○門司小
委員 とんでもないことを言う連中ですね。人間の命が大事か物が大事かということです。あなた方、
消防の施設があるから、たとえば水があるからと言うけれども、地震になると水道はとまりますよ。水が出ませんよ。水が出ないことはしばしばあることである。ほとんど毎日といっていいほど
東京都内でも水道が何時間も断水するということがいわれておる。こういう場合でも消火せんだけは確保しているという一応の言いわけはあると思う。しかし、実際問題としては水道がとまる危険性があるのですよ。かりに震災があったとすれば、いつまでも水が出ているわけじゃない、電気もとまるのですよ。その場合は一体どうするのですか。人間の命を大事にするということは、そういうことが配慮されていなければならぬ、万一の場合が配慮されていなければならぬ。
消防の
職員の入る口があればいい——それは
消防の
職員は入れるかもしれぬが、中の人間はどこから逃げるのか。佐藤総理は年百年じゅう口のすっぱくなるほど人命尊重、人命尊重と言うけれども、その佐藤総理のもとにある諸君が人命軽視もはなはだしいですよ。人間の命を守ろうということが政治の
最大の問題である。それを忘れて、かっこうがいいとか、あるいは窓のあかないようなものがあるとか、あるいはクーラーがあるとか、暖房の設備があるとか——いまだってクーラーが多過ぎて変な病気がはやっているということもいわれているでしょう。一体どういうわけですか。私は、
消防はき然とした、人間の生命と財産を守るのだという立場からすべてを考えるべきだと考えておる。いまの資本主義社会では、物の利益を得るためには人の命はどうでもいいといったら企業家の諸君はおこるかもしれぬが、往々にしてそういう形の観念の上に仕事がなされておることは否定できないと思う。その場合に、人の命を守ろうとする大きなポイントは
消防の仕事だ。今度の場合でも、山火事を守るために
消防の
職員が十八人死んでいるのです。これらの諸君は職務に殉じているのです。しかもそれはみずからの利益ではない。
消防職員が出入りするような穴があいているからよろしいのだということになれば、中に入った
消防職員が出られなければ、どうするのですか。私はもう少しこの問題は真剣に考えてもらいたい。私は
消防がもう少し強くなってもらいたいと思う。
震災のときに水がとまったらどうするつもりですか。その予防の措置がありますか。電気がとまったらどうするつもりですか。なるほど自家発電があるのだという。そういう場合に電気がとまったら、自家発電でこうやるということは、そこらのビルや
地下街に行けばそれだけの設備があることはよく知っております。しかし、それが動くかどうかということです。日本のようにわりあいに地震が多い国、しかもたびたび地震の経験のある国、こういうところの
建物というのがそういう危険性のないところにある
建物と同じであっていいという理屈はどこにも成り立たぬと私は思う。もし大正十二年くらいの震災があったらどうなるかということをときどき新聞や雑誌でいろいろ書かれておりますが、私どもないとは言えないと思う。その場合に今日の状態を考えてごらんなさい。一体人間がどれだけ死ぬか、どうなるのかということであります。
消防車がどれだけあっても道は走れなくなります。日本にはまだたくさん架線がありますし、道路標識のようなものがたくさん立っている。ああいうものは倒れると見なければならぬ。
消防車がどれだけ走れるか、この狭い道で一台走れなければ、その
あとのが乗り越えて行くわけにはいかないから、すべての機能が停止したときに一体人間の生命をどう守っていくかということを、少なくとも
火災に
関係のある
消防署としては考えておく必要がありはしないか。
建設省の人も同じことであります。先ほどから言われておりますことを聞いていて、きわめて奇怪なことが一つあるのであります。たとえば建材等についても、こういう建材がよろしいのだということで、ポスターその他で宣伝しているということを言っておりますが、広報宣伝機関は国も持っているでしょう。県にも県の広報課があり、
市町村にも
市町村の広報課があるでしょう。なぜ役所を使わないのですか。全戸に配布している、店に掲示するとか、ポスターを張りつけるとかいうのと全然違う性格を持っている広報宣伝機関を国は持っているわけであります。それをどうして利用できないのかということです。
ほんとうに人間の命を守るというたてまえからすれば、
消防活動等については、さっき申し上げましたように、真剣に考えてもらいたい。それは社会の抵抗はあります。たとえばわれわれがずっと前から考え、
自治省も考えておったのだが、
消防の施設の充実のために特別の税として
消防施設税を設けよう。そうして
火災損害保険会社はもうけ過ぎておるのだからここから少しもらったらどうか。しかもこれは不特定の人から集めた金が特定の人の所有になっておるということである。いわゆる
火災保険の掛け金はかけ捨てでしょう。生命保険は幾らかけてもその人の財産ですから、たいした問題は私はないと思う。
火災の場合は、かけ捨てになった不特定多数の人の積み立てたお金が、特定の人の利益になるということが一体よろしいかどうかということである。こういうふうな理屈は別にいたしまして、少なくともそういうものは必要ではないかということを考えるのだが、これも損保協会の圧力に屈してと言ったほうがいいと私は思うのだが、なかなか実現をようしない。だとすれば、
自治省の中にあるものは——
自治省の中にあるわけではありません。
消防庁というのは独立したような形を示しております。形をしてと言うと長官はおこるかもしれないけれども、外から見ておると、何か一つの形
程度にしかなっていないと思うのだが、独立の役所として、もう少しき然とした態度がこの際必要ではないか。そうしないと、どう考えても、いままで長い間こう
火災がたくさんあったのだが、
火災の一つ一つを分析してみると、
あとからああでもない、こうでもないということで、そうしてこの場合はやはり言いわけがされておる。長官のほうでも取りつけることは勧告しておったのだという言いわけは、あなた方の役所の言いわけとしては成り立つ。しかし、一般にはこういうことはあまり通用しないことなんですね。被害を受けた者、死んだような人から考えれば、そのようなことを幾ら言われても、役所の責任のがれの、一つの遁辞と言うとおこるかもしれないが、遁辞にひとしいことであって、これはどういうわけなんです。もう少しき然とした態度はとれませんか。
今度出ている法律を見てみても、これはあした審議がされるので徹底的にやらなければならぬと思っている一つのことですけれども、こういう
危険物をどうこうと書いてある。ところが、現実にいま問題の、私がどうしても考えてもらいたいのは、火薬を輸送しているのが、十年くらい前になるかと思いますが、神奈川、横浜であった火薬の爆発事件を中心に、火薬を運ぶのには赤いシートをかけて、だれが見てもこれは火薬ということがわかるようにしてもらいたい。大体きまっておったはずですが、今日市中を歩いていて赤いシートをかけた車はほとんど見ない。一切の火薬は運ばれてないのかというと、私は必ずしもそうではないと思う。火薬をこしらえている会社から出ている品物は大体火薬と見たほうが私はよろしいと思うのです。こういう役所のその場その場の言いのがれと、その場その場の処置だけで、役所自身がそういう規定を守っていないというところに問題がありやしないか。
これ以上私はきょうは聞きませんけれども、一体建設省もどうなんです。ほんとうに真剣にお考えになっているなら、どんなに財界の圧力があろうと何があろうと、やはり自分たちの仕事というものの中から、人間の生命を守るという考え方からすれば、私はある
程度の大いに強い姿勢が望ましい。建材が人の生命をなくして、そして
火災における人命を傷つけておる一つの大きな
原因だということがわかるならば、そういうことを除去することのためには、財界が何と言おうと、だれが何と言おうと、やはりき然とした態度——いまあなたにそんなことを言っても始まらないと思う。これは建設大臣に言うべきことばだと思うのですけれども、ひとつ事務当局としてもそのくらいの気概を持ってもらいたい。そうでなければ、ここでどんなに議論しても、
火災からくる被害はなくならぬですよ。
だから、どうなんです。
最後に聞いておきたいと思いますけれども、そういうことで一体腹をきめてやられるかどうかということなんです。そうしないと、どんなにここで協議をしたって、ほんとうに枝葉末節のことであって、実際上の問題の解決にはならぬと私は思うのです。