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大出委員 もう何年も前ですけれども、皆さんの党の
神奈川からお出になった
安藤覺さんが御存命の
時代に、あの方の御親戚に
関係の方がおるものですから、私と二人で
神奈川県下の
療養所の
院長にみんなお集まりいただいて、
療養所は広いものですから何とか
場所の提供をというのでずいぶんくどいたことがあるのですよ。ところが全部断わられまして、こんなにも非
協力なものかと思って、しみじみ慨嘆をしたことがあるのです。いま多少変わってきましたが、その
時代にいろいろ
ドイツあたりの
研究の
成果その他を調べたりしたこともあるのですけれども、同じ
重症でも
母親が口に入れてやると食べるのですね。ほかの者がやったんでは絶対食べないのですね。つまり生物学的なというか、心理学的なというか、純医学的なというか、
母親は無意識にやっておるわけですけれども、
おかあさんならだいじょうぶ。そうすると
施設をつくっても、
おかあさんが入れたがらない。なぜならば、そこは
自分の
子供ですから、他人のところに預けたら命がなくなるのじゃないかという本能的な
心配がある。私のところに置いておけば食べる、ほかの人じゃ食べないから、ほかに連れていったらだめだ
ろうということ。それらの
外国の例を見るとこまかく分析したのがあるのですね。こういう
子供はこうやれば飲むとか、そこまで
研究しているのですね。そうなると、これは
特殊教育といっても
文部省だけの
分野ではない。御説明のとおり、やはりそこまで
ワクを広げてお
考えいただかぬと、せっかくつくる
意味がないという気が私はするので、ぜひひとつそういう点は、いま御答弁いただきましたように三位一体のような形で進めていただきたいと思うのです。
それから時間がありませんから多く申し上げませんけれども、高崎の観音山、これは私の故郷ですけれども、ここに
水上勉さんの長年の悲願であった、言うならば
身障者等の
コロニーがようやくでき上がって、第一回として何人かがお入りになる。そこまで来た。これまた非常にいいわけですけれども、実は
身障者村といえば、それは
それなりの
運営も諸
外国の例からいってありますが、そうではなくて
社会復帰という
段階に、実際に
身障者が集まっていろいろな
援助者があって何か
一つの団体をつくる、あるいは
事業を起こすという
意味で
共同出資をする。ところが、これを見ているとほとんどうまくいかないのですね。あるいは非常に特殊な方があって、
自分の
企業に入れてあげようというので
集団で入れる。それが新聞なんかに載りましてあとどうなるかと思って調べてみると、ほとんど途中でだめですね。だからそういうことになると、つまり
教育の
分野では、まずどういうふうに
教育するかということが必要なんですけれども、そこから先、
社会復帰の
段階まで含めて道筋を
考えていかなければならぬと思うのです。そこまで
研究してあげなければならぬと思うのですね。
いまここに
一つ例がありますが、これは
横浜の例ですけれども、
身障者の
浜焼き技能研究所というのがある。
浜焼きは
横浜の
焼きものという
意味です。
横浜名物です。置き物だ何だというので焼くのですけれども、非常に歴史のあるものです。この
身障者の方が三人ばかりで金を出し合って
技能研究所をつくった。そこで
焼きものを焼き始めた。そうして三十人収容できる建物なんですけれども、八人しか集まらない。それで八人で始めた。ところがどうしても行き詰まるわけです。つまり、技術を教えるやつは
無料でやっているわけですね。色づけなんですけれども、それを
無料で教えている。つまり、
身障者の
方々ですから、普通の方じゃないから、
研修費を取れないわけです。そうすると、これはもう全くの持ち出しで、つくったものを売るというわけなんですけれども、それはいまの世の中ですから、古い特殊なものをそう片っ端から買うわけじゃない。そういうわけで、実はこれは非常に
経営難におちいっているわけです、これは最近の例ですけれども。
私なんかも、もう少しうまくいってくれればと思っていたのですが、うまくいかない。どうすればうまくいくかという問題があるわけですけれども、実は、
横浜市なら
横浜市、
神奈川県なら
神奈川県、国なら国、こういうところが
公営でやってくれればやりようがある。ところが、全くの個人の
集団でやるとなりますと、普通の営業のようなわけにいかない点がどうしてもある。だから、ほとんどこれはうまくいかない。これも、さてどうするかといういま
段階なんです。私のおります
横浜の
戸塚区なんですけれども、
峠工房といって、
身障者の
研究施設をつくった。いまのところは何とかうまくいっていますが、先々また
心配な時期が来やせぬかと思っているのです。
社会復帰ということを目標にして
教育をなさる、そこまではいいのですけれども、
ほんとうに
社会復帰できるのか。そこから先のところに
一つの道をつくらぬと、これはせっかく
教育をしたことが
意味をなさない、実を結ばない。だからその面も、やはり国なら国が
一つの大きな
指導力をお持ちになって、使うところには金を使う。これなんかも、
運営費なら
運営費を補助するということで、ある
一般の
企業で欠けている部分を何とかしてあげるということになれば続く。
これはこまかく申し上げているひまがありませんので、まことにどうも残念な気がするのでありますが、いまこの
関係の
方々が、市なら市、県なら県で引き取って
運営をしてくれ、
公営にしてくれという陳情、
請願をしていますけれども、
ほんとうを言えば、実はそこまでお
考えをいただけないかという気がするのです。