○楢崎
委員 私は、
厚生省設置法の一部
改正の
内容になっております
公衆衛生審議会、これは
四つの
審議会を
廃止して
統合するわけですが、その中の
伝染病予防調査会と関連をして、実はいまから三十三年前の大牟田における爆弾赤痢と呼ばれる世界でも二つの大事件に数えられる問題について質問をいたしたいわけであります。
なぜ三十三年前のこの種の事件を取り上げるかと申しますと、私は二つの点でこれを取り上げたいわけであります。
一つはこの集団赤痢の原因が、真相がいまもって不明であると私は思うからであります。したがって、この歴史的な事実の真相を明白にすることは、これは主として乳幼児あるいは子供がほとんどでありますが、七百名の死者と一万二千名の罹患者が出た事件でありますが、これらの遺族の
方々に対してもその真相を明白にする必要があるし、また誤った原因説のために何らかの形で犠牲を受けた人あるいは迷惑をこうむった人、こういう人たちのためにもこれを明らかにする、それが
一つの問題点であります。
いま
一つは、この事件が実は今日的な
意味を持っておるという点であります。私は、いまから二年前に、
昭和四十四年八月四日、
国会法に基づいて「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦に関する質問主意書」を提出したのであります。この年は七月二十一日に例の沖繩のGBサリンの事故を契機として、沖繩の毒ガス問題が世界的な関心を呼びました。もちろんわれわれとしても
国会においても取り上げましたし、そして沖繩における毒ガス撤去の問題は今日まだ尾を引いておるわけであります。このときに私は、ここ数年いわゆる生物化学兵器、CB兵器の問題についていささか勉強してまいりました。で、この沖繩の事故があった段階で、その前の問題点をまとめてみて主意書として出したのであります。この質問の中に当
委員会で最近問題になりました例の塩素ガスの問題も入れておったわけであります。私は、自衛隊が人体実験をしておるのではないかという問題をこの質問主意書の中に取り上げております。昨年予算
委員会において、
厚生大臣も御案内のとおり、武山の例の十三名の犠牲者を訓練中出しました少年工科兵、あの学校でアジュバントワクチンの実験が行なわれておる、これを取り上げた。これは
大臣御案内のとおりであります。
この二年前の主意書で取り上げたのは、陸上自衛隊の勝田部隊の隊員に対して、「成人集団人体実験による赤痢及び食中毒予防効果の追跡」という目的で実験が行なわれておる、その実験の期間は
昭和四十二年六月一日から
昭和四十二年七月三十一日まで。試験に使われた材料は株式会社ミドリ十字で開発した乳酸菌製剤ポリラクトン、これであります。私はきょう直接この問題には触れません。
この
説明だけしておきますと、千六百名の自衛隊の隊員に対してポリラクトンを赤痢の予防効果をためすために使ったわけです。実験した。赤痢予防効果を実験するには当然赤痢が起こるということを予想しなければならない。ところがちょうどたまたま、これは偶然ということになっておるが、赤痢患者が自衛隊の中から出たのであります。そしてこれまた偶然その実験期間中に大量の食中毒事件が自衛隊の中で起こったのであります。だから非常にぐあいよく、このポリラクトンの実験の効果がうまいところ出たということになっておるのであります。そこで私は、私の疑問とする点をいろいろここに出しておりますけれ
ども、この食中毒の点、これはいわゆる細菌戦、生物兵器の戦争では食中毒菌ポリスチヌ菌をどう使うかがいま世界的な課題になっておると思います。ポリラクトンは食中毒予防効果をためすわけでありますから、この人体実験をしたとすればちょうど食中毒が起こった点はたいへん怪しい、あるいはその実験の効果を大ならしめるためにその種の菌が使われたのではないかという疑いを私は持っておるのであります。
そういう疑いをなぜ私が持つか。過去旧
日本軍はその種のことをやっておったからであるという推定のもとに、私はここで有名な石井部隊、第七三一部隊の問題、それから
昭和十二年九月末から起こった大牟田の爆弾赤痢の問題を書いておるのであります。ところが内閣の出された私に対する答弁書を見ると、この大牟田の赤痢の問題については一言も触れられていない。念のためにここだけ読んでみます。
「大牟田市の集団赤痢事件の教訓――かつて
昭和十二年九月、大牟田市で集団赤痢発生事件がおこった。(患者総数一万二千三百三十二人、死者七百十二人)
当時、この事件の調査団(内務省、予防局防疫課、県衛生課、医学陣、陸軍省医務局のほか久留米十二師団軍医部が参加)は約五十日間にわたって調査し、「水道の汚水以外にはとうてい
考えられない」と原因を推論した。このため大牟田市の当時の水道課長、塚本久光氏は引責辞職をしいられた。
しかし、(1)水道から赤痢菌は検出できなかったこと。(2)水道汚染説の決め手となった水源井の番人の幼児、田中広稔ちゃん(
昭和十一年二月生れ)は赤痢でなく、消化不良であったことが診療医師の署名押印した診断書、カルテに明記されていること。(3)水道水を飲用している全家庭から患者が発生しておらず、三井三池染料工業所(七月二十三日、衆院外務
委員会で、わたくしが
指摘したベトナム戦争枯葉剤二四五TCPを製造している三井東圧化学の前身)の周辺の住宅街に患者が集中していること。
以上から水源汚染説には今でも疑問をもつ人人が多い。塚本課長の当時のメモによれば、「真相は赤痢爆弾の爆発によるものではないか」と疑問をなげかけている。
塚本メモは憲兵隊や陸軍小倉工廠の情報として、九月二十二日、二十五日、二十六日の三日間に三井三池染料の秘密工場、N工場(硫化染料工場)で爆発事故がおこっており、負傷者は羽犬塚
伝染病院に運ばれたらしいことを
指摘し、メモ用紙の余白には「特に秘」と記入して「十月二十五日、憲兵ノ言ニヨレバ、赤痢菌弾ヲ三井染料工業所ニオイテ、目下、海軍
関係八割、陸軍二割、製作シツツアリ。戦地二使用中ナルコト。ナオ赤痢菌弾ノ件ハ小倉工廠調査ノ結果ナル旨聴取セリ」(メモ原文のまま)と添えられており、当時の彼の疑惑の目がここにむけられていたことがわかる。
以上の事実は細菌戦用としてすでに赤痢菌弾が
日本で製造されて日支事変で使用されていたことを立証するものであり、細菌研究部隊第七三一石井部隊の
活動といい、C(化学)兵器開発の元祖はドイツであるが、B(細菌、生物)兵器開発の元祖は
日本であったことが明らかである。この大牟田市における集団赤痢発生事件と、この園田、時岡研究論文とは果たして無縁のものであろうか。
これが私の質問主意書のこの件に関する全文であります。そこでこれについての政府の答弁書は何も触れていないわけであります。
で、念のために聞いておきますが、私の質問書の中でこういう点があるわけであります。「
昭和六年「関作命第三九八号其一」によって(旧)ハルピン郊外の平房につくられた第七三一部隊、いわゆる石井部隊(部隊長、石井四郎)
関係者は現在、防衛庁、自衛隊
関係機関に何人就職しているか。」
この質問書に対して政府答弁書は、「現在の防衛庁職員のうち、いわゆる石井部隊(旧陸軍の関東軍防疫給水部)に勤務した経験のある者は二人である。」、こういう答弁をいただいておるわけであります。
このお二人のいまの役職と申しますか、どういうところにおられるか。