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伊藤(惣)
委員 沖繩の基地
従業員に対しても
長官前向きに積極的に取り組んでいられる。そのことについては了とするものでありますけれ
ども、どうか
長官のおっしゃったことが間違いなく
実施されるように、その点も
指導監督していただきたい、そう思います。
そこで、ひとつ問題提起なのですが、実は新しくいろいろな問題を今度のこの
対策協議会で
大綱としてまとめたわけでありますが、残念なことに、同じ戦争犠牲者の中にも、この基地の撤去によってやはり非常に影響を受けるハウスメードというのがいるわけですね。このメードさんのことについては、私は以前から防衛庁
長官、そうしてまた
施設庁長官にも何回となく問題提起し、その善処方を要望してきたわけです。そのメードさんといいますのは、将校の
宿舎に必ず一人や二人おりまして、その
方々が移動されますと、ちょうどその家につくと同じように、また次の人と直接雇用という
関係でいるわけであります。そしてその
人たちが二十数年間、まあハウスと同じように、主人はどんどんかわるわけですね。ですからどんなにかわっても給料は上がらぬわけです。それで引き継ぎか何かがございまして、だんだんと安い人またはいい人のみになってしまって自然淘汰されているわけでありますが、しかしこの数が実に多いわけです。たとえば今回の
三沢の場合ですと、五百人程度やはりやめなくてはならぬのじゃないか。
横須賀またグラントハイツあるいはまた
方々にいるわけであります。これは沖繩も同じだと思うのです。この
人たちの実態といいますのは、非常に見るにたえないといいますか、聞くにたえないことがたくさんあるわけであります。たとえば私の選挙区の区域にもグラントハイツがあります。その中に現在百五十人ほどのメードさんがいるのです。そのメードさんはもちろん練馬区なら練馬区というところに家を持っている人も一部おりますけれ
ども、長くいる方はバラックのプレハブ住宅にいるわけです。住宅を見て回りましたが、悪い家でタコつぼみたいな部屋であります。その寮則にはこう書いてあるのです。もしこの寮に五日間働かないでいた場合には自動的に出るようにという表示がしてあるわけです。そしてその
人たちは日給月給でありますから、一日働いて千円とか、あるいは一ドルとか二ドルとかいうことで働いているわけです。ですから実際には、まともに働いても月々二万くらいにしかならぬので、夜兵隊さんが遊びに行くその間子供さんをお守りする、そのお守りについて一時間幾らという小づかいをもらってやっと三万とか三万五千というような中で働いているわけです。しかも
自分が新たにどこかに家を借りるにしても、そういう安い日給月給みたいなものしかもらっておりませんので、家を借りるに借りられない、しかもまた
自分が病気になっても健康保険もない、こういう実態で非常に悲惨な生活をしているわけです。私もそういう
人たちと会いましていろいろ聞きましたけれ
ども、返還と同時に私はもう行くところがない、行きたくても行けないというところから、
自分がつかえている主人は十何年つかえている、だからベトナムに行けばベトナムにもついていく、ハワイとかアメリカに帰るならばそれにもついていくというような、そういう投げやりな五十年配のおばさんの話さえ私は聞いているわけです。そこでこの問題については、以前からもイエローガリー、黄色い奴隷というぐあいに兵隊さんの間では言われているわけですよ。私はこのことを真剣に
考えまして、実は雇用安定法というものを何とかつくろうと思って
検討した。ところが法制局においては、日本にもまだ家内労働法というのはない、したがってそれは雇用安定法に盛り込むことは無理だといわれたわけであります。防衛庁はどうするのかというと、これは労働省の
関係だという、労働省はそういう
関係でわれわれとしても扱えない、防衛庁は政治的には責任あるけれ
ども、直接の
関係は労働省だと逃げている、これが実態のわけです。基地労務者の方には、不十分ではありますけれ
ども特別支給金とか、こういういろいろなことがあります。それに比べましてハウスメードの人には退職金の一円ももらえない。しかも、中には少し器量がいいと、いろいろな破廉恥行為を受ける、それにも耐えてきた、そういう
一つの現実があるわけであります。一々例を申しますと、たいへんなことがありますが、そういうことは差し控えますけれ
ども、そういう人々こそ手を差し伸べてあたたかい
対策を立てるべきじゃないか。
政府がそういった
方々にあたたかい手を差し伸べなければならぬじゃないか。これは直接雇用、直接雇用については米軍がかってに使ったんだから、米軍が責任を持つことであって
関係ない、そうもしおっしゃるとするならば、それはたいへんなことであって、現在では職業安定所で扱っておりませんけれ
ども、以前は保険組合の中にメードさんも一緒にしておったことがある。昭和二十六年ごろだと思います。さらにまた、そういった直接雇用のあっせんを職業安定所においてあっせんしたこともある、過去において。そういう
一つのことがあるわけであります。そういった
方々に対する
対策について
長官の答弁を伺いたいと思います。