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受田委員 大臣、ちょっと質問の対象が
大臣の
所管事項からはずれてきますが、関連があるからお尋ねするのです。
いま
地方選挙の最中ですね。
大臣も御苦労されておられると思いますが、またあさってから次の
統一選挙が始まる。私もこのたび各所を歩いてみてしみじみ感じたのですが、
過疎地域におけるお
年寄りの悲惨な姿というものを感ずる。つまり若い者がみんな町に出る、そしてお
年寄りが郷里を捨てがたくて
ふるさとの古い家に一人残っておる、足腰が立たなくなってもまだがんばっておる、そして
脳溢血や
心臓病で死んで、三日目か四日目になくなったのを発見されたのを私もちょいちょい聞いたのです。そして、なくなったというので町から親のところへ帰ってきたが、また家を始末して出ていく、こういうのがちょいちょい出てきておる。これは非常に悲惨な人生です。若い者はおる、おるけれども、若い者は、お
年寄りに
愛情があっても実際はなかなか実行してない。そこでお
年寄りは、今度
老人の
福祉年金が二千円が二千三百円になって、それをもらって、
子供も多少小づかいくれるという
程度で細々と暮らしておったが、ついにこの世を去っていった。こういうところに
国民年金の増額という問題が
一つある。
それから、もし
老人医療の
制度がもっと行き届いていれば、お
年寄りが弱っているようなうちは、あるいは
相談員がもっと数多くいれば、あるいはお
医者さんが
居宅診療で、お
年寄りは寝ておる、
子供たちは町におるのだが、ちょっとぐあいを見てあげようかというので診察でもされたら、あるいは
心臓病や
脳溢血の予防の
方法もあるはずです。同時に、このお
年寄りは
心臓病で弱っている、血圧が高い、
子供さんが東京に行っておるが、ちょっとこれは危険だから
子供さんに、親が重い病気になっていますよと知らして
子供を呼び寄せるとか、もうお
医者さんから見れば、これは十日か二十日のうちにあぶないというのはわかるはずなんだ、それを
子供たちへ通告して、そこで最後の親孝行ができるはずです。そういうときにお
年寄りのうちに
居宅診療する
制度もない、
相談員も数多くないからお
年寄りのうちに見舞いにも行けないあわれな人生、そういう
老人福祉対策に
制度上の欠陥があって、お
年寄りは治療を受けると三割
国民年金の負担をしなければならぬというような心配から、金がかかる治療を受けないというので治療も遠慮する。そうすると十七歳以上のお
年寄りの治療はできるだけ国がめんどうを見るような
老人医療法をつくるとか
国民年金を増額してあげる。あるいはもう
一つ人間の心の
ふるさとを大事にするということであれば、お
年寄りの健康診断はひんぱんにしてあげて、そして危険信号をあがったら
子供に役場から通告して、町長からでもいい、おたくのおとうさんが少し健康がおぐあいが悪いようだが、御本人はお
年寄りでがんばって
子供にも通告せぬとおるようだが、どうか帰って、あなたのおとうさん、おかあさん重体の傾向がある、これを見てあげぬか、こういう手だてをしてあげれば
人間社会がどんなにうるわしいものになるかと、今度の
地方選挙で各所を歩いてみながら感じました。
これはやはり
精神面を高揚する
文部行政の一環がこれを手伝わなければならぬ問題だと思う。厚生
行政は
人間を大事にするけれども、やはり
人間の心を
教育するのは
文部省である。
社会教育の必要性、そういうものが少し欠けてきておる。現在のお
年寄りは若い
時代に非常に苦労している。苦労して今日を迎えて、さらに死の瞬間までそうした若い者との
人間関係の断絶による不幸な生涯を閉じるという傾向がある。
大臣、そういうことが現実に起こっていることはおわかりでしょう。それをどう救っていくかという問題がある。それは私は
文部省の指導要綱の問題なども関連して——教科書編さんに対して国が干渉してはならぬことも私はよくわかります。そこで学校の教科書を編さんする会社の良心も今度は必要になってくるのですが、この道徳の根源である父母に孝にという問題、あるいはきょうだいが仲よくするとかいう、こうしたかつて
教育勅語に書いてあった文句ですけれども、その中でどこにも共通の問題として、この孝というものは私は道徳の根源だと思うのです。孝は百行の本というのは今日としても変わらない名言であると思いますね。そういうものを柱として、かつての忠という
意味でなくして、孝というものが道徳の根源であるというかっこうに
文部省が大方針を立てられてしかるべきである。そして、ちょっとそういうものに対しては空気の悪い問題が起こりがちなのは、地方で昔の
教育勅語をずっと配られる議員さんがあるんですよ。
文部大臣の御郷里はどうか知らぬけれども、私の郷里などは
教育勅語を各家庭に配る議員立候補者があるんです。それはたいてい自民党です、例外なしに。自民党の候補者になられる方が
教育勅語を印刷してずっと家庭に配られる。これはやはり印象的にそういうことでなくして、ほんとうの道徳の根源というものは何かというもっと高度の指導を自民党でもなさってしかるべきであるという
意味で、党の立場とそれから
文部行政という立場と両方から、
大臣はそこの焦点におられるのですから、そうした道徳の根源を孝に置く、これはすべての道徳のスタートである、こう私は感ずるのですが、それに対する御見解とこれに対する対策をお答え願いたいと思います。