちょっと横道にそれましたけれども、そういうことがいえます。
次に、原料の
値上がりというものでございますけれども、これは製紙会社のほうから申し入れられたものでございまして、毎たび毎たび申し入れられておるわけでございますが、
新聞の
講読料をそれによって上げるということは、
新聞としては非常に慎重に考えなければいけないということで、私ども
毎日新聞社の場合は、常にその要請にこたえなかったわけでございます。製紙側といたしましては、原木が高騰し、あるいは用紙をこさえる生産工程費というものが毎年毎年上がってくる、そうしてもうささえ切れない、したがって、どうしてもこれを上げてもらいたいということは、何回となく過去に、この一年の間言われてきておったわけですけれども、
新聞そのものの
使命というものが常に頭に浮かぶものですから、できるだけ
合理化をはかって
経営の安全をはかりたいというたてまえでもございますから、その要請にこたえなかった。今回の場合はそういった要請にこたえざるを得ない、こういう
立場に立って、
一つの
値上げの要素といたしまして、私どもは
皆さんの目の前に提供しておるわけでございます。
それから、次に来る問題は発送費と戸別配達、それと販売というものが、私の説明では若干まざることがあると思いますが、その点ごしんぼうを願ってお聞き願いたいと思います。
その前に、
先ほどちょっと言い漏らしておりますので、つけ加えておきます。
合理化を
新聞製作という面から逆にとらえていきますと、
合理化ではございませんが、現在毎日
新聞の場合は、百八十種類の
新聞をこさえておるわけです。これは東京、大阪、西部、中部、北海道と、この五ブロックに分かれるわけでございますけれども、その中に、その
一つ一つの紙面をごらんになっていただくとおわかりかと思いますけれども、各県、各地方には、それぞれ地方版という面を持ってございます。したがって、それらを統合いたしますと百八十種類というものになってくるわけです。
それから印刷工程で、非常に印刷、編集兼ね合いの
問題点としてございますのは、大体午前零時から印刷が開始されて、四時以前におきましては、これはもうすでに刷り上がっておらなければいけない。そういう切り詰めた作業を現在やっておるわけです。その時間帯で働く社員、
従業員というものは約二千人、これは毎日動いていっておるわけです。したがって、いかに
合理化をやったにしても、よほどのことがない限り、その
合理化の徹底ということは現在の
新聞業態ではきわめて困難であろう、こういうふうに、私どもは
新聞製作面と違いまして、
経理という事務屋の
立場から見ましても理解せざるを得ない、こういうふうに考えております。
次に
発送関係でございます。戸別配達というものは、
先ほどの説明もございましたように、現在の
新聞企業として避けるわけにまいらない。私どもは昨年、社の世論
調査を行ないました。何もきょうに始まったわけではございませんが、
販売店経営というものが、あるいは販売費というものが非常にかさ高になってくる。と同時に、その戸別配達一本をとらえてみますと、現在の
若年労働層、若年従事員、たとえば中学校だとか高等学校の生徒を
新聞配達に雇っておるわけでございますけれども、そういった
方々の人数が現在非常に少なくなってきておるということは、計数的にはっきりしてございます。したがって、こういう面からいろいろな
合理化をはかっていかなければならないということがいえてくるわけでございますけれども、そのためには、わが社では戸別配達のために特殊なバイクあるいは車というものを開発いたしまして、これに乗って、少なくなった配達人の手不足をカバーしていっている。これはもう長年来研究を重ねまして、昨年から開発が成功いたしまして利用しておるわけでございます。
ところが、その前に考えなければいけないのは、
新聞では、ある地点まで社から持っていく輸送方法でございます。これは三十年を境にして、まあ大体三十五年がいいんじゃないかと思いますが、それを境にして三十五年から以前を見ますと、輸送度合いというものは非常に少なかったわけです。つまり、トラック輸送というものと
国鉄輸送というものの
ウエートは非常に違っておった。トラック輸送の場合は、
昭和三十八年でとらえますと二三・七%、これが夕刊
関係で、朝刊
関係で二五・八%。
本社からある地点まで、
販売店などのその地点までですが、こういう
ウエートを占めておりました。現在におきましては、朝刊の場合をとらえますと、八一%というものはトラック輸送にたよらざるを得ないということになっておるわけです。夕刊でいえば六一%。こういうふうに、トラック輸送というものは非常に膨大化してきておる。これが大きな問題になってくるわけです。
それから、
販売店から読者へお配りするということ、これで現在の戸別配達をやっておるわけですが、世論
調査をいたしました結果、読者の大体九割に近いお
方々は、現在の戸別配達というものは絶対に継続していただきたいという数字が出ておるわけであります。したがって、わが社の場合は、もう日本に
新聞が始まって以来今日まで、戸別配達という方法で歩いてきておる。今後においても、ぜひとも読者の要望にこたえて、
経営的には非常に
経費負担は多いわけでございますけれども、何かそこに戸別配達というものを変えないで済むようなことがあるならば、その方法を見出して、そして
経営の安全と読者の要望とをかなえていきたい、そして社会的な
使命を達成していきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
それから、
先ほども少し触れましたけれども、たとえば
販売店員の仕分けといいますか区分けをするとどういうふうになるかということを、若干申し上げておきます。
販売店員数は、私どものほうでは全国で五万五千人ございます。その中は、中学生が三八%、高校生が一七%、大学生が五%、以下、大体こういうふうになっているわけです。それを歴年で見ますと、以前――以前といいますか、三十七、八年から以前ですね、この時代におきましては、もっともっと中学生あるいは高校生の
ウエートが高かったわけでございますけれども、それが今日一般でいいますと、
若年労働層の不足とでもいいますか、それから
新聞配達という時間帯が非常につらいのかどうかわかりませんけれども、非常に少なくなってきておる。その少なくなってきておるのを、今日までの間に、その時点時点をとらえて
合理化をはかってカバーしてきたというのが、配達部門に対するところの戸別配達の実態、
従業員の
立場から見たところの実態、こういうことがいえる。こういうふうに考えております。
販売店数といえば、全国で約一万店あるわけでございます。したがって、その一万店の店数に対して大体五万五千人が動いていっておるのだ。しかも今日、私どもの場合におきましては中学生、高等学生あるいは大学生、特に大学生につきましては、勤労しながら勉学をしていくという
方々を焦点にいたしまして、奨学生資金の援助あるいはその宿舎、そういったものを整備いたしまして、働きながら大学も卒業できるというふうに、われわれは
設備と制度をこさえております。こういうことは、やはり
新聞配達の業務をするわけでございますけれども、人間の非常な価値と、それから若人の将来の大いなる成長というものを願うがゆえに、こういった奨学生制度というものもわが社内に設けまして、そしてりっぱな人材が育つように、両方の面から考えて、こういう制度を考慮して現在施行しておるというのが実態になっておるわけでございます。
次に、販売手数料の増ということは、したがって、ただいまのような戸別配達だとか
従業員というものを見ていただければおわかりだと思うのですけれども、この前に日本の
新聞販売協会、これから、皆さまのお目にもとまっておると思いますけれども、二千部平均の
販売店の
一つのモデルケースというものが出ております。これはむしろ販売協会が各
新聞社へ、いろいろ
販売店側に対するところの
経営、補助とでもいいますか
経営援助とでもいいますか、そういったものをもっとたくさん出せという要望の筋合いになっておるわけでございます。それからいたしますと、大体六百十円がなければ
販売店側としてはなかなか
経営は困難であるという数字になっておるわけです。しかし
新聞社側は、その要望をそっくりそのまま迎え入れるということになりますと、現在よりももっと多くの
購読料を取らなければとうてい対応できないということは一点になっております。
そこで、話を最初の話に返らさしていただきたいのですが、
利益性の低い
新聞企業でございまして、それぞれの四カ点の要望、
値上げ要素というものをとらえてみますと以上のようなわけになるわけですけれども、では
広告関係は、結論としてどういうふうに考えておるか、この点が残ってくると思います。
広告スペース率、掲載率が大体四四%、昨日の私どもの
新聞をとらえますと三九%ということになります。これは昨日の紙面できっちり計算してございます。昨日五日は、二〇ページ出しましたですから百十九段、
広告掲載率が三九・七%、こういうことになるわけです。ところが、これはテレビ
関係のこともございまして、普通並みな
状態に引き直してみますと、四三・七%というのが
広告掲載率、
スペース比ということになってくるわけです。そのように常に五割以内、つまり四三から四四、四五、四六、大体その辺で今日まで動いてきておるということと、
昭和三十年を中心にいたしまして、おそらくアメリカの
新聞と同じように
広告の
ウエートは高くなるであろうと、私どもも予測してございました。それと同時に、日本の経済というものは
高度成長、成長成長で今日まで、世界的な
高度成長を遂げておる段階でございました。したがって、国内経済がいろいろな形をとろうとも、結果的には成長ムードであるということから
広告に目を向けていって、これから上がってくる
収入を土台に置いて
経営の最小限の安定をささえ、そして読者の皆さまに喜んでいただきたい、りっぱな
報道を送りたい、こういうふうに考えておったわけでございます。
ところが、三十八年で逆転した。四十五年、昨年でございますけれども、昨年の場合は景気状況が、国内におきましても非常に低調ムードでございました。今日もなおかつ続いてございます。特に大阪の万博が行なわれる直前あるいは万博の中間帯ごろまでは、大体低調ムードであったにしても、日本貿易が非常によかったということから、
広告界は潤っておったわけでございます。私どももその潤いを受けたわけでございますけれども、それから
あとというものは、急速な低調ムードが出てきておる。国家だとか、日銀が、金融の緩和というものを昨年の七月ころ打ち出しましたけれども、その時点におきましては、すでに資金的な緩和は、あれだけの数字では一瞬にして消えてなくなる
産業界の状況下にあったと、私は判断しております。経済学者もそのように言ってございますし、数字をとらえてもそのような結果になっております。それから今日までは低調ムードで、それは公定歩合が下がっていっても、金融がある程度国家政策で緩和されても、それがわれわれ
新聞界あるいは
産業界の
広告という面においてはね返ってくる時点は、まだ半年から七カ月くらいの余裕期間を持たなければ実質的にはね返ってこないというのが、過去から現在に至る、
昭和三十年から今日までの間の日本の状況下になっております。そういうことです。
そこで、昨年の十二月以来をとらえてみますと、いままでは実質GNPと同じようなテンポで歩いてきたわけでございますけれども、それが将来とも、同じようなテンポで歩いていくならばさほどではなかったかもしれませんが、それから横ばいに、横ばいといいますか、むしろ下落の状況になっております。したがって、わが社の
広告収入というものも、前年に比べますと一〇〇%を割っておるわけでございます。成長下にございましたならば、
広告収入が一〇〇%をオーバーするのがたてまえになってくるわけです。たてまえになってくることによって、少ない
新聞購読
利益の中を、
広告収入あるいはその他の面で
利益性をもって補って、そして今日までの物価高に対応いたしまして、われわれは
経営の安定をはかってきたというわけなんですが、残念ながら
広告が非常に伸び悩んでおる。伸び悩むというよりもむしろ低下の方向をたどるのではなかろうか、こういうふうに判断してございます。
したがって、私どもは今度の
定価の
値上げは、
経理の
立場から申し上げましても、もう少し思い切って上げていただきたいというところであったわけでございます。そういうふうになってございます。
経営の最小限の安定ということが、やはり
新聞社の
社会的使命を十分達成させる大きな基盤であるという
角度から、いかに
営利企業の中の一員の
経理マンである私といえども、それを実感としてあるいは
使命感として持たざるを得ない。こういうふうに私ども社員一同考えてございます。
以上で私の言わんとするところは、説明のしかたは非常に不十分でございましたけれども、言わんとするところは御理解をしていただきたいと思うわけでございます。私の話を終えさせていただきます。