○大出
委員 お忙しいところを
長官御出席いただきましたので、
長官に少し承りたいのですが、いま大体ここで話はしてしまったのですけれども、簡単に申し上げることができますからもう一ぺん要約して申し上げたいのでありますけれども、結論を先に申し上げると、この辺で実は山中総務
長官が所管をされる恩給につきましては、文官、武官ございますけれども、恩給につきましては、早急に制度化に踏み切っていただきたい。これは私の主張なんです。
その理由を申し上げますと、各官庁をおやめになった方々がそれなりにみんな退職をされた方々の団体等をつくっておいでになって、昭和三十八年ごろから相当精力的に動かれて、
一つは恩給のベースアップ、仮定俸給表のベースアップですね。
一つは制度化、その制度化の中身はスライド制、アメリカの退職公務員の恩給に関する法律などもありまして、これは物価スライドでございますが、フランスにも文武官の恩給の改革に関する法律がありますが、これは公務員給与中心でありますけれども、いずれにせよそういうスライド方式をとってもらいたいという強い運動が巻き起こりまして、それが恩給法の二条ノ二というのをこしらえて、いわゆる調整規定というものに発展をして、さてその調整規定を提案をされた総理府がかくのごとく解釈をするという解釈権をお持ちにならぬで、調整規定の解釈を含めて恩給審議会にゆだねてしまった、つまり諮問をしてしまった。その結果恩給審議会新居会長のもとに答申が出されましたのが昭和四十三年なんですが、三月でございましたか、そこでその審議会会長にこの席においでをいただいて私当時
質問をいたしましたが、少なくとも
政府が諮問をしたのだ。しかも、解釈規定も含めて諮問をされた。そこで当時は年齢別に三木立ての仮定俸給表になっておりましたが、年齢は所得ではない、ないから、年齢別三本立て、年によって差をつけるのは間違いだという解釈ですみやかにこの三本立て仮定俸給表というものを一本化すべきである、その上で制度化しろ、こういう答申の内容になっていたのでありまして、私の
質問に審議会会長新居さんは、この席で、少なくとも
政府が諮問をされたのだから、したがって出した答申なんだから、一本にされるでしょう、そうしてその
あと制度化に踏み切られるでしょう、それが筋ではないですか、求められて私どもは答申しているのですからと。時の総務
長官はそういうことで努力をしたい、こういうことになった。その後足かけ四年にわたりまして私が毎年
質問をいたしますが、
質問をするたびに制度化については総理府が所管をされる公的年金制度調整連絡
会議で相談をしておりますということだったわけであります。これは四十二年の六月にできておりますから、いま私御
質問申し上げましたら、この四
年間に総会が六回開かれて、小
委員会が十数回とおっしゃる。そうすると、四年たっているわけでございますから、少なくともこの十数回というのは年四回開かれて四年でありますから四、四、十六回、十数回ですから、十六まであるのかどうかわかりませんが、そうなると三カ月に一ぺん小
委員会を開いているという、どうもあまり感心したテンポじゃない、こういうことになる。裏を返してものをいえば、たいへんどうもめんどうだから、制度化なんてことを実はそう急ぐ必要はないというようなことになりかねない動きだということを言わざるを得ない。片やわれわれの先輩であるお年寄りの方々が唯一の楽しみで今日までベース改定、ベースアップ、さてスライド方式の制度化ということを言い続けてきた。当時、三十八年に中心になっておやりになったたくさんの方々のうち七、八割の方はこの世におられない。最近になって、どうもスライド制が制度化されないで残念だという話まで実は出てくる。そうすると、いま総理府所管のこの恩給という
一つの制度は、言うならば議員立法が三十幾つもあるということを含めて
考えてみると、戦後処理なんですね。この方々がおなくなりになってしまえば、これはなくなってしまうのです。それを年々なくなられる方もあり、かつみんなが
希望してきたものを、実質的に何がしか計算方式はそっちの方向を向いているからということだけで、しかし、制度化されないためにずいぶん損をされている
現実がある。それをそのまま放任をしてきた。これは将来数年にわたって、四
年間で十数回しか開かれていない小
委員会なら、これから先四、五年たったってまた十数回しか開かれない、総会も四年に六回しか開かれていないなら、これまた似たようなことになる。おそらく制度化というものはできないと思う。だから、そこで他のいろいろな関連をこの際そういう意味では切っていただいて、ひとついま特殊な立場にある軍人の方々を含めて総理府所管のもとにおけるこの恩給受給対象者、この方々に対してそういう意味では切るべきところは切って制度化に踏み切るべき時期ではないか、こう実は思っているわけなんです。
そこで具体的に損した例を申し上げれば、これは
長官も昨年私の
質問にたいへん前向きでお答えいただいて、そのとおり実現をいただいたのですけれども、四十四年十月実施ということで
法律案が立案された過程において、物価の上昇率が当時四四・八%だった。それから公務員賃金の上昇が五五・七%だった。だから四四・八と五五・七の差をとりまして、つまり物価をこえる公務員賃金の上昇、そのうちの生活向上分というような分け方をした、昇給制度がないですから、やめた方々は。そういう意味で十分の六という取り方をして五丁三という
数字を出して、大蔵省から離れて恩給局独自の立案というもの、これは私は初めてだと思いますけれども、これを強力に大蔵省に御
要求になった。ところが、五一・三の
要求をしたのだけれども、そのうちの物価上昇分の四四・八しか大蔵省は認めなかった。公務員給与との差については切ってしまった。だからここも
一つは制度化されていれば、こういうところはもう明確になって五一・三がそのまま通っていたのかもしれぬ。まことに残念だという気がするのです。
さて、昨年の四十五年の十月実施を
目標にした法律立案にあたって、同じ方式で皆さんのほうが大蔵省と折衝を始められた。このときにはつまり
予算がないからということで十、十一、十二、三カ月分はかんべんしてくれというので二・二五を切られてしまった。そのかわり一月になったら、次年度
予算の先食い方式か何かを
考えて、恩給の支払い期日は四月でございましょうから、そういう意味で何とか一−三月の間はがまんしろ、これも口約束。そこでたいへんお年寄りの皆さんが大騒ぎになっておりましたから、山中総務
長官に私御
質問申し上げたところ、何とかしましょう、私もそのつもりでやりましょうということでこの席で御快諾をいただいた。そして昨年の
予算折衝でずいぶん御苦労いただきましたが、結果的に通していただいた。したがって、ようやくここで積み残しといわれた切られた二・二五を回復することができた。たいへん皆さん喜んでおります。喜んでおりますが、それは一−三間であって、十、十一、十二の三カ月分二・二五を切られた分は回復はできない。制度化されておればさかのぼって実施ということが可能だろうと私は思いますけれども、そうでないからこれはできない。将来に向かって、制度化されておりませんから、法律措置がありませんから、したがってこの計算の方式は実効的にはあるいは実質的にはスライドなんだといわれてみても、しかし片一方たいへん金の要る政策が出てきた場合に、大蔵もまた金がないといえば積み残される
可能性もあるし、あるいは公務員給与の上昇分だけ、また十分の六だけ切られる場合もある、前例がそうでございますから。だからこの際、やはりそのつどまさに命をすり減らして老いの一徹で一生懸命になって出てきて、やめた同僚のためにというので御苦労されている方々、この方々にそうそうたいへんな苦労をさせたくはない。そういう意味で私はやはり過去の経過を数年がまんしておりましたが、ここまで来たんだから、もうこのあたりで、つまり総理府が所管をされる共済年金に移行をされないで、残った方々についてはこれ以上ふえないのですから減っていくに違いないし、将来はなくなるわけでありますから、こちらの方々だけに限ってひとつこれは制度化してあげていただきたいという実は
考え方を持っているのです。
そこで、実はきょうはいま大蔵省の方にも、自治省の方にも御出席をいただいて、それなりに御意見を伺っておきたいと思って、旧令共済を含む共済関係の方々について、こちら側だけ制度化したらどういうところが困るのか、こう承ったわけです。つまり三十四年に国家公務員、特に三公社五現業中心に進めてきたのですけれども、これは私のところで立案をして、横川正市、永岡光治両参議院議員に議員立法で出してもらった。私の全逓本部の書記長時代でございますが、そうすると、大蔵省の給与
課長の岸本さんが話をしたいというので、私がお伺いをして話したら、実はこういう文章をつくってみたというので見たら、全逓等の主張もこれありと明確に書いてある。そうして各省の人事主任官に全部渡して集まれ。そして永岡、横川両氏が参議院で提案をしている。当時国鉄と専売が共済年金に移行いたしまして、その
あとを電電公社が追っかけて共済年金に入っていった。五現業は残った。だから私のほうでやったのは、五現業を共済年金にという
考え方だった。それでは事済まぬ、ほかの公務員、国家公務員を含めてやりたいということで、そのかわり
法律案は取り下げてくれ、
政府提案でやるからということになった。それでいろいろ紆余曲折があって二国会にまたがりましたが、大蔵省の岸本さんの音頭とりで三十四年十年一日から皆さんが共済年金に行ったわけですね。そこで問題は、どこが違うかといえば
一つしかない。つまり恩給納付金を払ってこられた方々は十七年、三割三分三厘、共済長期は二十年で三割三分三厘、共済年金ということで新しく
考え出されたものは二十年で四割ということで、そういう移行のしかたをした。だから百五十分の幾つという年額計算をすれば、一年比率が違うわけですね。つまり二十年で四割と十七年で三割三分三厘ですから、旧恩給法の納付金を払っていた時代の年限、新しくつないで共済年金になった年限、一年ごとに計算をして何
年間かかけて、両方かけて足してその人の仮定俸給表をきめるということですよ。計算方式上はこれは明確なんです。どこにも間違いはない。何
年間は旧恩給法でいっていたが、何年から何年のやめるときまでは共済年金のこっちの法律でいくのだということですから、計算上は明らかである。ということになると、これを割り切れないことはない。さらに地方公務員の場合であっても同様で、たしか三十七年ですか、これまた共済年金に移行された。同じ計算方式ですから、これまた明確にわかる。だから、いまこちらのほうだけを制度化したからといって、そちらのほうの影響というものはそれなりに計算のしようもあるし、わかる。負担のしかたというものは問題がありますが、これはやめた
あと負担をするんだということになるからという意見はあるのですけれども、そんなことを言い出せば、これからやめる人の場合だって似たようなことが言えるので、これは大所高所からどう割り切るかということです。さて、そこで残るのは、さっきお話がございました一番最後の、幾つかお述べになっておりますけれども、私学共済だとか農林共済だとかあるいは国民年金だとか、あるいはそのほかの公的年金、船員だとか厚生年金だとかいろいろある。そちらのほうとの関係はどうかといえば、それはある意味の社会政策ですから、そういう意味の割り切り方はできるというふうに分けて
考えてみて、年齢的なことも
考えて——いま山中総務
長官所管に基づく恩給対象者、受給者というものは、年齢的にいったら一番年を取っている人に間違いない。三十四年に移行した
あとの方は共済年金なんですけれども、これは三十四年から今日までですから、十二年しかない。そうでしょう。そうすると、それ以前にやめた方なんですから、十何年違う。そうでしょう。そうすると、そちらの方々がこの世から先になくなっていくのは一列励行ですから、なくなって一人もいなくなってから制度化といってしてもらっても、三文の価値もない。だからそうあまり延ばされないで、そういう割り切り方をして、この恩給の審議をこの
委員会でやるということをめぐっても、制度化はできませんか、できませんかという話が山のように来るのを、そう何年も若い私どもは防ぎきれませんよ、お年寄りの気持ちを。だからそういう意味であまり先のない方々にあまりのんきなことをおやりにならぬで、割り切った制度化の方向をだれかが
一つの政治意識をもって進めるという気になっていただかなければ進みやしない。そういう意味で私は公的年金制度調整連絡
会議のメンバーの方々に
質問書でも公に文書で差し上げてみようかとさえ実は思い詰めているのです。それで先ほどそのメンバーの
資料をいただきたいと申し上げたのです。こうやればできるのじゃないかという提案まで実はしたいのです、正直に言って。だからきょうは総務
長官に、他のことはともあれ、この点はひとつ大きな政治問題ですから、なくなっていった方々の思いが残っているのだから、金がかかるわけじゃないのだから、ここまで計算方式を持ってきたんだから、これは山中さんの御努力で。つまりようやく積み残しを回復していただく措置、
あと将来に向かってそういうものがなければ、これは制度化したって別にどこにも関係はない。ただ金がないからといって、片方高いほうの分が切られたり、また十月から十二月で切られたりというようなことが起きないという歯どめになるわけで、ですからそういう意味でこの際そこまで進めていただけないか、ポイントなものですから繰り返しましたが、これは総務
長官からお答えいただきたいんです。